1. 善仁親王・堀河天皇
日本史年表
丙寅②〉 12・19 堀河天皇 即位(後二条師通記)。 1089年〈寛治3 己巳〉 1・5 天皇 元服(後二条師通記)。 1107年〈嘉承2 丁亥⑩〉 7・19 ...
2. 堀河天皇
日本大百科全書
平安後期の天皇(在位1086~1107)。名は善仁(たるひと)。承暦(じょうりゃく)3年7月9日生まれ。白河(しらかわ)天皇の第2皇子、母は源顕房(あきふさ)の ...
3. 堀河天皇
世界大百科事典
1079-1107(承暦3-嘉承2) 第73代に数えられる天皇。在位1086-1107年。白河天皇第2皇子,母は中宮賢子(源顕房女,藤原師実養女)。諱(いみな) ...
4. ほりかわ‐てんのう[ほりかはテンワウ]【堀河天皇】
日本国語大辞典
第七三代天皇。白河天皇の皇子。名は善仁(たるひと)。母は右大臣源顕房の女。応徳三年(一〇八六)八歳で即位。在位二一年。当初は、白河法皇の院政時代であったが、長ず ...
5. ほりかわてんのう【堀河天皇】
国史大辞典
きょうじのみささぎ) 京都市右京区竜安寺朱山の竜安寺内北東部にあり、一条天皇陵の西に並ぶ。堀河天皇遺骸は、嘉承二年(一一〇七)七月二十四日香隆寺南西の野で火葬 ...
6. 堀河天皇(ほりかわてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 24ページ ...
7. ほりかわてんのう【堀河天皇】
日本人名大辞典
1079−1107 平安時代後期,第73代天皇。在位1087*-1107。承暦(じょうりゃく)3年7月9日生まれ。白河天皇の第2皇子。母は藤原賢子。父の譲位によ ...
8. 堀河天皇善二神樂曲一 (見出し語:堀河天皇)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第1巻 191ページ ...
9. 堀河天皇國忌 (見出し語:堀河天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1280ページ ...
10. 堀河天皇山陵 (見出し語:堀河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 995ページ ...
11. 堀河天皇建二尊勝寺一 (見出し語:堀河天皇)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 691ページ ...
12. 堀河天皇賢明 (見出し語:堀河天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1280ページ ...
13. ほりかわてんのうかそうづか【堀河天皇火葬塚】京都市:北区/等持院門前地図
日本歴史地名大系
[現]北区等持院東町 香隆寺跡の南方にある円墳。堀河天皇は白河天皇の第二皇子(母は源賢子)で、応徳三年(一〇八六)八歳で即位した。笛や笙などの音楽・芸能に長じた ...
14. ほりかわてんのうりょう【堀河天皇陵】京都市:右京区/龍安寺門前村/龍安寺朱山七陵地図
日本歴史地名大系
正称は
堀河天皇円教寺後陵。天皇は白河天皇第二皇子で母は藤原賢子(師実女)。「帝王編年記」嘉承二年(一一〇七)七月一九日条に「崩
堀川院
...15. 堀河天皇御即位部類記(著作ID:4399725)
新日本古典籍データベース
ほりかわてんのうごそくいぶるいき 部類記 ...
16. 後堀河天皇
日本大百科全書
鎌倉初期の天皇(在位1221~32)。名は茂仁(ゆたひと)。後鳥羽(ごとば)天皇の兄守貞(もりさだ)親王の第3子。母は藤原基家(もといえ)の娘北白河院(きたしら ...
17. 後堀河天皇
世界大百科事典
1212-34(建暦2-文暦1) 第86代に数えられる天皇。在位1221-32年。名は茂仁。後高倉院の第3王子。承久の乱に勝利した鎌倉幕府は,後鳥羽上皇の皇統を ...
18. ごほりかわ‐てんのう[ゴほりかはテンワウ]【後堀河天皇】
日本国語大辞典
第八六代天皇。高倉天皇の孫。守貞親王(後高倉院)の子。母は北白河院陳子。名は茂仁(ゆきひと)。早く十楽院に入って僧籍にあったが、承久三年(一二二一)幕府に迎えら ...
