1. 成明親王・村上天皇
日本史年表
成明親王 を皇太弟とする(紀略)。 946年〈天慶9 丙午〉 4・20 朱雀天皇 譲位、 成明親王(村上天皇) 受禅(紀略)。 967年〈康保4 丁卯〉 5・2 ...
2. 村上天皇
日本大百科全書
第62代天皇(在位946~967)。醍醐(だいご)天皇第14皇子。名は成明(なりあき)、母は太政(だいじょう)大臣藤原基経(もとつね)の女(むすめ)穏子(おんし ...
3. 村上天皇
世界大百科事典
政治にも関心深く,朝儀にも精通しみずから儀式書《清涼記》を撰したが現在一部分のみを伝える。天皇の日記《村上天皇御記》は《天暦御記》とも称し,宇多天皇・醍醐天皇の ...
4. むらかみ‐てんのう[‥テンワウ]【村上天皇】
日本国語大辞典
乾元太宝の鋳造などを行ない、後世「天暦の治」と呼ばれる政治上・文化上の一時期を現出した。日記に「村上天皇御記」(天暦御記)がある。陵墓は京都市右京区鳴滝宇多野谷 ...
5. むらかみてんのう【村上天皇】
国史大辞典
皇后とした。後宮には女御・更衣十人をいれ、冷泉・円融天皇など男女十九人を儲けた。歌集に『村上天皇御集』があり、『村上天皇宸記』および天皇撰と伝える『清涼記』など ...
6. 村上天皇(むらかみてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 20ページ ...
7. むらかみてんのう【村上天皇】
日本人名大辞典
墓所は村上陵(みささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は成明(なりあきら)。別名に天暦帝。法名は覚貞。日記に「村上天皇御記」。【格言など】円居(まとゐ)してみれ ...
8. 村上天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:3件 『書道全集 12』-『後撰集の撰集 村上天皇と後宮』杉谷寿郎『村上天皇とかなの御日記』森田兼吉『歴世記録考 ...
9. 村上天皇御記
世界大百科事典
村上天皇の日記。《天暦御記》などともよばれる。もと30巻あったと推定されるが,現在は散逸し,わずかに《延喜天暦御記抄》の中に一部分が伝わり,また949年(天暦3 ...
10. 『村上天皇宸記』
日本史年表
947年〈天暦元(4・22) 丁未⑦〉 この年 村上天皇、 『村上天皇宸記』 を記す(~康保4年)。 ...
11. むらかみてんのうしんき【村上天皇宸記】
国史大辞典
村上天皇の日記。天皇の代始の年号に因んで『天暦御記』ともいう。また『醍醐天皇宸記』とともに二代御記、さらに『宇多天皇宸記』を加えて三代御記と併称される。その巻 ...
12. むらかみてんのうりょう【村上天皇陵】京都市:右京区/鳴滝村地図
日本歴史地名大系
[現]右京区鳴滝宇多野谷 円融天皇陵の北、村上山山頂にあり、南面する小円墳。村上天皇は醍醐天皇の第一四子で、母は藤原穏子(基経女)。天慶九年(九四六)即位、康保 ...
13. 村上天皇御即位部類記(著作ID:4399724)
新日本古典籍データベース
むらかみてんのうごそくいぶるいき 部類記 ...
14. 天暦御記(著作ID:1463634)
新日本古典籍データベース
てんりゃくぎょき 村上天皇御記 村上天皇宸記 村上天皇(むらかみてんのう) 日記 ...
15. 後村上天皇
日本大百科全書
南北朝時代初期の(南朝第2代)天皇(在位1339~68)。名は義良(のりよし)(「のりなが」とも読む)。後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。母は阿野廉子(あのれんし) ...
16. 後村上天皇
世界大百科事典
1328-68(嘉暦3-正平23・応安1) 第97代に数えられる天皇。在位1339-68年。後醍醐天皇の第8皇子。名は初め憲良,のち義良。母は新待賢門院阿野廉子 ...
17. ごむらかみ‐てんのう[‥テンワウ]【後村上天皇】
日本国語大辞典
第九七代南朝の天皇。後醍醐天皇の皇子。母は新待賢門院廉子。名は義良(のりよし)。元弘三年(一三三三)北畠顕家とともに陸奥に赴いて、東北の鎮護にあたった。南北朝分 ...
