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  11. 後三条天皇

後三条天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『後三条天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
後三条天皇
ごさんじょうてんのう
一〇三四 - 七三
一〇六八―七二在位。諱は尊仁(たかひと)。長元七年(一〇三四)七月十八日、東宮敦良親王(後朱雀天皇)の第二王子として誕生。母は三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)。同九年父親王の践祚後間もなく親王宣下をうけ、寛徳二年(一〇四五)正月、兄後冷泉天皇の践祚と同時に皇太弟となる。永承元年(一〇四六)十二月元服、ついで藤原能信の養女茂子を納れて妃とした。のちの白河天皇の生母である。爾来東宮に潜居すること二十四年、生母が藤原氏の出でないため、時の関白藤原頼通に忌憚され、東宮の地位すら脅かされたという。治暦四年(一〇六八)四月十九日、兄天皇の崩御のあと直ちに践祚し、関白には藤原教通を補したが、外戚の威権から解放された天皇は、積極的に親政を推進し、多くの治績を挙げた。そのうちでも特に有名なものは、荘園整理事業と公定枡(延久宣旨枡)の制定で、ことに荘園整理事業のため太政官に設置された記録荘園券契所(略して記録所)は、後世その性格を変えながらも再三復活され、あたかも天皇親政を象徴する機関のように見なされるに至った。また一方では皇室経済の強化を図り、各地に勅旨田を設定し、後三条院勅旨田の名で後世まで伝えられた。無実化した令制官田=供御稲田を改編して、山城・河内・摂津などに御稲田を設け、御稲供御人を定めたのも、この治世に始まるといわれる(『百官和秘抄』)。しかし在位わずか四年半で、延久四年(一〇七二)十二月八日位を皇太子貞仁親王(白河天皇)に譲り、同時に女御源基子の所生の皇子実仁親王を皇太弟に立てた。この譲位を天皇が院政を始めるためとする説が古くからあるが、確証はなく、病気のためとする説が有力であり、また実仁親王を東宮に立てるのも目的の一つと考えられている。翌五年四月、病のため落飾、法名を金剛行と称したが、五月七日大炊御門殿において崩御した。年四十。
[参考文献]
橋本義彦「貴族政権の政治構造」(『(岩波講座)日本歴史』四所収)
(橋本 義彦)

円宗寺陵(えんしゅうじのみささぎ)

京都市右京区竜安寺朱山(しゅうやま)、竜安寺内にある(宮内庁編『陵墓要覧』は「えんそうじのみささぎ」とよんでいる)。後朱雀・後冷泉天皇陵と東西に並び、南面する円丘で三陵同域である。延久五年(一〇七三)五月十七日神楽岡の南の原に火葬、御骨を禅林寺内の旧房に安置した。しかし、のちに当陵を指して「円宗寺」(後三条天皇御願寺)と記しており、また当陵に派遣された権中納言藤原宗忠の日記に「従〓円宗寺北大門大路〓北行一許町、下〓〓車、向〓其所〓、(中略)(此山陵在〓円融院四至〓、彼寺別当沙汰也)」(『中右記』嘉承二年(一一〇七)七月十二日条)とあることは、陵は禅林寺から円融寺の四至内に移されたものと思われる。円融寺は仁和寺の寺地内に建立されたものであるが、中世には衰退し、現在の竜安寺がその跡地であるといわれる。延慶元年(一三〇八)四月三十日に後宇多法皇が仁和寺・円宗寺に御幸の際「後三条院法華堂」に行っているが(『公秀公記』)、この法華堂の詳細は不明である。陵所はその後伝えるものはないが、幕末修陵の時、現陵を前記『中右記』の記事に合うものとして修補を加えた。
[参考文献]
谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)、上野竹次郎『山陵』下
(中村 一郎)

