1. 北条時頼
日本大百科全書
鎌倉幕府第5代執権。時氏(ときうじ)の二男、母は安達景盛(あだちかげもり)の女(むすめ)松下禅尼(まつしたぜんに)。幼名を戒寿といい、北条五郎と称した。左兵衛尉 ...
2. 北条時頼
世界大百科事典
)がその伝説を語りひろめたようである。いま滋賀県守山市勝部にある時宗の最明寺は鎌倉山と号し,北条時頼開基という寺伝がある。千葉県御宿(おんじゆく)町にも最明寺が ...
3. ほうじょう‐ときより【北条時頼】
日本国語大辞典
鎌倉中期の第五代執権。北条泰時の孫。母は松下禅尼。執権政治を強化し、裁判の迅速を図るために引付衆を設けた。また、摂家将軍を宮将軍にかえ、三浦氏を倒して北条氏の専 ...
4. ほうじょうときより【北条時頼】画像
国史大辞典
収)、川添昭二「北条時頼の信仰」(『法華』六五ノ四)、豊田武「北条時頼の廻国伝説」(『中世史研究』一)、三浦周行「北条時頼の廻国説批評」(『史学雑誌』二四ノ六) ...
5. 北条時頼
日本史年表
8) 丁未〉 6・5 北条時頼 ,三浦泰村・光村らを滅ぼし,ついで千葉秀胤ら与党を滅ぼす(宝治合戦)(吾)。 1256年〈康元元(10・5) 丙辰〉 11・22 ...
6. ほうじょう-ときより【北条時頼】
日本人名大辞典
1227−1263 鎌倉時代の武将。嘉禄(かろく)3年5月14日生まれ。北条時氏(ときうじ)の子。母は松下禅尼(ぜんに)。寛元4年鎌倉幕府5代執権となる。宝治( ...
7. ほうじょうときより【北条時頼】
日本架空伝承人名事典
)がその伝説を語りひろめたようである。いま滋賀県守山市勝部にある時宗の最明寺は鎌倉山と号し、北条時頼開基という寺伝がある。千葉県御宿(おんじゅく)町にも最明寺が ...
8. 北条時頼[文献目録]
日本人物文献目録
の写経と北条時頼菩提の写経』中川泉三『北条時頼廻国論批評』三浦周行『北条時頼と青砥藤綱』長谷川久一『北条時頼・時宗と日宋交渉』木宮泰彦『北条時頼と寧兀菴』鷲尾順 ...
9. 北條時賴儉約 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 63ページ ...
10. 北條時賴建二建長寺一 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 272ページ ...
11. 北條時賴建二最明寺一 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 263ページ ...
12. 北條時賴建二海晏寺一 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 456ページ ...
13. 北條時賴廻國修行 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
法律部 洋巻 第1巻 999ページ ...
14. 北條時賴爲二執權一 (見出し語:北條時賴)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 683ページ ...
15. 北条時頼花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
16. 北条時頼一代記(著作ID:4321475)
新日本古典籍データベース
ほうじょうじらいいちだいき 伝記 ...
17. 北条時頼記(著作ID:490937)
新日本古典籍データベース
ほうじょうじらいき 西沢一風(にしざわいっぷう) 並木宗輔(なみきそうすけ) 安田蛙文(やすだあぶん) 浄瑠璃/義太夫 享保一一初演 ...
18. 北条時頼記(著作ID:490960)
新日本古典籍データベース
ほうじょうじらいき 鎌倉最明寺殿/北条時頼記 岡本一抱(おかもといっぽう) 浮世草子 元禄四刊 ...
19. 北条時頼記絵尽(著作ID:4388463)
新日本古典籍データベース
ほうじょうじらいきえづくし 絵本番附 享保一一 ...
20. 北条時頼記図会(著作ID:490982)
新日本古典籍データベース
ほうじょうじらいきずえ 池田東籬(いけだとうり) 作 松川半山(まつかわはんざん) 画 読本 弘化五刊 ...
21. あいざわはら【藍沢原】静岡県:駿東郡
日本歴史地名大系
月八日、二代将軍源頼家が「伊豆国藍沢原」で狩猟を行い、嘉禎三年(一二三七)七月二五日には執権北条時頼が「藍沢」で鹿を獲り、仁治二年(一二四一)九月一四日には北条 ...
