1. 惟仁親王・清和天皇
日本史年表
858年〈天安2 戊寅②〉 8・27 文徳天皇没し、 惟仁親王(清和天皇) 践祚(文徳実録・三実)。 858年〈天安2 戊寅②〉 11・7 清和天皇 即位(九歳 ...
2.
和天皇
(せいわてんのう)古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 18ページ ...
3. 清和天皇
日本大百科全書
第56代天皇(在位858~876)。文徳(もんとく)天皇第四皇子。母は藤原良房(よしふさ)の女明子(むすめあきらけいこ)。諱(いみな)は惟仁(これひと)。水尾( ...
4. 清和天皇
世界大百科事典
の動きがあり,清和朝の866年(貞観8)には〈応天門の変〉が起こるなど,政争がくり返された。清和天皇は病弱で政治をいとい,27歳で9歳の皇子陽成天皇に譲位して仏 ...
5. せいわ‐てんのう[‥テンワウ]【清和天皇】
日本国語大辞典
第五六代天皇。文徳天皇の第四皇子。母は太政大臣藤原良房の娘明子。名は惟仁(これひと)。天安二年(八五八)八歳で即位。在位中に応天門の変が起こり、その後良房が摂政 ...
6. せいわてんのう【清和天皇】
国史大辞典
八五〇―八〇 八五八―七六在位。文徳天皇の第四皇子。母は藤原良房の女明子。諱は惟仁。嘉祥三年(八五〇)三月二十五日、良房の一条第で生まれ、同年十一月二十五日第 ...
7. せいわてんのう【清和天皇】
日本人名大辞典
850−881* 平安時代前期,第56代天皇。在位858-876。嘉祥(かしょう)3年3月25日生まれ。文徳天皇の第4皇子。母は藤原明子。父の死で,天安2年9歳 ...
8. 清和天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『土御門上皇清和天皇祭典誌』文武館(編刊)『清和天皇の御受戒と御灌頂に就きて』御橋悳言 ...
9.
和天皇出家
(見出し語:和天皇)古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 862ページ ...
10.
和天皇號
二水尾天皇
一 (見出し語:和天皇)古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 944ページ ...
11.
和天皇山陵
(見出し語:和天皇)古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 991ページ ...
12.
和天皇行脚
(見出し語:和天皇)古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 708ページ ...
13. 惟仁親王東宮諍
(見出し語:和天皇)古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1372ページ ...
14. せいわてんのうしゃ【清和天皇社】京都市:右京区/水尾村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨水尾大岩 清和天皇を祀り、水尾の産土社。旧村社。境内には水尾の最初の産土神と伝える四所神社(権現)が摂社として祀られる。しかしいずれも創始年代は ...
15. せいわてんのうりょう【清和天皇陵】京都市:右京区/水尾村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区嵯峨水尾 水尾村の西、清和山中腹にあり、別に水尾山陵という。清和天皇は文徳天皇第四皇子で、母は藤原明子(良房女)。天安二年(八五八)九歳で即位。外祖 ...
16. あいだぐん【英田郡】岡山県
日本歴史地名大系
人は、財田祖麻呂の祖先一族であろうか。貞観元年(八五九)四月、英多郡はこの年一一月に行われる清和天皇の大嘗祭の主基に定められた(「三代実録」同月一五日条)。なお ...
17. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
る。はじめは豊楽(ぶらく)院で行われ、文徳天皇斉衡二年(八五五)には紫宸殿(『文徳実録』)、清和天皇貞観二年(八六〇)には豊楽院など不定だったが後には紫宸殿に定 ...
18. あがたぬしじんじゃ【県主神社】岐阜県:美濃加茂市/太田村
日本歴史地名大系
を本拠とする国造の祖となり、それぞれの国造・県主は血縁関係があったことになる。社伝によると、清和天皇の代に、美濃国司中納言在原行平が、霊地たるにより大社に修造し ...
19. あさすけおう【朝右王】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の官吏。貞観(じょうがん)6年(864)清和天皇元服の日に無位から従四位下となり,11年美作守(みまさかのかみ)となった。 ...
20. あさまじんじゃ【浅間神社】山梨県:東八代郡/一宮町/一ノ宮村
日本歴史地名大系
た。貞観七年(八六五)一二月九日に現在地に遷地したという(甲斐国志)。「三代実録」同日条に、清和天皇の勅令により甲斐国八代郡に浅間明神祠を立て、官社に列して祝・ ...
