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国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
崇徳天皇
すとくてんのう
一一一九 - 六四
一一二三―四一在位。諱は顕仁。元永二年(一一一九)五月二十八日、鳥羽天皇の第一皇子として誕生。母は藤原公実の女、皇后璋子(待賢門院)。保安四年(一一二三)正月二十八日、曾祖父白河法皇の意向により、父天皇の禅りを受け五歳で践祚し、二月十九日即位の儀を挙げた。しかし大治四年(一一二九)法皇が崩じ、鳥羽上皇の執政が始まると、天皇をとりまく情勢はきびしくなり、永治元年(一一四一)十二月七日、心ならずも上皇の寵妃美福門院の生んだ近衛天皇に位を譲った。それでもなお皇子重仁親王の即位に望みをかけたが、久寿二年(一一五五)七月、近衛天皇の崩後をうけて崇徳上皇の同母弟後白河天皇が践祚し、ついでその皇子守仁親王(二条天皇)が立太子したため、その望みを絶たれ、ついに翌保元元年(一一五六)七月、鳥羽法皇の崩御を機に兵を挙げるに至った。保元の乱である。しかし合戦に敗れた上皇は、讃岐国に配流され、帰京の願いも空しく、長寛二年(一一六四)八月二十六日、四十六歳をもって配所に悶死した。その怨念は怨霊となって世人をおびやかしたので、治承元年(一一七七)七月朝廷は上皇の讃岐院の号を改めて崇徳院の諡号を贈り、さらに保元の戦場跡に粟田宮を建ててその霊を慰めた。なお天皇は和歌に秀で、歌聖西行とも親交があった。また実は白河天皇の皇子で、そのため鳥羽天皇は「叔父子」とよんで白眼視したという噂が伝えられた。もちろん明確な根拠があるわけではなく、保元の乱の結果などから造作された俗説とも考えられる。→保元の乱(ほげんのらん)
(橋本 義彦)

白峯陵(しらみねのみささぎ)

 香川県坂出市青海(おうみ)町にある。白峰(綾松山)の山頂に位置し、白峰寺境内の頓証寺の北西に接する。当所は『愚昧記』治承元年(一一七七)五月十七日条によると、勅して天皇の火葬所を山陵と称し、汚穢を防ぐため隍を掘り、民家を定めて陵の管理をさせ、陵側に一堂を建てて法華三昧を勤修し菩提をとむらわせた所である。この一堂は、讃岐国法華堂、讃岐国御影堂、頓証寺、崇徳院御廟などと称し、堂には源頼朝が文治元年(一一八五)四月所領を寄進し、朝廷が建久二年(一一九一)閏十二月所領を付し、常時追善供養を行わせた。元禄の諸陵探索時にも所伝明白で「古来より御廟所廻りに玉垣いたし、雑人入込不〓申候」と報告されている。陵は高さ約二・四メートルの方形墳で、元は東南に面し、陵前に廟堂があったが、慶応の修陵の折に廟堂と区分し、改めて西南面に拝所を設けた。
[参考文献]
上野竹次郎『山陵』下
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
崇徳天皇
すとくてんのう
[1119―1164]

第75代とされる天皇(在位1123~41)。名は顕仁(あきひと)。鳥羽(とば)天皇第一皇子。母は待賢門院(たいけんもんいん)藤原璋子(しょうし)。元永(げんえい)2年5月28日誕生。実父は鳥羽の祖父白河院(しらかわいん)で、鳥羽は崇徳のことを「叔父子(おじご)」とよんでいたといわれる(『古事談』)。1123年(保安4)5歳で立太子、即日鳥羽より譲位。1141年(永治1)3歳の皇太弟体仁(なりひと)親王(近衛(このえ)天皇)に譲位。しかし院政は鳥羽がとり続け、1155年(久寿2)後白河(ごしらかわ)即位により崇徳第一皇子重仁(しげひと)親王即位の望みも断たれた。失意のなかで翌1156年(保元1)藤原頼長(よりなが)と組み保元(ほうげん)の乱を起こしたが敗れて讃岐(さぬき)(香川県)に流される。長寛(ちょうかん)2年8月26日配所で没す。そのため讃岐院ともよばれる。陵墓は香川県坂出(さかいで)市の白峰(しらみね)陵。
[飯田悠紀子]



世界大百科事典
崇徳天皇
すとくてんのう
1119-64(元永2-長寛2)

第75代に数えられる天皇。在位1123-41年。鳥羽天皇第1皇子,母は中宮璋子(待賢門院,藤原公実女,白河院養女),実は鳥羽の祖父白河院が璋子に生ませた子といわれる。諱(いみな)は顕仁。1123年(保安4)白河の意向で鳥羽の譲りをうけて即位したが,白河が没し鳥羽院政の時代に入ると両者の対立が生じた。41年(永治1)異母弟(美福門院得子所生)の近衛天皇に譲位。55年(久寿2)同天皇が17歳で没すると,璋子が生んだ後白河天皇が即位。当時兄の関白藤原忠通と対立し主流から疎外された左大臣頼長は不遇な崇徳上皇と結び,鳥羽院が没すると挙兵(保元の乱)。敗れた崇徳上皇は讃岐に配流,64年怨みを抱いて没した。陵は白峯陵(香川県坂出市)。
[黒板 伸夫]

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36. いばのしょう【伊庭庄】滋賀県:神崎郡/能登川町/伊庭村
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39. いやのしょう【揖屋庄】島根県:八束郡/東出雲町/揖屋村
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,まだ政務は天皇と上皇の両方に相分かれたといわれる状況であったが,ついで孫の鳥羽天皇,曾孫の崇徳天皇がいずれも幼弱で即位したため,上皇の執政が全面的に本格化した ...
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