1. 賀美能親王・嵯峨天皇
日本史年表
皇太弟とする(後紀)。 809年〈大同4 己丑②〉 4・13 賀美能親王(嵯峨天皇) 受禅即位(紀略)。 823年〈弘仁14 癸卯〉 4・16 嵯峨天皇 譲位、 ...
2. 嵯峨天皇
日本大百科全書
第52代とされる天皇(在位809~823)。名は神野(かみの)(賀美能)。桓武(かんむ)天皇の皇子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。延暦(えんりゃく)5年9月7 ...
3. 嵯峨天皇
世界大百科事典
巨大な組織となって宮廷の運営を担当した。こうした点を総合すれば,嵯峨天皇は王朝文化の祖と見ることができよう。目崎 徳衛 嵯峨天皇は空海,橘逸勢とともに三筆の一人 ...
4. さが‐てんのう[‥テンワウ]【嵯峨天皇】
日本国語大辞典
第五二代の天皇。桓武天皇の第二皇子。母は藤原乙牟漏。大同四~弘仁一四年(八〇九~八二三)在位。即位の翌年いわゆる薬子(くすこ)の乱が起こったが、そののちは平穏な ...
5. さがてんのう【嵯峨天皇】
国史大辞典
皇太子高丘親王は廃され、阿保親王・藤原真夏らは左遷された。この「薬子の変」後、弘仁・天長・承和の約三十年間、嵯峨天皇(上皇)の権威と指導のもとに太平が続き、空海 ...
6. 嵯峨天皇(さがてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 17ページ ...
7. さがてんのう【嵯峨天皇】
日本人名大辞典
786−842 平安時代前期,第52代天皇。在位809-823。延暦(えんりゃく)5年9月7日生まれ。桓武(かんむ)天皇の第2皇子。母は藤原乙牟漏(おとむろ)。 ...
8. 嵯峨天皇[文献目録]
日本人物文献目録
めぐる応制・奉和の詩について』小島憲之『嵯峨天皇 三筆三蹟考』神田喜一郎『嵯峨天皇小野篁の詩才を試みたまひし事の真偽』斎藤淳『嵯峨天皇御略伝 主として大日本史本 ...
9. さがてんわう【嵯峨天皇】
全文全訳古語辞典
[人名]平安初期の漢詩人、能書家。第五二代の天皇。桓武天皇の第二皇子。八〇九年(大同四)~八二三(弘仁十四)在位。宮廷を中心に唐風文化を興し、『弘仁格式』『新撰 ...
10. 嵯峨天皇始置二賀茂齋院一 (見出し語:嵯峨天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 1207ページ ...
11. 嵯峨天皇山陵 (見出し語:嵯峨天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 990ページ ...
12. 嵯峨天皇書風 (見出し語:嵯峨天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 684ページ ...
13. 嵯峨天皇薄葬 (見出し語:嵯峨天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 243ページ ...
14. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には ...
15. さがてんのうこうごうりょう【嵯峨天皇皇后陵】京都市:右京区/上嵯峨村地図
日本歴史地名大系
愛宕念仏寺の西北の深谷山山中にある。皇后は橘清友の娘で名は嘉智子。弘仁六年(八一五)立后(日本後紀)。嵯峨天皇の譲位後は、ともに嵯峨院(現大覚寺)にあったが、嘉 ...
16. さがてんのうりょう【嵯峨天皇陵】京都市:右京区/上嵯峨村地図
日本歴史地名大系
いることで明らかである。陵は一時所在不明であったが、明治期に現在地を治定。円墳で樹木が茂る。嵯峨天皇陵がある御廟山東斜面、標高八〇メートルにある観空寺谷古墳群は ...
17. 嵯峨天皇甘露雨(著作ID:1144098)
新日本古典籍データベース
さがてんのうかんろのあめ 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん) 浄瑠璃 正徳四初演 ...
18. 嵯峨天皇曾孫(著作ID:4410976)
新日本古典籍データベース
さがてんのうそうそん 系譜 ...
19. 後嵯峨天皇
日本大百科全書
第88代天皇(在位1242~46)。名は邦仁(くにひと)。法名素覚。土御門(つちみかど)天皇の第3皇子。母は贈皇太后源通子(みちこ)。四条(しじょう)天皇が急死 ...
