1. 新田義貞画像
日本大百科全書
鎌倉末・南北朝時代の南朝方の武将。朝氏(ともうじ)の子。上野(こうずけ)国新田荘(しょう)(群馬県太田市、伊勢崎市とみどり市の各一部)を拠点とする豪族新田氏の惣 ...
2. 新田義貞
世界大百科事典
1301-38(正安3-延元3・暦応1) 南北朝期の武将。朝氏の子。新田氏の嫡流。義貞の社会的地位は,新田氏の鎌倉幕府下での立場を反映して,同族の足利尊氏に比べ ...
3. にった‐よしさだ【新田義貞】
日本国語大辞典
鎌倉末期から南北朝初期にかけての武将。朝氏の長子。上野国(群馬県)の人。小太郎という。元弘の乱では北条方として千早城攻撃に加わったが、元弘三年(一三三三)には北 ...
4. にったよしさだ【新田義貞】画像
国史大辞典
[参考文献]『大日本史料』六ノ四 暦応元年閏七月二日条、藤田精一『新田氏研究』、群馬県教育会編『新田義貞公根本史料』、『群馬県史』資料編五、『新田荘と新田氏』( ...
5. 新田義貞
日本史年表
1333年〈【幕府】正慶2/・【朝廷】元弘3 癸酉②〉 5・21 新田義貞 ,鎌倉を攻略.翌22日,北条高時・金沢貞顕以下多数が東勝寺で自刃.北条氏滅ぶ(太) ...
6. にった-よしさだ【新田義貞】
日本人名大辞典
1301−1338 鎌倉-南北朝時代の武将。正安(しょうあん)3年生まれ。鎌倉を攻めて幕府をほろぼし,後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)の新政で重用される。 ...
7. にったよしさだ【新田義貞】
日本架空伝承人名事典
討テ、兵共片瀬・腰越マデ、引退ヌト聞ヘケレバ、新田義貞逞兵二万余騎ヲ率シテ、二十一日ノ夜半許ニ、片瀬・腰越ヲ打廻リ、極楽寺坂ヘ打莅(ノゾミ)給フ。 ...
8. 新田義貞[文献目録]
日本人物文献目録
寺『新田義貞挙兵の動機』岡部精一『新田義貞公』-『新田義貞公を憶ふ』高木武『新田義貞公御自書に就て』岡部福蔵『新田義貞公鎌倉進撃路踏査記』新井信示『新田義貞公と ...
9. 新田義貞娶二勾當内侍一 (見出し語:新田義貞)
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 1290ページ ...
10. 新田義貞忠 (見出し語:新田義貞)
古事類苑
人部 洋巻 第1巻 1015ページ ...
11. 祀二新田義貞於藤島神社一 (見出し語:新田義貞)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1715ページ ...
12. 新田義貞花押[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan ...
13. 新田義貞花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. につたよしさだのはか【新田義貞墓】福井県:坂井郡/丸岡町/長崎村/称念寺
日本歴史地名大系
延元三年(一三三八)閏七月二日、細川孝基軍と戦った新田義貞は灯明寺畷(現福井市)で自害したのち、称念寺に葬られた。「太平記」巻二〇(新田義貞自害事)は、氏家中務 ...
15. 新田義貞朝臣長刀図(著作ID:4326878)
新日本古典籍データベース
にったよしさだあそんなぎなたず 刀剣 ...
16. 新田義貞公根本史料[文献解題]群馬県
日本歴史地名大系
一冊 群馬県教育会編纂・千々和実編著 昭和一七年刊 解説 新田氏の事績を大日本史料と同じ形態の史料編年で収める。昭和四九年に千々和実編著「新田氏根本史料」とし ...
17. 義貞軍記(著作ID:526647)
新日本古典籍データベース
よしさだぐんき 新田左中将義貞記 新田左中将義貞教訓書 新田左中将義貞軍記 新田義貞軍記 義貞記 武家故実 ...
18. 勾當内侍(こうとうのないじ)[新田義貞妻]
古事類苑
禮式部 洋巻 第1巻 1290ページ ...
19. あい‐さ・る[あひ‥]【相去】
日本国語大辞典
終に、別を告て東西に相去る」(2)互いにへだたっている。離れ合う。*太平記〔14C後〕一九・新田義貞落越前府城事「両陣相去る事十余町、中に一の河を隔てつ」*四河 ...
20. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
。建武新政の元弘三年(一三三三)七月一九日、北条氏の所領であった会津の地頭職は鎌倉攻めの功で新田義貞の一族岩松経家に与えられている(「後醍醐天皇綸旨」由良文書) ...