18. ごむらかみてんのう【後村上天皇】画像
国史大辞典
正平二十三年三月十一日条、木村武夫『後村上天皇の聖蹟』、村田正志「後村上天皇と三光国師」(『村田正志著作集』一所収)、同「村手重雄氏蔵後村上天皇宸翰の考証」(同 ...
19. 後村上天皇(ごむらかみてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 32ページ ...
20. ごむらかみてんのう【後村上天皇】
日本人名大辞典
1328−1368 南北朝時代,第97代(南朝第2代)天皇。在位1339-68。嘉暦(かりゃく)3年生まれ。後醍醐(ごだいご)天皇の第7(または第8)皇子。母は ...
21. 後村上天皇[文献目録]
日本人物文献目録
林屋辰三郎『後村上天皇と三光国師』村田正志『後村上天皇と三光国師』村田正志『後村上天皇の継述の御精神』久保田収『正平七年の後村上天皇八幡行幸に就いて』木村武夫『 ...
22. 後村上天皇花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
23. 義良親王・後村上天皇
日本史年表
朝】正平12 丁酉⑦〉 5・‐ 後村上天皇 ,河内観心寺に行幸(観心寺文書)。 1359年〈【北朝】延文4・【南朝】正平14 己亥〉 12・23 後村上天皇 , ...
24. 後村上天皇御系(著作ID:2684017)
新日本古典籍データベース
ごむらかみてんのうごけい 系譜 ...
25. 後村上天皇住吉神社行幸 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 254ページ ...
26. 後村上天皇山陵 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1017ページ ...
27. 後村上天皇諡 (見出し語:後村上天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 946ページ ...
28. あい‐かい【愛海】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。愛欲の深く広いことを海にたとえていったことば。*本朝文粋〔1060頃〕一四・村上天皇為母后四十九日御願文〈大江朝綱〉「乃知八正分 ...
29. あい‐かい【愛海】
仏教語大辞典
情愛の深く広いことを海に喩えていった言葉。 本朝文粋 一四・村上天皇母后卌九日御願文〈後江相公〉 「乃知八正分源。断疑網於愛海。三明告暁。飛覚月於昏衢者也」 ...
30. あいぜんどう【愛染堂】和歌山県:伊都郡/高野町/高野山
日本歴史地名大系
勤行が遅れる羽目となり、「早退一類張行、可全両ケ之御願」との南朝綸旨が出され、正平九年(一三五四)二月には後村上天皇からも高野山寺領を安堵すべき旨の綸旨が出され ...
31. あうしゅく-ばい【鴬宿梅】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕村上天皇の時に、清涼殿の前の梅の木が枯れたので、代りの梅の木を探し出させたら、その木には「勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかが答へむ(歌意⇒「勅 ...
32. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
「降る雪に色も変らで牽くものを誰あを馬と名づけ初(そ)めけむ」(『兼盛集』)などとある。文献の上では村上天皇のころには白馬と書くようになったが、呼称はそのままと ...
33. あかさかじょう【赤坂城】
国史大辞典
らに率いられた鎌倉幕府軍の攻撃をうけ、食糧も尽きて陥落した。文和元年(正平七、一三五二)、後村上天皇が賀名生(あのう)を出て、この城に立ち寄り、摂津住吉に向かっ ...
34. あがたほ【英田保】石川県:河北郡
日本歴史地名大系
が領家に居住したという伝承が記載されている。南英田保は、正平九年(一三五四)一一月二二日の後村上天皇綸旨(水無瀬神宮文書)に「南県庄」とみえ、地頭職が水無瀬神宮 ...
35. あきづきのしょう【秋月庄】徳島県:阿波郡
日本歴史地名大系
延元三年(一三三八)一二月六日の後醍醐天皇綸旨(愛洲文書)、興国二年(一三四一)四月八日の後村上天皇綸旨(同文書)によれば、それぞれ愛洲七郎左衛門尉憲俊に当庄地 ...
36. あきひらにゅうどうしんのう【昭平入道親王】
日本人名大辞典
954−1013 平安時代中期,村上天皇の第9皇子。天暦(てんりゃく)8年生まれ。母は左大臣藤原在衡(ありひら)の娘正妃(せいひ)。貞元(じょうげん)2年親王宣 ...