20. 後嵯峨天皇
世界大百科事典
1220-72(承久2-文永9) 第88代に数えられる天皇。在位1242-46年。土御門天皇の第2皇子。名は邦仁。母は土御門通宗の女源通子。誕生後1年にして母を ...
21. ごさが‐てんのう[‥テンワウ]【後嵯峨天皇】
日本国語大辞典
第八八代天皇。土御門(つちみかど)天皇の第一皇子。名は邦仁(くにひと)。母は源通子。仁治三年(一二四二)北条泰時に推されて即位。在位五年で第三子の久仁親王(後深 ...
22. ごさがてんのう【後嵯峨天皇】画像
国史大辞典
権大納言四条隆親の冷泉万里小路殿で践祚し、さらに三月十八日太政官庁で即位の儀を行なった。すなわち後嵯峨天皇である。在位四年ののち寛元四年(一二四六)、皇子の久仁 ...
23. 後嵯峨天皇(ごさがてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 29ページ ...
24. ごさがてんのう【後嵯峨天皇】
日本人名大辞典
1220−1272 鎌倉時代,第88代天皇。在位1242-46。承久(じょうきゅう)2年2月26日生まれ。土御門(つちみかど)天皇の第3皇子。母は源通子(つうし ...
25. 後嵯峨天皇・後嵯峨上皇・後嵯峨法皇
日本史年表
1242年〈仁治3 壬寅〉 1・20 土御門院皇子(後嵯峨天皇) ,元服,践祚(平戸記)。 1248年〈宝治2 戊申⑫〉 7・25 後嵯峨上皇 ,藤原為家に ...
26. 後嵯峨天皇 所領一覧1[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
27. 後嵯峨天皇 所領一覧2[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
28. ごさがてんのうりょう【後嵯峨天皇陵】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町 天龍寺境内、方丈の西北にあり、後嵯峨天皇嵯峨南陵といい、陵内に法華堂が建つ。後嵯峨天皇は土御門天皇第一皇子で、母は源通子(通宗 ...
29. 後嵯峨天皇御譲位記(著作ID:2622095)
新日本古典籍データベース
ごさがてんのうごじょういき 記録 寛元四 ...
30. 後嵯峨天皇即位 (見出し語:後嵯峨天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 257ページ ...
31. 納二後嵯峨天皇遺骨於深草法華堂一 (見出し語:後嵯峨天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 999ページ ...
32. あいごのわか【愛護若】
国史大辞典
代表作。六段。愛護若は二条蔵人前左大臣清平の一子で、夫婦が長谷観音に祈請してもうけた申し子。嵯峨天皇の時代、若十三歳の時母が死に、継母の八条の姫が若を激しく恋慕 ...
33. あいみぐん【会見郡】鳥取県:伯耆国
日本歴史地名大系
余戸里を現境港市外江町付近に比定する説もある。承和元年(八三四)二月三日、会見郡荒廃田一二〇町が嵯峨天皇皇女有智子内親王に与えられ、うち八〇町は嘉祥元年(八四八 ...
34. 葵(源氏物語) 20ページ
日本古典文学全集
皇女または女王。ほぼ斎宮(→一八ページ注四)と同様、新帝即位に伴って卜定。弘仁元年(八一〇)嵯峨天皇皇女に始まり、後鳥羽天皇皇女に終る。弘徽殿皇太后。皇子は順に ...
35. あお‐うま[あを‥]【青馬・白馬】
日本国語大辞典
かれている棍棒と騎士の乗った馬が青色であることから)めくりカルタの一一の札の一つ。*浄瑠璃・嵯峨天皇甘露雨〔1714〕二「生き世の時はばくちずき〈略〉此世の手み ...
36. 白馬節会
世界大百科事典
神聖なものとして用いることから白馬と変えた。ただし,馬は灰色または葦毛で,表記だけを白馬に変えたにすぎない。嵯峨天皇の811年(弘仁2)を起源とする説などがあり ...
37. あお‐ぬ・く[あふ‥]【仰─】
日本国語大辞典
〔自カ四〕(「あおのく」の変化した語)「あおむく(仰向)【一】」に同じ。*十訓抄〔1252〕七・嵯峨天皇試小野篁学才給事「わらはべの打つ無木 ...
