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  11. 蘇我馬子

蘇我馬子

ジャパンナレッジで閲覧できる『蘇我馬子』の世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典のサンプルページ

世界大百科事典
蘇我馬子
そがのうまこ
?-626(推古34)

飛鳥時代の大臣(おおおみ)。蘇我稲目の子,毛人(蝦夷)の父。名は馬古,汙麻古,有明子とも記され,嶋大臣とよばれた。敏達朝に大臣となり,このあと用明,崇峻,推古といずれも蘇我系の天皇をたて,つづけてその大臣をつとめた。就任の当初から大連(おおむらじ)物部守屋らの勢力と対立したが,その反対をおしきって,570年(欽明31)に北陸に来着した高句麗使を572年(敏達1)に朝廷に迎え入れ,高句麗外交を開始した。これに仏教受容や皇位継承の問題も加わって,反対派との対立はその後ますます深まり,587年,用明天皇の死後に軍を起こした馬子は,物部守屋を討滅した。このあとに崇峻天皇をたてたが,天皇と意見が対立しはじめると,馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)に命じて592年(崇峻5)にこれを暗殺させた。そして,この年から着工していた飛鳥寺(法興寺)は,推古朝に入っても造営をつづけ,日本最初の本格的寺院として完成させた。以後も仏教興隆の方針をすすめ,605年(推古13)から厩戸皇子(聖徳太子)が斑鳩(いかるが)宮に移ってのちも,馬子は飛鳥にあって政治を主導した。この間,新羅遠征軍の派遣計画は失敗したが,遣隋使の派遣もあり,外交の必要上からも難波津を整備した。晩年には,厩戸皇子とはかって天皇記,国記,諸氏の本記を編纂させた。厩戸皇子妃の刀自古郎女(とじこのいらつめ),舒明天皇妃の法提郎女(ほてのいらつめ)は,馬子の娘である。馬子を葬った飛鳥の桃原墓は,いわゆる石舞台古墳であるとみられている。
[門脇 禎二]

[索引語]
嶋大臣


日本大百科全書(ニッポニカ)
蘇我馬子
そがのうまこ
[?―626]

大和(やまと)国家、飛鳥(あすか)時代の大臣。蘇我臣稲目(おみいなめ)の子。毛人(えみし)(蝦夷)の父。馬古、汗麻古、有明子とも記され、嶋大臣(しまのおおおみ)と称された。敏達(びだつ)・用明(ようめい)・崇峻(すしゅん)・推古(すいこ)朝の大臣で、父稲目の達成を受け継ぎ推し進めて蘇我氏の繁栄の頂点にたった。娘の刀自古郎女(とじこのいらつめ)を聖徳太子の妃に、法提(ほて)郎女を舒明(じょめい)天皇の夫人にたてた。大臣として最初の手腕を発揮したのは、高句麗(こうくり)外交の開始である。すなわち、570年(欽明天皇31)に北陸に来着した高句麗使を、572年(敏達天皇1)に朝廷に迎え、高句麗外交を始めた。しかし、これには大連物部守屋(おおむらじもののべのもりや)ら百済(くだら)外交のみに固執する勢力の反対が強く、これにかねてからの仏教受容問題や皇位継承問題も加わって、ついに587年(用明天皇2)、馬子は物部・中臣(なかとみ)氏らを討滅した。この年に没した用明天皇も、次の崇峻天皇も、馬子が擁立した蘇我系天皇であったが、崇峻天皇と意見が対立し始めると、馬子は東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に命じてこれを暗殺させた。
このあと馬子は、592年(崇峻天皇5)から着工した飛鳥寺(法興寺)の造営を進めて完成させ、仏教興隆の方針を進めた。605年(推古天皇13)から厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)の上宮王家が斑鳩(いかるが)宮に移ってのちも、馬子は飛鳥にあって政治を主導した。この間、新羅(しらぎ)遠征軍の派遣計画は失敗したが、二度にわたる遣隋(けんずい)使の派遣もあり、外交の必要からも難波(なにわ)津を重視した。晩年には、厩戸皇子と諮って『天皇記』『国記』、諸氏の本記を編纂(へんさん)させた。馬子を葬った飛鳥の桃原墓は、いわゆる石舞台古墳であるとされている。
[門脇禎二]



