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  11. 花山天皇

花山天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『花山天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
花山天皇
かざんてんのう
九六八 - 一〇〇八
九八四―八六在位。諱は師貞(もろさだ)。出家ののち入覚と号した。冷泉天皇の第一皇子、母は太政大臣(一条摂政)藤原伊尹の女の女御懐子。安和元年(九六八)十月二十六日誕生、同二年八月十三日立太子、永観二年(九八四)八月二十七日叔父円融天皇の禅りをうけて、十七歳で践祚。同十月十日即位。関白は前朝につづいて藤原頼忠であったが、政治の実権を握ったのは天皇の叔父(伊尹の男)権中納言藤原義懐で、左中弁藤原惟成(天皇の乳母の子)とともに気鋭な政治を行なった。中でも永観二年十一月二十八日、格(いわゆる延喜の荘園整理令)後の荘園を停止したことは、同日破銭を嫌うことを停止したこととともに、律令制解体の傾向を抑止しようとした意欲を示すものである。しかし、寵愛する女御藤原〓子(為光の女)の死に心をいためた天皇は、寛和二年(九八六)六月二十三日早暁、蔵人藤原道兼に導かれて内裏を脱出し、東山の花山寺に入って出家した。これは外孫の皇太子懐仁親王(一条天皇)を即位させようとする右大臣藤原兼家(道兼はその男)の陰謀に乗ぜられたもので、花山朝はわずか一年十ヵ月の短期間に終った。花山法皇は同年七月播磨国の書写山に赴いて性空に結縁し、ついで叡山に登って廻心戒を受け、さらに熊野に入るなど、仏道修行に励んだ。しかし帰京して後には、東院(花山院)の「九の御方」(伊尹の女)のもとに住み、また乳母の女中務とその女を母子ともに寵愛するなど、色好みの名をほしいままにした。藤原為光の女に通ったことから、藤原伊周に誤解されて矢を射かけられた事件は、伊周と藤原道長の政権争いに重大な影響を及ぼした。花山法皇はまた「風流者」(『大鏡』)としてもきこえ、和歌をはじめとして、絵画・建築・工芸・造園などに非凡の才能を示した。中でも、藤原公任の撰した『拾遺抄』を増補して『拾遺和歌集』を編纂したのはその業績とみられ、集中に勅撰和歌集としてはじめて連歌を収録したのは特色である。晩年には政権を掌握した藤原道長に敬重され、寛弘五年(一〇〇八)二月八日、四十一歳で崩じた。家集に『花山院御集』があったが、いま伝わらない。しかしその作品は約百二十首存している。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ六 寛弘五年二月八日条、今井源衛『花山院の生涯』
(目崎 徳衛)

紙屋上陵(かみやのほとりのみささぎ)

京都市北区衣笠北高橋町にあり、南面する円丘である。寛弘五年(一〇〇八)二月十七日夜亥刻、「紙屋川(異本「川」なし)上、法音寺北」(『日本紀略』)、「大和寺東辺」(『御堂関白記』)に葬り、その儀は遺詔により凡人に同じであった。後世所在を失ったが、幕末に法音寺跡の北にあたる菩提塚をもって陵所として修理を加え、慶応元年(一八六五)五月に竣工した。陵号は法音寺北陵とも称したが、明治二十八年(一八九五)前記『日本紀略』の異本に基づいて現陵号に統一した。紙屋川上陵と称すべきだとの説もある。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ六 寛弘五年二月十七日条、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
花山天皇
かざんてんのう
[968―1008]

第65代天皇(在位984~986)。冷泉(れいぜい)天皇第1皇子。母は太政(だいじょう)大臣正二位藤原伊尹(これただ)の女(むすめ)懐子(かいし)。諱(いみな)は帥貞(もろさだ)。円融(えんゆう)天皇の禅を受けて即位。藤原頼忠(よりただ)が関白となったが、外戚(がいせき)でなかったことから実権をもたず、外戚の藤原義懐(よしちか)と惟成(これしげ)を重用。饗宴(きょうえん)の禁制を布告して宮廷貴族社会の統制、引締めを図り、902年(延喜2)に出されて以来布告されていなかった荘園(しょうえん)整理令を久々に布告するなど、革新的な政治路線を打ち出した。この荘園整理令は、受領(ずりょう)らの間で高まってきていた荘園整理の気運を政策化したもので、以後頻出する整理令の嚆矢(こうし)であった。花山朝においてはかく政治改革が企図されたが、後宮の寵姫(ちょうき)忯子(きし)(藤原為光(ためみつ)の女)の死を悲しんでいるおり、藤原道兼(みちかね)の偽計に陥り出家し、2年足らずで次の一条朝となった。退位後は仏事や風流をこととし、和歌をよくした。『拾遺和歌集』の撰者(せんじゃ)に擬せられ、『花山院御集』も存したが散逸。996年(長徳2)誤解により藤原伊周(これちか)の従者に射られ、これがもとで伊周は大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された。御陵は京都市衣笠(きぬがさ)の紙屋(かみや)川上陵。
[森田 悌]



