1. 足利義成・足利義政
日本史年表
1457年〈長禄元(9・28) 丁丑〉 12・19 足利義政 ,弟政知を還俗させ,関東に派遣(堀越公方)(山科家礼記)。 1458年〈長禄2 戊寅①〉 4・19 ...
2. 足利義政画像
日本大百科全書
室町幕府第8代将軍。義教(よしのり)の子。永享(えいきょう)8年正月2日生まれ。1443年(嘉吉3)7月21日兄の義勝(よしかつ)が死去したことにより後嗣(こう ...
3. 足利義政[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「足利義政画像」(伝) 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ...
4. 足利義政
世界大百科事典
1436-90(永享8-延徳2) 室町幕府8代将軍。1449-73年(宝徳1-文明5)在職。6代将軍義教の子,7代将軍義勝の同母弟。母は日野重光の女重子。144 ...
5. あしかが‐よしまさ【足利義政】
日本国語大辞典
室町幕府第八代将軍。義教の子。初名義成(よししげ)。文安六年(一四四九)四月、嘉吉三年(一四四三)義勝の早世以後空位であった将軍職を継承した。宝徳二年(一四五〇 ...
6. あしかがよしまさ【足利義政】画像
国史大辞典
時代とその文化』、外山英策『室町時代庭園史』、芳賀幸四郎『東山文化』(『塙選書』二〇)、同「足利義政の宗教生活と世界観」(『東山文化の研究』所収)、同「将軍義政 ...
7. あしかが-よしまさ【足利義政】
日本人名大辞典
1435−1490 室町幕府8代将軍。在職1449-74*。永享7年1月2日生まれ。足利義教(よしのり)の子。母は日野重子(しげこ)。文安6年将軍職につくが,畠 ...
8. 足利義政[文献目録]
日本人物文献目録
』黒川真頼『足利義政の遺事』上村閑堂『足利義政の驕奢に対する評説 』魚澄惣五郎『足利義政の宗教生活 1‐2』芳賀幸四郎『足利義政の政治と女性』三浦周行『足利義政 ...
9. 足利義政營二別業於東山一 (見出し語:足利義政)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 716ページ ...
10. 足利義政好レ茶 (見出し語:足利義政)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 602ページ ...
11. 足利義政定二茶式一 (見出し語:足利義政)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 386ページ ...
12. 足利義政得度 (見出し語:足利義政)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 569ページ ...
13. 足利義政爲二征夷大將軍一 (見出し語:足利義政)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 1055ページ ...
14. 足利義政獻二大神宮造營料一 (見出し語:足利義政)
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 284ページ ...
15. 足利義政花押[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan ...
16. 足利義政花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
17. 足利義政飯尾亭御成記(著作ID:4398917)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさいいおていおなりき 神山数連(かみやまかずつら) 記録 ...
18. 足利義政右大将辞任次第(著作ID:1923962)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさうだいしょうじにんしだい 記録 寛正二 ...
19. 足利義政詠和歌(著作ID:4365436)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさえいわか 足利義政(あしかがよしまさ) 和歌 ...
20. 足利義政御産所日記(著作ID:1923984)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさおさんじょにっき 記録 ...
21. 足利義政大将拝賀次第(著作ID:1923995)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさだいしょうはいがしだい 大将拝賀次第 記録 康正二 ...
22. 足利義政任大臣着陣直衣始等散状(著作ID:1924012)
新日本古典籍データベース
あしかがよしまさにんだいじんちゃくじんのうしはじめとうさんじょう 文書 長禄二 ...
23. 義政百首(著作ID:527946)
新日本古典籍データベース
よしまさひゃくしゅ 詠百首和歌 足利義政百首 慈照院殿百首 足利義政(あしかがよしまさ) 和歌 ...
24. あかつかごう【赤塚郷】東京都:板橋区
日本歴史地名大系
関東管領上杉氏や太田道灌の計らいによって赤塚郷に入部することになる(寛正元年四月一九日「足利義政御判御教書写」・同三年四月二三日「足利義政御内書案」御内書案など ...
