NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 社会
  6. >
  7. 政治
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 冷泉天皇

冷泉天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『冷泉天皇』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
冷泉天皇
れいぜいてんのう
[950―1011]

第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子の生んだ広平親王を越えて皇太子となったので、元方は落胆のあまり病死し、天皇が物の怪(け)に悩み病気がちであったのは元方の怨霊(おんりょう)によるものとされた。こうしたことが原因で摂関が常置されるようになり、また安和(あんな)の変(969)も起き、天皇の第一皇子師貞(もろさだ)親王の立太子を急ぐ藤原伊尹(これただ)の策略により在位2年で皇太弟守平(もりひら)親王(円融天皇)に譲位した。陵墓は京都市左京区鹿(しし)ヶ谷(たに)の桜本陵。
[福井俊彦]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


冷泉天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 424
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 憲平親王・冷泉天皇・冷泉上皇
日本史年表
この日、天皇没し、 憲平親王(冷泉天皇) 践祚(紀略)。 967年〈康保4 丁卯〉 10・11 冷泉天皇 即位(紀略)。 969年〈安和2 己巳⑤〉 8・13  ...
2. 冷泉天皇
日本大百科全書
第63代天皇(在位967~969)。村上(むらかみ)天皇第二皇子。母は藤原師輔(もろすけ)の娘安子。諱(いみな)は憲平(のりひら)。藤原元方(もとかた)の娘元子 ...
3. れいぜい‐てんのう[‥テンワウ]【冷泉天皇】
日本国語大辞典
第六三代天皇。名は憲平(のりひら)。村上天皇第二皇子。母は皇后安子(藤原師輔の女)。天暦四年(九五〇)生後二か月で立太子。康保四年(九六七)父帝の崩御によって即 ...
4. れいぜいてんのう【冷泉天皇】
国史大辞典
九五〇―一〇一一 九六七―六九在位。村上天皇の第二皇子。母は藤原師輔女安子。諱は憲平。天暦四年(九五〇)五月二十四日生まれる。同元方女祐姫所生の同年の兄広平を ...
5. 冷泉天皇(れいぜいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 20ページ ...
6. れいぜいてんのう【冷泉天皇】
日本人名大辞典
950−1011 平安時代中期,第63代天皇。在位967-969。天暦(てんりゃく)4年5月24日生まれ。村上天皇の第2皇子。母は藤原安子(あんし)。父の死によ ...
7. 冷泉天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『浜松中納言物語は果して天喜三年以前の作か 冷泉院考』鈴木弘道 ...
8. 冷泉天皇山陵 (見出し語:冷泉天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 992ページ ...
9. 冷泉天皇讓位 (見出し語:冷泉天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 543ページ ...
10. 後冷泉天皇
日本大百科全書
第70代天皇(在位1045~68)。名は親仁(ちかひと)。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。万寿(まんじゅ)2年8月3日誕生。母は贈皇太后藤原嬉子(きし)(太政 ...
11. ごれいぜい‐てんのう[‥テンワウ]【後冷泉天皇】
日本国語大辞典
第七〇代の天皇。名は親仁(ちかひと)。後朱雀天皇の皇子。母は藤原道長の女嬉子。寛徳二年(一〇四五)即位。在位二四年。関白藤原頼通の時代で、在位中に「前九年の役」 ...
12. ごれいぜいてんのう【後冷泉天皇】
国史大辞典
一〇二五―六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一 ...
13. 後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 23ページ ...
14. ごれいぜいてんのう【後冷泉天皇】
日本人名大辞典
1025−1068 平安時代中期,第70代天皇。在位1045-68。万寿2年8月3日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。母は藤原嬉子(きし)。父の死により ...
15. ごれいぜいてんのうりょう【後冷泉天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
日本歴史地名大系
正称は後冷泉天皇円教寺陵。天皇は後朱雀天皇第一皇子で母は藤原嬉子(道長女)。「扶桑略記」治暦四年(一〇六八)四月一九日条に「天皇於〓高陽院中殿 ...
16. 親仁親王・後冷泉天皇
日本史年表
1・16 後朱雀天皇 譲位、 親仁親王(後冷泉天皇) 受禅、 尊仁親王 を皇太子とする(扶桑略記)。 1045年〈寛徳2 乙酉⑤〉 4・8 後冷泉天皇 即位(扶 ...
17. 排蘆小船(近世随想集) 369ページ
日本古典文学全集
成立ともに未詳であるが、花山法皇を中心に、平安中期の寛弘初年に成立したと見られている。第六十五代天皇。冷泉天皇第一皇子。寛弘五年没、四一歳。風流を事とし、和歌を ...
18. 敦道親王
世界大百科事典
981-1007(天元4-寛弘4) 平安中期の歌人。冷泉天皇の皇子。長じて大宰帥(だざいのそち)(遥任)となり,帥宮(そちのみや)とも呼ばれた。生母超子(ちよう ...