22. 青砥藤綱
日本大百科全書
学問に励み、10年後に還俗(げんぞく)して三郎藤綱と名のる。左衛門尉(さえもんのじょう)。執権北条時頼(ときより)の時代に評定衆(ひょうじょうしゅう)として活躍 ...
23. 青砥藤綱
世界大百科事典
青砥氏は伊豆国住人大場十郎近郷が承久の乱の功による恩賞として賜った上総国青砥荘を本貫とする。藤綱は28歳のとき北条時頼に仕え,以後評定衆,評定頭人として活躍し, ...
24. あおと‐ふじつな【青砥藤綱】
日本国語大辞典
鎌倉中期の家人。上総(かずさ)の人。北条時頼に仕え、評定頭となる。清廉潔白な性格で、公平な裁判を行なったことや、鎌倉滑川(なめりがわ)に落とした銭一〇文を捜すの ...
25. あおとふじつな【青砥藤綱】
国史大辞典
三郎藤綱と名乗り、行印法師について儒仏の学を学んでいたが、二十八歳の時、二階堂信濃入道の推薦で北条時頼に仕えて評定の末座につき、ついに頭人となったが、数十ヵ所の ...
26. あおと-ふじつな【青砥藤綱】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉時代の武士。出家したが還俗(げんぞく)して三郎藤綱と名のり,北条時頼(ときより)につかえ,評定衆に列したという。執権時頼の権威をおそれず公平な裁断を ...
27. あおとふじつな【青砥藤綱】
日本架空伝承人名事典
青砥氏は伊豆国住人大場十郎近郷が承久の乱の功による恩賞として賜った上総国青砥荘を本貫とする。藤綱は二八歳のとき北条時頼に仕え、以後評定衆、評定頭人として活躍し、 ...
28. 青砥藤綱[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:3件 『
北条時頼と青砥藤綱』長谷川久一『史話五則 青砥左衛門之有二無其人
』星野
...29. あおとむら【青戸村】京都府:船井郡/八木町
日本歴史地名大系
二分する。北は氷所村、西は刑部村・西田村、南は観音寺村、東は屋賀村、桑田郡(現亀岡市)。地名は北条時頼に仕え、正直・公正を物語る逸話で知られる青砥藤綱が当地に居 ...
30. 青森(県)画像
日本大百科全書
は各地にあるが、恐山は地蔵伝説に支えられていて死者の魂に再会できるという。南津軽郡藤崎町には北条時頼(ときより)の愛妾唐糸(あいしょうからいと)の伝説があり、時 ...
31. あおやまじょうあと【青山城跡】福島県:喜多方市/上三宮村
日本歴史地名大系
さらにその外側に帯郭がある。佐原加納氏は佐原十郎義連の孫五郎盛時を祖とする。宝治合戦で盛時兄弟ら佐原氏一族は北条時頼方につき、同合戦で三浦宗家が滅ぶと盛時が三浦 ...
32. あがり‐や【揚屋】
日本国語大辞典
71〕一「中中にくい事じゃ。らうとはきこへぬ、せめてあかりや共なふてと、ののしる」*浄瑠璃・北条時頼記〔1726〕一「いささかの科により、上りやに押込られ、姿も ...
33. あきごう【安岐郷】大分県:東国東郡/安岐町
日本歴史地名大系
豊後国弘安図田帳ならびに豊後国弘安田代注進状に、「成久名三拾七町 相模七郎殿母御前辻殿」とみえる。相模七郎は北条時頼の末子宗頼で、北条得宗領になった経緯等は不詳 ...
34. あしかがし【足利市】栃木県
日本歴史地名大系
足利氏は代々北条氏の娘を妻に迎えて緊密な関係を結んでいた。「徒然草」によると、義兼の子義氏は執権北条時頼の求めに応じ、足利の「色々の染物三十、前にて女房どもに小 ...
35. あしかが-やすうじ【足利泰氏】
日本人名大辞典
1216−1270 鎌倉時代の武将。建保(けんぽ)4年生まれ。足利義氏の子。母は北条泰時の娘,妻は北条時頼の妹で北条氏と深いつながりをもつが,建長3年許可なく出 ...
36. あしかが-よりうじ【足利頼氏】
日本人名大辞典
仁治(にんじ)元年生まれ。足利泰氏の子。母は北条時氏の娘。上総(かずさ),三河の守護。建長8年執権北条時頼の長男時利の烏帽子(えぼし)親をつとめ,翌年将軍御所の ...
