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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
近衛天皇
このえてんのう
一一三九 - 五五
一一四一―五五在位。諱は体仁(なりひと)。保延五年(一一三九)五月十八日、鳥羽上皇の皇子として誕生。母は権中納言藤原長実の女得子(美福門院)。同年七月親王となり、八月早くも皇太弟に立つ。永治元年(一一四一)十二月、崇徳天皇の譲りをうけて践祚。久安六年(一一五〇)元服するや、藤原忠通・頼長兄弟の養女が相ついで入内立后し、兄弟の抗争激化の因となった。久寿二年(一一五五)七月二十三日、近衛殿において崩御。年十七。
(橋本 義彦)

安楽寿院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)

 京都市伏見区竹田内畑町の安楽寿院の南側にある近衛天皇の陵。近衛天皇は久寿二年(一一五五)八月一日葬送、船岡の西の山作所で火葬に付し、翌二日御骨は知足院に納め、火葬の跡に墳丘を築いた。これが近衛天皇火葬塚(京都市北区紫野花ノ坊町)である。以後八年、長寛元年(一一六三)十一月二十八日、御骨を知足院から鳥羽東殿の多宝塔へ改葬した。本塔は美福門院の御陵料として、保元二年(一一五七)十二月落成、鳥羽天皇陵三重塔の本御塔に対し、新御塔と称されたが、美福門院が崩御すると、遺命により高野山に納骨したので、空塔となっていたものである。以後、永仁四年(一二九六)・天文十七年(一五四八)両度の火災にも類焼を免れたが、慶長元年(一五九六)閏七月十二日の伏見大地震で転倒し、十年後の同十一年になって、豊臣秀頼の命で、片桐且元が再建した。以来、寛永二十一年(一六四四)・元禄四年(一六九一)・寛政八年(一七九六)の大修理を経て、昭和九年(一九三四)解体修理を行い、翌十年竣工した。この間所伝に錯乱があり、元禄の陵改めでは鳥羽天皇陵とされたが、文久の修陵のおり、近衛天皇陵に復した。陵は木造本瓦葺二層の多宝塔で、周囲に透塀を巡らし、総高二三・一メートル、初層は柱真々五・八九メートル四方、東に面する。塔内は柱・天井・壁面に彩色の仏画を描き、内陣須弥壇に木造阿弥陀如来坐像(高さ一・一五メートル)と木造大日如来坐像(高さ〇・五六メートル)を安置する。塔の床下には〇・八五メートル四方の仙骨を納める石櫃が埋設されている。
[参考文献]
宮内省内匠寮編『安楽寿院南陵多宝塔修繕工事略誌』、上野竹次郎『山陵』下、谷森善臣『山陵考』(『(新註)皇学叢書』五)
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
近衛天皇
このえてんのう
[1139―1155]

平安後期の天皇(在位1141~55)。名は体仁(なりひと)。保延(ほうえん)5年8月15日生まれ。鳥羽(とば)天皇の第9皇子、母は藤原長実(ながざね)の娘美福門院(びふくもんいん)得子。父鳥羽上皇は白河法皇によって強引に即位させられた崇徳(すとく)天皇を排除するため、体仁を生後3か月で立太子させ3歳で皇位につけ、自身は出家して法皇となり専制政治を展開した。天皇が12歳で元服したのを機に、藤原忠通(ただみち)・頼長(よりなが)兄弟の間に立后の競争が行われ、頼長の養子多子が皇后に、忠通の養女呈子が中宮にそれぞれ擁立されたが、摂関家(せっかんけ)内部の対立は深まり、保元(ほうげん)の乱の遠因となった。久寿(きゅうじゅ)2年7月23日天皇が17歳で若死にすると、崇徳上皇や藤原忠実(ただざね)・頼長父子らの呪詛(じゅそ)であるとの噂(うわさ)が流れた。墓は京都市伏見(ふしみ)区竹田内畑(たけだうちはた)町の安楽寿院南陵。
[川島茂裕]



日本人名大辞典
近衛天皇
このえてんのう
1139−1155
平安時代後期,第76代天皇。在位1142*-55。
保延(ほうえん)5年5月18日生まれ。鳥羽(とば)天皇の皇子。母は藤原得子(とくし)(美福門院)。異母兄崇徳(すとく)天皇の譲位をうけ,永治(えいじ)元年3歳で即位。在位中,父鳥羽上皇が院政をおこなう。久寿2年7月23日17歳で夭折。その死は呪詛(じゅそ)によるとの噂(うわさ)が流れた。墓所は安楽寿院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は体仁(なりひと)。
【格言など】虫の音の弱るのみかは過ぐる秋を惜む我が身ぞまづ消えぬべき(「玉葉和歌集」)
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36. かどまいちばんかみむら【門真一番上村】大阪府:門真市地図
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