1. 蘇我馬子画像
日本大百科全書
大和(やまと)国家、飛鳥(あすか)時代の大臣。蘇我臣稲目(おみいなめ)の子。毛人(えみし)(蝦夷)の父。馬古、汗麻古、有明子とも記され、嶋大臣(しまのおおおみ) ...
2. 蘇我馬子
世界大百科事典
?-626(推古34) 飛鳥時代の大臣(おおおみ)。蘇我稲目の子,毛人(蝦夷)の父。名は馬古,汙麻古,有明子とも記され,嶋大臣とよばれた。敏達朝に大臣となり,こ ...
3. そが‐の‐うまこ【蘇我馬子】
日本国語大辞典
蘇我稲目の子。父についで敏達・用明・崇峻・推古四朝の大臣となり、姻戚関係と仏教を利用して天皇家に近づいて政敵物部氏を滅ぼし、さらにみずからたてた崇峻天皇との間に ...
4. そがのうまこ【蘇我馬子】
国史大辞典
?―六二六 六―七世紀の豪族。蘇我稲目の子。嶋大臣(しまのおおおみ)とも称された。敏達朝から用明・崇峻・推古朝末年までの大臣。この時期の朝廷政治にきわめて大き ...
5. 蘇我馬子
日本史年表
584年〈敏達13 甲辰〉 この年 蘇我馬子、百済よりもたらされた 仏像 2躯を安置する.恵便を師とし、 司馬達等の娘(善信尼) ら3人を尼とする(紀)(『元 ...
6. そがの-うまこ【蘇我馬子】
日本人名大辞典
?−626 6-7世紀前半の豪族。蘇我稲目の子。敏達(びだつ)天皇のときに大臣(おおおみ)となる。仏教興隆をはかり,用明天皇2年(587)反対派の物部守屋(もの ...
7. 蘇我馬子[文献目録]
日本人物文献目録
赦し給ひしか』高島米峰『蘇我馬子』赤堀又次郎『蘇我馬子の墓』小林秀雄『蘇我馬子桃原墓の推定』喜田貞吉『縦に見た三十八度線 凶徒鎌足・蘇我の悲業の死』滝川政次郎『 ...
8. 蘇我馬子伐二物部守屋一 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 68ページ ...
9. 蘇我馬子專權 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1583ページ ...
10. 蘇我馬子建二法興寺一 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1337ページ ...
11. 蘇我馬子建二龍泉寺一 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 14ページ ...
12. 蘇我馬子捨二自宅一爲レ寺 (見出し語:蘇我馬子)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1349ページ ...
13. そがの-うまこの-つま【蘇我馬子妻】
日本人名大辞典
?−? 6世紀末ごろの女性。用明天皇2年(587)仏教受容派の夫馬子が排仏派の兄物部守屋(もののべの-もりや)を河内(かわち)(大阪府)渋川の本拠で殺害した。こ ...
14. 蘇我馬子弑二崇峻天皇一 (見出し語:崇峻天皇)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1057ページ ...
15. 蘇我馬子伐二物部守屋一 (見出し語:物部守屋)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 68ページ ...
16. 秋山記行・夜職草 6ページ
東洋文庫
本で、太子が舎人の調使麿(『水鏡』では調子丸)を後ろに従えて黒駒に乗り、富士山の上を飛翔し、蘇我馬子、物部守屋らの大臣たち五人が見上げている図である。この七幅の ...
17. あさかぜの-ぶんしょう【朝風文将】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の仏師。推古天皇36年(628)蘇我馬子のために法隆寺蔵の金銅釈迦三尊像を製作したことが,その銘文にみえる。朝風を地名とみる説もある。 ...
18. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
衣縫造の名がみえる。すなわち飛鳥には各各の職能をもつ百済・高句麗・新羅などの工人が居住した。蘇我馬子が飛鳥衣縫造の祖、樹葉の家を壊ち初めて法興寺(飛鳥寺)を造り ...
19. 飛鳥時代
世界大百科事典
主導する。しかし仏教崇拝などをめぐって両者は対立し,用明天皇が没すると,物部守屋は穴穂部皇子,蘇我馬子は泊瀬部皇子(崇峻天皇)を擁立しようとして争い,ついに馬子 ...