国史大辞典

蘇我馬子
そがのうまこ
 - 六二六
六―七世紀の豪族。蘇我稲目の子。嶋大臣(しまのおおおみ)とも称された。敏達朝から用明・崇峻・推古朝末年までの大臣。この時期の朝廷政治にきわめて大きな影響力をもった人物である。その政治的事績の主要なものをあげると、(一)敏達朝には、白猪屯倉と田部とを増益し、田部の丁の籍を造らせ、屯倉の経営に新機軸をうちだし、(二)用明朝には、穴穂部皇子と隙を生じ、物部守屋が皇子をたてようとしたのに反対して、豊御食炊屋姫尊(のちの推古天皇)を擁して対抗し、ついに穴穂部皇子を殺させた。さらに(三)諸皇子と群臣に勧めて物部氏と戦い、渋川の本拠を撃って守屋を滅ぼした。蘇我氏に比肩する大連氏族の没落によって蘇我氏の地位はいっそう強固なものとなった。かくて(四)崇峻天皇即位後も権勢をつよめたが、馬子の勢力拡張を不快とする崇峻天皇との対立をまねくに至ると、配下の東漢駒に命じて天皇を殺させ、これによって馬子は、(五)姪にあたる推古天皇の即位が実現すると、皇太子聖徳太子の君主権強化の政治に協調的姿勢をもって臨むとともに、(六)皇太子と共議して『天皇記及国記臣連伴造国造百八十部并公民等本記』を撰録するなど、内政に治績をあげた。対外関係では、(七)太子の死後、新羅を討つため数万の軍衆をもって征討軍の派遣を強行した。この出師について時の人は、境部臣らが新羅の幣物を入手して馬子にすすめたためと評したといわれる。(八)推古天皇三十二年(六二四)、馬子は天皇に葛城県の下賜を奏請したが許されなかった。天皇中心の政治体制樹立の理念に反して、馬子がなお自氏の権勢拡張を企図していたことが窺える。しかし馬子と親しかった天皇もかれのゆきすぎた恣意を許さなかったことが知られる。馬子は新文化としての仏教の受容にきわめて熱心であった。これは稲目の崇仏をうけつぐもので、(九)敏達朝において、百済から鹿深臣のもたらした石仏像など二躯を請い、自宅の東方に仏殿をつくり、高句麗僧の恵便を師として三人の尼僧を得度させたと伝えられるが、のち(一〇)大野丘の北に塔を起て仏舎利を安置したという。時に物部氏との争乱がおこり、ために仏殿の破却に及ぶこともあったが、馬子はいよいよ崇仏の傾向を深めた。(一一)用明朝には、天皇の三宝帰依に賛成し、(一二)崇峻朝には、百済仏教の摂取をすすめ、善信尼を派遣して戒律を学ばせ、また(一三)飛鳥の衣縫造の祖樹葉(このは)の家をこわして法興寺の造営に着手した。寺は推古朝に完成したが、馬子はその子善徳を寺司とし、慧慈・慧聡の両僧を止住させ、(一四)推古天皇十三年、この寺の銅・繍丈六仏二躯を造り、飛鳥の仏教の中心寺院たらしめた。(一五)馬子の病にあたっては男女一千人を出家させたといわれる。同三十四年五月二十日、馬子は死に、桃原墓に葬られた。奈良県高市郡明日香村島之庄にある、いわゆる石舞台古墳は馬子の墓ではないかといわれている。
[参考文献]
坂本太郎『大化改新の研究』、日野昭『日本古代氏族伝承の研究』
(日野 昭)
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1. 蘇我馬子画像
日本大百科全書
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2. 蘇我馬子
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?-626(推古34) 飛鳥時代の大臣(おおおみ)。蘇我稲目の子,毛人(蝦夷)の父。名は馬古,汙麻古,有明子とも記され,嶋大臣とよばれた。敏達朝に大臣となり,こ ...
3. そが‐の‐うまこ【蘇我馬子】
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蘇我稲目の子。父についで敏達・用明・崇峻・推古四朝の大臣となり、姻戚関係と仏教を利用して天皇家に近づいて政敵物部氏を滅ぼし、さらにみずからたてた崇峻天皇との間に ...
4. そがのうまこ【蘇我馬子】
国史大辞典
?―六二六 六―七世紀の豪族。蘇我稲目の子。嶋大臣(しまのおおおみ)とも称された。敏達朝から用明・崇峻・推古朝末年までの大臣。この時期の朝廷政治にきわめて大き ...