19. ごほりかわてんのう【後堀河天皇】画像
国史大辞典
(広橋)経光は、後堀河天皇から播磨国吉田荘の訴訟に対しての下問をうけている(『民経記』同年五月二十八日条)。その伝来は未詳だが、のち後嵯峨天皇に伝えられる。同年 ...
20. 後堀河天皇(ごほりかわてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 28ページ ...
21. ごほりかわてんのう【後堀河天皇】
日本人名大辞典
1212−1234 鎌倉時代,第86代天皇。在位1221-32。建暦(けんりゃく)2年2月18日生まれ。高倉天皇の孫。後高倉院(守貞親王)の皇子。母は藤原陳子( ...
22. 後堀河天皇 所領一覧[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
23. 於二安楽光院一行二後堀河天皇國忌一 (見出し語:安楽光院)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1283ページ ...
24. 岡屋関白記(著作ID:118898)
新日本古典籍データベース
おかのやかんぱくき 岡屋兼経公記 岡屋関白兼経記 岡屋殿御記 兼経卿記 後堀河天皇御譲位記 近衛兼経(このえかねつね) 日記 ...
25. 後堀河天皇國忌 (見出し語:後堀河天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1283ページ ...
26. 後堀河天皇山陵 (見出し語:後堀河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 999ページ ...
27. 後堀河天皇諡 (見出し語:後堀河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 946ページ ...
28. 於二尊勝寺一行二堀河天皇國忌一 (見出し語:尊勝寺【篇】)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1280ページ ...
29. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
蚕養国神社は全国に一社のみであるから、会津が養蚕の中心的地位にあったとみられる。康和五年(一一〇三)六月一〇日堀河天皇の病気の占いを実施した結果、その原因に諸国 ...
30. あおしまのしょう【青島庄】山梨県:西八代郡
日本歴史地名大系
京都長講堂は後白河法皇によって創建され、法皇没後は娘宣陽門院がその所領を管領した。近衛家実の娘長子を養女とし後堀河天皇の中宮とした宣陽門院は、寛元四年(一二四六 ...
31. あかまのしよう【赤馬庄】福岡県:宗像市/旧宗像市地区
日本歴史地名大系
(鷹司家文書/鎌倉遺文二三)には「赤馬庄鷹司院御仏事料所」とあり、宣陽門院から鷹司院長子(後堀河天皇皇后)に伝領していた。康元元年(一二五六)一一月二二日には姉 ...
32. あがたぬしほ【県主保】岡山県:井原市
日本歴史地名大系
備中西部の小田川の支流稲木川に沿った現井原市木之子町付近一帯に推定される。寛喜三年(一二三一)四月二五日の後堀河天皇宣旨(門葉記)に保名がみえ、比丘尼観如より綾 ...
33. あきこないしんのう【
子内親王】
日本人名大辞典
1231−1246 鎌倉時代,後堀河天皇の第3皇女。寛喜(かんぎ)3年9月29日生まれ。母は権(ごんの)大納言藤原兼良の娘。嘉禎(かてい)3年伊勢斎宮となるが, ...
34. あきのよのながものがたり【秋夜長物語】
国史大辞典
中世小説のうち、稚児(ちご)物語といわれる範疇に属する御伽草子。作者不詳。一巻。筋は後堀河天皇の代、西山の瞻西上人は比叡山東塔の勧学院の宰相の律師桂海といい、 ...
35. あさのしょう【厚狭庄】山口県:厚狭郡/山陽町/厚狭村
日本歴史地名大系
御祖神社(現京都市左京区の下鴨神社)の社領。「百錬抄」の寛治四年(一〇九〇)七月一三日条に、堀河天皇が御供田として賀茂上下両社に六〇〇余町の不輸租田を寄付したと ...
36. あざかのみくりや【阿射賀御厨】三重県:松阪市/大阿坂村
日本歴史地名大系
其子細見嘉承三年七月廿九日神宮注文并永久 宣旨、仍副進之」とあり、康和三年(一一〇一)八月二一日付の堀河天皇宣旨により、建立年限・四至・田畠本数を検注したこと、 ...
