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三条天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『三条天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
三条天皇
さんじょうてんのう
九七六 - 一〇一七
一〇一一―一六在位。貞元元年(九七六)正月三日、冷泉天皇の第二皇子として誕生。母は藤原兼家の女超子。諱は居貞。天元元年(九七八)十一月二十日、親王宣下。寛和二年(九八六)七月十六日、十一歳で兼家の南院第において元服。同日、立太子。寛弘八年(一〇一一)六月十三日、三十六歳で一条天皇より受禅、同年十月十六日、即位。長和五年(一〇一六)正月二十九日、敦成親王(後一条天皇)に譲位。天皇の在位中は藤原道長の全盛期で、しばしば軋轢があったが、天皇の眼病による皇位継承問題がおこると、道長は外孫の敦成親王の擁立を図り、天皇は、皇子敦明親王を皇太子に立てることで、みずからも譲位した。長和五年二月十三日、太上天皇の尊号を奉られ、寛仁元年(一〇一七)四月二十九日出家、法名を金剛浄と称した。同年五月九日、三条院で崩御、四十二歳。藤原済時の女〓子所生の子に、小一条院敦明親王・敦儀親王・敦平親王・師明親王・当子内親王・〓子内親王、道長の女妍子所生の子に禎子内親王がある。また、『後拾遺和歌集』『詞花和歌集』『新古今和歌集』『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』などに歌什が残されている。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一一 寛仁元年五月九日条
(加藤 友康)

北山陵(きたやまのみささぎ)

京都市北区衣笠西尊上院町にあり、南南西に面する円丘。寛仁元年(一〇一七)五月十二日蔵骨の地を検見し、同夜入棺、ついで船岡山の西石陰(いわかげ)にて火葬、遺骨を北山の小寺中に納めた。陵所はその後所伝を失い、江戸幕府の探陵の際も不明で、明治二十二年(一八八九)六月に尊上院(三条院の訛称かとの説あり)と称する所にある当所を陵として修理を加えた。火葬塚は京都市北区衣笠鏡石町にあり、一条天皇火葬塚と同域である。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一一 寛仁元年五月十二日条、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)

所領

三条天皇は藤原兼家の外孫であるため、同道長とは不和であった。天皇がまだ東宮であった寛弘元年(一〇〇四)三月十五日夜、道長邸に入った盗は、東宮領摂津柴嶋(くにじま)荘の荘司の親子だとの情報が道長の耳に入っている。天皇は眼疾にかかり、しかも精神上の負担も重く思い悩んで、後院領のうち冷泉院を道長に譲ろうとした。道長は、古くから帝王領であるのを、今さら自分の私領に加えるのはよろしくない、と返献した。これを記録した『大鏡』には、帝王の代々の渡領であり、朱雀院と同じことだとある。後院領から冷泉院だけを抽出して道長に与えようとのことであろう。天皇の皇女のうちの陽明門院禎子内親王は、天皇崩御の寛仁元年(一〇一七)五月には五歳であったが、あるとき天皇から三条院の公験を与えられて、養育先の生母の里方道長邸に帰ってきた。道長はこれを見て「反古と思い打ち棄てず持ち帰られた」と興じたと『大鏡』にみえる。三条天皇領は多くない。しかし歴代天皇が伝領する後院領は、後一条天皇に伝え、また三条院勅旨田も顕在する。
[参考文献]
『大日本史料』二ノ一一 寛仁元年六月二十四日条
(奥野 高広)


日本大百科全書(ニッポニカ)
三条天皇
さんじょうてんのう
[976―1017]

第67代天皇(在位1011~16)。冷泉(れいぜい)天皇第2皇子。母は藤原兼家(かねいえ)の女(むすめ)超子(ちょうし)。諱(いみな)は居貞。986年(寛和2)立太子、1011年(寛弘8)即位したが、このとき超子はすでに亡く、有力な後見を欠き、在位5年の間、絶えず政権を掌握していた藤原道長(みちなが)の専横に悩まされた。天皇が藤原済時(なりとき)の女〓子(かいし)を皇后にたてようとしたとき、道長は他の公卿(くぎょう)とともに参内せず、立后の儀を妨害し、また自分の外孫である敦成(あつひら)親王の1日も早い即位を望み、三条天皇に譲位を迫った。天皇は皇女禎子(ていし)内親王を道長の息頼通(よりみち)に降嫁させることを図り、道長の意を和らげようとしたが、眼疾に脚気(かっけ)が加わり、退位のやむなきに至った。陵墓は京都北山陵。
[森田 悌]



世界大百科事典
三条天皇
さんじょうてんのう
976-1017(貞元1-寛仁1)

第67代に数えられる天皇。在位1011-16年。冷泉天皇第2皇子,母は女御超子(藤原兼家の女)。諱(いみな)は居貞。986年(寛和2)7月従弟の一条天皇即位に際し元服,立太子。1011年(寛弘8)危篤の一条天皇の譲位をうけた。天皇は執政の左大臣道長と不和で,とくに即位の翌年女御姸子(けんし)(道長の女)の立后に引き続き,女御娍子(じようし)(藤原済時の女)を道長の意に反して立后させ,道長はその儀式を妨害するなどの事があり,対立を深めた。道長は天皇の眼病が重くなり政務にさしつかえるようになると譲位を迫り,天皇はそれに対し道長を摂政に准じて政務をみさせ,位に止まろうとしたが,度重なる内裏の焼失等もあって失意のうちに,娍子の生んだ敦明(あつあきら)親王の立太子を条件に,16年(長和5)正月一条天皇皇子で道長女の彰子の生んだ東宮敦成親王(後一条天皇)に譲位。翌年5月没した。おもな皇子女に敦明・敦儀・敦平・師明各親王,当子・禔子・禎子(後三条母)各内親王などがいる。陵は北山陵(京都市北区)。
[黒板 伸夫]

[索引語]
藤原道長
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