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  11. 一休宗純
国史大辞典・日本大百科全書

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国史大辞典
一休宗純
いっきゅうそうじゅん
一三九四 - 一四八一
室町時代前期の臨済宗大応派大徳寺派下の禅僧。はじめ法名を周建といい、のち宗純と改め、一時宗順とも称し、道号を一休といい、別に狂雲子と号した。後小松天皇の皇子、母は南朝の遺臣花山院某の女。応永元年(一三九四)京都の民家において出生。六歳、山城安国寺住持象外集鑑(夢窓疎石の法嗣鉄舟徳済の弟子)に随って童役を務め周建と安名された。十二歳、山城嵯峨宝幢寺において清叟師仁(虎関師錬の弟子、東福寺聖一派の人)の『維摩経』の講席に連なり、十三歳、建仁寺に移り、霊泉院の慕哲竜攀(古今伝授の東常縁の一族)について作詩を学び、十六歳、同寺を脱出して、壬生に清叟に随って、経録・外典の講を聴き、同時に西金寺に隠遁していた謙翁宗為(妙心寺開山関山慧玄より授翁宗弼・無因宗因・謙翁と相承した人)の室を扣いて参禅し、両師に師事すること五年、応永二十一年謙翁が示寂したので、翌年二十二歳、かねてから私淑していた華叟宗曇(かぞうそうどん)に近江堅田の祥瑞庵に参じ、おそらくここで宗純と改名したのであろう。その後三年、二十五歳にして華叟より一休の道号を授けられ、翌々年二十七歳にして印可された。応永三十四年実父後小松上皇に召謁をとげ、永享五年(一四三三)上皇崩御の直前に再び召謁、遺愛の品を授けられた。正長元年(一四二八)華叟の示寂に遭い、実父・師父を失ってのち、往々にして風顛の行動あり、永享十二年大徳寺の如意庵(華叟の師言外宗忠の塔所)の塔主(たっす)となり、先師華叟の十三回忌の法事を行い、去って譲羽山に入り、尸陀寺を建てて居る。文安四年(一四四七)大徳寺派内の抗争を憤り、再び譲羽山に入り断食して自殺をはかり、後花園天皇は女房奉書を下してこれを慰問せしめられ、自殺を思いとどまって帰京、翌年売扇庵に寓し、享徳元年(一四五二)その庵南の瞎驢庵に遷った。このころから法兄養叟宗頤との不和が表面化し、逐年熾烈になり、ことに『自戒集』を著わし、主として養叟を罵倒する偈を集めた。康正二年(一四五六)六十三歳、山城薪の大応国師の旧蹟妙勝庵を復旧してこれにおり、その隣に酬恩庵をはじめて、これにも寓した。長禄三年(一四五九)春六十六歳、徳禅寺住持の請を受けて入院(じゅえん)し、寛正二年(一四六一)洛西安井の竜翅寺(りょうしょうじ、南浦紹明開山)の廃を興し、同三年秋、痢病に罹り九死に一生を得て桂林寺に兵乱を避け、翌年は賀茂の大燈寺に寓し、年末に瞎驢庵に帰住、応仁の乱に同庵が兵火に罹ったので東山虎丘庵(くきゅうあん)、薪の妙勝・酬恩両庵、〓原の慈済庵、南都、和泉、摂津住吉の松栖庵と転々し、檀越が坂井に雲門寺をはじめたのでこれに寓した。文明五年(一四七三)幕府は陣中に大徳寺を建て、これに請じ、翌年紫野の大徳寺住持の綸旨を承けて、入寺法語を作ってこれに応じた。同七年八十二歳、薪に移した虎丘庵に寿塔を営み、慈楊と扁した。同十年和泉に赴いて住吉慈恩寺に言外宗忠の百年忌を預修して薪の酬恩庵に帰り、夏末に妙勝庵に再住し、同十一年大徳寺の法堂(はっとう)の新築を成就した。同十三年大徳寺の山門墻壁を新築し、初冬微恙を発し、十一月二十一日薪の酬恩庵に示寂した。八十八歳。慈楊塔に葬り、延徳三年(一四九一)弟子没倫紹等(墨斎)などが大徳寺に真珠庵をはじめてこれにも分塔した。平生述作するところの偈頌(げじゅ)を編して『狂雲集』といい、このほか先述の『自戒集』および『一休和尚仮名法語』がある。弟子に岐翁紹禎・没倫紹等・祖心紹越・済翁紹派・北海紹超らがあり、ことに岐翁は真弟(血縁の子でしかも法縁の弟子)であったと伝え、このほか堺の豪商尾和宗臨、相国寺僧南江宗〓らが門下に連なった。この一門を一休派と号して、大徳寺本寺に瑞世住持せず、生涯黒衣で通すのを宗憲としている。あるいは盲目の森侍者とか瑞子(ずいす)とかいう女性との関係を噂され、女犯の伝説もあり、日常破戒無慙の行為をあえて衆人の面前に示すが、それは大徳寺一派の既成教団の爛熟に対する警鐘となり、またそのような生活の裡から真情を流注する珠玉の詩偈も生まれたのである。このように真摯と狂乱という相反する両極端の行動の交替または共存する生涯は、一休に限らず室町時代中期の変革期社会の風潮であったとも見られ、一休はその典型的人物であったともいうべきであろう。遺弟の編に成る行状『一休和尚行実』およびそれを年譜風に拡大した『東海一休和尚年譜』(いずれも『続群書類従』伝部に収められている)があるが、ともに撰者を詳らかにしない。
[参考文献]
『大日本史料』八ノ一三 文明十三年十一月二十一日条、卍元師蛮『延宝伝燈録』二九(『大日本仏教全書』)、『竜宝山誌』、大心義統『正燈世譜』、古筆了仲編『竜宝山大徳禅寺世譜』、古田紹欽『一休』、斎藤清衛『(近古時代)文芸思潮史―応永永享篇―』、衛藤駿「一休宗純の画像」(『大和文華』四一)、伊藤敏子「狂雲集諸本の校合について」(同)
(玉村 竹二)


