1. 藤原道長画像
日本大百科全書
平安中期の政治家で、藤原氏全盛期の最頂点にたった人物。『大鏡』や『栄花物語』は道長の生涯の記述に重点を置いている。父は、藤原氏北家(ほっけ)の摂政(せっしょう) ...
2. 藤原道長
世界大百科事典
966-1027(康保3-万寿4) 平安中期の公卿。摂政兼家の五男。母は摂津守藤原中正の女時姫。986年(寛和2)一条天皇が践祚し,父兼家が摂政となるや,翌年従 ...
3. ふじわら‐の‐みちなが【藤原道長】
日本国語大辞典
平安中期の公卿。父は兼家。母は時姫。兄道隆・道兼の死後、内覧・氏長者・右大臣となる。道隆の子伊周・隆家を失脚させ、娘彰子・妍子・威子・嬉子・盛子を入内させて三代 ...
4. ふじわらのみちなが【藤原道長】
国史大辞典
、北山茂夫『藤原道長』(『岩波新書』青七六四)、目崎徳衛『王朝のみやび』、土田直鎮『王朝の貴族』(中央公論社『日本の歴史』五)、山中裕『藤原道長』(『歴史新書』 ...
5. 藤原道長
日本史年表
皇太子とし、 藤原道長 を摂政とする(紀略)。 1017年〈寛仁元(4・23) 丁巳〉 12・4 藤原道長 を太政大臣とする(紀略)。 1018年〈寛仁2 戊午 ...
6. ふじわらの-みちなが【藤原道長】
日本人名大辞典
966−1028* 平安時代中期の公卿(くぎょう)。康保(こうほう)3年生まれ。藤原兼家の5男。母は藤原中正の娘時姫。兄道隆・道兼の死去で,長徳元年(995)内 ...
7. ふじわらのみちなが【藤原道長】
日本架空伝承人名事典
平安中期の公卿。摂政兼家の五男。母は摂津守藤原中正の女時姫。九八六年(寛和二)一条天皇が践祚し、父兼家が摂政となるや、翌年従四位上から三階を越えて従三位に昇り、 ...
8. 藤原道長[文献目録]
日本人物文献目録
いひし事に就きて』山崎藤吉『藤原道長とその時代』山中裕『藤原道長とその書跡 1‐3』春名好重『藤原道長と中関白家』富田節子『藤原道長の金峰詣』佐藤虎雄『藤原道長 ...
9. 藤原道長(ふじわらみちなが)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1576ページ ...
10. ふぢはらのみちなが【藤原道長】
全文全訳古語辞典
[人名]平安中期の政治家。九六六年(康保三)~一〇二七年(万寿四)。兼家の五男。一条天皇の中宮となった彰子を始め、后に立てた娘達の産んだ皇子を次々と帝位につけ、 ...
11. 【藤原道長】ふじ(ふぢ)わら(はら)のみちなが
新選漢和辞典Web版
人名。平安中期の朝臣。天皇の外戚(がいせき)となり摂政(せっしょう)として宮中の権力をほしいままにした。法成(ほうじょう)寺をたて、関白になったことはないが、 ...
12. 藤原道長五十賀 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1535ページ ...
13. 藤原道長五十賀 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 1411ページ ...
14. 藤原道長專權 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1601ページ ...
15. 藤原道長建二法成寺一 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 397ページ ...
16. 藤原道長建二淨妙寺一 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1064ページ ...
17. 藤原道長葬儀 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1545ページ ...
18. 藤原道長賜二度者一 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1538ページ ...
19. 藤原道長驕傲 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1630ページ ...
20. 行二幸藤原道長第一 (見出し語:藤原道長)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1539ページ ...
21. 日本漢詩集
日本古典文学全集
4世紀ごろより中国から入ってきた漢籍を訓読によって日本語化し、さらには本家に倣って「漢詩」をつくるようになる。飛鳥時代の大友皇子や大津皇子にはじまり、平安期には ...
22. 藤原道長/天皇家との関係[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan ...
