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後冷泉天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『後冷泉天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう
一〇二五 - 六八
一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一〇三六)十二月二十二日、親王宣下。長暦元年(一〇三七)七月二日、十三歳で元服。同年八月十七日、後朱雀天皇の皇太子となる。寛徳二年(一〇四五)正月十六日、二十一歳で受禅し、同年四月八日に即位。治暦四年(一〇六八)四月十九日、高陽院において崩御。四十四歳。御記として、『後冷泉院御記』十九巻があったことが、『殿暦』天永三年(一一一二)五月二十二日条、『中右記』同月二十五日条などにみえるが、今に伝わらない。また、『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『新古今和歌集』『玉葉和歌集』などに歌什が残されている。
[参考文献]
角田文衛「後冷泉朝の問題」(『古代学』二七ノ一)
(加藤 友康)

円教寺陵(えんきょうじのみささぎ)

京都市右京区竜安寺朱山(しゅうやま)、竜安寺内にある。南面する円丘で、後朱雀・後三条天皇陵と東西に並び三陵同域である。治暦四年(一〇六八)五月五日船岡の西野に火葬、遺骨を仁和寺内にある円教寺に安置した(仁和寺山に置くと記するものもある)。陵所を明記したものはなく、『中右記』嘉承二年(一一〇七)七月十二日条に後三条天皇陵の付近にあったように記されているが、中世にはその所伝を失った。幕末修陵の際、現所を陵と定めて修補を加えた。火葬塚は京都市北区紫野上御輿町にある。
[参考文献]
谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう
[1025―1068]

第70代天皇(在位1045~68)。名は親仁(ちかひと)。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。万寿(まんじゅ)2年8月3日誕生。母は贈皇太后藤原嬉子(きし)(太政(だいじょう)大臣道長の女(むすめ))。1037年(長暦1)8月立太子、45年(寛徳2)4月即位。在位中は藤原氏の摂関政治が盛んで、関白頼通(よりみち)の専権が目だつ。宇治に平等院を建立して優美を尽くした頼通は、67年(治暦3)天皇の行幸を仰いで准三后(じゅさんごう)に叙され、「名は君臣なれど義は父子の如(ごと)し」との勅語を賜るほど強大な権勢を示した。しかし頼通には次代に外戚(がいせき)の地位を維持できない状況のなかで、51年(永承6)には陸奥(むつ)に前九年の役が起こって辺境が動揺、また新立荘園(しょうえん)停止の気運が高まるなど、天皇の治世末期には、全盛を極めた摂関政治にも陰りが生じていた。治暦(じりゃく)4年4月19日没。陵墓は京都市右京区竜安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円教寺陵。
[谷口 昭]



