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国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典

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国史大辞典
二条天皇
にじょうてんのう
一一四三 - 六五
一一五八―六五在位。後白河天皇の第一子。諱は守仁。母は大炊御門経実の女贈皇太后懿子。康治二年(一一四三)六月十七日生まれる。鳥羽天皇の皇后美福門院得子に養育され、仁和寺覚性法親王の弟子となったが、久寿二年(一一五五)後白河天皇践祚ののち、親王宣下、皇太子となり、元服した。保元三年(一一五八)即位。平治元年(一一五九)〓子内親王、のち徳大寺実能の女育子を中宮とした。平治の乱に藤原信頼・源義朝のため黒戸御所に遷されたが、潜かに脱出して平清盛の六波羅邸に入った。永万元年(一一六五)位を皇太子順仁親王(六条天皇)に譲り、七月二十八日崩じた。年二十三。山城香隆寺陵に葬る。天皇は筋を通す性格で、恣意放慢な後白河院政を認めず、藤原経宗・同惟方を信任し、政事は関白基実と相談して決めたので、院との関係は穏やかでなかった。『源平盛衰記』によれば、天皇は政事には叶うが、孝道にはそむくといわれたという。
(貫 達人)

香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)

 京都市北区平野八丁柳町にある二条天皇霊廟。二条天皇の遺骸は、永万元年(一一六五)八月七日香隆寺東北の野で火葬。遺骨を香隆寺本堂に安置し、境内に天皇の旧殿で三昧堂を造り、仁安元年(一一六六)七月二十六日落成。ここに嘉応二年(一一七〇)五月十七日遺骨を移納した。その後香隆寺・陵堂ともに消滅し、所伝痕跡を失い、元禄以来探索を続けたが、発見できなかった。明治二十二年(一八八九)五月二十五日諸陵寮は、諸陵助足立正声の調査意見を採用、陵址発見は不能故、『中右記』記載により考定した香隆寺旧址中点付近の良地を卜し修陵の外なしと、大北山村字宇多川の小高い茶畑に陵域を定め、廟陵造営を建議し、六月三日裁可を得た。よって造営したのが現陵である。間口約七〇メートル、奥行約五〇メートルの方形陵域南面に拝所を設け、その後を方形に小土堤で区画し、この中央に径一七・五メートルほどの低い円丘を設けている。
[参考文献]
『法規分類大全』二編宮廷門、上野竹次郎『山陵』下、宮内省編『明治天皇紀』七、宮内庁編『二条天皇香隆寺陵之図』(宮内庁書陵部所蔵『陵墓地形図』一六七)
(石田 茂輔)


日本大百科全書(ニッポニカ)
二条天皇
にじょうてんのう
[1143―1165]

平安後期の天皇(在位1158~65)。名は守仁(もりひと)。康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の決まらないまま早世したとき、祖父鳥羽(とば)上皇、養母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))、関白藤原忠通(ただみち)らは、守仁を皇位につけようと画策した。しかし、父雅仁(まさひと)を差し置いて実現できず、1155年(久寿2)その即位(後白河天皇)と同時に皇太子となり、保元(ほうげん)の乱が後白河天皇方の勝利に終わると、父の譲位によって58年(保元3)即位した。しかし、後白河上皇、信西(しんぜい)らの院政派と二条天皇らの親政派との併立は平治(へいじ)の乱に発展していった。65年(永万1)6月皇子順仁(のぶひと)親王に譲位し(六条(ろくじょう)天皇)、7月28日死去。墓は京都市北区平野八丁柳(ひらのはっちょうやなぎ)町の香隆寺(こうりゅうじ)陵。
[川島茂裕]



日本人名大辞典
二条天皇
にじょうてんのう
1143−1165
平安時代後期,第78代天皇。在位1158-65。
康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河天皇の第1皇子。母は藤原懿子(いし)。僧籍にあったが,父が皇位をついだため還俗(げんぞく)して皇太子となり,保元(ほうげん)3年即位。翌年平治(へいじ)の乱がおき,平清盛が力をつよめた。父上皇の院政下で,政治の主導権をにぎろうとしたがはたせなかった。永万元年7月28日死去。23歳。墓所は香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)(京都市北区)。諱(いみな)は守仁(もりひと)。
【格言など】雲はみな峯のあらしにはらはせてさやけく月の澄みのぼるかな(「続詞花和歌集」)
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