20. あすかじだい【飛鳥時代】
国史大辞典
また国内各地に朝廷の派遣する官人に管理される屯倉が設置され、地域支配も強化された。聖徳太子と蘇我馬子を中心とする推古朝の政治は、こうした基盤のうえに展開するが、 ...
21. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
達天皇即位587(用明2)蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす。このころ崇仏論争588(崇峻1)蘇我馬子、法興寺建立開始589(崇峻2)隋、中国を統一592(崇峻5)蘇我 ...
22. 飛鳥寺画像
日本大百科全書
75メートル)にちなんで飛鳥大仏ともいう。この寺は推古(すいこ)天皇が願主となり、聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺であり、本尊は606年 ...
23. 飛鳥寺[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
6世紀末に聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺。本元興寺(もとがんごうじ)、安居院(あんごいん)ともいう。本尊の丈六釈迦如来坐像(じょうろく ...
24. 飛鳥寺
世界大百科事典
奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古 ...
25. あすか‐でら【飛鳥寺】
日本国語大辞典
奈良県高市郡明日香村飛鳥にある真言宗豊山派の寺。推古天皇四年(五九六)蘇我馬子が日本最初の本格的寺院として創建。法興寺ともいい、のち元興寺(がんごうじ)、本元興 ...
26. あすかでら【飛鳥寺】画像
国史大辞典
と号し、平城京の元興寺に対して本元興寺と呼び、現在は新義真言宗で安居院(あんごいん)という。蘇我馬子が創立した寺で、『日本書紀』や『元興寺伽藍縁起』によると、崇 ...
27. 飛鳥寺
日本史年表
戊申〉 この年 百済、僧・ 仏舎利 ・寺工・ 鑪盤博士 ・ 瓦博士 ・画工をおくる(紀)。 蘇我馬子 、善信尼らを百済に派遣(紀)。 法興寺(飛鳥寺) を建て始 ...
28. あすかのきぬぬいの-このは【飛鳥衣縫樹葉】
日本人名大辞典
渡来系の飛鳥衣縫部(べ)の伴造(とものみやつこ)で,飛鳥衣縫氏の祖。崇峻(すしゅん)天皇元年(588)蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を造営する際,自身の宅地を寺地と ...
29. あすかのまかみのはら【飛鳥真神原】
国史大辞典
大和国飛鳥にあった地名。『日本書紀』崇峻天皇元年条に、蘇我馬子が飛鳥衣縫造の祖樹葉の家を壊して、法興寺を造り、この地を飛鳥真神原といった、とある。高市郡明日香 ...
30. 飛鳥美術
世界大百科事典
試みてきたが,崇仏の蘇我氏を除いては,敏達,用明朝も仏教に否定的であり,特に物部氏の廃仏は激しかった。587年蘇我馬子はついに物部守屋を滅ぼし,ここに崇仏の基盤 ...
31. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
変えなかったが、用明天皇は病気の平癒を求めて仏教帰依を表明し、かえって物部・蘇我両氏の対立を激化させた。蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、排仏派が崩壊した直後、馬子は ...
32. 穴穂部皇子
日本大百科全書
埿部(はしひとべ)穴穂部皇子ともいう。585年敏達(びだつ)天皇崩御のとき、無理に天皇になろうとしたが、蘇我馬子(うまこ)に諫(いさ)められ果たさなかった。58 ...
33. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
国史大辞典
皇の寵臣三輪君逆(さかう)を殺すが、用明天皇崩後、崇峻天皇を奉ずる敏達皇后(のち推古天皇)・蘇我馬子らの反撃にあい、用明天皇二年六月に皇子は殺され、つづいて守屋 ...
34. あなほべのおうじ【穴穂部皇子】
日本人名大辞典
用明天皇の没後,物部守屋(もののべの-もりや)の後押しで天皇になろうとしたが,用明天皇2年6月7日蘇我馬子(うまこ)らに殺された。別名は ...
35. 穴穂部皇子
世界大百科事典
とろうとし,これに反対する敏達の寵臣三輪逆(みわのさかう)を殺した。用明天皇の没後,のちの推古天皇,蘇我馬子らに攻撃され,587年6月に殺され,守屋もまた7月に ...
36. あべのうちのまろ【阿倍内麻呂】
国史大辞典
推古朝の大夫阿倍内臣鳥(鳥子)の子と思われる。『日本書紀』によれば、麻呂は推古天皇三十二年(六二四)に大臣蘇我馬子の命をうけ、歴代天皇の伝領する葛城県を蘇我氏に ...