日本人名大辞典
後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう
1025−1068
平安時代中期,第70代天皇。在位1045-68。
万寿2年8月3日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。母は藤原嬉子(きし)。父の死により即位。母の兄藤原頼通が先帝時代につづき関白をつとめる。在位中,浄土思想がさかんになり,宇治に平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)がつくられた。また陸奥(むつ)安倍氏による前九年の役がおこった。治暦(じりゃく)4年4月19日死去。44歳。墓所は円教寺陵(えんきょうじのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は親仁(ちかひと)。日記に「後冷泉院御記」。
【格言など】岩まより流るる水は早けれどうつれる月の影ぞのどけき(「後拾遺和歌集」)
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後冷泉天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 238
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検索コンテンツ
1. 後冷泉天皇
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第70代天皇(在位1045~68)。名は親仁(ちかひと)。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。万寿(まんじゅ)2年8月3日誕生。母は贈皇太后藤原嬉子(きし)(太政 ...
2. ごれいぜい‐てんのう[‥テンワウ]【後冷泉天皇】
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第七〇代の天皇。名は親仁(ちかひと)。後朱雀天皇の皇子。母は藤原道長の女嬉子。寛徳二年(一〇四五)即位。在位二四年。関白藤原頼通の時代で、在位中に「前九年の役」 ...
3. ごれいぜいてんのう【後冷泉天皇】
国史大辞典
一〇二五―六八 一〇四五―六八在位。万寿二年(一〇二五)八月三日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第一王子として誕生。母は藤原道長の女嬉子。諱は親仁。長元九年(一 ...
4. 後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)
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5. ごれいぜいてんのう【後冷泉天皇】
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1025−1068 平安時代中期,第70代天皇。在位1045-68。万寿2年8月3日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。母は藤原嬉子(きし)。父の死により ...
6. 親仁親王・後冷泉天皇
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1・16 後朱雀天皇 譲位、 親仁親王(後冷泉天皇) 受禅、 尊仁親王 を皇太子とする(扶桑略記)。 1045年〈寛徳2 乙酉⑤〉 4・8 後冷泉天皇 即位(扶 ...
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日本歴史地名大系
正称は後冷泉天皇円教寺陵。天皇は後朱雀天皇第一皇子で母は藤原嬉子(道長女)。「扶桑略記」治暦四年(一〇六八)四月一九日条に「天皇於〓高陽院中殿 ...
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9. 一条院
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10. いちじょういん【一条院】
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11. いちじょういんあと【一条院跡】京都市:上京区/聚楽学区/飛騨殿町地図
日本歴史地名大系
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12. いちはらの【市原野】
国史大辞典
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13. いまみやじんじゃ【今宮神社】京都市:右京区/法金剛院村地図
日本歴史地名大系
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14. いわかげ【石陰】京都市:北区/大北山村地図
日本歴史地名大系
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15. いんのちょうはじめ【院庁始】
国史大辞典
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16. うさむら【宇佐村】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区
日本歴史地名大系
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17. 宇治拾遺物語 23ページ
日本古典文学全集
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18. 宇治拾遺物語 42ページ
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19. 宇治拾遺物語 67ページ
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いくつもいくつも、の意。現在の錦小路。古くは屎小路・具足小路(拾芥抄)と呼ばれたが、天喜二年(一〇五四)、後冷泉天皇の宣旨により錦小路と改名された(前田家本『二 ...
20. 宇治拾遺物語 165ページ
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五)。父は一条天皇、母は道長の娘彰子(九八八~一〇七四)。寛徳二年(一〇四五)正月十六日、後冷泉天皇に譲位、十八日、出家して崩御。重体に陥っておられた時。死後に ...
21. うじりょう【宇治陵】京都府:宇治市/木幡村
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条天皇皇后威子・後朱雀天皇女御生子・後三条天皇姫茂子・一条天皇皇后彰子・後冷泉天皇皇后歓子・堀河天皇女御苡子・後冷泉天皇皇后寛子・宇多天皇皇子敦実親王・冷泉天皇 ...
22. 歌合
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の歌合を収めている。その最下限は1056年(天喜4)の皇后宮歌合であるが,68年(治暦4)後冷泉天皇の死とともに編集事業は停止し,草稿本のまま近衛家に伝襲される ...
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24. 栄花物語 220ページ
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、の意。親仁親王と章子内親王が互いに結婚相手としてふさわしいことをいう。後年、章子内親王は後冷泉天皇(親仁親王)の中宮となる。→巻三十六〔一七〕。「げに」は「い ...
25. 栄花物語 305ページ
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→二六六ページ注二九。源政隆女。後冷泉天皇皇后、四条宮寛子(頼通女、母は源祇子)に仕えた。『四条宮下野集』がある。『後拾遺集』哀傷、『今鏡』星合ひは、伊賀少将( ...
26. 栄花物語 335ページ
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27. 栄花物語 336ページ
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28. 栄花物語 339ページ
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31. 栄花物語 370ページ
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32. 栄花物語 374ページ
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33. 栄花物語 383ページ
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34. 栄花物語 471ページ
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「わが女ならましかば、 〔一〇〕 内裏に。主語は中宮賢子。主語は白河天皇。「こなた」は、中宮賢子の直廬。後冷泉天皇に仕えた式部の命婦という女房。源顕房が式部の ...
35. えいしょう【永承】
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平安時代、後冷泉天皇の代の年号。寛徳三年(一〇四六)四月一四日代始により改元。関白藤原頼通の時代。永承八年(一〇五三)正月、天喜と改元された。出典は「尚書」の「 ...
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37. え‐ぶっし[ヱ‥]【絵仏師】
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38. えんきょうじのみささぎ【円教寺陵】
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39. えんしゅうじのみささぎ【円宗寺陵】 : 後三条天皇
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)、竜安寺内にある(宮内庁編『陵墓要覧』は「えんそうじのみささぎ」とよんでいる)。後朱雀・後冷泉天皇陵と東西に並び、南面する円丘で三陵同域である。延久五年(一〇 ...
40. えんじょうじのみささぎ【円乗寺陵】 : 後朱雀天皇
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日に香隆寺の乾原にて火葬、遺骨を仁和寺内の円教寺に安置した。崩後十年天喜三年(一〇五五)に後冷泉天皇が天皇の素志をついで、円教寺内に新堂を建立して円乗寺と称した ...
41. えんじようじあと【円乗寺跡】京都市:右京区/龍安寺門前村地図
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れる。円乗寺は後朱雀天皇発願の御願寺で、在位中に落慶されるべきであったが死去したことにより後冷泉天皇が引継ぎ、天喜三年一〇月二五日に、正月の御斎会に準じて落慶供 ...
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「京都御役所向大概覚書」も同天皇陵を「小野郷上村ニアリ」と当地に比定する。また治暦四年(一〇六八)に没した後冷泉天皇についても、「山城名跡巡行志」「山州名跡志」 ...
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『今鏡』の記事に最も近い。実話をもとにしたもので、ある雪の早朝に白河院は小野里に住む皇太后(藤原歓子、後冷泉天皇の皇后)のもとに雪見に訪れようと思い立った。随身 ...
45. 懐旧録 サンスクリット事始め 27ページ
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この一句の典拠たる『仏祖統紀』の一節を引いてみると、 仏祖統紀第四十五-宋ノ仁宗皇帝ノ嘉祐七年(皇紀、後冷泉天皇ノ康平五年壬寅、源 頼義陸奥ヲ平グ。西暦千六 ...
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敦儀親王や済時男の通任が住んでいた。のち藤原師実に伝わり、造営を行なったが、太皇太后藤原寛子(頼通女、後冷泉天皇皇后)の御所にもなっていたことが『後二条師通記』 ...
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日本国語大辞典
何処転之哉」*朝野群載‐一五・永承五年〔1050〕一〇月一八日・後冷泉天皇泰山府君都状「仍為〓攘 ...
48. かみやさとむら【上八里村】石川県:小松市/旧能美郡地区
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49. かやいんあと【高陽院跡】京都市:中京区/梅屋学区/中之町地図
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なお長久四年(一〇四三)一二月一日後朱雀天皇が遷幸し、里内裏としたのをはじめ、天喜元年(一〇五三)七月には後冷泉天皇の里内裏となった。しかし翌年一月八日には焼亡 ...
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応神天皇陵に治定される誉田山陵(誉田御廟山古 墳。前方後円墳)の後円部の南方一町余のところに、平安中期の後冷泉天皇の時代に社殿 を造営したと伝える、誉田山陵(応 ...
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