1. 道康親王・文徳天皇
日本史年表
850年〈嘉祥3 庚午〉 3・21 仁明天皇 没し、 道康親王(文徳天皇) 践祚(続後・文徳実録)。 850年〈嘉祥3 庚午〉 4・17 文徳天皇 即位(文徳実 ...
2. 文徳天皇
日本大百科全書
。陵墓は京都市右京区太秦(うずまさ)の田邑(たむら)陵。天皇一代の歴史を編年体で記した『日本文徳天皇実録』10巻(879完成)がある。福井俊彦 ...
3. 文徳天皇
世界大百科事典
827-858(天長4-天安2) 第55代に数えられる平安前期の天皇。在位850-858年。名は道康。仁明天皇を父とし,藤原冬嗣の女順子を母として生まれた。84 ...
4. もんとく‐てんのう[‥テンワウ]【文徳天皇】
日本国語大辞典
(「もんどくてんのう」とも)第五五代天皇。名は道康(みちやす)。仁明天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣の女順子。承和九年(八四二)立太子、嘉祥三年(八五〇)即位した。 ...
5. もんとくてんのう【文徳天皇】
国史大辞典
八二七―五八 八五〇―五八在位。仁明天皇の第一皇子。母は、藤原冬嗣女順子。諱は道康。天長四年(八二七)八月生。承和九年(八四二)二月、元服。七月の承和の変で皇 ...
6. 文德天皇(もんとくてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 18ページ ...
7. もんとくてんのう【文徳天皇】
日本人名大辞典
827−858 平安時代前期,第55代天皇。在位850-858。天長4年8月生まれ。仁明(にんみょう)天皇の第1皇子。母は藤原順子。承和(じょうわ)の変(842 ...
8. 文德天皇號二田村天皇一 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 944ページ ...
9. 文德天皇國忌 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1266ページ ...
10. 文德天皇山陵 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 991ページ ...
11. 文德天皇建二嘉祥寺一 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 971ページ ...
12. 文德天皇祀二昊天一 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 569ページ ...
13. 文德天皇諡 (見出し語:文德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 917ページ ...
14. もんとくてんのうりょう【文徳天皇陵】京都市:右京区/中野村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区太秦三尾町 門徳池の東に所在、田邑陵という。文徳天皇は仁明天皇の第一皇子で母は藤原順子(冬嗣女)。嘉祥三年(八五〇)即位、天安二年(八五八)八月二七 ...
15. 文徳天皇実録私記(著作ID:255061)
新日本古典籍データベース
もんとくてんのうじつろくしき 矢野玄道(やのはるみち) 明治 ...
16. 日本文徳天皇実録(著作ID:50260)
新日本古典籍データベース
にほんもんとくてんのうじつろく 文徳天皇実録 文徳実録 藤原基経(ふじわらもとつね) 等 編 通史 元慶二 ...
17. 『日本文徳天皇実録』
日本史年表
879年〈元慶3 己亥⑩〉 11・13 藤原基経ら、 『日本文徳天皇実録』 を撰上(同書序)。 ...
18. 日本文徳天皇実録
日本大百科全書
勅撰(ちょくせん)の歴史書。10巻。六国史(りっこくし)の一つ。850年(嘉祥3)より858年(天安2)まで文徳天皇(在位850~858)一代の歴史の編年体の実 ...
19. 日本文徳天皇実録
世界大百科事典
日本古代の官撰の史書。略して《文徳実録》ともいう。六国史の第5。10巻。文徳天皇1代,850年(嘉祥3)から858年(天安2)まで9年間のことを記す。清和天皇の ...
20. にほんもんとくてんのうじつろく[ニホンモントクテンワウジツロク]【日本文徳天皇実録】
日本国語大辞典
陽成天皇の勅により再開、元慶三年(八七九)成立。嘉祥三年(八五〇)の践祚から天安二年(八五八)の崩御に至る間の文徳天皇の治世を漢文・編年体で記述。文徳実録。ニホ ...