37. あそうのしよう【麻生庄】福岡県:北九州市(旧筑前域)
日本歴史地名大系
地頭は鎌倉幕府執権北条氏一門(ただし、麻生新庄の本家は宇佐宮弥勒寺)。建長元年(一二四九)六月二六日の北条時頼袖判下文(麻生文書/鎌倉遺文一〇、以下断りのない限 ...
38. あだこむら【畔蛸村】三重県:鳥羽市
日本歴史地名大系
鳥羽市立図書館蔵)。西明寺は臨済宗南禅寺派、本尊は阿弥陀如来木造坐像で鎌倉期のものと伝える。北条時頼が再建した。 ...
39. あだち‐かげもり【安達景盛】
日本国語大辞典
鎌倉前期の武将。盛長の子。出羽介となり秋田城を管領。のち執権北条時頼の外祖父として勢力をもち、時頼にすすめて相模の三浦氏を滅ぼす。法名大蓮房覚智。宝治二年(一二 ...
40. あだちし【安達氏】画像
国史大辞典
介となって以来、その職を世襲、ために城氏とも称した。景盛・義景のとき三浦氏と権勢を争い、執権北条時頼を動かして三浦氏討滅に成功したが、泰盛の代に、権勢ある唯一の ...
41. あだち-ときもり【安達時盛】
日本人名大辞典
鎌倉時代の武将。仁治(にんじ)2年生まれ。安達義景(よしかげ)の4男。兄泰盛(やすもり)と幕政にくわわる。北条時頼(ときより)の死により出家するがその後も政治の ...
42. 安達泰盛
日本大百科全書
り、1282年(弘安5)には陸奥守(むつのかみ)を兼ねる。将軍頼嗣(よりつぐ)に仕える。執権北条時頼(ときより)の信頼も厚く、引付衆(ひきつけしゅう)、評定(ひ ...
43. あみだじ【阿弥陀寺】茨城県:岩井市/長須村
日本歴史地名大系
印高拾石、本寺京都本願寺(中略)山林七町弐反八畝六歩、此年貢地拾石九斗八升壱合」とある。また北条時頼が諸国行脚の際当寺に立寄り、寺領を寄進したといわれ、「猿島郡 ...
44. あわたぐち【粟田口】京都市:東山区/粟田口村地図
日本歴史地名大系
清・有国・国綱の六兄弟の世代に至って、後鳥羽院御番鍛冶の列に加わると伝えられ、なかでも国綱は北条時頼のために名刀「鬼丸」を制作したことで名高い。更に国友の孫吉光 ...
45. あわたぐち‐くにつな【粟田口国綱】
日本国語大辞典
鎌倉前期の刀工。国頼の孫。通称藤六。左近将監。後鳥羽上皇に従って隠岐に行き、御番鍛冶となる。のち北条時頼のために名刀「鬼丸」を制作。長寛元~建長七年(一一六三~ ...
46. あわたぐちは【粟田口派】画像
国史大辞典
久国は院の指南役であったと伝えている。国綱はのちに北条家に召されて鎌倉に下向して作刀し、名物鬼丸は北条時頼の注文打と伝えており、明治天皇以来御物となっている。彼 ...
47. あわたぐちは【粟田口派】 : 粟田口派/(一)
国史大辞典
久国は院の指南役であったと伝えている。国綱はのちに北条家に召されて鎌倉に下向して作刀し、名物鬼丸は北条時頼の注文打と伝えており、明治天皇以来御物となっている。彼 ...
48. 安東
聖
世界大百科事典
鎌倉後期西国で活躍した得宗被官。平右衛門入道と通称する。1262年(弘長2),西大寺叡尊のもとへ北条時頼の使者としておもむいたのが史料上の初見。文永ごろ京で山僧 ...
49. あんどうれんしょう【安東
聖】
画像国史大辞典
、五条と号す。俗名不詳。没年からみて延応元年(一二三九)の生まれ。弘長三年(一二六三)に得宗北条時頼の命により信濃善光寺の不断経衆などのことを沙汰し、文永十年( ...
50. あんよういん【安養院】東京都:板橋区/上板橋村地図
日本歴史地名大系
言宗豊山派寺院。武王山最明寺と号し、本尊は阿弥陀如来。寺号からもわかるように、鎌倉時代に得宗北条時頼が全国行脚をした折、この地に持仏「摩利支天」を安置して一宇を ...