25. あかまつまさのり【赤松政則】画像
国史大辞典
領国内で繰り返されたが、長享二年(一四八八)には全く山名勢を退けて領国の支配を確保した。将軍足利義政・義尚の信任も厚く、赤松氏の勢威を昔日に復した中興の英将とい ...
26. あかみむら【赤見村】栃木県:佐野市
日本歴史地名大系
状」豊嶋宮城文書)、次いで太田資忠らが佐野越前入道の館を攻めて降伏させている(年欠七月二日「足利義政御内書写」御内書符案)。なお字町屋の赤見城は足利俊綱によって ...
27. あきまちむら【秋町村】広島県:三次市
日本歴史地名大系
可愛川西岸沖積平地に位置し、安芸国高田郡に属す。北は同郡粟屋村。西軍方に属して敗れた宍戸持朝の旧領を将軍足利義政が毛利豊元に与えた文明二年(一四七〇)六月三日付 ...
28. あきもりきょうき【在盛
記】
国史大辞典
このうち文明十三年は在盛死後の年である。全体を通じて陰陽家としての日時勘文の全文が多く掲げられ、それも足利義政のためのものが多くて、その動静を知るのによい史料で ...
29. あこうづごう【赤尾津郷】秋田県:由利郡/岩城町
日本歴史地名大系
守義氏書」秋田藩家蔵文書)、室町時代には醍醐寺三宝院の荘園で、宝徳元年(一四四九)幕府は将軍足利義政家御教書案(醍醐寺文書)によりこれを安堵した。出羽国赤宇曾事 ...
30. 朝倉孝景画像
日本大百科全書
当初西軍斯波義廉(よしかど)に従い、東軍の斯波義敏(よしとし)を攻めるなど西軍の猛将として活躍したが、将軍足利義政(あしかがよしまさ)、管領(かんれい)細川勝元 ...
31. あさくらたかかげ【朝倉孝景】画像
国史大辞典
義敏が守護となった。敏景はこの義敏の一字をもらったとされるのである。ところが堀江石見守に擁せられた義敏は、将軍足利義政の支持する甲斐常治・朝倉孝景と対立した。長 ...
32. あさくらたかかげ【朝倉孝景】 : 朝倉孝景/(一)
国史大辞典
義敏が守護となった。敏景はこの義敏の一字をもらったとされるのである。ところが堀江石見守に擁せられた義敏は、将軍足利義政の支持する甲斐常治・朝倉孝景と対立した。長 ...
33. あさごえのしょう【浅越庄】岡山県:岡山市/旧西大寺市地区
日本歴史地名大系
金剛院領として安堵、しかし応仁・文明の乱で不知行地と化し、文明一〇年(一四七八)五月二八日の足利義政御教書(同文書)で同院へ返付されている。同一二年一二月五日の ...
34. あさごのしょう【朝来庄】兵庫県:朝来郡/山東町
日本歴史地名大系
などとともに安堵され、次いで応永三二年八月二八日に足利義持、長禄三年(一四五九)六月二一日に足利義政からも安堵されている。明応八年(一四九九)一一月一九日の久下 ...
35. あさじむら【浅地村】富山県:小矢部市
日本歴史地名大系
射水郡小泉城(現大門町)城主桃井播磨守の病悩祈願に際しての霊験により、社領として一五貫文の山林地を寄進された。足利義政も祈願所とし、太刀一振を寄進。天正年間(一 ...
36. あさばのしょう【浅羽庄】静岡県:磐田郡/浅羽町
日本歴史地名大系
蔭山貞広請文」同文書)が代官職を請負っている。また前掲文明一四年の請文によると、今御所領から足利義政と日野富子の間に生れた南御所の所領となっていたことがわかる。 ...