21. あさまつりごと【朝政】
国史大辞典
しかし鎌倉時代の書であるからこの話の信頼度は低い。『今昔物語集』二七ノ九には朝庁を「アサマツリゴト」と読ませ、清和天皇の時の太政官庁での早朝の政務に際しての怪異 ...
22. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
り下手あり、これを学び心懸くる人あり。されば万葉には、人丸、赤人を歌の達人として「山柿」と処々にいへり。善し悪しを云ふゆゑに、上手下手の分かち出で来、よく詠まむ ...
23. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
本紀、正倉院文書)、平安時代にはそれもほとんど廃された。古都への郷愁は飛鳥巡礼となって現れ、清和天皇・藤原道綱の母・藤原道長などが当地を訪れている。和銅三年庚戌 ...
24. あたごやま【愛宕山】
国史大辞典
標高九二四メートル。丹波との国境をなす。頂上に愛宕(阿多古)神社、その東の峰に月輪寺があり、西の谷水尾は清和天皇が退位後住せられたところとしてその陵がある。山は ...
25. あたごやま【愛宕山】 : 愛宕山/(一)
国史大辞典
標高九二四メートル。丹波との国境をなす。頂上に愛宕(阿多古)神社、その東の峰に月輪寺があり、西の谷水尾は清和天皇が退位後住せられたところとしてその陵がある。山は ...
26. あつこないしんのう【敦子内親王】
日本人名大辞典
?−930 平安時代前期-中期,清和天皇の皇女。母は藤原高子(こうし)。元慶(がんぎょう)元年(877)賀茂(かもの)斎院となり,4年天皇の死によりしりぞき,紫 ...
27. ありはらの-ぶんし【在原文子】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期,清和天皇の更衣。在原行平の娘。貞観(じょうがん)17年(875)貞数(さだかず)親王を,のち包子(かねこ)内親王を生む。 ...
28. ありはらのゆきひら【在原行平】
国史大辞典
仁和三年(八八七)致仕。寛平五年(八九三)七月十九日没す。七十六歳。子に遠瞻・友于があり、女は清和天皇の後宮に入り、貞数親王らを生んだ。民政に有能で、大宰権帥と ...
29. 在原業平
世界大百科事典
の権勢に批判的な立場をとる《大鏡》では,歴史のたいせつなひとこまとして語られている。(2)は清和天皇のもとに入内する前の二条后(高子)との密通の話として,他の恋 ...
30. ありわらのなりひら【在原業平】
日本架空伝承人名事典
歴史のたいせつなひとこまとして語られている。
は
清和天皇のもとに入内する前の二条后(高子)との密通の話として、他の恋愛譚を合わせて発展し、『古事談』
...31. あわがじんじゃ【粟鹿神社】
国史大辞典
たとしている。奈良時代神封二戸、仁明天皇承和十二年(八四五)七月無位粟鹿神に従五位下を授け、清和天皇貞観十六年(八七四)三月正五位上に陞された。醍醐天皇延喜の制 ...
32. あわた【粟田】京都市:東山区/粟田口村
日本歴史地名大系
粟田の地は、平安時代には貴紳の邸館が営まれること多く、藤原道長の兄、関白道兼はこの地の山荘に住み、世に粟田殿(大鏡)、粟田関白(尊卑分脈)と称せられている。これ ...
33. あわたごう【粟田郷】京都市:山城国(京都市域)郡郷/愛宕郡
日本歴史地名大系
ど多くの貴族たちの別業が営まれていた。殊に道兼は粟田殿とよばれた(大鏡)。上粟田郷については
清和天皇没後の記事として「奉
葬
...34. あわの-ますまろ【粟鱒麻呂】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の官吏。清和天皇,陽成天皇につかえる。明法(みょうぼう)博士となり,貞観(じょうがん)4年(862)大判事に任じられた。阿波(あわ)(徳島県 ...
35. あんぱちぐん【安八郡】岐阜県
日本歴史地名大系
は太政大臣藤原良房の家領であったが、同四年九月八日民部省符によって良房の娘明子の産んだ惟仁(清和天皇)加護のため建立された同寺に施入、残り田六町は安八郡大領守部 ...
