1. ごしらかはてんわう【後白河天皇】
全文全訳古語辞典
[人名]第七十七代天皇。一一五五年(久寿二)即位したが三年で譲位したものの、その後平清盛による幽閉期間を挟み、三十余年にわたって院政を行う。保元・平治の乱から源 ...
2. 後白河天皇画像
日本大百科全書
その手順として親王の父である後白河天皇を即位させたのである。このことは皇位継承についての崇徳(すとく)上皇の望みを完全に断つものであった。そのため翌1156年鳥 ...
3. 後白河天皇[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「後白河天皇画像」 東京大学史料編纂所所蔵模写 ©東京大学史料編纂所 ...
4. 後白河天皇
世界大百科事典
契機に,皇位継承問題に摂関家の内紛が絡み,武士をとりこむ形で保元の乱が勃発する。勝利をおさめた後白河天皇側は崇徳上皇を配流し,信西を中心に天皇親政の体制をかため ...
5. ごしらかわ‐てんのう[ゴしらかはテンワウ]【後白河天皇】
日本国語大辞典
第七七代天皇。鳥羽天皇の第四皇子。母は待賢門院璋子。名は雅仁。法名、行真。久寿二年(一一五五)即位。保元三年(一一五八)譲位し、天皇五代、三四年の間、院政を行な ...
6. ごしらかわてんのう【後白河天皇】画像
国史大辞典
不満とし、兄忠通と対立していた左大臣藤原頼長に接近した。保元元年(一一五六)鳥羽法皇の没後、後白河天皇・忠通方は、平清盛・源義朝らの武力によって、崇徳上皇・頼長 ...
7. 後白河天皇(ごしらかわてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 25ページ ...
8. ごしらかわてんのう【後白河天皇】
日本人名大辞典
1127−1192 平安時代後期,第77代天皇。在位1155-58。大治(だいじ)2年9月11日生まれ。鳥羽(とば)天皇の第4皇子。母は藤原璋子(待賢門院)。異 ...
9. ごしらかわてんのう【後白河天皇】
日本架空伝承人名事典
第七七代に数えられる天皇。天皇としての在位期間は、一一五五年(久寿二)から五八年(保元三)までのわずか三年に過ぎないが、その後に上皇・法皇として二条・六条・高倉 ...
10. 後白河天皇[文献目録]
日本人物文献目録
1』-『後白河上皇時代の公家新制』水戸部正男『後白河上皇の御所「法住寺殿」に就いて』太田静六『後白河天皇の皇位継承に就いて』古賀彦次郎『後白河法皇』粟野秀穂『後 ...
11. 雅仁親王・後白河天皇・後白河上皇・後白河法皇
日本史年表
1155年〈久寿2 乙亥〉 7・24 雅仁親王(後白河天皇) 践祚、 藤原忠通 を関白とし、同 頼長 の内覧を止める(百練抄)。 1155年〈久寿2 乙亥〉 1 ...
12. 後白河天皇出家 (見出し語:後白河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 865ページ ...
13. 後白河天皇即位 (見出し語:後白河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 256ページ ...
14. 後白河天皇善二今樣一 (見出し語:後白河天皇)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第1巻 309ページ ...
15. 後白河天皇國忌 (見出し語:後白河天皇)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1281ページ ...
16. 後白河天皇山陵 (見出し語:後白河天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 996ページ ...
17. 後白河天皇 所領一覧1[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
18. 後白河天皇 所領一覧2[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
19. 後白河天皇 所領一覧3[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
20. ごしらかわてんのうほうじゅうじりょう【後白河天皇法住寺陵】京都市:東山区/大仏廻り/三十三間堂廻り町地図
日本歴史地名大系
後白河院の院御所、法住寺殿の跡地にあたる。陵内に法華堂が建ち、伝運慶作の上皇木像坐像を安置する。後白河天皇(一一二七―九二)は、鳥羽天皇を父とし、母は待賢門院璋 ...
21. 後白河天皇於二園城寺一欲レ受二灌頂一 (見出し語:園城寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 418ページ ...
22. あかなべのしょう【茜部庄】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
府の庄園整理政策が後退し、国司による茜部庄収公の動きはみられなくなる。保元元年(一一五六)後白河天皇による庄園整理令が発布され、記録所も再設置されて、当庄におい ...