37. 排蘆小船(近世随想集) 321ページ
日本古典文学全集
『栄花物語』。四〇巻。世継物語とも。平安時代の歴史物語。作者は赤染衛門など諸説あるが不明。宇多天皇から堀河天皇までの一五代約二百年を、藤原氏の栄華を中心に描いた ...
38. 排蘆小船(近世随想集) 373ページ
日本古典文学全集
『国歌八論評』準則論「歌学は実にとるにたらず。詠歌は古今独歩の人也」。第九番目の勅撰集。二〇巻。後堀河天皇の命により定家が撰進し、鎌倉前期の文暦二年に成立した。 ...
39. あじおかのしょう【味岡庄】愛知県:小牧市
日本歴史地名大系
平時範に荘務を執行させる旨の中宮職庁下文(朝野群載)に「味岡荘」とあるのを初見とする。当時の堀河天皇中宮は後三条皇女篤子で、白河天皇の妹である。後に室町院(後堀 ...
40. あんか‐もんいん[‥モンヰン]【安嘉門院】
日本国語大辞典
後堀河天皇の准母(じゅんぼ)。高倉天皇の第二皇子守貞親王の娘。名は邦子。貞応三年(一二二四)院号を定められる。のち出家し、法号正如覚。承元三~弘安六年(一二〇九 ...
41. あんかもんいん【安嘉門院】
日本人名大辞典
承元(じょうげん)3年生まれ。母は北白河院。承久(じょうきゅう)3年内親王となり,同母弟の後堀河天皇の准母として皇后位につく。貞応(じょうおう)3年院号をうけ, ...
42. あんかもんいんりょう【安嘉門院領】画像
国史大辞典
後堀河天皇は承久三年(一二二一)十一月、同母姉邦子(一二〇九―八三、父後高倉院、母は北白河院藤原陳子)に内親王を宣下。同十二月後堀河天皇の准母として立后宣下、 ...
43. あんき‐もんいん[‥モンヰン]【安喜門院】
日本国語大辞典
後堀河天皇の皇后。藤原公房の娘。名は有子。貞応二年(一二二三)皇后に立ち、三年後院号を定められる。承元元~弘安九年(一二〇七~八六) ...
44. あんきもんいん【安喜門院】
日本人名大辞典
1207−1286 鎌倉時代,後堀河天皇の皇后。承元(じょうげん)元年生まれ。三条公房(きんふさ)の娘。母は藤原修子。貞応(じょうおう)元年入内(じゅだい)し, ...
45. あんてい【安貞】
日本国語大辞典
鎌倉時代、後堀河天皇の代の年号。嘉祿三年(一二二七)一二月一〇日、赤斑瘡(あかもがさ)の流行により改元。安貞三年(一二二九)三月五日に至り寛喜元年となる。執権北 ...
46. あんてい【安貞】
国史大辞典
後堀河天皇の時の年号(一二二七―二九)。嘉禄三年十二月十日改元。疱瘡の流行による。文章博士菅原資高の勘申。出典は『周易』坤「安貞之吉、応 ...
47. あんらくぎょういん【安楽行院】
国史大辞典
これを持明院と称したが、その子孫がここに住んで家をも持明院家と称した。承久の乱(一二二一)後、後堀河天皇が即位したが、その父後高倉院の妃陳子が通基の子である持明 ...
48. あんらくぎよういんあと【安楽行院跡】京都市:伏見区/深草村地図
日本歴史地名大系
子(北白河院)を妃とした守貞親王(後高倉院)は、持明院邸に住することが多く、また陳子所生の後堀河天皇もこの邸を仙洞とした。その後も後嵯峨・後深草・伏見天皇などが ...
49. いいだのしょう【飯田庄】静岡県:周智郡/森町
日本歴史地名大系
田庄」とあり、京都蓮華王院領。「勘仲記」弘安六年(一二八三)一〇月九日条によれば、室町院(後堀河天皇皇女暉子内親王)が安嘉門院(邦子内親王)三十五日忌曼陀羅供の ...
50. 郁芳門院
世界大百科事典
喪によって斎宮を退下して帰京,六条殿に住したため六条院と称せられる。91年(寛治5)同母弟の堀河天皇の准母として立后し,中宮となる。ここに妻后でなくして后位に登 ...