1. 藤原良房
日本大百科全書
平安前期の官僚。人臣最初の摂政(せっしょう)。冬嗣(ふゆつぐ)の第二子で、母は尚侍(ないしのかみ)藤原美都子(みつこ)(大庭(おおば)女王ともいう)。初代の蔵人 ...
2. 藤原良房
世界大百科事典
804-872(延暦23-貞観14) 平安前期の官人。染殿大臣,白河殿とも称された。藤原冬嗣の二子で母は尚侍藤原美都子(大庭女王との説もある)。父のあとをうけて ...
3. ふじわら‐の‐よしふさ【藤原良房】
日本国語大辞典
平安前期の公卿。人臣最初の摂政。通称染殿・白河殿。父は冬嗣。母は阿波守真作の娘美都子。嵯峨天皇の皇女潔姫を室とし、父祖の遺徳と妹順子が仁明天皇の女御(後に皇后) ...
4. ふじわらのよしふさ【藤原良房】
国史大辞典
る詠歌(『古今和歌集』一)などに、その事跡と人物をみることができる。 [参考文献]坂本太郎「藤原良房と基経」(『古典と歴史』所収) (目崎 徳衛) 後愛宕墓(の ...
5. 藤原良房
日本史年表
2・19 藤原良房 を太政大臣とする(文徳実録)。 866年〈貞観8 丙戌③〉 8・19 藤原良房 に「天下之政」を摂行させる(三実)。 871年〈貞観13 辛 ...
6. ふじわらの-よしふさ【藤原良房】
日本人名大辞典
804−872 平安時代前期の公卿(くぎょう)。延暦(えんりゃく)23年生まれ。北家藤原冬嗣(ふゆつぐ)の次男。母は藤原美都子(みつこ)。承和(じょうわ)元年( ...
7. 藤原良房[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『藤原良房と基経』坂本太郎『藤原良房』田口卯吉 ...
8. 藤原良房(ふじわらよしふさ)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1569ページ ...
9. 藤原良房六十賀 (見出し語:藤原良房)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1534ページ ...
10. 藤原良房建二貞觀寺一 (見出し語:藤原良房)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 973ページ ...
11. 藤原良房爲二攝政一 (見出し語:藤原良房)
古事類苑
官位部 洋巻 第1巻 536ページ ...
12. あおうまのせちえ【白馬節会】
国史大辞典
微し、近世再び恒例となったが形骸化し、ついに明治二年(一八六九)に廃絶。『源氏物語』乙女に、藤原良房が自邸で白馬御覧の儀を行なった例にならい源氏の邸でも行なった ...
13. 排蘆小船(近世随想集) 366ページ
日本古典文学全集
、天資好文、叡才神敏、宸藻最も富瞻と称す」。平安前期の官撰国史。二〇巻。文徳天皇の命を受け、藤原良房ほかが撰進。貞観十一年成立。仁明天皇の治世十八年間を編年体で ...
14. あぬのしょう【阿努庄】富山県:氷見市
日本歴史地名大系
含まれている。また南北朝内乱期における近衛家の内紛を経た室町中期には、この二五ヵ所が忠仁公(藤原良房)以来の別相伝地とされ、近衛家にとっての「家門異他旧領」とさ ...
15. あべの-なみたか【安倍比高】
日本人名大辞典
左近衛将監(さこんえのしょうげん),出羽守(でわのかみ)などを歴任。貞観(じょうがん)14年(872)藤原良房死去の際,左馬寮(さまりょう)を管理し警備にあたる ...
16. あわた【粟田】京都市:東山区/粟田口村
日本歴史地名大系
也」とあるもので、染殿は清和院と同じで藤原良房邸、そして当地にあった藤原基経の別邸が粟田院である。また「後撰集」には、 粟田の家にて人に遣はしける ...
17. あんぱちぐん【安八郡】岐阜県
日本歴史地名大系
八郡」とみえる。貞観寺(跡地は現京都市伏見区)領のうち田七町二段余・荒地三町六段余は太政大臣藤原良房の家領であったが、同四年九月八日民部省符によって良房の娘明子 ...
18. 伊勢物語 119ページ
日本古典文学全集
信濃の国、浅間の嶽に煙の立つを見て、 七 八 二条后を示す注めいた部分。→一一五ページ注一四。藤原良房女の染殿后。文徳天皇女御で、清和天皇の生母。「女御」は、 nbsp;...
19. 伊勢物語 199ページ
日本古典文学全集
五の「なくに」の説明)。老いること。助詞「がに」は、…するように、の意。〔九八〕 太政大臣。藤原良房(八〇四~七二)をさすと考えられる。良房が太政大臣であったの ...
