1. 源義家
日本大百科全書
平安後期の武将。河内(かわち)源氏の嫡流で頼義(よりよし)の長子。母は上野介(こうずけのすけ)平直方(なおかた)の女(むすめ)。7歳の春、石清水八幡宮(いわしみ ...
2. 源義家
世界大百科事典
1039-1106(長暦3-嘉承1) 平安後期の武将。源頼義の長男。母は上野介平直方の娘。石清水(いわしみず)八幡宮で元服し〈八幡太郎〉と号した。前九年の役に父 ...
3. みなもと‐の‐よしいえ【源義家】
日本国語大辞典
平安後期の武将。頼義の長男。母は平直方の女。石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号する。天下第一の武勇の士といわれ、前九年の役に父頼義とともに奮戦し、功により出 ...
4. みなもとのよしいえ【源義家】
国史大辞典
年の役(ぜんくねんのえき) [参考文献]『大日本史料』三ノ八、嘉承元年七月是月条、安田元久『源義家』(『人物叢書』一三〇) (安田 元久) ...
5. 源義家
日本史年表
1087年〈寛治元(4・7) 丁卯〉 12・26 源義家 、清原武衡らの斬首を報告( 後三年の役 終る)(本朝世紀)。 1098年〈承徳2 戊寅〉 10・23 ...
6. みなもとの-よしいえ【源義家】
日本人名大辞典
1039−1106 平安時代中期-後期の武人。長暦(ちょうりゃく)3年生まれ。源頼義(よりよし)の長男。前九年の役で父とともに活躍。のち陸奥守(むつのかみ)兼鎮 ...
7. みなもとのよしいえ【源義家】
日本架空伝承人名事典
平安後期の武将。源頼義の長男。母は上野介平直方の娘。石清水(いわしみず)八幡宮で元服し「八幡太郎」と号した。前九年の役に父に従って参戦、勲功により一〇六三年(康 ...
8. 源義家[文献目録]
日本人物文献目録
正敏『源義家』昇塚精研『日本武将評伝 1』高柳光寿『源義家』安田元久『足立区における義家の伝説 1‐2』酒井鋳亮『歌一首の義家』志田義秀『河内通法寺址及源家三代 ...
9. 源義家善レ射 (見出し語:源義家)
古事類苑
武技部 洋巻 第1巻 177ページ ...
10. 源義家奉二弓於白河上皇一 (見出し語:源義家)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 825ページ ...
11. 源義家於二奈古曾關一詠二和歌一 (見出し語:源義家)
古事類苑
地部 洋巻 第3巻 685ページ ...
12. 源義家追二討俘囚一 (見出し語:源義家)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 751ページ ...
13. 源義家祝髪由斬(著作ID:4381098)
新日本古典籍データベース
みなもとよしいえしゅくはつゆうぜん ...
14. 石清水社蔵源義家朝臣甲冑図(著作ID:282020)
新日本古典籍データベース
いわしみずしゃぞうみなもとよしいえあそんかっちゅうず 武具 ...
15. 大江匡房傳二兵法於源義家一 (見出し語:大江匡房)
古事類苑
兵事部 洋巻 第1巻 20ページ ...
16. あいぜんいん【愛染院】茨城県:行方郡/潮来町/水原村
日本歴史地名大系
県指定文化財)。地元では「水原の観音様」とよぶ。寺伝によれば、奥州征伐の途次、当地で嵐にあった源義家が北浦を渡れず、守護仏の観音像に祈ったところ平穏となったため ...
17. あおたむら【青田村】福島県:安達郡/本宮町
日本歴史地名大系
相生集)。瀬戸川の上流字岩井に、石英粗面岩の間から湧出している岩井の清水がある。伝説によると源義家が東征の際、従兵のために矢尻で掘ったところ泉が湧いたというが、 ...
18. あおやまはちまんぐう【青山八幡宮】静岡県:藤枝市/八幡村
日本歴史地名大系
[現]藤枝市八幡 八幡山の南端にある。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。旧郷社。寛治二年(一〇八八)源義家が奥州下向の際に山城石清水八幡宮を勧請したと伝える。 ...
19. あおやまむら【青山村】山形県:東田川郡/三川町
日本歴史地名大系
寺に宿営した折、付近一帯が繁茂した森となっていたことから名付けられたとも、後三年の役のときに源義家が常陸国の式内社青山神社(現茨城県東茨城郡常北町)に戦勝祈願し ...
20. あかいむら【赤井村】福島県:会津若松市/旧湊村地区
日本歴史地名大系
できた万治年中(一六五八―六一)に開かれたと伝え、現在は下ノ窪という。村西にある荒脛巾神社は源義家がこの地を通った時、はばきを置いたとの伝説に由来するという。真 ...
