1. 源義朝
日本大百科全書
平安末期の武将。清和(せいわ)源氏の嫡流為義(ためよし)の嫡男。母は淡路守(あわじのかみ)藤原忠清(ただきよ)の女(むすめ)。相模(さがみ)国(神奈川県)鎌倉で ...
2. 源義朝
世界大百科事典
1123-60?(保安4-永暦1?) 平安末期の武将。源為義の長男。母は淡路守藤原忠清の娘。父祖相伝の本拠相模国鎌倉で成長したらしい。天養年間(1144-45) ...
3. みなもと‐の‐よしとも【源義朝】
日本国語大辞典
平安末期の武将。為義の長子。保元の乱に父為義とは反対に後白河天皇側について奮戦、夜襲を献策して勝ったが、同族の多くを刑死させた。以後清盛の威勢を不満として藤原信 ...
4. みなもとのよしとも【源義朝】
国史大辞典
坂東そだちのものにて、武勇のみちにたけて候へ」とあり、久安元年(一一四五)の官宣旨案には「上総曹司源義朝」と記され、また義朝が鎌倉の亀谷に館を構えていたことが『 ...
5. 源義朝
日本史年表
清盛,藤原信頼・源義朝らと六条河原で合戦し,これを破る. 義朝 ・ 義平 ・ 朝長 ・ 頼朝 ら,東国に逃亡(百練抄・平治物語)。 1160年〈永暦元(1・10 ...
6. みなもとの-よしとも【源義朝】
日本人名大辞典
1123−1160 平安時代後期の武将。保安(ほうあん)4年生まれ。源為義の長男。保元(ほうげん)の乱で後白河天皇方について勝利したが,信西(しんぜい)(藤原通 ...
7. みなもとのよしとも【源義朝】
日本架空伝承人名事典
平安末期の武将。源為義の長男。母は淡路守藤原忠清の娘。父祖相伝の本拠相模国鎌倉で成長したらしい。天養年間(一一四四‐四五)目代(もくだい)と結んで同国大庭御厨( ...
8. 源義朝[文献目録]
日本人物文献目録
『日本武将評伝 1』高柳光寿『濃飛と平治の乱 源義朝をめぐって』平塚正雄『源義朝と相馬御厨』山中武雄『源義朝の最期と長田忠致に就て』堀田璋左右『源義朝論』岡野秋 ...
9. 梟二源義朝一 (見出し語:源義朝)
古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 248ページ ...
10. 源義朝令
三鎌田正
斬
二父爲義
一 (見出し語:源義朝)古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 235ページ ...
11. 源義朝改葬 (見出し語:源義朝)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 233ページ ...
12. 源義朝於二長田莊司湯殿一被レ殺 (見出し語:源義朝)
古事類苑
居處部 洋巻 第1巻 695ページ ...
13. 源義朝贈官位 (見出し語:源義朝)
古事類苑
官位部 洋巻 第1巻 267ページ ...
14. みなもとの-よしともの-むすめ【源義朝女】
日本人名大辞典
1146−1159 平安時代後期の女性。久安2年生まれ。平治(へいじ)の乱に敗れた義朝から娘殺害の命をうけ都にきた鎌田政家に戦いの状況をきき,捕らえられて父の名 ...
15. あいちぐん【愛知郡】
国史大辞典
御厨(同)などがあり、その他八事・御器所保など多くの郷保が知られる。郡司職は鎌倉時代に入って源義朝の子円成が郡司慶範禅師の女を娶ってよりその子愛智義成に伝わり、 ...
16. あいちぐん【愛知郡】愛知県
日本歴史地名大系
紀)、熱田大宮司をも兼ねて、平安時代の末頃まで勢力を保った。その後、藤原季範が大宮司を継ぎ、源義朝に女をめあわせてその間に頼朝が生れた。これより先、壬申の乱に尾 ...
17. あいはら[あひはら]【粟飯原】
日本国語大辞典
冠したとされ、その故地は現在の東京都町田市相原町の周辺にあたる。孝遠の男有遠(時遠)が、保元の乱に源義朝に従い、功をたてたことで知られるが、鎌倉幕府成立後の動向 ...
18. 青墓
日本大百科全書
昼飯大塚(ひるいおおつか)古墳、遊塚(あそびづか)古墳などもある。中世の東山道筋にあたり、また、源義朝(よしとも)・頼朝(よりとも)父子ゆかりの地で、源平合戦の ...
19. あおはか[あをはか]【青墓】
日本国語大辞典
岐阜県大垣市の地名。古くは東山道の宿駅で、遊女が多かったことで有名。源義朝が平治の乱後逃げ着いた。また源頼朝が平宗清に捕えられた地でもある。遊塚古墳、小糠山古墳 ...