20. 伊勢物語 203ページ
日本古典文学全集
こめて問うたととれる。主客藤原良近にへつらうととれるので、不快になる。「おほきおとど」は太政大臣。藤原良房をさす。良近が左中弁になる二年前に、良房は没している。 ...
21. いちえん【壱演】
国史大辞典
受け、真如親王に真言密教を授けられる。貞観二年(八六〇)皇太后順子不予に際し看病。同六年太政大臣藤原良房の病気平癒加持の功により翌七年九月律師を経ずに権僧正を賜 ...
22. いちえん【壱演】
日本人名大辞典
灌頂(かんじょう)をうける。貞観(じょうがん)2年皇太后藤原順子の看病にあたる。6年太政大臣藤原良房の病の平癒に功があり,7年権(ごんの)僧正,奈良超昇寺の座主 ...
23. いちかわのしょう【市河庄】山梨県:甲府市
日本歴史地名大系
)に庄名がみえる。法勝院は山城国紀伊郡深草郷(現京都市伏見区)にかつて存在した真言宗の寺で、藤原良房の建立した貞観寺(現同上)の子院として建てられたものらしいが ...
24. いんぐうきゅう【院宮給】
国史大辞典
しかし人臣にも特別な場合には三宮に准じて年官・年爵を給するという、准三宮の待遇を与えることがあった。藤原良房にこれを与えたことに始まる。→年給(ねんきゅう) [ ...
25. 宇治拾遺物語 303ページ
日本古典文学全集
賜って臣籍に降下、天安元年(八五七)、左大臣となる。北辺大臣と号し、琴笛、草隷の書、絵をよくした。藤原良房(八〇四~八七二)。冬嗣の子。天安元年二月、太政大臣に ...
26. うだいしょう【右大将】
国史大辞典
右近衛府の長官。左大将と同じ従三位の官であるが、その次位にある武官と観念され、斉衡元年(八五四)の藤原良房以後、右大将から左大将に遷任するのが一般化した。さらに ...
27. 内舎人
世界大百科事典
コースをとった。807年(大同2)内舎人の定員は40人に減少された。871年(貞観13)摂政藤原良房に内舎人2人を随身として賜与され,また延喜年間(901-92 ...
28. 栄花物語 91ページ
日本古典文学全集
たのは、前年長和五年六月十日。「摂政ヲ三宮ニ准ジ、年官年爵幷ニ三千戸ノ封ヲ給フベシ。忠仁公(藤原良房)ノ例。又、左右兵衛ノ舎人各六人ヲ以テ随身ト為ス事。亦、摂政 ...
29. 栄花物語 344ページ
日本古典文学全集
「閏五月十五日甲戌、上東門院、白川院ニ遷御ス」(略記)。白河殿は京都市左京区岡崎法勝寺町辺にあった邸宅。藤原良房の別業として始まり、この頃には頼通が所有。桜の名 ...
30. えい-ぐゎ【栄華・栄花】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕栄えて勢いの盛んなこと。 「太政大臣の栄華の盛りにみまそがりて」〈伊勢・101〉太政大臣(藤原良房様)が栄華の最盛期にいらっしゃって。 ...
31. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
された。寛平三年(八九一)には関白・太政大臣であった藤原基経が、藤原不比等の近江(淡海公)、藤原良房の美濃(美濃公、また忠仁公ともいう)に続いて越前に封じられ、 ...
32. 絵解き
世界大百科事典
中央アジア・中国を経て日本にも流伝し,さらに独自な展開をした。 日本に現存する最古の記録は,藤原良房建立の貞観寺に参詣した際,良房をまつる太政大臣堂の柱に描かれ ...
33. 円珍
世界大百科事典
〉を造り,留学僧の利便に供した。唐商李延孝の船にのって858年(天安2)帰朝。当時,政界では藤原良房・基経の父子が権勢をふるっていたが,円珍を厚く遇した。864 ...
34. えんりゃくじ【延暦寺】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
将来した典籍は四四部一千巻に達した。帰朝後円珍は天台密教の振興に尽力するかたわら、ときの政界の藤原良房・基経父子の知遇を得た。のち良房の娘が産んだ清和天皇の即位 ...
35. 応天門の変画像
日本大百科全書
左近衛(さこんえ)中将参議の藤原基経(もとつね)に事の由を告げ、基経は養父の太政(だいじょう)大臣藤原良房(よしふさ)にこれを知らせ、良房が源信を擁護したとも、 ...