23. ふじわらのみちながきょうづつ【藤原道長経筒】 : 金峯山経
国史大辞典
藤原道長経筒 藤原道長が寛弘四年(一〇〇七)八月に、金峯山に『法華経』などを納めて埋めた経筒。元禄四年(一六九一)に出土したと伝えているが、わが国でもっとも ...
24. 藤原道長第造作時令二家人等曳一レ石 (見出し語:石)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1633ページ ...
25. ふじわらのみちながきょうづつ【藤原道長経筒】
国史大辞典
⇒金峯山経塚(きんぶせんきょうづか) ...
26. あおい[あふひ]【葵】画像
日本国語大辞典
る。(2)賀茂祭で用いられるのは「もろかづら二葉ながらも君にかくあふひや神のしるしなるらん〈藤原道長〉」〔後拾遺‐雑五・一一〇八〕と歌われるフタバアオイで、葵祭 ...
27. 赤染衛門
世界大百科事典
十数歳で没した。赤染時用(ときもち)の女。母が初め平兼盛の妻だったので,兼盛女ともいわれる。藤原道長の妻倫子の女房となり,父が右衛門志(うえもんのさかん)や尉( ...
28. あかぞめ‐えもん[‥ヱモン]【赤染衛門】
日本国語大辞典
中古三十六歌仙の一人。父は赤染時用(ときもち)、実は平兼盛という。大江匡衡(まさひら)に嫁し、藤原道長の妻倫子に仕える。「後拾遺和歌集」などに多く歌が見え、和泉 ...
29. あかぞめえもん【赤染衛門】
国史大辞典
て間もなく生まれたのが彼女であり、両者がその認知をめぐって争った(『袋草紙』)という。はやく藤原道長の室倫子に仕え、大江為基と恋愛、のちその従兄大江匡衡と結婚し ...
30. あかぞめ-えもん【赤染衛門】
日本人名大辞典
?−? 平安時代中期の歌人。藤原道長の妻源倫子(りんし)に,のちその娘の上東門院につかえる。貞元(じょうげん)元年(976)ごろ大江匡衡(まさひら)と結婚し,挙 ...
31. あかぞめえもん【赤染衛門】
日本架空伝承人名事典
十数歳で没した。赤染時用(ときもち)の女。母が初め平兼盛の妻だったので、兼盛女ともいわれる。藤原道長の妻倫子の女房となり、父が右衛門志(うえもんのさかん)や尉( ...
32. あかぞめゑもん【赤染衛門】
全文全訳古語辞典
[人名]平安中期の女流歌人。生没年未詳。赤染時用の娘(実は平兼盛の娘という)で、藤原道長の妻倫子に仕えた後、大江匡衡の妻。当時、和泉式部と並び称せられるほど和歌 ...
33. あきづのしょう【秋津庄】和歌山県:田辺市/下秋津村
日本歴史地名大系
治四年二月三日上棟」とあるが、「尊卑分脈」によれば中院右大臣家源雅実の母は権中納言隆俊女で、藤原道長女(尊子)は雅実の父顕房の母。また「醍醐寺雑事記」(東京大学 ...
34. あく-まで【飽くまで】
全文全訳古語辞典
最後の最後まで。徹底的に。 「入道殿はあくまで情おはします御本性にて」〈大鏡・道隆〉入道殿(=藤原道長)は、どこまでもお心やさしいご性質で。 ...
35. あけだのしょう【緋田庄】兵庫県:姫路市/旧飾磨郡地区
日本歴史地名大系
「民経記」安貞元年(一二二七)一二月の二五日と思われる条にみえる「緋田庄」は摂関家領庄園で、藤原道長が造営した法成寺(現京都市上京区)の法印院賢が知行し、同寺の ...
36. 総角(源氏物語) 305ページ
日本古典文学全集
)宮であった。母明石の中宮が女一の宮を。女房は、普通五位程度の者、受領階級の娘に多かったが、藤原道長の時代以後、高家の娘も女房となる ...