所領

後三条天皇親政の目的は、摂関家の勢力を削減することにあった。それが経済方面では荘園の整理であり、政治上では院政の実行となった。このため延久元年(一〇六九)設置された記録荘園券契所は、一定の期限後、もしくは券契の不明の不正な荘園は、これを収公して国有とする政策を推進した。関白藤原頼通の荘園についてもついに券契が出され、石清水八幡宮領三十四所のうち十三所を停廃させている。東大寺も、記録所の厳重な催促で文書を提出した。その結果収公された荘園の多くは、後三条天皇領に編入された。後三条院勅旨田がこれである。なお『東文書』にみえる「三条院勅旨田」を、三浦周行は「後三条院勅旨田」の後を略したものと解しているが、賛意を表し得ない。後三条天皇には、この勅旨田のほかに後院領があり、円宗寺を創建して勅願寺とした。これは白河天皇に伝えられ、安芸国後三条院勅旨田は、のち後宇多上皇領となっている。→延久の荘園整理(えんきゅうのしょうえんせいり)
[参考文献]
帝室林野局編『御料地史稿』、三浦周行『続法制史の研究』、中村直勝『天皇と国史の進展』(『中村直勝著作集』六)、竹内理三『律令制と貴族政権』二、段木一行「東寺領安芸国後三条院新勅旨田」(『法政史学』一九)
(奥野 高広)


日本大百科全書(ニッポニカ)
後三条天皇
ごさんじょうてんのう
[1034―1073]

平安後期の天皇(在位1068~72)。名は尊仁(たかひと)。長元(ちょうげん)7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は三条天皇皇女陽明門院(ようめいもんいん)禎子内親王。このころまでの天皇は藤原摂関(せっかん)家を外戚(がいせき)としていたから、皇族を母としたのはまれな存在であったが、父の遺言により皇位につくことができた。おもな施策としては以下のとおり。延久(えんきゅう)の荘園(しょうえん)整理令の発布(1069)と、これを実施するための記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)(記録所)の設置。新たな公定枡(ます)として延久の宣旨(せんじ)枡の指定と、これに基づき荘園・公領を問わず全国的に行う一国平均役の徴収。国衙(こくが)によって作成され、中世における土地の基本台帳となった大田文(おおたぶみ)の作成、全般的にみて藤原氏一族でも反摂関家的立場にあった中流貴族や、受領(ずりょう)層・皇族出身者の登用、成功(じょうごう)や重任(ちょうにん)を抑制しようとする政策などを行った。このような新政策は院政に継承され、中世的な国家体制への出発点ともなった。ただし、即位5年で譲位したことによる院政政治への意図については不明の点が多い。延久5年5月7日死去。御陵は京都市右京区竜安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円宗寺(えんしゅうじ)陵。
[川島茂裕]



世界大百科事典
後三条天皇
ごさんじょうてんのう
1034-73(長元7-延久5)

第71代に数えられる天皇。在位1068-72年。後朱雀天皇第2皇子,母は太皇太后禎子内親王(陽明門院)。諱(いみな)は尊仁。1045年(寛徳2)異母兄親仁親王(後冷泉天皇)即位に際し東宮となる。摂関家は直接外戚関係のない尊仁の立太子を喜ばず,関白頼通は女寛子を,彼の同母弟教通は女歓子を後冷泉天皇に入れたが子どもに恵まれず,尊仁は彼らの圧迫をうけながらもその地位を保ち,68年(治暦4)後冷泉天皇が没すると35歳で即位。頼通はその前年関白を辞し,教通が関白となる。天皇の母は頼通らの父道長と対立して不遇であった三条天皇の皇女であったし,頼通らの圧迫も経験したので,即位後は外戚関係の薄くなった摂関家を抑えて親しく政治を行い,村上源氏の源師房や,東宮時代から側近にあった学者出身の大江匡房らを重用した。しかし天皇は公明正大で,東宮時代に摂関家に同調して冷淡な態度をとった者でも能力あるものは用い,政治の刷新に努めた。1069年(延久1)2月,さきに新立荘園停止令が出された1045年(寛徳2)以後新置の荘園と,それ以前の荘園で券契不明で国務を妨げるものを停止し,同年閏10月に記録荘園券契所を設けた。摂関家が券契の提出を拒んだことが伝えられるが,実際には天皇の方針に従ったらしく,この延久荘園整理令はかなり効果があったと考えられる。天皇は一方で後三条勅旨田とよばれる皇室領を設置している。また公定価格を定める估価(こか)法や,標準の枡(宣旨枡)を定める斗升法など経済的施策を行った。また円宗寺(もと円明寺)を建て,1072年(延久4)ここで最勝・法華二会を修した。同年2月皇太子貞仁親王(白河天皇)に譲位,翌年5月没。なお天皇は譲位後,院政を行う意志があったとの説が古くからあるが,まだ結論は下し得ない。天皇は学問に優れ,《後三条天皇御記》(《延久御記》)を記したが,逸文のほかは伝わらない。陵は円宗寺陵(京都市右京区)である。
[黒板 伸夫]

[索引語]
後三条天皇御記 延久御記
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