36. イエズス会士中国書簡集 5 紀行編 261ページ
東洋文庫
された戦闘で死んだものの肉を食する習慣については全然触れていない。四一 『中山世鑑』にかれは清和天皇の孫、六孫王より七世の後胤、六条判官為義の八男、鎮西八郎為朝 ...
37. いえはらの-よしむね【家原善宗】
日本人名大辞典
平安時代前期の医師。斉衡(さいこう)2年(855)姓(かばね)が連(むらじ)から宿禰(すくね)となる。清和天皇の侍医をつとめ,貞観(じょうがん)8年従五位下。1 ...
38. いおきべの-うつなり【五百木部全成】
日本人名大辞典
?−? 平安時代前期の医師。清和天皇,ついで陽成(ようぜい)天皇の侍医をつとめ,元慶(がんぎょう)2年(878)尾張権介(おわりのごんのすけ)をかねた。 ...
39. いかだちのしょう【伊香立庄】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
立券の時期は不明であるが、「日吉社神道秘密記」には病平癒の祈祷に験のあった報償として、染殿后(清和天皇母)が当庄を無動寺を開いた相応に寄進したとみえる。中世にお ...
40. 医学
世界大百科事典
出雲広貞,安倍真直に編集させ,808年(大同3)《大同類聚方》100巻として結実した。さらに清和天皇の貞観年間(859-877)に《金蘭方》50巻がつくられた。 ...
41. いきのこれお【伊伎是雄】
国史大辞典
代々亀卜に従事した家に生まれ、最もその術に長じて独歩と称された。嘉祥三年(八五〇)東宮宮主(みやじ)となり、清和天皇即位により宮主に転じ、貞観五年(八六三)正月 ...
42. いきの-これお【伊伎是雄】
日本人名大辞典
その術にもっとも熟達し,独歩と称される。嘉祥(かしょう)3年(850)東宮宮主(みやじ),ついで即位後の清和天皇の宮主。伊伎宿禰(すくね)の氏姓をあたえられ,貞 ...
43. いくねじんじゃ【生根神社】大阪府:大阪市/西成区/勝間村地図
日本歴史地名大系
が、近年は境内に据えたままで、一回り小さく作替えた「だいがく」が巡行している。社伝によれば、清和天皇の時、旱魃に苦しんだ農民が、日本六六ヵ国の一宮の御神灯六六個 ...
44. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
御拝(天皇が神宮・賢所を毎朝遥拝する)が始まり、翌年には正月一日の四方拝も始まり恒例化した。清和天皇の頃伊勢斎王の卜定・初斎院入・野宮入・群行による伊勢斎宮入ま ...
45. 伊勢物語 115ページ
日本古典文学全集
引敷物にひじき藻の意をかける。二条后高子(八四二~九一〇)は、藤原長良女。貞観八年(八六六)、清和天皇の女御となる。陽成天皇の母。『大和物語』百六十一段の前半部 ...
46. 伊勢物語 119ページ
日本古典文学全集
七 八 二条后を示す注めいた部分。→一一五ページ注一四。藤原良房女の染殿后。文徳天皇女御で、清和天皇の生母。「女御」は、後宮の女官で、天皇の御寝所に侍する。中 ...
47. 伊勢物語 128ページ
日本古典文学全集
夜の物までおくりてよめる。 有常の妹静子所生の文徳天皇第一皇子惟喬親王が即位せず、藤原氏所生の惟仁親王(清和天皇)が即位したのをふまえ、有常失意のことをいうか ...
48. 伊勢物語 142ページ
日本古典文学全集
筐では水は漏れるばかりである。〔二九〕 春宮(皇太子)を生んだ母の女御。二条后のことかという。二条后高子は清和天皇の女御で、陽成天皇となった皇太子貞明親王の母で ...
49. 伊勢物語 166ページ
日本古典文学全集
それより皇居・天皇を意味するようになった。ここでは天皇の意で、本段末尾に「水の尾の御時なるべし」とあるように、清和天皇に擬しているらしい。「色」は禁色で、衣服の ...
50. 伊勢物語 167ページ
日本古典文学全集
いきかよひ 六十五 としたようである。「大御息所」とは、帝の生母である女御・更衣をいう。帝を清和天皇とすると、その母、文徳天皇女御で良房女の染殿后明子に当り、 ...