1. 後三条天皇
日本大百科全書
平安後期の天皇(在位1068~72)。名は尊仁(たかひと)。長元(ちょうげん)7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は三条天皇皇女陽明門院( ...
2. 後三条天皇
世界大百科事典
下し得ない。天皇は学問に優れ,《後三条天皇御記》(《延久御記》)を記したが,逸文のほかは伝わらない。陵は円宗寺陵(京都市右京区)である。黒板 伸夫 後三条天皇御 ...
3. ごさんじょう‐てんのう[ゴサンデウテンワウ]【後三条天皇】
日本国語大辞典
第七一代天皇。後朱雀天皇の皇子。母は陽明門院禎子内親王。名は尊仁。治暦四年(一〇六八)即位。在位五年。母が藤原氏でなかったことから藤原氏の専横をさけて親政を行な ...
4. ごさんじょうてんのう【後三条天皇】画像
国史大辞典
楽岡の南の原に火葬、御骨を禅林寺内の旧房に安置した。しかし、のちに当陵を指して「円宗寺」(後三条天皇御願寺)と記しており、また当陵に派遣された権中納言藤原宗忠の ...
5. 後三條天皇(ごさんじょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 23ページ ...
6. ごさんじょうてんのう【後三条天皇】
日本人名大辞典
1034−1073 平安時代中期,第71代天皇。在位1068-73*。長元7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は禎子(ていし)内親王(陽明 ...
7. 後三条天皇[文献目録]
日本人物文献目録
『後三条帝荘園の御処分に関する文書』三上参次『後三条帝荘園の御処分に関する文書に付て』星野恒『後三条天皇の御事蹟』-『後三条天皇の御譲位に就きて』河野房雄 ...
8. 尊仁親王・後三条天皇・後三条上皇
日本史年表
尊仁親王(後三条天皇) 践祚(本朝世紀)。 1068年〈治暦4 戊申〉 7・21 後三条天皇 、太政官庁で即位(本朝世紀)。 1072年〈延久4 壬子⑦〉 1 ...
9. 後三條天皇停二新立莊園一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第2巻 538ページ ...
10. 後三條天皇停二重任功一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
政治部 洋巻 第1巻 1033ページ ...
11. 後三條天皇創二圓宗寺一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 862ページ ...
12. 後三條天皇國忌 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1278ページ ...
13. 後三條天皇學才 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1321ページ ...
14. 後三條天皇山陵 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 994ページ ...
15. 後三條天皇捨レ怨學二人材一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 562ページ ...
16. 後三條天皇改二升量一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
稱量部 洋巻 第1巻 62ページ ...
17. 後三條天皇法名 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 416ページ ...
18. 後三條天皇禁二奢侈一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 60ページ ...
19. 後三條天皇置二記録所一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 312ページ ...
20. 後三條天皇親修二繕扇一 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
服飾部 洋巻 第1巻 1293ページ ...
21. 後三條天皇遊覽御幸 (見出し語:後三條天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 738ページ ...
22. 後三条天皇 所領一覧[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
23. ごさんじょうてんのうしんき【後三条天皇宸記】
国史大辞典
後三条天皇の日記。『延久御記』ともいう。白河上皇が年中行事・臨時・神事・仏事に部類して、類聚二十巻・目録一巻を作らせたというから、宸記の「本書」はかなり大部の ...
24. ごさんじょうてんのうりょう【後三条天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
日本歴史地名大系
正称は
後三条天皇円宗寺陵。天皇は後朱雀天皇第二皇子、母は陽明門院禎子。「皇代記」に「延久五年五月七日崩
於但馬守高房大炊御門宅
...25. 後三条天皇御即位記(著作ID:2624513)
新日本古典籍データベース
ごさんじょうてんのうごそくいき 記録 治暦四 ...
26. 後三條天皇建二圓宗寺一 (見出し語:圓宗寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 855ページ ...
27. 於二圓宗寺一行二後三條天皇國忌一 (見出し語:圓宗寺【篇】)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1278ページ ...
28. 愛染王法
世界大百科事典
《愛染王鈔》を編んだと伝えられており,その弟子の成尊(せいそん)は1065年(治暦1)ごろ後三条天皇の即位を祈ってこの法を修し,成尊の弟子範俊(はんじゆん)もし ...
29. あいぜん‐みょうおう[‥ミャウワウ]【愛染明王】画像
日本国語大辞典
平安朝では調伏・降魔の修法の本尊とされ、仏・菩薩と違って一般人の信仰対象にはならなかった。後三条天皇の即位祈願・白河天皇の病気平癒祈願の折の本尊で、院政期頃から ...
30. 朝所
世界大百科事典
卿以下が酒食をしたためる場所として見えるが,内裏焼亡などのとき,天皇以下の御在所ともなり,後三条天皇の延久の記録所もここに置かれた。→太政官庁土田 直鎮 ...
31. あかなべのしょう【茜部庄】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
度に領域の確認と国司不入の権利を確認させ、かつ少しずつ権利の拡大を図っていったといえよう。後三条天皇による延久の庄園整理令と記録庄園券契所の設置は、当庄をめぐる ...