23. あくみぐん【飽海郡】
国史大辞典
当時の現地の管掌者は藤原基衡であった。保元の乱で頼長の敗死したのちは、同国大曾禰・屋代両荘とともに後白河天皇の後院領になった。中世には南北朝の争乱期に、北畠氏が ...
24. あさひほんしょう【上日本庄】石川県:鹿島郡/鹿島町/浅井村
日本歴史地名大系
久安二年(一一四六)に立券状を得て立庄され、公田数は三〇町とある。長講堂領が宣陽門院覲子(後白河天皇皇女)に伝領され、貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門 ...
25. 足利義康
世界大百科事典
院へ足利荘を寄進し,在京して父とともに北面の武士として上皇に仕え,保元の乱(1156)では後白河天皇方に属し義朝らとともに活躍,この功により蔵人となり昇殿を許さ ...
26. あしかがよしやす【足利義康】
国史大辞典
り、在京して鳥羽上皇に仕えて北面の武士となり、左衛門尉・検非違使に任ぜられた。保元の乱には後白河天皇方として活躍、平清盛の三百騎、源義朝の二百騎についで百騎を従 ...
27. あしかが-よしやす【足利義康】
日本人名大辞典
鳥羽(とば)上皇につかえて北面の武士となり,検非違使(けびいし)に任じられる。保元(ほうげん)の乱には後白河天皇方で活躍,その功により昇殿をゆるされた。保元2年 ...
28. あなんし【阿南市】徳島県
日本歴史地名大系
重なるものと思われる。竹原庄は初め左大臣藤原頼長領であったが、保元の乱で頼長が敗死したため後白河天皇の後院領となった。長寛元年(一一六三)には二品家が同庄の鎮守 ...
29. いいし【井伊氏】画像
国史大辞典
の伝説に由来するもので、橘は井戸の傍にあったからという。共保から三世を経て道直は保元の乱に後白河天皇に味方して戦功あり、道政は後醍醐天皇の召に応じ、宗良親王を奉 ...
30. いけだむら【池田村】三重県:鈴鹿市/旧河曲郡地区
日本歴史地名大系
たる)に神宮御笠縫役を出す田一町があったこと、これと神田一七町は保元年中(一一五六―五九)後白河天皇によって神宮に寄進されたことを示している。また「吾妻鏡」文治 ...
31. いけのぜんに【池禅尼】
国史大辞典
となり、家盛・頼盛を生む。平清盛の継母。忠盛をたすけて内助の功があり、保元の乱の時は頼盛に後白河天皇側につくよう教えるなど政治的判断力もあった。平治の乱後、捕え ...
32. いしがきのしょう【石垣荘】
国史大辞典
鎌倉時代の初めごろ石垣荘は、平等寺領として文献にあらわれ、建保二年(一二一四)二月、平等寺が宣陽門院(後白河天皇の皇女覲子内親王)領とされた結果、石垣荘は皇室御 ...
33. いちいえのしょう【櫟江庄】愛知県:海部郡
日本歴史地名大系
保元の乱に敗死した頼長の所領は没官されていたが、保元二年(一一五七)三月二五日付太政官符により、後白河天皇の後院領となされ、官物は国庫へ、地利は院家へ納めるもの ...
34. いちむらたかだのしょう【市村高田庄】長野県:長野市
日本歴史地名大系
市村郷 野原郷」とみえる。初め平正弘領であり、保元の乱に正弘が崇徳上皇方にくみし敗れたため、後白河天皇が没官領として後院領としたものである。「吾妻鏡」文治二年( ...
35. いっこくへいきんやく【一国平
役】
国史大辞典
く。また実際には寺社領の本免田(官省符荘)は多く免除され、さらに三代(白河天皇・鳥羽天皇・後白河天皇)御起請地や三社(伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂神社)領なども ...
36. いっせいげんじ【一世源氏】
国史大辞典
・村上天皇の各代の皇子女にその例があり、その総数は皇子五十二人・皇女五十三人を数える。なお後白河天皇皇子以仁王も源姓を賜わったが、これは処罰による特殊の事例であ ...