38. あおば‐の‐ふえ[あをば‥]【青葉の笛】
日本国語大辞典
〔一〕平敦盛が秘蔵したと伝えられる笛。弘法大師が在唐の頃、青龍寺で造ったところ不思議にも青葉が生え、帰国後、嵯峨天皇に献上したのが、のち平家に伝わり、敦盛のもの ...
39. 明石(源氏物語) 243ページ
日本古典文学全集
手づかひいといたう唐めき、揺の音深う澄ましたり。伊勢の海ならねど、 表示。嵯峨天皇(七八六~八四二、在位八〇九~八二三)。嵯峨天皇第五皇女繁子。→付録五二二ペ ...
40. あかだじょうあと【赤田城跡】新潟県:刈羽郡/刈羽村/赤田村
日本歴史地名大系
ら下屋敷・血とり場の地字や刑部屋敷・馬すて場の通称地名があるが、館跡の所在は不明。伝えでは、嵯峨天皇の皇子源融の末孫渡辺源次兵衛定が赤田保の地頭職に任ぜられ、赤 ...
41. あかだむら【赤田村】新潟県:刈羽郡/刈羽村
日本歴史地名大系
大坪村(現西山町)。集落は南に赤田町方、北に赤田北方、両集落西方に枯木がある。伝えによれば、嵯峨天皇の皇子源融の末孫渡辺源次兵衛定は、元久二年(一二〇五)八月鎌 ...
42. 秋篠安人
世界大百科事典
へて,805年桓武天皇病のおり菅野真道とともに参議に任じられ,ついで右大弁。806年(大同1)神野親王(のちの嵯峨天皇)の春宮大夫,また北陸道観察使,左大弁とな ...
43. 朝野鹿取
世界大百科事典
11年(弘仁2)嵯峨天皇が皇太子のとき侍講であったことにより従五位下となる。左近衛少将,主殿頭,内蔵頭,兵部大輔をへて,820年従四位下,のち中務大輔,民部大輔 ...
44. あさののかとり【朝野鹿取】
国史大辞典
叔父朝野宿禰道長に養われ、大学に学び、文章生となる。延暦二十一年(八〇二)遣唐准録事に任ぜられて入唐。嵯峨天皇皇太子の時侍講たりしによって、弘仁二年(八一一)従 ...
45. あさまつりごと【朝政】
国史大辞典
『続古事談』一には、平城天皇朝までは「朝マツリゴト」があって天皇が早朝出御して訴を聞いたが、嵯峨天皇以来すたれたとしている。しかし鎌倉時代の書であるからこの話の ...
46. あしずりむら【足摺村】高知県:土佐清水市
日本歴史地名大系
大谷村の南、足摺半島の先端部を占める村で、西方にある伊佐村の枝村。弘仁年間(八一〇―八二四)嵯峨天皇の勅により空海が開創したと伝える足摺山金剛福寺の所在地。また ...
47. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
まむとすること、次第に長ずるゆゑに、つひには歌道と云ひて一つの道になれるなり。さて万葉以後、嵯峨天皇の頃より、漢文もつぱら行はれて、上下ともにこれを学び、詩文を ...
48. 排蘆小船(近世随想集) 376ページ
日本古典文学全集
天皇系の大覚寺統の二つに分裂、対立し、その後の南北朝期につながる。第九十代天皇。名は恒仁。後嵯峨天皇の皇子。母は西園寺実氏女の姞子。嘉元三年没、五七歳。大覚寺統 ...
49. あだちやすもり【安達泰盛】画像
国史大辞典
将軍実朝夫人は夫の菩提のために、京都に遍照心院を建てた時、その維持について泰盛に委嘱した。また文永十年後嵯峨天皇一周忌に高野山奥院に建碑して天皇から『文選』等を ...
50. あだちよしかげ【安達義景】画像
国史大辞典
政に参加した。仁治二年(一二四一)に従五位上、翌三年正月、四条天皇の後嗣問題で、邦仁親王(後嵯峨天皇)を推す幕府の使者として、二階堂行義とともに上洛、幕府の意志 ...