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光孝天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『光孝天皇』の国史大辞典・日本大百科全書のサンプルページ

国史大辞典
光孝天皇
こうこうてんのう
八三〇 - 八七
八八四―八七在位。天長七年(八三〇)仁明天皇第三皇子として誕生。諱は時康。母は贈太政大臣藤原総継女贈皇太后沢子。承和十三年(八四六)四品、嘉祥元年(八四八)常陸太守。翌々年中務卿、仁寿元年(八五一)三品、貞観六年(八六四)上野太守、同八年大宰帥、同十二年二品、同十八年式部卿、元慶六年(八八二)一品。太政大臣藤原基経の廃立により、陽成天皇のあとをうけ同八年二月二十三日五十五歳で践祚。天皇は基経を徳として万機の政をまず基経に諮稟してのち奏上させたが、これがいわゆる関白の実質的なはじめで、基経の勢威はさらに強化された。仁和三年(八八七)八月天皇病気重態となるや、基経は天皇の意を察して同月二十五日天皇の第七皇子源定省(のちの宇多天皇)を親王に復し、翌二十六日皇太子とした。天皇は同日五十八歳で崩御。京都市宇多野の後田邑陵(小松山陵)に葬る。よって小松帝ともいう。
(藤木 邦彦)

後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)

京都市右京区宇多野馬場町(仁和寺の西南約一〇〇メートル)にあり、径約二〇メートルの円丘で南面し、周囲を土塁が方形にめぐっている。『日本紀略』によると仁和三年(八八七)九月二日小松山陵に葬り、同月八日四至を定め、陵域内の八寺を破却せしめた。文徳天皇の田邑陵に対して陵号を後田邑陵という。『延喜式』諸陵寮は近陵に班し、「在〓山城国葛野郡田邑郷立屋里小松原〓、陵戸四烟、四至、西限芸原岳岑、南限大道、東限清水寺東、北限大岑」と記している。『江家次第』は陵所について「在〓仁和寺西、大教院艮〓」とし、『中右記』嘉承元年(一一〇六)二月二十八日条では仁和寺北(喜多)院の僧房再興の際に、その西築垣が陵域を犯したことを記しているので、陵所は北院の西側に接していたことが知られる。しかし、のち陵所は所伝を失い、拠るべき地名や寺院が亡びたため近世陵所について諸説が行われ、文久修陵の際も決定をみるに至らなかった。明治二十二年(一八八九)に天王塚の称のある現所を陵に治定した。
[参考文献]
『大日本史料』一ノ一 仁和三年九月二日条、『法規分類大全』二編宮廷門、谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、津久井清影『聖蹟図志』、上野竹次郎『山陵』上
(戸原 純一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
光孝天皇
こうこうてんのう
[830―887]

第58代天皇(在位884~887)。仁明(にんみょう)天皇第3皇子。母は従(じゅ)五位上紀伊守(きいのかみ)藤原総継(ふさつぐ)の女(むすめ)沢子(たくし)。諱(いみな)は時康。文徳(もんとく)、清和(せいわ)、陽成(ようぜい)の歴代3帝に仕え、一品式部卿(いっぽんしきぶきょう)となっていたが、宮中の乱脈粛正の意図をもって陽成天皇が廃されたあと、藤原基経(もとつね)の推挙により即位した。基経とは外戚(がいせき)関係になく、才識、人品を見込まれた擁立であり、基経の公正な態度に世人が感服したという。天皇は基経の推戴(すいたい)の功に報いるため、「奏すべき事、下すべき事、必ず先(ま)ず諮稟(しりん)せよ」との勅書を下し、関白の文字はないものの、事実上関白の職を命じた。皇嗣(こうし)についても基経にゆだねたが、基経は天皇の意をくみ、源定省(さだみ)(宇多(うだ)天皇)を推薦した。
[森田 悌]

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光孝天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 393
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検索コンテンツ
1. 光孝天皇画像
日本大百科全書
第58代天皇(在位884~887)。仁明(にんみょう)天皇第3皇子。母は従(じゅ)五位上紀伊守(きいのかみ)藤原総継(ふさつぐ)の女(むすめ)沢子(たくし)。諱 ...
