1. 大伴親王・淳和天皇・淳和上皇
日本史年表
嵯峨天皇 譲位、 大伴親王(淳和天皇) 受禅(紀略)。 823年〈弘仁14 癸卯〉 4・27 淳和天皇 即位(紀略)。 833年〈天長10 癸丑⑦〉 2・28 ...
2. 淳和天皇
日本大百科全書
第53代天皇(在位823~833)。桓武(かんむ)天皇第3皇子。母は式家百川(ももかわ)の娘藤原旅子(たびこ)。諱(いみな)は大伴(おおとも)。薬子(くすこ)の ...
3. 淳和天皇
世界大百科事典
院(冷泉院)にいて重きをなし,皇太子には嵯峨上皇の皇子正良親王(のちの仁明天皇)が立ったが,淳和天皇は謙譲・温厚な性格で,兄上皇との間は円満に終始し,その在位の ...
4. じゅんな‐てんのう[ジュンワテンワウ]【淳和天皇】
日本国語大辞典
第五三代の天皇。桓武(かんむ)天皇の第三皇子。母は藤原百川(ももかわ)の娘旅子。名は大伴(おおとも)。弘仁一四年(八二三)即位。律令制の再建につとめ、また漢学に ...
5. じゅんなてんのう【淳和天皇】
国史大辞典
七八六―八四〇 八二三―三三在位。延暦五年(七八六)桓武天皇の第三皇子として生まれた。母は藤原百川の女、旅子。諱は大伴。弘仁元年(八一〇)九月の薬子の変のため ...
6. 淳和天皇(じゅんなてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 17ページ ...
7. じゅんなてんのう【淳和天皇】
日本人名大辞典
786−840 平安時代前期,第53代天皇。在位823-833。延暦(えんりゃく)5年生まれ。桓武(かんむ)天皇の第3皇子。母は藤原旅子(たびこ)。平城(へいぜ ...
8. 淳和天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『誤られたる淳和院』八代国治 ...
9. 淳和天皇善レ書 (見出し語:淳和天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 711ページ ...
10. 淳和天皇山陵 (見出し語:淳和天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 990ページ ...
11. 淳和天皇諡 (見出し語:淳和天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 919ページ ...
12. 淳和天皇遺詔令二薄葬一 (見出し語:淳和天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 243ページ ...
13. じゅんわ‐てんのう[‥テンワウ]【淳和天皇】
日本国語大辞典
じゅんなてんのう(
淳和天皇)
...14. 淳和天皇御即位記(著作ID:228433)
新日本古典籍データベース
じゅんなてんのうごそくいき 記録 弘仁一四 ...
15. あせびむら【阿瀬比村】徳島県:阿南市
日本歴史地名大系
・舟越・中越寺がある(阿波志)。「阿波国太龍寺縁起」によると、天長二年(八二五)六月一三日、淳和天皇の宣旨により金剛座主に寄進された地域の東限とされた「汗日野」 ...
16. あべのむら【阿部野村】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
寺は曹洞宗に属し、本尊は薬師如来。寺伝によれば、天長三年(八二六)の悪疫流行時に霊験著しく、淳和天皇より痾免寺の勅号および勅額を下賜されたのを起源とし、もと阿倍 ...
17. あみだにょらいぞう【阿弥陀如来像】 : 広隆寺
国史大辞典
観心寺如意輪観音像との技法的、作風的類似から、同一工房の作と思われる。『広隆寺縁起資財帳』に、淳和天皇の女御であった尚蔵永原御息所の願と記され、承和七年(八四〇 ...
18. あらおむら【荒尾村】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区
日本歴史地名大系
地に移建し、浄土宗に転じた。氏定の子氏晴の菩提所で、当時寺領三七五石を寄進されていた。同寺は淳和天皇尊牌・戸田氏晴画像と戸田氏信・氏晴の位牌を蔵する。臨済宗妙心 ...
19. あわのくに【安房国】千葉県地図
日本歴史地名大系
上伴直千福麻呂」が外従五位下を与えられており、「国造本紀」の記載を裏付けている。大伴の氏名は淳和天皇の名大伴を避け大伴宿禰を伴宿禰に改めている(「日本紀略」弘仁 ...
20. いしづくりのみささぎ【石作陵】 : 高志内親王
国史大辞典
石作陵(いしづくりのみささぎ) 所在は不明。内親王は淳和天皇が即位すると皇后位を贈られ、その墓は陵とされた。天長三年(八二六)二月山陵の地が不穏であるため、 ...