32. あぬのしょう【阿努庄】富山県:氷見市
日本歴史地名大系
康平四年(一〇六一)末に越中権守となった源家賢(醍醐源氏源高明の子孫)の私領となった。家賢は後三条天皇母禎子内親王宮にかかわる人物である。家賢のあと一子に相伝し ...
33. あん‐が【晏駕】
仏教語大辞典
「晏」は、晩い、「駕」は、乗り物の意 天皇、上皇の崩御を忌んでいうことば。崩御。 続本朝往生伝 後三条天皇 「夢中問之、人皆謂曰、此仙院御往生之相也。窹後人来告 ...
34. いしぐろのしょう【石黒庄】富山県:西礪波郡/福光町
日本歴史地名大系
て「石黒庄本公験事承暦二、八、廿三宣旨歟」とあることから、承暦二年(一〇七八)と考えられ、後三条天皇の御願寺円宗寺(現京都市右京区)領として立庄されたとみられる ...
35. 石黒荘
世界大百科事典
称して石黒三荘といった。小矢部川の上流域にひろがる広い荘園で,古代の川上郷の故地にあたる。後三条天皇が1070年(延久2)に建立した御室円宗寺の所領として,その ...
36. いずみえのしょう【泉江荘】
国史大辞典
四十余町歩の免判をうけ、続いて開発された五十町歩も十年後、源実基の国判を得て封物弁済を免除された。その後、後三条天皇の荘園整理によって実基の免除した五十町歩は収 ...
37. いちじきんりんほう【一字金輪法】
国史大辞典
られる。この法は主として敬愛を得るために祈修されるが、止雨・除病・延寿のためにも修される。後三条天皇の時に仁和寺・円宗寺の金堂にこの尊を安置して、毎年末にこの法 ...
38. いちはしのしょう【市橋庄】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
西の境界としていた。また当庄に国司が公役を切宛てたときには、自らの権威を高めようとして宮(後三条天皇皇女一品聡子内親王)御領の作人と号したという(同年一二月日「 ...
39. いでたちのしょう【出立荘】
国史大辞典
以後しばしば国・郡より年貢・雑役などの免除をうけた。したがって官省符荘ではなかったが、延久四年(一〇七二)の後三条天皇の荘園整理に際しては、寛徳二年(一〇四五) ...
40. いなりたいしゃ【稲荷大社】
国史大辞典
り、やがて二十二社の制が成立すると、その一つに加えられ、上七社第六に位するに至った。ことに後三条天皇は、延久四年(一〇七二)三月にははじめて当社に行幸のことがあ ...
41. いぬじにん【犬神人】
国史大辞典
宣旨により祇園四至の葬送法師を捕獲させた(『小右記』)とあるのがその初見である。その後延久二年(一〇七〇)後三条天皇より社領回りの広大な神領を下賜された時、四条 ...
42. 岩倉保養所
世界大百科事典
不減の霊泉が,眼疾および精神障害に卓効ありとする伝説があった。とくに1072年(延久4),後三条天皇の第3皇女佳子内親王が〈もののけ〉につかれたとき,天皇が神仏 ...
43. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】画像
国史大辞典
貞観十八年山城国に勅し石清水八幡護国寺料として米四十二石を充て、天慶三年(九四〇)には神封二十五戸をうけ、後三条天皇の代には荘園三十四所を有し、伊勢に次ぐ第二の ...
44. いわしみずはちまんぐう【石清水八幡宮】京都府:八幡市
日本歴史地名大系
。所領は朝廷などの寄せる封戸三〇〇余烟のほか、荘園も漸次開発寄進され、延久四年(一〇七二)後三条天皇によって当宮領荘園が整理された時には、荘園三四ヵ所(山城国六 ...
45. いわしみずもんじょ【石清水文書】
国史大辞典
それに先祖の本系について述べた一文は注目すべきである。その二は延久四年(一〇七二)九月五日太政官牒であり、後三条天皇の記録荘園券契所の設置により、同宮所領の存廃 ...
46. 院政画像
日本大百科全書
れたが、この説は具体的に裏づける明確な根拠に乏しいため、近年ではほとんど行われなくなった。後三条天皇は皇位を、藤原氏所生の貞仁(さだひと)親王(白河天皇)から源 ...
47. 院政画像
世界大百科事典
より,全面的な執政が定着し,一つの政治形態となったのである。 鎌倉初期の著書《愚管抄》に,後三条天皇は譲位後も政務をみる意志があったが,まもなく没したため,白河 ...
48. いんせい【院政】画像
国史大辞典
られ、源氏と一家のごとく振舞っていたといわれ、外戚の権威が藤・源二氏に分散したこと、(三)後三条天皇の藤原氏掣肘策が功を奏し、公卿の半ばは藤原氏以外のものが占め ...
49. いんせい‐じだい[ヰンセイ‥]【院政時代】
日本国語大辞典
摂関として藤原氏が政権を取った時代と、鎌倉幕府が朝廷に優越する政権となった時代との中間の時代と考えれば、後三条天皇即位の治暦四年(一〇六八)から後鳥羽上皇の退位 ...
50. いんせいじだい【院政時代】
国史大辞典
応徳三年(一〇八六)の白河天皇譲位に始まるが、摂関時代につぐ時代の意味で、治暦四年(一〇六八)の後三条天皇即位の年以後を含めるのが通説である。その終りは、あるい ...