世界大百科事典
花山天皇
かざんてんのう
968-1008(安和1-寛弘5)

第65代に数えられる天皇。在位984-986年(永観2-寛和2)。諱(いみな)は師貞(もろさだ),僧名入覚。花山院とも。冷泉天皇の第1皇子。母は藤原伊尹(これただ)の娘懐子(かいし)。969年(安和2)立太子。以後叡山・熊野等を巡歴,修行を積み,正暦年間(990-995)に帰京,東院(花山院)に住んだ。1008年2月8日没。深夜に宮中を脱出,東山の花山寺(現,元慶(がんぎよう)寺)に入り剃髪するという劇的な退位の真相は,孫の懐仁親王(一条天皇)の即位を急いだ藤原兼家一門が,女御忯子の死に乗じて僧厳久などを使い,天皇に世間無常を吹きこむとともに,陰に陽に政治的圧力を加えたためと見られる。その後の生涯は数奇を極めて,奔放な女性関係のほか,修験者としても名高く,和歌・絵画・造園・建築・工芸など多方面に才能を発揮し,〈風流者〉と称された。和歌では《拾遺和歌集》《後十五番歌合》の撰者とされるほか,東宮時代から大小多くの歌合を主宰し,歌壇の一中心をなした。現存和歌は〈世の中のうきもつらきもなぐさめて花のさかりはうれしかりけり〉(《玉葉集》巻十四)をはじめ120余首に達する。家集に《花山院御集》が,また紀行とおぼしい《花山法皇御修記》(《太子伝玉林抄》所引)もあった(ともに今は散逸)。粉河・熊野巡歴のことなどから,後世では西国巡礼の祖とされる。その墓所は,記録には紙屋川のほとり,法音寺の北に葬ったとあり,現在,陵墓は〈紙屋上陵(かみやのほとりのみささぎ)〉と称され,京都市北区にある。ほかに兵庫県,石川県など各地にその墓所と称するものが残る。
[今井 源衛]

[索引語]
入覚 花山院(天皇)
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1. 花山天皇
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第65代天皇(在位984~986)。冷泉(れいぜい)天皇第1皇子。母は太政(だいじょう)大臣正二位藤原伊尹(これただ)の女(むすめ)懐子(かいし)。諱(いみな) ...
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3. かざん‐てんのう[クヮザンテンワウ]【花山天皇】
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4. かざんてんのう【花山天皇】
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5. 花山天皇(かざんてんのう)
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6. かざんてんのう【花山天皇】
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7. 花山天皇[文献目録]
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8. 師貞親王・花山天皇・花山法皇
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8・27 円融天皇 譲位、 師貞親王(花山天皇) 受禅、即日新造内裏に入る. 懐仁親王 を皇太子とする(紀略)。 984年〈永観2 甲申〉 10・10 花山天皇 ...
9. 花山天皇入那智苦行 (見出し語:花山天皇)
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10. 花山天皇出家 (見出し語:花山天皇)
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12. 花山天皇出家日時 (見出し語:花山天皇)
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13. 花山天皇創始家作造合 (見出し語:花山天皇)
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14. 花山天皇山陵 (見出し語:花山天皇)
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15. 花山天皇巡禮 (見出し語:花山天皇)
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16. 花山天皇撰拾遺和歌集(見出し語:花山天皇)
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17. かざんてんのうりょう【花山天皇陵】京都市:北区/松原村地図
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18. 藤原道兼勸出家於花山天皇 (見出し語:藤原道兼)
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20. あさ‐いち【朝市】
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21. 安倍晴明
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22. あべのせいめい【安倍晴明】
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若くして卜占の技に長じていたことを暗示する。その技の優秀さを物語る挿話にはこと欠かないが、ことに著名なのは花山天皇の譲位を天体の異常な現象からみごとに予告したと ...
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25. 一条天皇
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26. いちじょうてんのう【一条天皇】
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諱は懐仁(やすひと)。永観二年(九八四)八月、従兄にあたる花山天皇の東宮に立った。時に五歳。寛和二年(九八六)六月二十三日、花山天皇の出家の事件によって七歳で践 ...
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勅旨田をあてている(同四年三月二五日「山城国紀伊郡司解案」東寺百合文書)。永観二年(九八四)花山天皇に譲位した円融上皇は、寛和二年(九八六)に奈良東大寺戒壇院に ...
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えられていたが,天皇は母安子の遺言を尊重したのである。兼通の死後は実頼の子頼忠が関白となる。花山天皇(冷泉皇子)に譲位後はしばしば遊楽を行い,政治にも発言し,ま ...
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37. 王
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40. 大鏡 155ページ
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