21. 伊勢物語 146ページ
日本古典文学全集
恋の習いがないから恋は不可解の私であったが、その私によって恋を体得なさったとは、の意。〔三九〕 淳和天皇。桓武天皇の第三皇子。八三三年譲位後、四条の北、大宮の東 ...
22. いっせいいちげんのせい【一世一元の制】
国史大辞典
は、新たに年号を定めて改元し、在位の間ほとんど年号は一度変えられる程度であった。桓武天皇から淳和天皇に至る間は、全く一世一元で、その後は、祥瑞・災異などによって ...
23. 宇治拾遺物語 153ページ
日本古典文学全集
放たず見る程に、講果てぬれば、女立ち出づ 京都市北区紫野、大徳寺の東南にあった天台宗の寺院。初め淳和天皇の離宮、その後、貞観十一年(八六九)、僧正遍昭が住んで ...
24. うはたのみささぎ【宇波多陵】 : 藤原旅子
国史大辞典
宇波多陵(うはたのみささぎ) 京都市西京区大枝中山町にあり、径約二〇メートルの南面する円丘。淳和天皇は即位に際し皇太后位を贈り、天長元年(八二四)には陵号を後 ...
25. うらしまたろう【浦島太郎】
日本架空伝承人名事典
この齢をこめたりければ男老かゞまりにけり。くやしと思へどかひなし。是よりあけてくやしき事によむ也。淳和天皇二年にかへりきたれり。その間三百四十八年をへたりといへ ...
26. うらじんじゃ【宇良神社】京都府:与謝郡/伊根町/本庄浜村
日本歴史地名大系
伝)は、水江浦島子(浦島太郎)に関連した説話を伝える。それによると、丹州余佐郷の人如意尼は、淳和天皇が皇太子の時霊夢によって見いだされ、妃となった。のち辞して尼 ...
27. 雲林院
世界大百科事典
かつて京都大徳寺の南にあった大寺。もとは淳和天皇の離宮紫野院。869年(貞観11),遍昭僧正が寺に改め,平安・鎌倉時代に天台の官寺として栄えた。そのころ当寺は菩 ...
28. うりん‐いん[‥ヰン]【雲林院】
日本国語大辞典
(「うんりんいん」の変化した語)〔一〕京都市北区紫野にあった寺院。もと淳和天皇の離宮で紫野院と称し、のちに雲林院と改め、元慶八年(八八四)僧正遍昭の請で、天台宗 ...
29. うりんいん【雲林院】
国史大辞典
京都市北区紫野にあった平安時代初期の離宮、のち寺院。この地は桓武朝以来遊猟地の一つであったが、淳和天皇の離宮として建てられたのが初見で、紫野院と呼ばれた。天長九 ...
30. うりんいんあと【雲林院跡】京都市:北区/蓮台野村地図
日本歴史地名大系
位置は大徳寺の南、船岡山の東と推定され、本尊は観音菩薩と伝える。〈京都・山城寺院神社大事典〉〔紫野院〕初め淳和天皇の離宮として創建され、紫野院と称した。「類聚国 ...
31. うりんゐん【雲林院】
全文全訳古語辞典
[地名]《「うんりんゐん」とも》京都市北区紫野にあった寺。もと淳和天皇の離宮で紫野院と称し、のち雲林院と改めた。最初は天台宗に属したが、中世に入って臨済宗の寺と ...
32. えい‐そつ[ヱイ‥]【衛卒】
日本国語大辞典
歳貢
」(2)平安時代、
淳和天皇の天長三年(八二六)大宰府に置き、雑役に従事させた公民。一年ごとに交替し、調、庸(よう)を免ぜられ
...33. えにちじ【恵日寺】福島県:耶麻郡/磐梯町/本寺村
日本歴史地名大系
が定められた折、基準となったとされる)などがあったという(同書、「集古十種」など)。このうち淳和天皇下賜印には「余戸郷印」と刻されていた。これらのことは当寺がこ ...
34. えん‐ねつ【炎熱】
日本国語大辞典
〔名〕(1)夏のきびしい暑さ。炎暑。また、火の強い熱気。極熱(ごくねつ)。*文華秀麗集〔818〕中・扈従梵釈寺〈
淳和天皇〉「君王機暇倦
炎熱
...35. 延暦寺
世界大百科事典
0束を最澄に施して住山の資に,また823年,米400石を送って東西両塔建立の資にあてしめた。淳和天皇は831年(天長8)近江国分寺料を割いて当寺僧24口の供養と ...