19. 敦良親王・後朱雀天皇・後朱雀上皇
日本史年表
後朱雀天皇 即位(範国記)。 1045年〈寛徳2 乙酉⑤〉 1・16 後朱雀天皇 譲位、 親仁親王(後冷泉天皇) 受禅、 尊仁親王 を皇太子とする(扶桑略記)。 ...
20. 安和の変
世界大百科事典
藤原氏の陰謀と考えられる。967年村上天皇が没すると皇后藤原安子(師輔女)の生んだ憲平親王(冷泉天皇)が即位,弟守平親王(円融天皇)が同母兄為平親王を越えて皇太 ...
21. あんなのへん【安和の変】
国史大辞典
為平親王は冷泉天皇の東宮の有力な候補であったが、高明が将来天皇の外戚となる可能性を恐れた藤原氏は、すでに康保四年(九六七)九月、同母弟の守平親王の立太子を成功さ ...
22. 和泉式部
世界大百科事典
者として名高い。《後拾遺集》をはじめ勅撰集にも多くの歌を収める。式部の父は,朱雀天皇の皇女で冷泉天皇の皇后となった三条太皇太后昌子内親王に,太皇太后宮大進として ...
23. いずみしきぶ【和泉式部】
国史大辞典
和泉式部は女房名、また式部・江式部とも称された。父は越前守大江雅致、母は越中守平保衡の女。母が冷泉天皇皇后昌子(太皇太后)に仕えたこと(『中古歌仙伝』)、父が長 ...
24. いずみしきぶ【和泉式部】
日本架空伝承人名事典
者として名高い。『後拾遺集』をはじめ勅撰集にも多くの歌を収める。式部の父は、朱雀天皇の皇女で冷泉天皇の皇后となった三条太皇太后昌子内親王に、太皇太后宮大進として ...
25. 和泉式部日記
世界大百科事典
平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ ...
26. いずみしきぶにっき【和泉式部日記】
国史大辞典
平安時代の女流日記。冷泉天皇の第三皇子弾正宮為尊親王の死によって、弾正宮との恋愛がはかなく終り、悲しみに沈んでいる和泉式部のもとへ、長保五年(一〇〇三)四月に ...
27. 和泉式部日記
日本古典文学全集
そのころ、和泉式部は恋人の為尊(ためたか)親王(冷泉天皇の皇子)の若すぎる死に嘆き悲しんでいた。その和泉式部に求愛の歌を贈ったのが、為尊親王の弟、敦道(あつみち ...
28. 一条院
世界大百科事典
年後にそこで没した。16年(長和5)6月,後一条天皇もここを皇居としている。さらに後朱雀・後冷泉天皇も一時期,里内裏としたが,59年(康平2)正月の焼失以降,里 ...
29. いちじょういん【一条院】
国史大辞典
いて除目なども行なった。後朱雀天皇は長久四年(一〇四三)一条院に遷ったが同年末に焼失した。後冷泉天皇のとき冷泉院の建物をこわし、その材で再建、天喜四年(一〇五六 ...
30. いちじょういんあと【一条院跡】京都市:上京区/聚楽学区/飛騨殿町地図
日本歴史地名大系
もと藤原伊尹(謙徳公)の邸宅で、その異母弟為光から藤原詮子に伝えられ、のち一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の里内裏となった。「拾芥抄」に「一条南大宮 ...
31. いちはらの【市原野】
国史大辞典
)に遊猟せられたとあり、『山城名勝志』は常寿院旧址と後冷泉天皇・小野皇后の二基の石塔をあげているが、『元亨釈書』によればこの院は後冷泉天皇皇后藤原歓子が天皇崩御 ...
32. いまみやじんじゃ【今宮神社】京都市:右京区/法金剛院村地図
日本歴史地名大系
垣内積帋無有空処、宛如紫野神社者、深依惜命」であった(同書同月二六日条)。その後一時衰退したらしいが、後冷泉天皇の代に再び疫病が流行。「並岡の辺に社をつくらばし ...
33. いわかげ【石陰】京都市:北区/大北山村地図
日本歴史地名大系
其与乎鏡石相映処、曰石影、遂称其左右曰石影、亦曰長坂野」としている。万寿二年(一〇二五)八月、親仁親王(後冷泉天皇)を出産後没した後朱雀天皇の東宮時代の女御嬉子 ...
34. いんごう【院号】
国史大辞典
前それぞれ冷泉院・朱雀院とも呼ばれた(『小右記』)のもその一例である。 (二) 天皇の追号。冷泉天皇以降、天皇の追号には譲位後おもに居住した御所の名称によって院 ...