21. あがた-つぎとう【県次任】
日本人名大辞典
?−? 平安時代後期の武人。後三年の役(1083-87)に源義家にしたがう。清原家衡(いえひら)を金沢柵に包囲。家衡が身をやつしのがれようとするのを討ちとり,義 ...
22. あくつはちまんじんじゃ【安久津八幡神社】山形県:東置賜郡/高畠町/安久津村
日本歴史地名大系
創祀年代は不明だが、貞観二年(八六〇)円仁の創建と伝える阿弥陀堂を前身とし、康平年間(一〇五八―六五)源義家が、前九年の役・後三年の役の戦勝の報賽として鎌倉鶴岡 ...
23. あくみぐん【飽海郡】山形県
日本歴史地名大系
氏の藤原基衡であった。〔中世〕吹浦大物忌神社旧記(大物忌神社文書)などによれば、出羽留守所は源義家が後三年の役後に家臣の須藤某を残留させたのが始まりで、のちにこ ...
24. あげむら【阿気村】秋田県:平鹿郡/大雄村
日本歴史地名大系
この地で兜を脱いで塚に籠め、その上に一宇の堂を造営したので、山を勝軍山、台を兜台というとあり、源義家が片鐙を当村の安家山正八幡宮に奉納したが、文政八年(一八二五 ...
25. あさくさふくいちよういつちようめ【浅草福井町一丁目】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
みえる(嘉永四年「諸問屋名前帳」旧幕府引継書)。北部に銀杏八幡宮(現銀杏岡八幡神社)がある。源義家が奥州遠征に向かう際、隅田川に浮ぶ銀杏の枝をこの地に挿し、もし ...
26. あさひやまはちまんじんじゃ【朝日山八幡神社】山形県:酒田市/旧平田郷地区/大石村
日本歴史地名大系
弘仁年間(八一〇―八二四)山城国石清水八幡を勧請(荘内年代記)、康平二年(一〇五九)野火で焼失し、同五年源義家により社殿が再建されたと伝え、朝日山城の鎮守であっ ...
27. 足利家時
日本大百科全書
頼氏(よりうじ)の子で室町幕府を開いた尊氏(たかうじ)の祖父にあたる。『難太平記(なんたいへいき)』によると、源義家(よしいえ)が7代ののちに生まれ変わって天下 ...
28. あしかが-いえとき【足利家時】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉時代の武将。足利頼氏の子。足利尊氏の祖父。「難太平記」によれば,先祖の源義家の遺書に,「7代後に生まれかわって天下をとる」とあり,家時はその代にあた ...
29. 足利氏画像
日本大百科全書
清和源氏(せいわげんじ)。鎌倉~室町時代の豪族。源義家(みなもとのよしいえ)の子義国(よしくに)の次子義康(よしやす)に始まる。下野国(しもつけのくに)足利荘( ...
30. 足利氏画像
世界大百科事典
もつが,確かなことはわからない。佐野,阿曾沼などの分流は鎌倉幕府の御家人となっている。 源氏足利氏 源義家の子義国の子孫で,その子の義重は新田氏,義康の系統が足 ...
31. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
築いた足利大夫成行を祖とし、その孫俊綱は郡内の棟梁といわれて足利庄領主職をも有していた。一方、源姓足利氏は源義家の子義国を祖とする。梁田御厨の給主職を有していた ...
32. あしかがし【足利氏】画像
国史大辞典
成行の子孫のうち、大胡・佐野・阿曾沼の諸氏は頼朝に属し、鎌倉御家人として発展した。なお成綱の女が源義家に嫁して義国を生んだとか、あるいは義国に嫁して義重(新田氏 ...
33. あしかがし【足利氏】 : 足利氏/(二)
国史大辞典
成行の子孫のうち、大胡・佐野・阿曾沼の諸氏は頼朝に属し、鎌倉御家人として発展した。なお成綱の女が源義家に嫁して義国を生んだとか、あるいは義国に嫁して義重(新田氏 ...
34. 足利義兼
日本大百科全書
鎌倉前期の武将。源氏に属し源義家(よしいえ)の曽孫(そうそん)で義康(よしやす)の子。母は熱田大宮司藤原季範(すえのり)の娘というから頼朝(よりとも)とは従兄弟 ...
35. あしかが-よしかね【足利義兼】
日本人名大辞典
?−1199 平安後期-鎌倉時代の武将。足利義康の子。源義家の曾孫。治承(じしょう)4年(1180)源頼朝の挙兵にくわわり,平氏追討に功をたて,奥州藤原氏征討に ...