36. 大鏡 13ページ
日本古典文学全集
われた場へと案内される。 「雲林院」は現在の大徳寺(京都市北区紫野)の辺りにあった寺院。もと淳和天皇の離宮を、仁明天皇皇子の常康親王が出家後寺となし、僧正遍昭に ...
37. 大鏡 23ページ
日本古典文学全集
帝まで十四代にぞならせたまひにける。世をかぞへはべれば、その帝、位につかせたまふ嘉祥三年庚午の年より、今年までは一百七十六年ばかりにやなりぬらむ。かけまくもかし ...
38. 大鏡 24ページ
日本古典文学全集
二条の后に通ひまされける間のことどもとぞ、うけたまは 〔五〕 以下、萩野本の記事。後人の増補になる。淳和天皇の第二皇子、恒貞親王。天長十年(八三三)九歳で仁明 ...
39. 大鏡 30ページ
日本古典文学全集
光孝天皇と申しき。仁明天皇第三皇子なり。御母、贈皇太后宮藤原沢子、贈太政大臣総継御女なり。この帝、淳和天皇御時の天長七年庚戌、東五条家にて生まれたまふ。御親の深 ...
40. 大鏡 52ページ
日本古典文学全集
『倭名抄』に種々の別名をあげ「一名不老不死丹」とある。鉱物。万病に効く薬とされた一面、劇薬。淳和天皇は他の処方では病が癒えず、医師は制止したがこの薬を服用、効き ...
41. 大鏡 126ページ
日本古典文学全集
)・他戸親王(光仁天皇皇子)・早良親王(光仁天皇皇子)・高岳親王(平城天皇皇子)・恒貞親王(淳和天皇皇子)の五人をあげている。出家した後に還俗して皇太子となった ...
42. おおさわのいけ【大沢池】
国史大辞典
どあるさまにたてしおかねば」(『山家集』)と詠っている。なお嵯峨院は、貞観十八年(八七六)に淳和天皇の皇后正子内親王の請により大覚寺と改められ、子の恒寂(恒貞親 ...
43. おおたにほんびよう(にしおおたに)【大谷本廟(西大谷)】京都市:東山区/大仏廻り/遊行前南側町・遊行前北側町地図
日本歴史地名大系
葬地として鳥辺野が文献にみえるのは、「日本紀略」天長三年(八二六)五月一〇日条が早い。同月六日に没した淳和天皇皇子恒世親王の葬送について「葬 ...
44. 大伴氏
世界大百科事典
的事件のたびに,連座して失脚する氏人が多かった。平安時代に入り,823年(弘仁14)大伴氏は淳和天皇の諱(いみな)を避けて伴氏に改姓した。仁明朝以後,善男が頭角 ...
45. おおともうじ【大伴氏】画像
国史大辞典
橘奈良麻呂の乱や藤原種継暗殺事件に連座するものも少なからず、勢力は衰えた。弘仁十四年(八二三)淳和天皇の諱大伴を避けて氏を伴(とも)と改めた。その後、善男が大納 ...
46. おおのの-またか【大野真鷹】
日本人名大辞典
ぐうぼう)の主馬首(しゅめのかみ)となり,大伴親王(のちの淳和(じゅんな)天皇)につかえる。淳和天皇の即位にともない右近衛(うこんえの)中将まで昇進。天皇退位後 ...
47. おおはらの[おほはらの]【大原野】
日本国語大辞典
郷。西方に大原山(小塩山)があり、平安時代は朝廷の狩猟が行なわれた。竹林が多い。大原野神社、淳和天皇陵、勝持寺がある。*太平記〔14C後〕三九・諸大名讒道朝事「 ...
48. おおはらの【大原野】
国史大辞典
平地部には住宅開発が進みつつあるが、山麓部はなおよく自然と歴史的環境を保存する。なお大原山頂には、淳和天皇大原野西嶺上陵がある。 (熱田 公) ...
49. おおはらののにしのみねのえのみささぎ【大原野西嶺上陵】
国史大辞典
⇒淳和天皇(じゅんなてんのう) ...
50. おしおやま【小塩山】京都市:西京区/大原野地図
日本歴史地名大系
標高六四一メートル。大原野・金蔵寺・外畑から登る。東西二峰からなるが、西峰は大原山ともいい、山頂は淳和天皇陵とされている。だが「続日本後紀」承和七年(八四〇)五 ...