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  11. 陽成天皇

陽成天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『陽成天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
陽成天皇
ようぜいてんのう
八六八 - 九四九
八七六―八四在位。貞観十年(八六八)十二月十六日、清和天皇の第一皇子として染殿院に誕生。母は藤原長良の女の女御高子。諱は貞明(さだあきら)。同十一年二月一日、清和天皇の皇太子となり、同十八年十一月二十九日、清和天皇の譲位を受けわずか九歳で染殿院に践祚、母の兄の藤原基経が摂政となった。元慶六年(八八二)正月、十五歳で元服したが、同八年二月四日、二条院(陽成院)に遷御した後に遜位、ただちに太上天皇の尊号がたてまつられ、翌五日基経により仁明天皇の皇子時康親王が擁立され践祚、光孝天皇となった。天暦三年(九四九)九月二十日、病により出家、同月二十九日、冷然院に崩御。八十二歳。遺骸は円覚寺に移され、十月三日、山城神楽岡に葬られた。その遜位については、病弱説(『三代実録』)と天皇の乱行を憂えた基経により廃位されたとする暴君説(『愚管抄』)とがあるが、後者の説が今日一般的である。
[参考文献]
『大日本史料』一ノ九 天暦三年九月二十九日条、角田文衛「陽成天皇の退位」(『王朝の映像』所収)
(厚谷 和雄)

神楽岡東陵(かぐらがおかのひがしのみささぎ)

京都市左京区浄土寺真如町にある。形状は円丘で南面し、周囲は八角形の空堀がめぐっている。天暦三年(九四九)九月二十九日崩御、その夜、柩を円覚寺に移し、十月三日に神楽岡の東地に葬ったことが『日本紀略』にみえるが、中世以降久しく所在を失うに至った。安政二年(一八五五)京都町奉行浅野長祚は『歴代廟陵考補遺』において、吉田山すなわち神楽岡の東にあたる真如堂の門前の小丘を陵所に擬したが、これが現在の陵で、幕末に行われた修陵の折に修治を加え、慶応元年(一八六五)竣工に際して朝廷から巡検使が発遣された。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』上
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
陽成天皇
ようぜいてんのう
[868―949]

第57代天皇(在位876~884)。清和(せいわ)天皇第一皇子。母は藤原基経(もとつね)の妹高子(たかいこ)。諱(いみな)は貞明。藤原良房(よしふさ)の邸染殿第(そめどのだい)に生まれ、3か月にして皇太子となり、そのまま染殿第で育った。9歳で清和天皇の譲位を受けて即位し、基経が前代に引き続いて摂政(せっしょう)となった。しかしその後数年にして天皇は乱行多く、881年(元慶5)ころから基経と対立が続いた。883年には天皇の乳母(めのと)紀全子(きのまたこ)の産んだ源益(みなもとのみつ)を殺したり、馬を愛好して宮中でひそかに飼わしめるなどのことがあった。ここに至って天皇と基経との対立は極に達し、翌年2月天皇は自ら病気を理由に譲位した。陵墓は京都市左京区神楽岡(かぐらおか)東陵。
[福井俊彦]



世界大百科事典
陽成天皇
ようぜいてんのう
868-949(貞観10-天暦3)

第57代に数えられる平安前期の天皇。在位876-884年。清和天皇の第1皇子。母は藤原長良の娘で,基経の妹にあたる高子。諱(いみな)は貞明。869年(貞観11)に皇太子に立てられ,876年清和天皇退位のあと9歳で践祚。基経は引き続き摂政として政治の実権を握り,880年(元慶4)には関白に任ぜられた。天皇は882年に元服の儀を終えたころから基経と対立するようになり,宮中での殺人事件などが原因となって884年に退位,二条院に移った。基経が陽成天皇の廃位を行ったことは,後世〈藤氏の三功〉の一つに数えられた。上皇として例のない長寿を保った陽成院には,陸奥に下向させた滝口道範が習得してきた妖術を習った話や,三種の神器を持ち出した話など,数々の説話が伝えられている。《後撰集》に収められた天皇の〈つくばねの峰よりおつるみなの河恋ぞつもりて淵となりける〉の歌は,百人一首で知られている。陵墓は京都市左京区の神楽岡東陵。
[大隅 和雄]

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