20. あおはかしゅく【青墓宿】岐阜県:大垣市/旧多藝郡・不破郡地区/青墓村
日本歴史地名大系
青墓宿の長者の女であった(「保元物語」、「吾妻鏡」建久元年一〇月二九日条)。平治の乱に敗れた源義朝は、青墓の長者大炊の女延寿との間に夜叉御前をもうけていた縁で青 ...
21. 青墓宿
世界大百科事典
鶴若,天王丸の母が青墓長者の女であったことが《保元物語》にみえる。また,《平治物語》によると源義朝は平治の乱に敗れ,青墓に逃れているが,青墓長者大炊の女延寿との ...
22. あおはかのしゅく【青墓宿】
国史大辞典
一一九〇)十月二十九日条に源頼朝が上洛の途中ここに立ち寄り、長者大炊の息女を召し出したこと、源義朝は上下の折ここに宿し、大炊は寵者で、大炊の姉は源為義の妾であっ ...
23. 赤坂(岐阜)
世界大百科事典
にあった東山道の宿駅。現,岐阜県大垣市赤坂町。中世の文学作品に多く登場する。《平治物語》には源義朝の身がわりとなって佐渡式部大輔重成が赤坂の子安の森で討死したこ ...
24. あかさか【赤坂】
国史大辞典
『富士紀行』にも「行つれぬ友さへ跡に残る夜をしばしやこゝに赤坂の里」とあり、古くから赤坂の宿があった。源義朝の身代りに佐渡式部大輔重成が子安の森で討死、関ヶ原の ...
25. あかさか【赤坂】 : 赤坂/(三)
国史大辞典
『富士紀行』にも「行つれぬ友さへ跡に残る夜をしばしやこゝに赤坂の里」とあり、古くから赤坂の宿があった。源義朝の身代りに佐渡式部大輔重成が子安の森で討死、関ヶ原の ...
26. 顕仁親王・崇徳天皇・崇徳上皇・崇徳法皇
日本史年表
1156年〈保元元(4・27) 丙子⑨〉 7・10 崇徳上皇,源為義らを白河殿に召集,天皇,源義朝・平清盛らを高松殿に召集,互いに軍勢を整える(兵範記)。 11 ...
27. あさいぐん【朝夷郡】千葉県:安房国
日本歴史地名大系
額田部小君・矢作部林がみえ(平城宮跡出土木簡)、いずれも部姓である。平安末期には保元の乱の際源義朝の麾下にあって活躍した丸太郎がいる(保元物語)。治承四年(一一 ...
28. あさひなぐん【朝夷郡】
国史大辞典
『万葉集』には天平勝宝七歳(七五五)朝夷郡上丁丸子連大歳(まろこのむらじおおとし)なる防人の歌がある。中世には源義朝が伊勢大神宮に献じた丸御厨(まろのみくりや) ...
29. 足利氏画像
世界大百科事典
には源氏足利氏の本領として足利荘と一体的な支配が行われる。足利義康は鳥羽院に仕え,保元の乱に源義朝や平清盛と並ぶ部将として出陣する。その子どもたちのうち,義清は ...
30. 足利義康
日本大百科全書
蔵人(くろうど)、従(じゅ)五位下となった。妻は熱田大宮司範忠(あつただいぐうじのりただ)の娘(源義朝(よしとも)の妻の姪(めい))。保元2年5月29日死去。上 ...
31. あしかがよしやす【足利義康】
国史大辞典
となり、左衛門尉・検非違使に任ぜられた。保元の乱には後白河天皇方として活躍、平清盛の三百騎、源義朝の二百騎についで百騎を従え、天皇方軍勢の主力をなした。近衛方面 ...
32. あだちぐん【足立郡】埼玉県:武蔵国
日本歴史地名大系
その後何らかのつながりで足立遠兼が郡司職を保持したらしい。〔中世〕足立遠兼の子遠元は、平治の乱では源義朝に従って活躍したが(平治物語)、戦いに敗れた後は不遇であ ...
33. あだちぐん【足立郡】東京都:武蔵国
日本歴史地名大系
らしい。〔中世〕足立郡司武蔵武芝の系譜を引くと推定される足立遠元は、平治の乱(平治元年)では源義朝のもと京都に従軍している(平治物語)。源氏敗北後、平氏政権下で ...
34. あだちし【足立氏】画像
国史大辞典
(一)武蔵国の足立氏 源頼朝に仕えた足立遠元が著名である。遠元は足立郡の有力な領主で、平治の乱には源義朝に従っており、平安時代以来源氏の家人であった。この家は ...