21. にほんもんとくてんのうじつろく【日本文徳天皇実録】
国史大辞典
六国史のうち五番目の正史で、文徳天皇の一代を対象とする編年体歴史書。『文徳天皇実録』『文徳実録』と略称される。嘉祥三年(八五〇)三月から天安二年(八五八)八月 ...
22. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
すでに天平宝字二年(七五八)の大伴家持の歌(後出)にみえる。はじめは豊楽(ぶらく)院で行われ、文徳天皇斉衡二年(八五五)には紫宸殿(『文徳実録』)、清和天皇貞観 ...
23. あ‐きょく【阿曲】
日本国語大辞典
〔名〕おもねりまがること。不正をなすこと。*日本
文徳天皇実録‐仁寿二年〔852〕一二月癸未「私罪条疏云、私罪謂
不
...24. あざ‐な【字】
日本国語大辞典
計天皇の諱(たたのみな)は大脚。〈略〉字(みアサナ)は嶋郎」*日本文徳天皇実録‐斉衡三年〔856〕四月戊戌「散位外従五位下氷宿禰継麻呂卒。継麻呂、字宿栄」*源氏 ...
25. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
江村北海著『日本詩史』一「嵯峨天皇、天資好文、叡才神敏、宸藻最も富瞻と称す」。平安前期の官撰国史。二〇巻。文徳天皇の命を受け、藤原良房ほかが撰進。貞観十一年成立 ...
26. ありはらのなりひら【在原業平】
国史大辞典
さきがけて異彩を放つ存在である。業平の確かな詠作によって、紀名虎の子有常の女を妻としたこと、文徳天皇の皇子で名虎の女所生の惟喬親王に親近したことなどが知られ、あ ...
27. 在原業平
世界大百科事典
兼ねたが,879年に蔵人頭を兼任,その翌年56歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし,名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原 ...
28. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
八七九年に蔵人頭を兼任、その翌年五六歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし、名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原氏繁栄の基 ...
29. あんしないしんのう【晏子内親王】
日本人名大辞典
?−900 平安時代前期,文徳天皇の第1皇女。母は藤原列子(れっし)。嘉祥(かしょう)3年伊勢斎宮となり,天安2年に斎宮をしりぞく。昌泰(しょうたい)3年7月2 ...
30. いおうきようじあと【医王教寺跡】京都府:綴喜郡/宇治田原町/奥山田村
日本歴史地名大系
供養を行ったと伝える。奥山田の地はこの医王教寺領であったという伝えがあるが、寺領を定めたのは文徳天皇の時とも、源頼朝の時ともいい確証はない。南北朝時代、南朝方に ...
31. 伊勢物語 115ページ
日本古典文学全集
北の一条から南の九条までの、東西に走る大路の中、五条の辺り。大后の宮に当る人は、仁明天皇の后、文徳天皇の母の五条后順子であろう。→五五七ページ系図。寝殿の西側に ...
32. 伊勢物語 119ページ
日本古典文学全集
浅間の嶽に煙の立つを見て、 七 八 二条后を示す注めいた部分。→一一五ページ注一四。藤原良房女の染殿后。文徳天皇女御で、清和天皇の生母。「女御」は、後宮の女官 ...
33. 伊勢物語 128ページ
日本古典文学全集
りかの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜の物までおくりてよめる。 有常の妹静子所生の文徳天皇第一皇子惟喬親王が即位せず、藤原氏所生の惟仁親王(清和天皇) ...
34. 伊勢物語 167ページ
日本古典文学全集
としたようである。「大御息所」とは、帝の生母である女御・更衣をいう。帝を清和天皇とすると、その母、文徳天皇女御で良房女の染殿后明子に当り、「いとこ」は、良房の兄 ...
35. 伊勢物語 169ページ
日本古典文学全集
清和天皇のこと。山城国葛野郡水尾が、出家後の隠棲地で御陵がある。→一六七ページ注七。仁明天皇の皇后、文徳天皇の生母の順子、藤原冬嗣の女。大御息所とは五条后のこと ...