5. 蘇我馬子
日本史年表
584年〈敏達13 甲辰〉 この年 蘇我馬子、百済よりもたらされた 仏像 2躯を安置する.恵便を師とし、 司馬達等の娘(善信尼) ら3人を尼とする(紀)(『元 ...
6. そがの-うまこ【蘇我馬子】
日本人名大辞典
?−626 6-7世紀前半の豪族。蘇我稲目の子。敏達(びだつ)天皇のときに大臣(おおおみ)となる。仏教興隆をはかり,用明天皇2年(587)反対派の物部守屋(もの ...
7. 蘇我馬子[文献目録]
日本人物文献目録
赦し給ひしか』高島米峰『蘇我馬子』赤堀又次郎『蘇我馬子の墓』小林秀雄『蘇我馬子桃原墓の推定』喜田貞吉『縦に見た三十八度線 凶徒鎌足・蘇我の悲業の死』滝川政次郎『 ...
8. 蘇我馬子伐物部守屋 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 68ページ ...
9. 蘇我馬子專權 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1583ページ ...
10. 蘇我馬子建法興寺 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1337ページ ...
11. 蘇我馬子建龍泉寺 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 14ページ ...
12. 蘇我馬子捨自宅(見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1349ページ ...
13. そがの-うまこの-つま【蘇我馬子妻】
日本人名大辞典
?−? 6世紀末ごろの女性。用明天皇2年(587)仏教受容派の夫馬子が排仏派の兄物部守屋(もののべの-もりや)を河内(かわち)(大阪府)渋川の本拠で殺害した。こ ...
14. 蘇我馬子弑崇峻天皇 (見出し語:崇峻天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1057ページ ...
15. 蘇我馬子伐物部守屋 (見出し語:物部守屋)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 68ページ ...
16. 秋山記行・夜職草 6ページ
東洋文庫
本で、太子が舎人の調使麿(『水鏡』では調子丸)を後ろに従えて黒駒に乗り、富士山の上を飛翔し、蘇我馬子、物部守屋らの大臣たち五人が見上げている図である。この七幅の ...
17. あさかぜの-ぶんしょう【朝風文将】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の仏師。推古天皇36年(628)蘇我馬子のために法隆寺蔵の金銅釈迦三尊像を製作したことが,その銘文にみえる。朝風を地名とみる説もある。 ...
18. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
衣縫造の名がみえる。すなわち飛鳥には各各の職能をもつ百済・高句麗・新羅などの工人が居住した。蘇我馬子が飛鳥衣縫造の祖、樹葉の家を壊ち初めて法興寺(飛鳥寺)を造り ...
19. 飛鳥時代
世界大百科事典
主導する。しかし仏教崇拝などをめぐって両者は対立し,用明天皇が没すると,物部守屋は穴穂部皇子,蘇我馬子は泊瀬部皇子(崇峻天皇)を擁立しようとして争い,ついに馬子 ...
20. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
また国内各地に朝廷の派遣する官人に管理される屯倉が設置され、地域支配も強化された。聖徳太子と蘇我馬子を中心とする推古朝の政治は、こうした基盤のうえに展開するが、 ...
21. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
達天皇即位587(用明2)蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす。このころ崇仏論争588(崇峻1)蘇我馬子、法興寺建立開始589(崇峻2)隋、中国を統一592(崇峻5)蘇我 ...