2. こうこう‐てんのう[クヮウカウテンワウ]【光孝天皇】
日本国語大辞典
第五八代天皇。仁明天皇の第三皇子。母は藤原沢子。名は時康。元慶八年(八八四)藤原基経におされて即位。また基経を信頼し、政事を基経を経て奏上させた。関白のはじまり ...
3. こうこうてんのう【光孝天皇】
国史大辞典
八三〇―八七 八八四―八七在位。天長七年(八三〇)仁明天皇第三皇子として誕生。諱は時康。母は贈太政大臣藤原総継女贈皇太后沢子。承和十三年(八四六)四品、嘉祥元 ...
4. 光孝天皇(こうこうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 19ページ ...
5. こうこうてんのう【光孝天皇】
日本人名大辞典
830−887 平安時代前期,第58代天皇。在位884-887。天長7年生まれ。仁明(にんみょう)天皇の第3皇子。母は藤原沢子。陽成(ようぜい)天皇の譲位をうけ ...
6. 光孝天皇[文献目録]
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【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『光孝天皇御陵燈籠』武田信賢 ...
7. 時康親王・光孝天皇
日本史年表
884年〈元慶8 甲辰〉 2・5 時康親王(光孝天皇) 受禅(三実)。 884年〈元慶8 甲辰〉 2・23 光孝天皇 即位(三実)。 887年〈仁和3 丁未⑪ ...
8. 光孝天皇號小松天皇 (見出し語:光孝天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 944ページ ...
9. 光孝天皇國忌 (見出し語:光孝天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1266ページ ...
10. 光孝天皇好(見出し語:光孝天皇)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 756ページ ...
11. 光孝天皇山陵 (見出し語:光孝天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 991ページ ...
12. 掘光孝天皇山陵 (見出し語:光孝天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1064ページ ...
13. 藤原基經奉光孝天皇 (見出し語:光孝天皇)
古事類苑
器用部 洋巻 第2巻 95ページ ...
14. こうこうてんのうりょう【光孝天皇陵】京都市:右京区/宇多野地図
日本歴史地名大系
のち地名変更もあって所在が不明となり、明治二二年(一八八九)この地にあった天王塚という古墳を光孝天皇陵と治定した。光孝天皇陵には古くから二説があった。一は仁和寺 ...
15. 光孝天皇/他(著作ID:4374518)
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こうこうてんのう/ほか  ...
16. 小倉百人一首(15) 歌人/光孝天皇[百科マルチメディア]画像
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なつむ わがころもでにゆきはふりつつ定まり字(決まり字):歌を特定する字(音)/きみがためは光孝天皇(こうこうてんのう)菱川師宣(ひしかわもろのぶ)画[他]『小 ...
17. 阿衡事件
世界大百科事典
深め,ついに884年(元慶8)天皇を廃し,故仁明天皇の皇子時康親王を擁立し,この55歳の老帝光孝天皇のもとで実権をにぎった。その後,887年(仁和3)基経の妹・ ...
18. 排蘆小船(近世随想集) 367ページ
日本古典文学全集
大伴黒主。『古今和歌集』真名序「俗人争ひて栄利を事とし、和歌を詠ずることを用ゐず」。第五十九代天皇。光孝天皇の第七皇子。母は皇太后班子女王。承平元年没、六五歳。 ...
19. あまよのみこと【雨夜尊】
国史大辞典
られている神。天夜尊・雨夜御前・雨夜君などとも呼ばれる。『当道大記録』には、仁明天皇の皇子で光孝天皇と同腹の弟にあたる人康親王は両眼盲で、貞観十四年(八七二)五 ...
20. あまよのみこと【雨夜尊】
日本人名大辞典
みずからも目がみえず,盲者の保護につとめた,仁明(にんみょう)天皇の皇子人康(さねやす)親王のこととも,光孝天皇の皇子のことともいわれる。天夜尊,雨夜御前,雨夜 ...
21. あらくらやま【荒倉山】長野県:上水内郡/戸隠村
日本歴史地名大系
県町村誌)。北の竈岩山には鬼の岩屋・釜檀岩・釜背負岩・屏風岩などの名勝がある。「神道集」に、光孝天皇の代、戸隠山に官那羅という鬼王が住む由を記し、安和年間(九六 ...