37. あさごぐん【朝来郡】兵庫県
日本歴史地名大系
勘問を受けており(「小右記」同年四月二七日条など)、国郡司と庄園領主との対立と考えられるが、藤原道長の女婿小一条院敦明親王を背景とする惟朝は六月に至って宥免され ...
38. 蘆屋道満
世界大百科事典
物として登場することが多い。《古事談》《宇治拾遺物語》《十訓抄》に,道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが,道長の犬と晴明に見破られ,本国播磨国に追 ...
39. あしや‐どうまん【蘆屋道満】
日本国語大辞典
平安時代、一条天皇の頃の陰陽家。安倍晴明と陰陽の術を争ったが、藤原道長を呪詛(じゅそ)し晴明に破れたため播磨国(兵庫県)に放逐されたと伝えられる。のちに浄瑠璃「 ...
40. あしや-どうまん【蘆屋道満】
日本人名大辞典
平安時代中期の伝説上の陰陽師(おんようじ)。藤原道長に呪いをかけて安倍晴明(せいめい)にみやぶられ追放されたといい,また晴明と術くらべをして敗れ弟子となり,のち ...
41. あしやどうまん【蘆屋道満】
日本架空伝承人名事典
物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが、道長の犬と晴明に見破られ、本国播磨国に追 ...
42. あすか【飛鳥】奈良県:高市郡/明日香村
日本歴史地名大系
平安時代にはそれもほとんど廃された。古都への郷愁は飛鳥巡礼となって現れ、清和天皇・藤原道綱の母・藤原道長などが当地を訪れている。和銅三年庚戌の春二月、藤原宮より ...
43. あすかでら【飛鳥寺】奈良県:高市郡/明日香村/飛鳥村
日本歴史地名大系
、一〇月一五日に万灯会を修することが恒例とされた(続日本後紀)。治安三年(一〇二三)一〇月、藤原道長が当寺を訪ねた時、「日本霊異記」上巻三話の道場法師の説話にみ ...
44. あすかべのつねのり【飛鳥部常則】
国史大辞典
宮殿障壁に描いた例である。風景画では京都最古の林泉である神泉苑の写景画が冷泉院図書にあって、藤原道長が見て優美であるとほめている。天禄三年(九七二)に賀茂祭の御 ...
45. あせ-は・つ【褪せ果つ】
全文全訳古語辞典
る・つれ・てよ勢いがすっかり衰える。 「かばかりあせはてむとは思してんや」〈徒然草・25〉(藤原道長は自分の建てた寺々が)これほど荒廃してしまおうとはお考えにな ...
46. 敦明親王
日本大百科全書
平安中期の皇族。三条(さんじょう)天皇の第1皇子で母は皇后娍子(じょうし)。藤原道長は三条天皇に譲位を迫り、1016年(長和5)女(むすめ)である中宮彰子(ちゅ ...
47. 敦明親王
世界大百科事典
母は皇后娍子(じようし)(藤原済時女)。三条天皇は後一条天皇(一条天皇皇子)への譲位に際し,藤原道長の意に反して親王の立太子を実現したが,道長は東宮に伝えるべき ...
48. 敦明親王
日本史年表
丙辰〉 1・29 三条天皇 譲位、 敦成親王(後一条天皇) 受禅、 敦明親王 を皇太子とし、 藤原道長 を摂政とする(紀略)。 1017年〈寛仁元(4・23) ...
49. あつあきらしんのう【敦明親王】
日本人名大辞典
子(せいし)。長和5年後一条天皇の皇太子にたてられたが,藤原道長の圧迫をうけ,翌年その地位を辞した。一品(いっぽん)。太上天皇に准じられ小一条院の院号をうける ...
50. 敦成親王・後一条天皇
日本史年表
丙辰〉 1・29 三条天皇 譲位、 敦成親王(後一条天皇) 受禅、 敦明親王 を皇太子とし、 藤原道長 を摂政とする(紀略)。 1016年〈長和5 丙辰〉 2・ ...