21. あおかたうら【青方浦】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
石築地用途六〇文を納め(同年四月二七日肥前国守護使石築地用途請取状案)、同三年にかけて高直は新田義貞討伐のための軍勢催促を受け(同三年三月三日足利尊氏軍勢催促状 ...
22. あおき[あをき]【青木】
日本国語大辞典
名字にしたとされる。源頼朝の挙兵に従い、御家人となっており、その後、鎌倉末期から南北朝期に、新田義貞に属した青木氏を、その一族とする説がある。〔二〕近世の摂津国 ...
23. 青野原の戦い
日本大百科全書
細川頼之の陣に迫ることなく、また幕府軍の恐れていた越前(えちぜん)(福井県)から京都に迫ろうとしていた新田義貞(にったよしさだ)軍との合流もせず、伊勢(いせ)路 ...
24. あかさわむら【赤沢村】新潟県:中頸城郡/吉川町
日本歴史地名大系
同年七月に後醍醐天皇の発した諸国平均安堵法に基づき、当村内松分の田地の安堵を求め、同年一二月五日当国国司新田義貞はこれを認めている(「須和部円教等申状并越後国々 ...
25. 赤橋守時
世界大百科事典
辞職,出家の後をうけて執権に就くが,得宗専制体制下執権の座は形式的なものであった。33年5月新田義貞の軍は鎌倉を攻撃。守時は洲崎で防戦に努めたが敗れ,同月18日 ...
26. あかはしもりとき【赤橋守時】画像
国史大辞典
同二年従四位下に昇叙。当時は得宗専制の時代であるから、執権といっても実権はなかった。元弘三年(一三三三)新田義貞の軍が鎌倉に迫るや、洲崎で戦い、一日一夜の間に六 ...
27. あかはし-もりとき【赤橋守時】
日本人名大辞典
生まれ。赤橋久時の長男。足利尊氏の義兄。正中(しょうちゅう)3年16代執権となる。鎌倉攻めの新田義貞軍を迎撃したが敗れ正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3 ...
28. 赤橋守時
日本大百科全書
1326年(嘉暦1)4月執権に就任。1333年(元弘3・正慶2)5月18日、幕府軍6万を率いて、新田義貞(にったよしさだ)軍の将、堀口貞満勢を鎌倉小袋坂に防いだ ...
29. あかばし‐もりとき【赤橋守時】
日本国語大辞典
鎌倉幕府最後の執権。北条氏の一族。新田義貞に鎌倉を攻められ自刃。元弘三年(一三三三)没。 ...
30. あかまつ-さだのり【赤松貞範】
日本人名大辞典
。建武(けんむ)2年足利尊氏にしたがい,鎌倉で北条時行を討つ。ついで箱根竹下(たけのした)で新田義貞(よしさだ)をむかえ討ちやぶる。のち美作(みまさか)(岡山県 ...
31. 赤松則村
世界大百科事典
1・建武3)足利尊氏が建武政権にそむいて九州下向の際その与党となる。播磨の守護職に補任され,新田義貞軍の攻撃を防ぎ,さらに尊氏の上洛,京都制圧に功があった。播磨 ...
32. あかまつのりむら【赤松則村】画像
国史大辞典
同三年春尊氏が京都に敗れて九州に奔った際には、佐用荘赤松村に新たに白旗城を築き、尊氏を追って西下する新田義貞の軍勢をこの城に支え、やがて、尊氏が勢力を挽回して東 ...
33. あかまつ-のりむら【赤松則村】
日本人名大辞典
尊氏とともに六波羅(ろくはら)探題をおとす。建武2年尊氏が新政府に反するとこれに応じ,追討の新田義貞軍を播磨(はりま)(兵庫県)で阻止した。播磨守護をつとめ,守 ...
34. あかまつむら【赤松村】兵庫県:赤穂郡/上郡町
日本歴史地名大系
山寺文書)。円心はその後苔縄城の対岸の白旗山に白旗城を築き、同城に拠って建武三年(一三三六)新田義貞を迎え討った(「太平記」巻一六)。同城は以降赤松氏の拠点とな ...
35. あがつまぐん【吾妻郡】群馬県
日本歴史地名大系
矢羽根で曳きとおして、血を流すことなく仕留めて面目をほどこした。元弘三年(一三三三)五月一五日、新田義貞の鎌倉攻めに参加して戦死した飽間斎藤三郎盛貞・同孫七家行 ...
36. あきばさんじょうあと【秋葉山城跡】新潟県:十日町市/六箇村
日本歴史地名大系
南北朝期に新田氏の一族羽川刑部の築城と伝える。元弘三年(一三三三)羽川氏が新田義貞に従って鎌倉幕府打倒のため活躍したことは「太平記」巻一〇(新田義貞謀叛事付天狗 ...