22. 飛鳥寺画像
日本大百科全書
75メートル)にちなんで飛鳥大仏ともいう。この寺は推古(すいこ)天皇が願主となり、聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺であり、本尊は606年 ...
23. 飛鳥寺[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
6世紀末に聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺。本元興寺(もとがんごうじ)、安居院(あんごいん)ともいう。本尊の丈六釈迦如来坐像(じょうろく ...
24. 飛鳥寺
世界大百科事典
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古 ...
25. あすか‐でら【飛鳥寺】
日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺。推古天皇四年(五九六)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院として創建。法興寺ともいい、のち元興寺(がんごうじ)、本元興 ...
26. あすかでら【飛鳥寺】画像
国史大辞典
と号し、平城京の元興寺に対して本元興寺と呼び、現在は新義真言宗で安居院(あんごいん)という。蘇我馬子が創立した寺で、『日本書紀』や『元興寺伽藍縁起』によると、崇 ...
27. 飛鳥寺
日本史年表
戊申〉 この年 百済、僧・ 仏舎利 ・寺工・ 鑪盤博士 ・ 瓦博士 ・画工をおくる(紀)。 蘇我馬子 、善信尼らを百済に派遣(紀)。 法興寺(飛鳥寺) を建て始 ...
28. あすかのきぬぬいの-このは【飛鳥衣縫樹葉】
日本人名大辞典
渡来系の飛鳥衣縫部(べ)の伴造(とものみやつこ)で,飛鳥衣縫氏の祖。崇峻(すしゅん)天皇元年(588)蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を造営する際,自身の宅地を寺地と ...
29. あすかのまかみのはら【飛鳥真神原】
国史大辞典
大和国飛鳥にあった地名。『日本書紀』崇峻天皇元年条に、蘇我馬子が飛鳥衣縫造の祖樹葉の家を壊して、法興寺を造り、この地を飛鳥真神原といった、とある。高市郡明日香 ...
30. 飛鳥美術
世界大百科事典
試みてきたが,崇仏の蘇我氏を除いては,敏達,用明朝も仏教に否定的であり,特に物部氏の廃仏は激しかった。587年蘇我馬子はついに物部守屋を滅ぼし,ここに崇仏の基盤 ...
31. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
変えなかったが、用明天皇は病気の平癒を求めて仏教帰依を表明し、かえって物部・蘇我両氏の対立を激化させた。蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、排仏派が崩壊した直後、馬子は ...
32. 穴穂部皇子
日本大百科全書
埿部(はしひとべ)穴穂部皇子ともいう。585年敏達(びだつ)天皇崩御のとき、無理に天皇になろうとしたが、蘇我馬子(うまこ)に諫(いさ)められ果たさなかった。58 ...
33. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
国史大辞典
皇の寵臣三輪君逆(さかう)を殺すが、用明天皇崩後、崇峻天皇を奉ずる敏達皇后(のち推古天皇)・蘇我馬子らの反撃にあい、用明天皇二年六月に皇子は殺され、つづいて守屋 ...
34. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
日本人名大辞典
用明天皇の没後,物部守屋(もののべの-もりや)の後押しで天皇になろうとしたが,用明天皇2年6月7日蘇我馬子(うまこ)らに殺された。別名は ...
35. 穴穂部皇子
世界大百科事典
とろうとし,これに反対する敏達の寵臣三輪逆(みわのさかう)を殺した。用明天皇の没後,のちの推古天皇,蘇我馬子らに攻撃され,587年6月に殺され,守屋もまた7月に ...
