1. 蘇我入鹿(そがいるか)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1584ページ ...
2. 蘇我入鹿画像
日本大百科全書
飛鳥(あすか)時代の高官。蘇我毛人(えみし)(蝦夷)の子。蘇我鞍作(くらつくり)、蘇我林臣(はやしのおみ)鞍作、蘇我太郎、林太郎などとも記された。入鹿を入霞と記 ...
3. 蘇我入鹿
世界大百科事典
?-645(大化1) 飛鳥時代の廷臣。蘇我毛人(蝦夷(えみし))の子。名は鞍作(くらつくり)といい,蘇我林臣鞍作,林太郎,蘇我大郎ともいわれた。青年時代の入鹿は ...
4. そが‐の‐いるか【蘇我入鹿】
日本国語大辞典
蘇我蝦夷の子。皇極天皇のとき、国政をもっぱらにし、権勢を極めた。山背大兄王一家を滅ぼしたり、自家を宮門(みかど)、子を王子と称するなど専横が多かったため、大化元 ...
5. そがのいるか【蘇我入鹿】
国史大辞典
?―六四五 七世紀の豪族。蘇我蝦夷の子。林臣・林太郎・鞍作とも称される。皇極天皇即位のころから、国政をとり、その威勢は父の大臣蝦夷より勝るものがあったという。 ...
6. 蘇我入鹿
日本史年表
645年〈大化元(6・19) 乙巳〉 6・12 中大兄皇子・中臣鎌子ら、 蘇我入鹿 を大極殿で暗殺(紀)。 ...
7. 蘇我入鹿(そがのいるか)[考古学]
イミダス 2018
7世紀前半に活躍した蘇我氏の有力者であり、大臣(おおおみ)として国政を指揮した。生年不詳であるが、645年に乙巳の変(大化の改新)において、中大兄、中臣鎌足ら ...
8. そがの-いるか【蘇我入鹿】
日本人名大辞典
?−645 飛鳥(あすか)時代の豪族。蘇我蝦夷(えみし)の子。父とともに国政をほしいままにし,皇極天皇2年蘇我系の古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子の即位の妨げ ...
9. そがのいるか【蘇我入鹿】
日本架空伝承人名事典
飛鳥時代の廷臣。蘇我毛人(蝦夷(えみし))の子。名は鞍作(くらつくり)といい、蘇我林臣鞍作、林太郎、蘇我大郎ともいわれた。青年時代の入鹿は、唐から帰国した新漢人 ...
10. 蘇我入鹿[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:3件 『入鹿誅戮』岡本綺堂『偽らぬ日本史 2 蘇我入鹿』-『今木の双墓蘇我入鹿の墓』喜田貞吉『蘇我蝦夷入鹿父子の ...
11. 蘇我入鹿首塚[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
飛鳥寺(あすかでら)西側にある五輪塔。645年(大化1)6月12日、飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で暗殺された蘇我入鹿(そがのいるか)の首塚であるといわれている。 ...
12. 飛鳥板蓋宮
世界大百科事典
日本古代の皇極朝および斉明朝の宮。蘇我入鹿誅滅事件の舞台となったことで有名。642年(皇極1)9月に造営が開始され,翌年4月に,皇極女帝は東宮南庭の権宮(かりみ ...
13. あすかいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】奈良県:高市郡/明日香村/岡村
日本歴史地名大系
皇極天皇は同天皇二年四月、小墾田宮(現大字豊浦)から飛鳥板蓋の新宮に移った。大化改新の序曲として知られている蘇我入鹿誅滅事件の舞台となった宮である。また孝徳天皇 ...
14. 飛鳥時代画像
日本大百科全書
山背の期待がふたたび裏切られたことで蘇我氏と山背の仲はいっそう険悪となった。643年(皇極天皇2)蘇我入鹿(そがのいるか)は山背大兄王一家を斑鳩宮(いかるがのみ ...
15. 飛鳥時代(年表)
日本大百科全書
唐から帰る641(舒明13)舒明天皇没す。蘇我倉山田石川麻呂、山田寺造営開始643(皇極2)蘇我入鹿、蝦夷にかわり大臣となる。入鹿、山背大兄王一家を滅ぼす(上宮 ...
16. 飛鳥寺
世界大百科事典
大兄皇子と中臣鎌足の出会いが有名である。また645年(大化1)の政変(乙巳(いつし)の変)で蘇我入鹿を殺害した中大兄皇子は当寺に立てこもり,672年(天武1)の ...
17. あすかでら【飛鳥寺】画像
国史大辞典
寺の西の槻の下は中大兄皇子や中臣鎌子が蹴鞠を行なった所。皇極天皇四年(六四五)六月飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を滅ぼした中大兄皇子は法興寺を占居し城として備えた。同月、 ...
18. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
その上に五輪塔が立っている。「高市郡古跡略考」には「蘇我入鹿大臣石塔」として、「村ヨリ一町未申ノ方田中に五輪少し残れり、里人もさこそ申侍る」とある。口碑に蘇我入 ...
19. あすかのいたぶきのみや【飛鳥板蓋宮】
国史大辞典
難波に移したので、怪異現象は板蓋宮が衰退する兆候であったと旧本に記すという。この年の六月十二日に蘇我入鹿誅伐事件があった。大化元年(六四五)十二月九日に、孝徳天 ...
20. 飛鳥美術
世界大百科事典
642年百済は高句麗と結び,新羅の侵攻した任那の中心地帯を奪取した。643年蘇我入鹿は山背大兄王および一族を滅ぼすが,翌々年蘇我入鹿は中大兄皇子らに殺され,時代 ...
21. 阿倍内麻呂
日本大百科全書
最初の左大臣。一名倉梯麻呂(くらはしまろ)。蘇我入鹿(そがのいるか)が殺され孝徳(こうとく)天皇が即位するとただちに左大臣に任命され、大化改新の枢機に参画した。 ...
22. 甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡[考古学]
イミダス 2018
。奈良文化財研究所の調査により、建物5棟と塀が焼失した状態で出土した。建物は倉庫などであり、蘇我入鹿の邸宅である谷の宮門(はざまのみかど)の一角をなして、大化の ...
23. あまのいぬかいうじ【海犬養氏】
国史大辞典
やがて朝廷にも出仕し、稚犬養氏らとともに宮城門の守衛にあたるようになった。皇極天皇四年(六四五)六月、蘇我入鹿打倒事件の際、海犬養連勝麻呂が、稚犬養網田らと中大 ...
24. あまのいぬかいの-かつまろ【海犬養勝麻呂】
日本人名大辞典
任務は宮城門の守備。皇極天皇4年(645)飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で中大兄(なかのおおえの)皇子らによる蘇我入鹿(いるか)暗殺にかかわり,暗殺用の剣を佐伯子 ...
25. 斑鳩[町]
世界大百科事典
聖徳太子は,605年10月に斑鳩宮に移り,621年2月に斑鳩宮で没した。643年(皇極2),上宮王家は蘇我入鹿によって滅ぼされ,その際,斑鳩宮も焼失した。193 ...
26. いかるが【斑鳩】
国史大辞典
山背大兄王が斑鳩宮に住み、また山背大兄王の異母弟泊瀬王の宮もこの地にあった。皇極天皇二年(六四三)十一月蘇我入鹿らが山背大兄王を襲い斑鳩宮を焼いた。天平年間(七 ...
27. 斑鳩宮
日本大百科全書
聖徳太子が601年(推古天皇9)斑鳩(奈良県生駒(いこま)郡斑鳩町)に営んだ宮室。643年(皇極天皇2)蘇我入鹿(そがのいるか)の兵によって焼き払われ、いったん ...
28. いかるがのみや【斑鳩宮】
国史大辞典
法隆寺はその西側に創立された。太子の死後その宮に住まった長子山背大兄王は、皇極天皇二年(六四三)に蘇我入鹿のつかわした兵に急襲され、宮は焼き払われた。王は身をも ...
29. いこまやま【生駒山】奈良県:生駒市
日本歴史地名大系
山麓に有力豪族がいたことがうかがえる。また東南麓平群谷には平群氏が勢力を振るい、皇極天皇二年には蘇我入鹿に攻撃された山背王が当山に隠れている。和銅五年(七一二) ...
30. 板蓋宮画像
日本大百科全書
小墾田宮(おはりだのみや)より飛鳥(あすか)板蓋の新宮に移った。645年(大化1)6月、板蓋宮で蘇我入鹿(そがのいるか)が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに ...
31. 乙巳の変
世界大百科事典
は近代にはいってからである。→大化改新青木 和夫 中大兄皇子 天智天皇 藤原鎌足 蘇我蝦夷 蘇我入鹿 蘇我石川麻呂 大化改新 ...
32. いぬ‐でら【犬寺】
日本国語大辞典
兵庫県神崎郡神崎町にある高野山真言宗の寺、法楽寺の別名。古代、蘇我入鹿の臣下の枚夫という者が、従者に殺害されようとしたさい、その危機を救った二匹の黒い飼い犬をま ...
33. 新漢人旻
世界大百科事典
ん)とあるが,帰国した632年(舒明4)以降はすべて僧旻と記す。仏教,天文に通じ,中臣鎌子,蘇我入鹿など貴族の子弟を集めて周易を講じたことが《大織冠伝》にみえる ...
34. 妹背山婦女庭訓
日本大百科全書
うらく)合作。時代物。5段。1771年(明和8)1月大坂・竹本座初演。藤原鎌足(かまたり)の蘇我入鹿(そがのいるか)討伐に、大和(やまと)地方の古伝説を織り込ん ...