35. あだち-とおもと【足立遠元】
日本人名大辞典
平安後期-鎌倉時代の武将。武蔵(むさし)足立(あだち)郡の在地武士。源氏の家人。平治(へいじ)の乱には源義朝(よしとも)にしたがい,治承(じしょう)4年(118 ...
36. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
改革まで大宮司職は藤原氏(千秋氏)によって世襲され、尾張氏は権宮司職にとどまった。季範の女と源義朝の間に生れたのが頼朝である。頼朝はその母の在所である熱田大宮司 ...
37. 熱田大宮司家
世界大百科事典
譲与したことから,以後は代々藤原氏の継承するところとなる。季範は京都の公家政権に接近したほか,一女を源義朝の正室となし,その女の生んだ源頼朝の鎌倉幕府開設にとも ...
38. あつただいぐうじけ【熱田大宮司家】画像
国史大辞典
両氏を出し、また範雅の裔は庶子の流とせられた。一方、季範の女二人は宮廷に仕えたが、他の一女は源義朝に嫁して頼朝を生み、大宮司家は源氏の棟梁の外戚となり、公武双方 ...
39. 熱田大宮司家 系図[図版]画像
国史大辞典
季雄 季条 季福 季隆 (男爵) 範直 範雅 範経 保範 能範 範広 宗範 昌能 昌胤 女子 (源義朝室 源頼朝母) (c)Yoshikawa kobunkan ...
40. 熱田大宮司季範
日本大百科全書
大宮司職は尾張氏を離れ、藤原氏の世襲するところとなった。なお季範の一女子は、源家の棟梁(とうりょう)源義朝(よしとも)に嫁して頼朝(よりとも)を生んだ。季範はの ...
41. あつただいぐうじすえのり【熱田大宮司季範】
国史大辞典
大宮司職に就き、これより大宮司職は尾張氏を離れ、藤原氏の世襲するところとなったが、季範の女は源義朝に嫁して頼朝を生み、武家とも親縁関係を結んだ。 (小島 鉦作) ...
42. あねにしのとういんちょう【姉西洞院町】京都市:中京区/城巽学区地図
日本歴史地名大系
当町付近には少納言藤原信西の邸があり、「平治物語」には、平治元年(一一五九)一二月九日、藤原信頼・源義朝の軍勢が「丑刻に信西入道が姉小路西洞院の宿所へ押よせて火 ...
43. 阿野全成
世界大百科事典
1153?-1203(仁平3?-建仁3) 鎌倉初期の武士。源義朝の子。母は常盤。義経の兄,頼朝の異母弟。幼名今若。平治の乱後,醍醐寺に入れられ悪禅師と号した。1 ...
44. あのぜんじょう【阿野全成】
国史大辞典
鎌倉時代前期の僧籍の武士。幼名今若、醍醐禅師・阿野冠者という。また勇力あり悪禅師という。父は源義朝、母は常盤。義朝が平治の乱に敗死したのち母は今若・乙若(義円) ...
45. あの-ぜんじょう【阿野全成】
日本人名大辞典
1153−1203 平安後期-鎌倉時代の武将。仁平(にんびょう)3年生まれ。源義朝の子。母は常盤御前(ときわごぜん)。源義経の兄。阿野時元の父。平治(へいじ)の ...
46. あのときもと【阿野時元】
国史大辞典
?―一二一九 鎌倉時代前期の武士。父は阿野全成、母は北条時政の娘。源義朝の孫にあたる。承久元年(一二一九)駿河国から鎌倉へ飛脚が走って、同国阿野(静岡県沼津市 ...
47. あの-ときもと【阿野時元】
日本人名大辞典
?−1219 鎌倉時代の武将。源義朝の孫。阿野全成(ぜんじょう)の子。母は阿波局(あわのつぼね)。将軍源実朝が暗殺された直後の建保(けんぽ)7年,宣旨をうけて関 ...
48. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区地図
日本歴史地名大系
する不穏な様相を呈し始めていた。平治の乱が勃発し、熊野参詣途上の平清盛が帰京しようとした際、源義朝の嫡男悪源太義平が阿倍野に出陣して迎撃態勢をとっているとの報に ...
49. あべのさだとうくびづか【安倍貞任首塚】京都府:北桑田郡/京北町/浮井村
日本歴史地名大系
また有頭郷がもと貞任の父安倍頼時の領地でその没後源頼義の恩賞地として与えられたと伝えられることや、源義朝などの旧領であったなどのことからこのような伝承が生れたも ...
50. あやせし【綾瀬市】神奈川県地図
日本歴史地名大系
坏・須恵器坏やその断欠が出土している。〔中世〕綾瀬村風土記は小薗を平治(一一五九―六〇)まで源義朝が支配したとしている。平安時代末から鎌倉時代は、「吾妻鏡」治承 ...