37. あしかが-まさとも【足利政知】
日本人名大辞典
1435−1491 室町時代の武将。永享7年生まれ。足利義教(よしのり)の3男。足利義政(よしまさ)の弟。出家して京都天竜寺香厳院にいたが,長禄(ちょうろく)元 ...
38. 足利義材・足利義尹・足利義稙
日本史年表
,美濃より上洛(宣胤卿記)。 1489年〈延徳元(8・21) 己酉〉 10・22 足利義視・義材,足利義政と対面(蔭凉軒)。 1490年〈延徳2 庚戌⑧〉 1・ ...
39. あしかがよしずみ【足利義澄】画像
国史大辞典
文明十二年(一四八〇)十二月十五日、足利政知の第二子として伊豆に生まる。母は武者小路隆光の女。同十七年十二月足利義政は義澄を天竜寺香厳院の後嗣と定めた。長享元年 ...
40. あしかがよしたね【足利義稙】画像
国史大辞典
文正元年(一四六六)七月三十日(一説二十九日)美濃太郎邑に誕生。父は足利義視。母は裏松政光女。足利義政の没後その室日野富子に擁立され、延徳二年(一四九〇)七月五 ...
41. 足利義尚画像
日本大百科全書
まま就位したが、その治世の前半は、生母日野富子、外戚(がいせき)日野勝光(かつみつ)、大御所足利義政らが実権を握り、傀儡(かいらい)的存在であった。1483年( ...
42. あしかが-よしひさ【足利義尚】
日本人名大辞典
1465−1489 室町幕府9代将軍。在職1474*-89。寛正(かんしょう)6年11月23日生まれ。足利義政の長男。母は日野富子。8代将軍義政が後継を弟義視( ...
43. 足利義尚・足利義熙
日本史年表
義政夫妻・義尚,赤松政則第に御成(蜷川親元日記)。 1482年〈文明14 壬寅⑦〉 7・13 足利義政 ,義尚に政務を執らせる(雑事記)。 1484年〈文明16 ...
44. あすかいまさちか【飛鳥井雅親】
国史大辞典
私邸和歌所と資料は焼失し撰修の業は中絶した。乱を近江柏木郷に避けたので柏木殿と呼ばれた。将軍足利義政や義尚の歌鞠師範で、また三条西実隆や姉小路基綱などの公家や、 ...
45. あすかいりゅう【飛鳥井流】
国史大辞典
はじめとして三十人の名を掲げている。公卿・武家・僧侶・連歌師など広い層に迎えられたらしく、ことに足利義政や細川幽斎が、この流の名手として高名であったことは面白い ...
46. あそうごう【麻生郷】大阪府:貝塚市
日本歴史地名大系
同九年四月一〇日条)。文明一六年七月一三日、幕府は畠山成清に対して麻生郷知行を命じており(「足利義政御判御教書案」蜷川家古文書)、麻生郷は当時幕府御料所であった ...
47. あそうのしよう【麻生庄】福岡県:北九州市(旧筑前域)
日本歴史地名大系
考えられる。康正元年(一四五五)には弘家から弘国への伝領が安堵されているが(同年一一月一九日足利義政袖判御教書)、応仁・文明の乱で麻生上総入道(弘家)が大内政弘 ...
48. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
「来国俊」の銘と正和五年(一三一六)一一月の年紀がある。古神宝類 長禄二年の遷宮にあたり、将軍足利義政が奉納したといわれるもので、男神の御衣三領、女神の御衣二領 ...
49. あべやま【安部山】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
方策を記している。同年七月二〇日条・二二日条には、当地を守護今川範忠に預けることを命じる将軍足利義政御判御教書のことが記されている。のち狩野氏は安倍山の奥から遠 ...
50. あまみ【奄美】鹿児島県:総論
日本歴史地名大系
勝利したという(「李朝実録」成宗二四年六月条)。すでに文正元年(一四六六)琉球使節が室町将軍足利義政に謁見しており(「親基日記」同年七月二八日条)、天順二年(一 ...