37. あけのむら【明野村】山梨県:北巨摩郡
日本歴史地名大系
義村が奉行を解任された。建長五年(一二五三)には近衛家領になっているが、それ以前は冷泉院領(村上天皇の後院領)であった。南北朝期には山小笠原庄となる。戦国期には ...
38. あさどの【阿佐殿】
日本人名大辞典
−? 南北朝時代,後亀山(ごかめやま)天皇の中宮(ちゅうぐう)。応安4=建徳2年(1371)後村上天皇の女御(にょうご)嘉喜(かき)門院に紅葉ひと枝を献じ,その ...
39. あしかがたかうじ【足利尊氏】画像
国史大辞典
ここに北朝は同年八月、尊氏を征夷大将軍に任命、南軍不振のうちに、翌二年後醍醐天皇も吉野の行宮で世を去り、後村上天皇が践祚した。尊氏・直義はこれを悼み、その百箇日 ...
40. あしかがよしあきら【足利義詮】画像
国史大辞典
奉じた。ついで尊氏は兵を東国に進めて直義を討ち、義詮は京都を守ったが、南北の講和によって南朝の後村上天皇が男山に進出すると、義詮は南軍の強くなることを恐れてこれ ...
41. 排蘆小船(近世随想集) 368ページ
日本古典文学全集
のちに賀茂真淵の指導を受けることによって大いに変わることになる。第二番目の勅撰集。二〇巻。平安中期の天暦五年、村上天皇の勅命で和歌所が設置され、藤原伊尹が別当に ...
42. あじろのしょう【足代庄】大阪府:東大阪市/旧布施市地区/東足代村
日本歴史地名大系
西足代村(現生野区)辺りを領域とした庄園。網代庄とも記す。正平五年(一三五〇)七月一一日の後村上天皇綸旨案(妙心寺文書)に「河内国網代庄領家職」とみえる。この綸 ...
43. 飛鳥部常則
日本大百科全書
平安中期、村上(むらかみ)天皇(在位946~967)の時代に活躍した画人で、10世紀末に没した。『村上天皇御記』によると、955年(天暦9)の宸筆法華八講(しん ...
44. 飛鳥部常則
世界大百科事典
54年(天暦8)村上天皇筆の法華経の表紙絵,958年(天徳2)村上天皇の女御芳子の調度屛風,964年(康保1)には清涼殿に白沢王の像を描いたことなどが知られてい ...
45. あすかべのつねのり【飛鳥部常則】
国史大辞典
生没年不詳 平安時代中期の絵師。経則とも書く。天暦八年(九五四)に左衛門少志(さかん)で画所に出仕し、村上天皇の自筆の金字法華経の表紙絵を描き、康保元年(九六四 ...
46. あすかべの-つねのり【飛鳥部常則】
日本人名大辞典
?−? 平安時代中期の画家。宮廷に絵師としてつかえ,天暦(てんりゃく)8年(954)の村上天皇筆「法華経」の表紙絵や清涼殿の白沢王像,藤原彰子の入内(じゅだい) ...
47. あぜかわじょうあと【阿瀬川城跡】和歌山県:有田郡/清水町/中原村
日本歴史地名大系
拠点であった。正平三年(一三四八)正月、北朝方高師直の吉野行宮焼討(「太平記」ほか)以後、後村上天皇は湯浅党の勢力下にある当地に潜幸、阿瀬川城を一時行宮としたが ...
48. あそうごう【麻生郷】大阪府:貝塚市
日本歴史地名大系
後醍醐天皇綸旨(同文書)をもって丹生明神社に麻生郷知行を安堵した。しかし興国二年(一三四一)五月二八日の後村上天皇綸旨(同文書)で丹生明神社には麻生郷にかえて和 ...
49. あつただいぐうじまさよし【熱田大宮司昌能】
国史大辞典
建武三年(延元元、一三三六)五月の後醍醐天皇山門行幸および十月の京都還幸に供奉、側近として奉仕した。後村上天皇の時代になってもかわることなく、文和元年(正平七、 ...
50. あつみのしょう【厚見庄】大阪府:羽曳野市
日本歴史地名大系
しかしこの公文職をめぐっては幸盛と西琳寺の間に相論が起こり、興国四年(一三四三)四月四日の後村上天皇綸旨、同日の近衛三位中将家御教書案、同月二二日の楠木正行施行 ...