37. いばのしょう【伊庭庄】滋賀県:神崎郡/能登川町/伊庭村
日本歴史地名大系
与えたと伝えるが(保元物語)、事実としても預所職ないしは下司職の付与と考えるべきであろう。乱後は後白河天皇の管轄になったと考えられる。寛喜三年(一二三一)九月五 ...
38. いへのしょう【位倍庄】兵庫県:西宮市
日本歴史地名大系
一一五七)三月二九日条によると、位陪庄は左大臣藤原頼長の所領であったが、保元の乱で没官され後白河天皇後院領となっている。以後皇室領となり、嘉元三年(一三〇五)七 ...
39. いまひえじんぐう【新日吉神宮】京都市:東山区/大仏廻り/妙法院前側町地図
日本歴史地名大系
大己貴命・大山咋神・大山咋神荒魂・菊理姫命・田心比売命・賀茂玉依比売命・賀茂玉依比売荒魂・後白河天皇を祭神とし、相殿には素戔嗚尊・大年神を祀る。「新比叡」(平家 ...
40. 今様
世界大百科事典
唱歌や賛美歌にも旋律が取り入れられるなど,近世歌謡への影響が大きい。工藤 真由美 今様歌 後白河天皇(法皇) 梁塵秘抄口伝集 雑芸 梁塵秘抄 四句神歌 長唄(歌 ...
41. いわまのまき【石間牧】山梨県:西八代郡/六郷町/岩間村
日本歴史地名大系
七)三月二九日条に「石間牧」とみえ、保元の乱で敗死した左大臣源頼長の所領であったが、乱後に後白河天皇によって没収されて後院領とされた。当牧の成立事情は不詳だが、 ...
42. いんせいじだい【院政時代】
国史大辞典
的方策は、宮廷・摂関家内部に分裂を招き、やがて保元・平治の乱となった。保元の乱後、短期間の後白河天皇親政があったが、二年にして後白河院政が始まった。当初は、藤原 ...
43. いんぷもんいん【殷富門院】
国史大辞典
一一四七―一二一六 雅仁親王(のちの後白河天皇)の第一女。亮子内親王。母は藤原季成の女の成子(のち高倉三位)。久安三年(一一四七)誕生。保元元年(一一五六)四 ...
44. いんぷもんいん【殷富門院】
日本人名大辞典
1147−1216 平安後期-鎌倉時代,後白河天皇の第1皇女。久安3年生まれ。母は藤原成子(せいし)。久寿3年(1156)内親王,さらに伊勢斎宮(いせさいぐう) ...
45. いんりょう【院領】
国史大辞典
創建した祈願寺の寺領、中宮待賢門院・皇后美福門院・女上西門院・同八条院・近衛天皇の各祈願寺領を管領した。後白河天皇(上皇)は、保元元年(一一五六)鳥羽法皇から遺 ...
46. うえきのしよう【植木庄】福岡県:直方市
日本歴史地名大系
庄」とみえ、当庄は保元の乱で敗死した故左大臣(藤原頼長)の所領であったが、乱後に没収されて後白河天皇の後院領となった。建久三年(一一九二)三月、後白河法皇の所領 ...
47. うえだのしょう【上田庄】新潟県:南魚沼郡
日本歴史地名大系
三月二九日条によれば、前年の保元の乱の結果、故散位平正弘の所領「魚沼郡殖田村」が没官され、後白河天皇の後院領とされている。庄としての成立はこの後で、「吾妻鏡」文 ...
48. 雨月物語 278ページ
日本古典文学全集
元永二年(一一一九)生、保安四年(一一二三)即位、永治元年(一一四一)退位、保元元年(一一五六)、後白河天皇に叛して保元の乱を起すが敗れ、讃岐に配流、長寛二年( ...
49. 雨月物語 281ページ
日本古典文学全集
藤原長実の娘。近衛帝の夭折を崇徳の呪詛のためと誤解、崇徳を仇敵視したといわれる。鳥羽第四皇子、後白河天皇。崇徳の同母弟。「代」は天皇の治世をさす。「簒」は奪い取 ...
50. 宇治拾遺物語 181ページ
日本古典文学全集
仰せ事ありける。 年(一一二一)三月から保元三年(一一五八)八月まで、鳥羽・崇徳・近衛・後白河天皇の四代の治世までに及んだ。奈良の春日大社の祭礼。賀茂祭、石清 ...