22. いさがわじんじゃ【率川神社】奈良県:奈良市/奈良町/本子守町
日本歴史地名大系
丹後国に二戸の神戸をあてたことが記されており、仁寿二年(八五二)一一月九日、従五位下となり(文徳実録)、光孝天皇から八〇町の勅旨田を寄進されている(年中行事秘抄 ...
23. 伊勢物語 210ページ
日本古典文学全集
女のことを忘れる自分自身の心を嘆いている、とも解くことができる。長、短を対置した歌。〔一一四〕 光孝天皇。仁明天皇の皇子。元慶八年(八八四)二月、五十五歳で即位 ...
24. いとどころ【糸所】
国史大辞典
五月五日に薬玉を造り献上することなどであった。その設置された年代は不明であるが、『寛平御遺誡』の記事から光孝天皇の時(八八四―八七)には存在していたこと、その女 ...
25. いなの【為奈野】兵庫県:川西市
日本歴史地名大系
貞観元年(八五九)左大臣源信に(「三代実録」同年四月二〇日条)、同一五年には時康親王(のちの光孝天皇)に為奈野が遊猟地として与えられ(同書同年八月一日条)、仁和 ...
26. いよみしまし【伊予三島市】愛媛県
日本歴史地名大系
ると、宮川一丁目にある旧県社三島神社は越智玉澄により勧請されたとの伝承もある。「三代実録」の光孝天皇の条に「伊予国正六位上井河神」とある井河神は、豊岡町岡銅の井 ...
27. うき‐い・ず[‥いづ]【浮出】
日本国語大辞典
古今和歌集〔1205〕恋五・一三五六「涙のみうき出るあまの釣棹の長き夜すがら恋ひつつぞぬる〈光孝天皇〉」*日葡辞書〔1603~04〕「Vqiide, zzuru ...
28. 宇治拾遺物語 376ページ
日本古典文学全集
ば、具し 十一 子供の木こりが隠題の歌を詠む事 源公忠(八八九~九四八。一説には九四六)。光孝天皇の孫。五位蔵人、近江守。延長七年(九二九)、右大弁。三十六歌 ...
29. 宇治拾遺物語 431ページ
日本古典文学全集
宇多天皇の孫。真言宗の大僧正。→三三七ページ注一六。京都市右京区御室にある真言宗の寺院。山号は大内山。光孝天皇の遺志により、仁和四年(八八八)宇多天皇が創建。譲 ...
30. 歌合
世界大百科事典
た平安朝初期にもなかった。北家藤原氏の摂関政治を抑えるために和歌をはじめ朝儀,国風を作興した光孝天皇の仁和年間(885-889)に初めて現存最古の《民部卿行平家 ...
31. うたの【宇多野】京都市:右京区地図
日本歴史地名大系
当地を山陵の地と定めている。光孝(仁和三年没)・村上(康保四年没)・円融(正暦二年没)三天皇及び光孝天皇皇后班子女王(昌泰四年没)の陵墓があるのもそのためと思わ ...
32. 宇多天皇
日本大百科全書
諱(いみな)は定省(さだみ)。884年(元慶8)源氏を賜姓され臣下となっていたが、887年(仁和3)光孝天皇の病があつくなったとき、天皇の意をくんだ太政大臣(だ ...
33. 宇多天皇
世界大百科事典
第59代に数えられる平安前期の天皇。在位887-897年。亭子院帝,寛平法皇ともいう。時康親王(のち光孝天皇)と班子女王を父母として生まれた。陽成天皇廃立によっ ...
34. うだ‐てんのう[‥テンワウ]【宇多天皇】
日本国語大辞典
第五九代天皇。光孝天皇の第七皇子。名は定省(さだみ)。仁和三年(八八七)即位。在位一〇年。菅原道真を登用し、藤原氏を押えて政治の刷新を図った。著書に「寛平御遺誡 ...
35. うだてんのう【宇多天皇】
国史大辞典
八六七―九三一 八八七―九七在位 貞観九年(八六七)五月五日、光孝天皇の第七皇子として誕生。母は桓武天皇皇子仲野親王の女班子女王、諱は定省(さだみ)。元慶年間 ...
36. うだてんのう【宇多天皇】
日本人名大辞典
867−931 平安時代前期,第59代天皇。在位887-897。貞観(じょうがん)9年5月5日生まれ。光孝天皇の第7皇子。母は班子(はんし)女王。父の死で即位。 ...