36. 伊勢物語 174ページ
日本古典文学全集
歌の末を書きつぐ。またあふ坂の関はこえなむとて、明くれば尾張の国へこえにけり。斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御女、惟喬の親王の妹。 『古今六帖』第五(契る)に ...
37. 伊勢物語 178ページ
日本古典文学全集
男の哀感が味わわれる。〔七七〕 文徳天皇(八二七~五八)。御陵が、京都府葛野郡田邑にある。→一一九ページ注一〇の「女御」の説明。藤原良相女。嘉祥三年(八五〇)文 ...
38. 伊勢物語 183ページ
日本古典文学全集
示しているようである。→第九段。〔八二〕 惟喬親王(八四四~九七)は文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の女静子。静子の兄有常の女は、業平の妻である。文徳天皇の第四皇 ...
39. いちいだにななのじんじゃ【櫟谷七野神社】京都市:上京区/成逸学区/社横町地図
日本歴史地名大系
・武甕槌命・斎主命を併祀する。旧村社。祭日は九月一六日。「京内まいり」は、貞観元年(八五九)文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)の所願によって春日明神を勧請したと ...
40. い‐び[ヰ‥]【遺美】
日本国語大辞典
〔名〕前人ののこした美しく立派なもの。*日本
文徳天皇実録‐仁寿二年〔852〕正月己丑「此復
弘仁遺美
...41. いぶきやま【伊吹山】
国史大辞典
奈良時代に伊夫岐神社(式内社)、伊吹山四院(観音寺・弥高寺・太平寺・長尾寺)が建立されたと伝えるが、文徳天皇の仁寿年間(八五一―五四)僧三修が再興した観音寺(観 ...
42. いぶんじんじゃ【伊文神社】愛知県:西尾市/西尾城下/伊文町・矢場町
日本歴史地名大系
[現]西尾市伊文町 伊文町の南部に、南北にわたり広い境内地をもって鎮座。素盞嗚尊・大名牟遅尊・文徳天皇を祀る。社伝によると、文徳天皇の皇子八条院の宮が渥美郡伊川 ...
43. いま も 今(いま)も
日本国語大辞典
今を強めた表現。さらにさらに。*日本文徳天皇実録‐嘉祥三年〔850〕七月丙戌・宣命「今毛今毛(いまモいまモ)風雨時に随ひ五穀豊登しめ」 ...
44. いみじく も
日本国語大辞典
巧みにも。まさに。よくも。*歌舞伎・名歌徳三舛玉垣〔1801〕三立「われいみじくも仁皇五十五代文徳天皇の、第一の皇子と生(うまれ)ながら」*西国立志編〔1870 ...
45. いみ‐な【諱・謚・諡】
日本国語大辞典
邑婆
」*日本
文徳天皇実録‐嘉祥三年〔850〕五月壬午「天皇誕生、有
...46. いむびにわび‐の‐かみ[いむびにはび‥]【斎火庭火神】
日本国語大辞典
などの神事にこの両神をまつり、斎火屋女(いむびやめ)によって斎火御飯などが調理された。*日本文徳天皇実録‐天安元年〔857〕四月癸酉「有 ...
47. い‐りょう[ヰリャウ]【遺令】
日本国語大辞典
東宮などの遺言。特に、自分の厚葬を戒め薄葬を命じたものをいう。崩後、奏上される。遺命。*日本文徳天皇実録‐嘉祥三年〔850〕五月壬午「葬 ...
48. い‐るい[ヰ‥]【遺類】
日本国語大辞典
〔名〕(1)生き残った者ども。余類。残党。*日本
文徳天皇実録‐嘉祥四年〔851〕二月丁卯「遂為
先皇
...49. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
日本歴史地名大系
たという。行教は紀氏の出で、当時そのいとこの神護寺別当真済、兄の紀夏井のほか紀今守、紀静子(文徳天皇妃)などの紀氏一族を通じて中央との関係が深かった。一方、男山 ...
50. いん‐きょう[‥ケフ]【允
】
日本国語大辞典
〔形動タリ〕適切であるさま。*日本
文徳天皇実録‐仁寿二年〔852〕一二月癸未「篁朝臣所
執、誠為
...