36. あべのうちのまろ【阿倍内麻呂】
国史大辞典
推古朝の大夫阿倍内臣鳥(鳥子)の子と思われる。『日本書紀』によれば、麻呂は推古天皇三十二年(六二四)に大臣蘇我馬子の命をうけ、歴代天皇の伝領する葛城県を蘇我氏に ...
37. あべの-まろ【阿倍摩侶】
日本人名大辞典
飛鳥(あすか)時代の官吏。推古天皇32年(624)葛城県(かずらきのあがた)をもらいたいという蘇我馬子の希望を天皇につたえる。推古天皇の死後,蘇我蝦夷(えみし) ...
38. 尼
世界大百科事典
者は男僧,後者は尼僧で旧華族から選ばれ,尼公と尊敬される。 日本の尼のはじまりは,584年に蘇我馬子が出家させた司馬達等の娘善信尼とその弟子禅蔵尼・恵善尼の3人 ...
39. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
「釈日本紀」に引く「摂津国風土記」逸文では有馬郡に「塩湯」があり、孝徳天皇が行幸して行宮を造営、塩湯の発見は蘇我馬子の時代と伝えている。孝徳天皇の行宮は善福寺前 ...
40. ありまかじんじゃ【阿理莫神社】大阪府:貝塚市/久保村地図
日本歴史地名大系
書写の「和泉国神名帳」には「従五位上安幕社」とある。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀に物部守屋と蘇我馬子が戦ったとき、難波の宅を守っていた守屋の近侍者捕鳥部万が茅渟 ...
41. アーネスト・サトウ 神道論 39ページ
東洋文庫
『日本紀』にはまた次のようにも記されている。すなわち、「六二〇年(推古天皇二八年)に、聖徳太子と蘇我馬子が協力して『天皇記』及び『国記』をはじめ、「臣」、「連」 ...
42. アーネスト・サトウ 神道論 44ページ
東洋文庫
、本来の説を挙げているとしている。これが『旧辞記』と呼ばれる書物で、著者は聖徳太子と蘇我馬子とされ、蘇我馬子による序文には、本書が六二二年に完成したと書かれてい ...
43. 池画像
日本大百科全書
の呼び名は一致していない。新井 正池と庭園日本庭園の池の古い例は、推古(すいこ)天皇の時代の蘇我馬子(そがのうまこ)の庭園のそれである。池と島の景によって、馬子 ...
44. 池
世界大百科事典
日本で庭園に池を築くことは,すでに《日本書紀》推古34年(626)にみえている。これは〈嶋大臣〉と呼ばれた蘇我馬子の邸で飛鳥川のほとりに築かれ,〈庭の中に小なる ...
45. いけのべのひだ【池辺氷田】
国史大辞典
池辺氷田がこの楠で阿弥陀仏と菩薩の三像を彫刻したと伝える。『日本書紀』敏達天皇十三年条によれば、蘇我馬子の命により、池辺氷田と司馬達等が諸国に使して、修行者をさ ...
46. 池辺氷田
世界大百科事典
本書紀》敏達13年条には鹿深(かふか)臣と佐伯連が百済から持ち帰った仏像2体をまつるために,蘇我馬子が司馬達等(しばたつと)と氷田を四方に遣わして修行者を求めさ ...
47. いけべの-ひた【池辺氷田】
日本人名大辞典
られたという。また敏達(びだつ)天皇13年(584)百済(くだら)から仏像2体がとどいた際,蘇我馬子の命により修行者をもとめ,播磨(はりま)(兵庫県)に高句麗( ...
48. いしかわしょうじゃ【石川精舎】
国史大辞典
『日本書紀』敏達天皇十三年条に蘇我馬子が百済伝来の弥勒石像を安置するため自宅の東に仏殿を造り、また石川の宅にも仏殿を造ったと記す。しかしこの記事の二つの宅の位 ...
49. いしかわ‐の‐しょうじゃ[いしかはのシャウジャ]【石川精舎】
日本国語大辞典
敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子が石川の自宅に仏像を安置したというわが国最初の寺。現在の奈良県橿原市石川町の浄土宗本明寺の地とされる。イシカワノショージャ ...
50. 石川精舎
日本大百科全書
朝した鹿深臣(かふかのおみ)と佐伯連(さえきのむらじ)が2体の仏像を持ち帰ったが、これを得た蘇我馬子(そがのうまこ)は自邸の東方に仏殿をつくって善信尼(ぜんしん ...
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