37. あべの-まろ【阿倍摩侶】
日本人名大辞典
飛鳥(あすか)時代の官吏。推古天皇32年(624)葛城県(かずらきのあがた)をもらいたいという蘇我馬子の希望を天皇につたえる。推古天皇の死後,蘇我蝦夷(えみし) ...
38. 尼
世界大百科事典
者は男僧,後者は尼僧で旧華族から選ばれ,尼公と尊敬される。 日本の尼のはじまりは,584年に蘇我馬子が出家させた司馬達等の娘善信尼とその弟子禅蔵尼・恵善尼の3人 ...
39. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
「釈日本紀」に引く「摂津国風土記」逸文では有馬郡に「塩湯」があり、孝徳天皇が行幸して行宮を造営、塩湯の発見は蘇我馬子の時代と伝えている。孝徳天皇の行宮は善福寺前 ...
40. ありまかじんじゃ【阿理莫神社】大阪府:貝塚市/久保村地図
日本歴史地名大系
書写の「和泉国神名帳」には「従五位上安幕社」とある。「日本書紀」崇峻天皇即位前紀に物部守屋と蘇我馬子が戦ったとき、難波の宅を守っていた守屋の近侍者捕鳥部万が茅渟 ...
41. アーネスト・サトウ 神道論 39ページ
東洋文庫
『日本紀』にはまた次のようにも記されている。すなわち、「六二〇年(推古天皇二八年)に、聖徳太子と蘇我馬子が協力して『天皇記』及び『国記』をはじめ、「臣」、「連」 ...
42. アーネスト・サトウ 神道論 44ページ
東洋文庫
、本来の説を挙げているとしている。これが『旧辞記』と呼ばれる書物で、著者は聖徳太子と蘇我馬子とされ、蘇我馬子による序文には、本書が六二二年に完成したと書かれてい ...
43. 池画像
日本大百科全書
の呼び名は一致していない。新井 正池と庭園日本庭園の池の古い例は、推古(すいこ)天皇の時代の蘇我馬子(そがのうまこ)の庭園のそれである。池と島の景によって、馬子 ...
44. 池
世界大百科事典
日本で庭園に池を築くことは,すでに《日本書紀》推古34年(626)にみえている。これは〈嶋大臣〉と呼ばれた蘇我馬子の邸で飛鳥川のほとりに築かれ,〈庭の中に小なる ...
45. いけのべのひだ【池辺氷田】
国史大辞典
池辺氷田がこの楠で阿弥陀仏と菩薩の三像を彫刻したと伝える。『日本書紀』敏達天皇十三年条によれば、蘇我馬子の命により、池辺氷田と司馬達等が諸国に使して、修行者をさ ...
46. 池辺氷田
世界大百科事典
本書紀》敏達13年条には鹿深(かふか)臣と佐伯連が百済から持ち帰った仏像2体をまつるために,蘇我馬子が司馬達等(しばたつと)と氷田を四方に遣わして修行者を求めさ ...
47. いけべの-ひた【池辺氷田】
日本人名大辞典
られたという。また敏達(びだつ)天皇13年(584)百済(くだら)から仏像2体がとどいた際,蘇我馬子の命により修行者をもとめ,播磨(はりま)(兵庫県)に高句麗( ...
48. いしかわしょうじゃ【石川精舎】
国史大辞典
『日本書紀』敏達天皇十三年条に蘇我馬子が百済伝来の弥勒石像を安置するため自宅の東に仏殿を造り、また石川の宅にも仏殿を造ったと記す。しかしこの記事の二つの宅の位 ...
49. いしかわ‐の‐しょうじゃ[いしかはのシャウジャ]【石川精舎】
日本国語大辞典
敏達天皇一三年(五八四)蘇我馬子が石川の自宅に仏像を安置したというわが国最初の寺。現在の奈良県橿原市石川町の浄土宗本明寺の地とされる。イシカワノショージャ ...
50. 石川精舎
日本大百科全書
朝した鹿深臣(かふかのおみ)と佐伯連(さえきのむらじ)が2体の仏像を持ち帰ったが、これを得た蘇我馬子(そがのうまこ)は自邸の東方に仏殿をつくって善信尼(ぜんしん ...