37. うだてんのう【宇多天皇】
日本架空伝承人名事典
第五九代に数えられる平安前期の天皇。在位八八七‐八九七年。亭子院帝、寛平法皇ともいう。時康親王(のち光孝天皇)と班子女王を父母として生まれた。陽成天皇廃立によっ ...
38. 『宇多天皇宸記』
日本史年表
887年〈仁和3 丁未⑪〉 この年 光孝天皇の御願により、高野山に真言堂・多宝塔を建立(東寺長者補任)。宇多天皇、 『宇多天皇宸記』 を記す(~寛平9年)。  ...
39. うだてんのうりょう【宇多天皇陵】京都市:右京区/御室門前村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区御室住吉山町 大内山山頂近くの東にあり、大内山陵という。天皇は光孝天皇第七皇子で母は班子女王。藤原摂関政治のただ中で関白を置かず、菅原道真を登用する ...
40. うだのいん【宇多院】
国史大辞典
しながらの花はちれども」の歌をのせるが、宇多院を「ふるさと」と呼んでおり、この歌からはここが光孝天皇にゆかりのある地であったことを想像させる。なお宇多上皇がこの ...
41. うめぞのこれとも【梅園惟朝】
国史大辞典
研究しようと試みたいわば、神祇史研究の先駆者の一人である。とりわけ『国史神祇集』十巻は、神武天皇より光孝天皇仁和三年(八八七)に至る神祇関係史料を編年体に抄録し ...
42. 詠歌大概(歌論集) 476ページ
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巻一 一 壬生忠岑〕君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ〔古今 巻一 二一 光孝天皇〕梅が枝に鳴きてうつろふ鶯のはねしろたへに淡雪ぞふる〔新古今 ...
43. 栄花物語 17ページ
日本古典文学全集
の時点に立脚してなされた表現とみるべきか。宇多・醍醐・朱雀帝の御世のこと。五十九代宇多天皇。光孝天皇第三皇子。母は仲野親王女、班子女王。仁和三年(八八七)八月二 ...
44. 栄花物語 161ページ
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きもの」に、「六位蔵人、うへの判官とうちいひて、世になく、きらきらしき物におぼえ…」とある。光孝天皇の四世。父は源信孝。兼澄が左衛門尉であったことは、藤原佐理の ...
45. 栄花物語 514ページ
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今回は丹波国天田郡。公忠孫、信孝男。大中臣能宣の女婿。一条朝の歌合や屛風歌で活躍。家集『兼澄集』がある。光孝天皇の孫、国紀男。三十六歌仙の一人。家集に『公忠集』 ...
46. 栄花物語 167ページ
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二年(一〇一三)六月二十三日(小右記)。事情は不明。京都市右京区にある真言宗御室派の総本山。光孝天皇の発願により造営が始まり、宇多天皇の仁和四年(八八八)に金堂 ...
47. 円珍
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て天皇の宝祚(ほうそ)を祈らせ,かつ娘の明子(染殿の大后)の護持僧とした。886年(仁和2)光孝天皇の病気平癒を祈り,その賞として円珍の奏請で天台宗年分度者2人 ...
48. えんちん【円珍】画像
国史大辞典
講じ、特に勅命によって御前講師となり名声を博した。同七年法眼和尚位に勅叙。仁和元年(八八五)光孝天皇践祚のはじめに、また『仁王経』を講じた。同四年興福寺維摩会講 ...
49. おおいどうじようあと【大炊道場跡】京都市:中京区/銅駝学区/行願寺門前町地図
日本歴史地名大系
室町西(現中京区)にあって、今に道場町の町名を残す。この地は光孝天皇の小松殿跡と伝え、道場内に光孝天皇の位牌石塔などがあった(臥雲日件録・京童跡追)。光孝天皇と ...
50. 大鏡 22ページ
日本古典文学全集
天皇が幼少のときに置かれ、天皇外戚の大臣がつく。関白より権限は大きい。成人の天皇のとき、万機に関与する重職。光孝天皇の時の藤原基経が初例。後に彼の子孫で天皇の外 ...
「光孝天皇」の情報だけではなく、「光孝天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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