36. あしかが-よしきよ【足利義清】
日本人名大辞典
?−1183 平安時代後期の武将。足利義康の子。源義家の曾孫。源義仲の挙兵に応じ,寿永2年丹波をへて京都にはいる。のち讃岐(さぬき)(香川県)屋島の平氏を攻めよ ...
37. 足利義康
日本大百科全書
平安後期の武将。源義家(よしいえ)の孫、義国(よしくに)の子。母は信濃守(しなののかみ)源有房の娘。父から下野(しもつけ)国(栃木県)足利庄(しょう)を譲られ、 ...
38. 足利義康
世界大百科事典
?-1157(保元2) 平安後期の武将。源義家の孫。義国の子。新田義重の弟。室は藤原季範の長男範忠の女。下野国足利を本拠とし藤原姓足利氏と所領を争った。鳥羽上皇 ...
39. あしかがよしやす【足利義康】
国史大辞典
?―一一五七 平安時代後期の武将。足利氏の祖。源義家の孫。源義国の子。新田義重の弟。母は信濃守源有房(村上源氏)の女。父義国より下野国足利荘を譲られてここを本 ...
40. あしがらやま【足柄山】静岡県:駿東郡/小山町
日本歴史地名大系
記している。「古今著聞集」「時秋物語」には永保年中(一〇八一―八四)後三年の役で苦戦に陥った兄源義家の救援に向かった源義光が、その途次足柄山で豊原時秋に笙の秘曲 ...
41. 安倍貞任
世界大百科事典
わ)柵・鳥海柵と敗戦がつづき,同年9月17日,本拠の厨川柵(岩手県盛岡市)において敗死した。源義家が〈衣のたてはほころびにけり〉とうたいかけ,貞任が〈年をへし糸 ...
42. あべのさだとう【安倍貞任】
日本架空伝承人名事典
わ)柵・鳥海柵と敗戦がつづき、同年九月一七日、本拠の厨川柵(岩手県盛岡市)において敗死した。源義家が「衣のたてはほころびにけり」とうたいかけ、貞任が「年をへし糸 ...
43. あまつむら【天津村】千葉県:安房郡/天津小湊町地図
日本歴史地名大系
縁起によると古来安房国総鎮守の神として尊崇されたという。康平五年(一〇六二)に源頼義、寛治元年(一〇八七)に源義家が蝦夷征討の際に祈誓、治承四年(一一八〇)先例 ...
44. あまなわしんめいぐう【甘縄神明宮】
国史大辞典
長谷の東部をいう。『新編相模国風土記稿』には、長谷村の鎮守は俗に甘縄明神と呼ばれ、その神体は源義家の守護神であったというが、この社は『吾妻鏡』にみえる甘縄神明宮 ...
45. 鮎貝八幡宮
日本大百科全書
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀(まつ)る。社伝によれば、1060年(康平3)鎮守府将軍源義家(よしいえ)の勧請(かんじょう)という。江戸時代には領主上杉氏 ...
46. あゆかい‐はちまんぐう[あゆかひ‥]【鮎貝八幡宮】
日本国語大辞典
貝にある神社。旧県社。祭神は応神天皇、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。康平三年(一〇六〇)源義家が錦の御旗を神体として、応神天皇を勧請(かんじょう)したという ...
47. あゆかいむら【鮎貝村】山形県:西置賜郡/白鷹町
日本歴史地名大系
が、のち輪王寺ともども仙台城下へ移転した(奥羽編年史料)。鮎貝城本丸跡に康平二年(一〇五九)源義家の勧請と伝える鮎貝八幡宮がある。明治三二年(一八九九)字八幡台 ...
48. あらためじょうあと【新田目城跡】山形県:酒田市/旧荒瀬郷地区/荒田目村
日本歴史地名大系
が判明した。大物忌神社吹浦口之宮(現飽海郡遊佐町)の社記によると、寛治年間(一〇八七―九四)源義家が東征の際大物忌神に戦勝を祈誓して勝利を得たため、帰陣の途中須 ...
49. あらためむら【荒田目村】山形県:酒田市/旧荒瀬郷地区
日本歴史地名大系
社の祭礼で奉納されている(酒田市史)。大物忌神社は新田目城跡(県指定史跡)の東半分を占める。源義家が東征帰陣のとき、報恩として刀一振を奉納し、須藤某をとどめて神 ...
50. いいだむら【飯田村】宮城県:仙台市/旧名取郡地区
日本歴史地名大系
枚・草鞋三万五千足などがある。村の南西土手内に飯田八幡神社があり、寛治年中(一〇八七―九四)源義家が勧請したと伝え、慶長五年(一六〇〇)現在地に遷座したという( ...