37. あくわなかごやむら【安久和中小屋村】福井県:南条郡/南条町
日本歴史地名大系
外側に堀跡もあったといわれ、「越前国城蹟考」の記す南朝方の飽和城跡にあたると思われる。「太平記」巻一九(新田義貞落越前府城事)に「一条少将行実朝臣、二百余騎ニテ ...
38. あこうぐん【赤穂郡】兵庫県
日本歴史地名大系
南北朝の内乱期には軍勢が山陽道を行き来し、建武三年(一三三六)に白旗城(現同上)に立籠った赤松円心を新田義貞軍が攻めている。赤松氏の経済基盤として千種鉄が指摘さ ...
39. あごじょうあと【安居城跡】福井県:福井市/旧足羽郡地区/金屋村
日本歴史地名大系
守の拠城。「太平記」巻二〇(黒丸城初度軍事付足羽度々軍事)に、延元三年(一三三八)五月二日、新田義貞が五千余騎の兵を差向けた五ヵ所のうちに当城の名があげられてい ...
40. あごのわたり【安居の渡】福井県:福井市/旧足羽郡地区/角折村
日本歴史地名大系
川の渡し。「太平記」巻二〇(黒丸城初度軍事付足羽度々軍事)に、延元三年(一三三八)五月二日、新田義貞が北朝方の足羽の城を攻撃したことがみえるが、そのうちに「船田 ...
41. あさくらし【朝倉氏】画像
国史大辞典
朝倉広景は斯波高経に属した。建武四年(一三三七)高経に従って越前に下り、坂南郡足羽北庄黒丸城に拠って新田義貞らと戦った。これから高景・氏景と北朝方に属して戦い、 ...
42. あさ‐まだき【朝─】
日本国語大辞典
物語〔1001~14頃〕宿木「あさまだきまだき来にけりと思ひながら」*太平記〔14C後〕七・新田義貞賜綸旨事「朝(アサ)まだきの霧隠(きりがくれ)に、追っ返しつ ...
43. あざみむら【阿佐美村】群馬県:新田郡/笠懸村
日本歴史地名大系
生絽一二〇匹、薪九万三千八〇〇貫目を産し、民業は男は薪炭業一八(郡村誌)。宮久保の生品神社は、地元では新田義貞挙兵に参じた笠懸近くの武士たちが集まった地と伝えら ...
44. 足利尊氏画像
日本大百科全書
もって、新田義貞(にったよしさだ)誅伐(ちゅうばつ)の檄文(げきぶん)を諸将に送って軍勢催促を要請した。義貞誅伐を名目として、建武政権への反意を表明したものであ ...
45. 足利尊氏
世界大百科事典
諸国の豪族に送って決起を呼びかけ,京都に攻め入って六波羅探題を滅ぼした。一方,関東では上野の新田義貞が挙兵南下して鎌倉を襲い,幕府は滅亡したが,このとき高氏の嫡 ...
46. あしかがたかうじ【足利尊氏】画像
国史大辞典
護良親王を逮捕し、身柄を弟直義の守る鎌倉に移すことに成功した。護良親王が失脚すると、中央では新田義貞が尊氏と正面から対決することとなった。同二年六月、信濃に兵を ...
47. あしかがたかうじ【足利尊氏】
日本架空伝承人名事典
諸国の豪族に送って決起を呼びかけ、京都に攻め入って六波羅探題を滅ぼした。一方、関東では上野の新田義貞が挙兵南下して鎌倉を襲い、幕府は滅亡したが、このとき高氏の嫡 ...
48. 足利尊氏[文献目録]
日本人物文献目録
相の足利尊氏論批判』沼田頼輔『南北朝初期に於ける政治情勢について 足利尊氏と新田義貞を中心として』吉田輝代『新田義貞と足利尊氏』-『夢窓国師と足利兄弟』角張月峰 ...
49. 足利高氏・足利尊氏
日本史年表
入京(梅松論)。 1336年〈【北朝】建武3・【南朝】延元元(2・29) 丙子〉 1・27 新田義貞 ら,尊氏と賀茂河原で戦う.翌28日神楽岡,30日糺河原で戦 ...
50. あしかがたかうじやかたあと【足利尊氏館跡】京都市:中京区/初音学区/杉屋町地図
日本歴史地名大系
「太平記」巻一四、建武二年(一三三五)一一月八日の新田義貞東国進発の記事に「義貞節度ヲ給テ、二条河原ヘ打出テ、先尊氏卿ノ宿所二条高倉ヘ舟田入道ヲ指向テ、時ノ声ヲ ...