35. 妹背山婦女庭訓
世界大百科事典
月大坂竹本座初演。5段。角書に〈十三鐘絹懸柳〉とある。近松門左衛門の《大職冠》など藤原鎌足の蘇我入鹿誅戮に取材した先行作を踏まえ,大和に伝わる十三鐘や衣掛け柳, ...
36. いもせやまおんなていきん[いもせやまをんなテイキン]【妹背山婦女庭訓】
日本国語大辞典
松田ばく、栄善平、近松東南らが合作。明和八年(一七七一)大坂竹本座初演。藤原鎌足(かまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を討った事件を骨子とし、これに采女(うねめ ...
37. いもせやまおんなていきん【妹背山婦女庭訓】
国史大辞典
竹本座で初演。歌舞伎には初演の年に大坂の小川座で、江戸では安永七年(一七七八)以来行われた。蘇我入鹿の暴虐と藤原鎌足の入鹿誅伐を主筋に、大和に伝わる采女の絹掛柳 ...
38. いもせやまおんなていきん【妹背山婦女庭訓】
歌舞伎事典
坂・竹本座初演。五段。角書に〈十三鐘/絹懸柳〉とある。近松門左衛門の《大職冠》など藤原鎌足の蘇我入鹿誅戮に取材した先行作を踏まえ、大和に伝わる十三鐘や衣掛け柳、 ...
39. いもせやまをんなていきん【妹背山婦女庭訓】
全文全訳古語辞典
[作品名]浄瑠璃。五段。近松半二らの合作。一七七一年(明和八)大坂竹本座初演。藤原鎌足が蘇我入鹿を討った事件を中心にして、大和地方の伝説などをふんだんに取り入れ ...
40. 入鹿
世界大百科事典
》。作者,成立年次不詳。上演記録の初出は1581年(天正9)(《家忠日記》)。藤原鎌足による蘇我入鹿退治の物語で,舞曲《大織冠(たいしよかん)》とともに奈良春日 ...
41. いるかじんじゃ【入鹿神社】奈良県:橿原市/八木・今井地区/小綱村
日本歴史地名大系
年に廃絶した。「西国三十三所名所図会」に次のようにみえる。入鹿宮。本堂の左の向にあり。伝云、蘇我入鹿の霊を祭る。当村の生土神とす。ならびに鎮守一社・末社三座あり ...
42. 陰謀
日本大百科全書
大化改新の序幕となった中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らによる蘇我入鹿(そがのいるか)の暗殺も一種の陰謀によって進められたとい ...
43. 江戸繁昌記 1 251ページ
東洋文庫
塗って粉飾している (二)皇極帝の四年… 『日本書紀』二四、皇極天皇四年六月、入鹿誅伐の箇所に、「中臣鎌子連、蘇我入鹿臣が為人疑多くて、昼夜剣を持けることを知り ...
44. おおさけじんじゃ【大避神社】兵庫県:赤穂市/坂越村
日本歴史地名大系
聖徳太子に重用され、太子より仏像を賜り太秦(現京都市右京区)に広隆寺を建てた。皇極天皇三年に蘇我入鹿の難を避けて坂越浦に至り、千種川流域を開拓、大化三年(六四七 ...
45. おばつじむら【大蓮村】大阪府:東大阪市/旧布施市地区地図
日本歴史地名大系
・中十四・西十四・十八・南三十双などの小字名が残る。村の北東部に小墳があり俗に狐塚とよぶが、蘇我入鹿の墓と伝える(大阪府全志)。天正―慶長(一五七三―一六一五) ...
46. おみわ【お三輪】
日本人名大辞典
大和(奈良県)の酒商杉屋の娘。藤原鎌足(かまたり)の嫡男で出家した淡海に恋をする。藤原一族が蘇我入鹿(そがの-いるか)を討つためには,自分の死が役立つとおもい命 ...
47. おみわ【お三輪】
日本架空伝承人名事典
藤原鎌足が蘇我入鹿を討伐した物語を骨子として大和地方の伝説を配した人形浄瑠璃『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』(一七七一年(明和八)正月大坂竹本座初 ...
48. かぐろむら【鹿黒村】千葉県:印西市地図
日本歴史地名大系
北は亀成川下流域に面し、西側には谷津が深く入り込む。元禄郷帳にカグロの訓を付す。地名由来にかかわり、蘇我入鹿が殺されたとき、その縁者が入鹿の首を当地に葬り居住し ...
49. かずらきの-わかいぬかいのあみた【葛城稚犬養網田】
日本人名大辞典
の天智天皇)にしたがい,飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で佐伯子麻呂(さえきの-こまろ)とともに蘇我入鹿(そがの-いるか)を斬殺した(大化の改新のはじまり)。宮城の ...
50. 敵役
世界大百科事典
をもつ。《菅原伝授手習鑑》の〈車引〉の時平や《妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)》の蘇我入鹿,《暫(しばらく)》のウケなど。〈色悪(いろあく)〉は美男の ...