35. いんごう【院号】 : 院号/(二)
国史大辞典
(二) 天皇の追号。冷泉天皇以降、天皇の追号には譲位後おもに居住した御所の名称によって院号を用いる例となり、さらに後一条天皇以後は在位中崩御した天皇にも、里内 ...
36. いんのちょうはじめ【院庁始】
国史大辞典
御幸始・布衣始や蔵人所始・武者所始・北面始などが相ついで行われる。女院の場合は、承保元年(一〇七四)二条院(後冷泉天皇皇后章子内親王)の院中で殿上始と同事に行わ ...
37. うさむら【宇佐村】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区
日本歴史地名大系
また地内には蓮台寺・護国寺などがあった。蓮台寺は年月日未詳の造宇佐宮注文案(到津文書)などによれば、後冷泉天皇の御願により大宰大弐源資通が建立した寺院という。資 ...
38. 宇治拾遺物語 23ページ
日本古典文学全集
『今昔物語集』以前に成立し、現存しない説話集。源隆国(一〇〇四~七七)。俊賢の次男、顕基中納言の弟。後冷泉天皇の寵臣で、宇治の関白藤原頼通を補佐した。『安養集』 ...
39. 宇治拾遺物語 42ページ
日本古典文学全集
その新邸は壮麗をきわめたといわれる。藤原頼通(九九二~一〇七四)。道長の長子。後一条・後朱雀・後冷泉天皇三代の摂政・関白を歴任。意識を失うような状態。左衛門佐藤 ...
40. 宇治拾遺物語 67ページ
日本古典文学全集
いくつもいくつも、の意。現在の錦小路。古くは屎小路・具足小路(拾芥抄)と呼ばれたが、天喜二年(一〇五四)、後冷泉天皇の宣旨により錦小路と改名された(前田家本『二 ...
41. 宇治拾遺物語 165ページ
日本古典文学全集
五)。父は一条天皇、母は道長の娘彰子(九八八~一〇七四)。寛徳二年(一〇四五)正月十六日、後冷泉天皇に譲位、十八日、出家して崩御。重体に陥っておられた時。死後に ...
42. 宇治拾遺物語 334ページ
日本古典文学全集
天徳四年五月までその職にあった。その間、天暦四年には、師輔の娘安子が村上天皇の皇后として後の冷泉天皇を産んでおり、この時期、師輔一家の威勢は飛ぶ鳥をも落さんばか ...
43. うじりょう【宇治陵】京都府:宇治市/木幡村
日本歴史地名大系
天皇女御生子・後三条天皇姫茂子・一条天皇皇后彰子・後冷泉天皇皇后歓子・堀河天皇女御苡子・後冷泉天皇皇后寛子・宇多天皇皇子敦実親王・冷泉天皇皇子敦道親王の二〇名で ...
44. 薄雲(源氏物語) 457ページ
日本古典文学全集
冷泉帝出生の秘密。王命婦。→四五二ページ注六。御匣殿の別当。はじめは、帝の装束裁縫の役所の長官であったが、冷泉天皇のころから侍妾のようになった。王命婦は御匣殿の ...
45. 歌合
世界大百科事典
(913,953),《京極御息所歌合》(921),《右大臣師輔家歌合》(956)などがある。冷泉天皇以後,摂関藤原氏が権力をもっぱらにするにつれて,政権をめぐる ...
46. 歌合
世界大百科事典
の歌合を収めている。その最下限は1056年(天喜4)の皇后宮歌合であるが,68年(治暦4)後冷泉天皇の死とともに編集事業は停止し,草稿本のまま近衛家に伝襲される ...
47. 栄花物語 61ページ
日本古典文学全集
嫌った伯叔父たち(伊尹、兼家。兼通も含まれているかは不明)の策謀によって、守平親王立太子が実現したとする。冷泉天皇。天暦四年(九五〇)生、当年十八歳。『紀略』『 ...
48. 栄花物語 304ページ
日本古典文学全集
。諸本に異同はないが、「さべきゝぬ(絹)」とあるべきところか。昌子内親王。朱雀天皇の皇女で、冷泉天皇の皇后。太皇太后。「一日、庚戌、巳ノ時、太皇太后宮昌子内親王 ...
49. 栄花物語 499ページ
日本古典文学全集
さすのであろう」とするが、陽成から村上までの六代のうち三代が「宮たちおはす」例となるので、ここは、村上の後、冷泉天皇(即位は康保四年)以降ととりたい。冷泉朝以降 ...
50. 栄花物語 204ページ
日本古典文学全集
書にみえる「侍従の内侍」「侍従の尼」と同人か。藤原賢子。藤原宣孝女。母は紫式部。彰子女房。後冷泉天皇の乳母。伊勢大輔。大中臣輔親女。彰子女房。未詳。『権記』長保 ...
「冷泉天皇」の情報だけではなく、「冷泉天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

冷泉天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「冷泉天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
天皇に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