36. 応天門の変
世界大百科事典
った。最初大納言伴善男(とものよしお)は左大臣源信の所業としてその処罰を主張したが,太政大臣藤原良房らの工作で無実が明らかになった。ところが8月3日に左京の備中 ...
37. おうてんもんのへん【応天門の変】
国史大辞典
もに、承和の変(承和九年(八四二))以来、摂関政治の確立をめざして着々と布石を進める太政大臣藤原良房にとっても邪魔な存在となってきていた。良房は、事件進展中の八 ...
38. 大鏡 25ページ
日本古典文学全集
兄に惟喬・惟条・惟彦親王がいた。清和天皇即位後に、皇太后となる。孫の陽成天皇の時に、太皇太后。藤原良房。→良房伝(六四ページ)。「近衛南、東洞院西」(拾芥抄)。 ...
39. 大鏡 26ページ
日本古典文学全集
文徳天皇は惟喬の立太子を願ったが、重臣に阻まれて実現しなかったと語り継がれていた(権記、東松本裏書)。藤原良房の家。「正親町北・京極西、二町、忠仁公(良房)ノ家 ...
40. 大鏡 62ページ
日本古典文学全集
年号定りたり。大宝元年といふ。文徳天皇の末の年、斉衡四年丁丑二月十九日、帝の御舅、左大臣従一位藤原良房のおとど、太政大臣になりたまふ、御年五十四。このおとどこそ ...
41. 諡
世界大百科事典
漢風諡は,文忠公であった。太政大臣の官にあった者は,封国を定め,漢風諡を賜るのが常であった。藤原良房が忠仁公,藤原忠平が貞信公と諡されたことなどは,その例である ...
42. おたぎのはか【愛宕墓】
国史大辞典
太政大臣藤原良房室源潔姫の墓。潔姫は嵯峨天皇の皇女、文徳天皇女御明子の母。斉衡三年(八五六)六月二十五日没、神楽岡白川の地に葬る。清和天皇の外祖母にあたる故に ...
43. 少女(源氏物語) 70ページ
日本古典文学全集
故人を慕いあう。元日。源氏はこの年、三十四歳。太政大臣は小朝拝や元日の節会に出なくてもよい。藤原良房(八〇四~八七二)は人臣ではじめて太政大臣・摂政に任じられた ...
44. おののみやあと【小野宮跡】京都市:中京区/竹間学区/松竹町地図
日本歴史地名大系
今の松竹町を中心に少将井町・鏡屋町付近にあたる。惟喬親王は母が紀氏のため外家の力を頼るべくもなく、藤原良房を外祖父とする第四皇子惟仁親王が清和天皇として即位。こ ...
45. 陰陽道
世界大百科事典
禁忌卜占が政治に影響するところが多く,貴族の御用的性格を帯びた宮廷陰陽道へと変わっていった。藤原良房の進出した仁明・文徳朝(833-858)ころよりこの傾向は著 ...
46. かしようじあと【嘉祥寺跡】京都市:伏見区/深草村地図
日本歴史地名大系
年号寺院であることもこれを裏付ける。開基は空海の弟子真雅。〔貞観寺との関係〕仁寿年間(八五一―八五四)には藤原良房が真雅と嘉祥寺西院を建立、貞観四年(八六二)に ...
47. かみつけのの-しげこ【上毛野滋子】
日本人名大辞典
?−897 平安時代前期の女官。太政大臣藤原良房家の女房頭をへて太皇太后藤原明子(めいし)につかえた。従三位(正三位とも),典侍(ないしのすけ)。寛平(かんぴょ ...
48. かわさきかんのんどうあと【河崎観音堂跡】京都市:上京区/京極学区/梶井町地図
日本歴史地名大系
この地に仏の感応があったので伽藍を構え、感応寺と号したとする。壱演はもと奈良薬師寺に住し、貞観六年太政大臣藤原良房の病を治して翌年権僧正に任じられた(「三代実録 ...
49. かんのんじ【観音寺】京都府:綴喜郡/田辺町/上村
日本歴史地名大系
以後度々火災に遭う。「普賢寺補略録」によると、延暦一三年(七九四)炎上し、仁寿三年(八五三)藤原良房が本願主、円仁(慈覚大師)が大導師となって再興したが、天暦六 ...
50. がいせき【外戚】
国史大辞典
通じて、きわめて深かった。天皇の外戚という立場が特に大きな政治的意義を持つようになったのは、藤原良房が文徳天皇の外伯父として太政大臣となり、ついで幼帝清和天皇の ...