日本大百科全書(ニッポニカ)
一休宗純
いっきゅうそうじゅん
[1394―1481]

室町中期の臨済(りんざい)宗の僧。宗純は諱(いみな)で、宗順とも書く。狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)などと号した。後小松(ごこまつ)天皇の落胤(らくいん)ともいわれ、6歳で京都安国寺の侍童となり、周建(しゅうけん)とよばれた。17歳で西金寺(さいこんじ)の謙翁(?―1415)に参学、大徳寺の高僧で、近江(おうみ)(滋賀県)堅田(かたた)に隠栖(いんせい)する華叟宗曇(かそうそうどん)(1352―1428)の弟子となって修行、一休の号を授かった。師の没後は定住することなく各地を雲遊したが、1467年(応仁1)応仁(おうにん)の乱が起こると戦火を避けて山城薪(やましろたきぎ)(京都府京田辺(きょうたなべ)市)の酬恩庵(しゅうおんあん)に寓(ぐう)した。応仁の乱が鎮まった1474年(文明6)勅命によって大徳寺の第47代住持となり、荒廃した伽藍(がらん)の再興に尽くした。文明(ぶんめい)13年11月21日、酬恩庵で示寂。一休は、当時すでに幕府の御用哲学と化していた五山派の禅の外にあって、ひとり日本禅の正統を自任し、独自の漢詩文を駆使して禅の本質を芸術性豊かに歌い上げた。また大徳寺開山、大燈(だいとう)国師(宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう))の法流をさかのぼることによって、中国の南宋(そう)禅林に孤高の宗風を振るった虚堂智愚(きどうちぐ)に私淑し、自らその再来と称した。彼は自らを「狂雲子」と号し、形式や規律を否定して自由奔放な言動や奇行をなしたが、その姿は当時の形式化、世俗化した臨済の宗風に対する反抗、痛烈な皮肉であったといえよう。晩年には森侍者(しんじしゃ)(生没年不詳)という盲目の美女を愛し、その愛情を赤裸々に詩文に詠んでいる。しかし、その実人生と文学的虚構の間にはいまなお多くの謎(なぞ)を残している。その徹底した俗心否定と風刺の精神は後世に共感を得、『一休咄(ばなし)』『一休頓智談(とんちだん)』などが上梓(じょうし)され、子供にも親しまれるようになった。詩偈(しげ)集『狂雲集』は著名。ほかに『一休法語』や『仏鬼軍』も彼の作とされる。大徳寺真珠庵と酬恩庵に墓があり、ともに自刻等身の木像が安置されている。
[柳田聖山]2017年5月19日

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室町中期の臨済(りんざい)宗の僧。宗純は諱(いみな)で、宗順とも書く。狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)などと号した。後小松(ごこまつ)天皇 ...
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10. いっきゅう-そうじゅんの-はは【一休宗純母】
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14. いずりはむら【出灰村】京都市:西京区地図
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15. いちろあんぜんかい【一路庵禅海】
国史大辞典
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16. いちろあん-ぜんかい【一路庵禅海】
日本人名大辞典
村田珠光(じゅこう)(1423-1502)に茶をまなんだといい,応仁(おうにん)の乱をさけて堺にきた一休宗純と禅問答をしたという。清貧と高徳により人々にしたわれ ...
17. 一休伊呂波歌(著作ID:640200)
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18. 『一休和尚仮名法語』
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1481年〈文明13 辛丑〉 11・21 一休宗純没.生前 『一休和尚仮名法語』 『狂雲集』 を著す。  ...
19. いっきゅうおしょうかなほうご【一休和尚仮名法語】
国史大辞典
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20. 一休和尚年譜 1 3ページ
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一休宗純像 伝墨斎筆 東京国立博物館蔵 ...
21. 一休和尚年譜 1 246ページ
東洋文庫
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22. 一休和尚年譜 2 63ページ
東洋文庫
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23. 一休和尚年譜 2 193ページ
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雲集』 奥書、中本環校註『狂雲集』解説)(11) (年未詳)霊山四世孫順一休謹書(真珠庵蔵「一休宗純偶頒題華蔓和尚法語」)(12) (年未詳)前大徳天沢七世東海 ...
24. 一休和尚年譜 2 246ページ
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26. 一休和尚年譜 2 1ページ
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30. いっきゅうじ【一休寺】京都府:綴喜郡/田辺町/薪村
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応国師南浦紹明が当地を訪れ霊瑞山妙勝禅寺を創建したが、元弘の乱で堂塔は焼亡、荒廃した。その後一休宗純が永享(一四二九―四一)頃復興を志し、康正二年(一四五六)に ...
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32. 一休ばなし(仮名草子集) 278ページ
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、普賢菩薩となり白象に乗って昇天するという内容。観阿弥作。俗説では、「江口」「山姥」の二曲は一休宗純作とする。『狂雲集』に「題江口美人勾欄曲」の詩あり。死者の霊 ...
33. 一休ばなし(仮名草子集) 284ページ
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享徳二年(一四五三)の火災と応仁の乱(一四六七~七七年)で諸堂の大半を焼失したが、のち、四十七世住持一休宗純が堺の豪商尾和宗臨の援助で再興した。→二三五ページ注 ...
34. 一休ばなし(仮名草子集) 302ページ
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て 六 堅田の船頭が死んだ事付引導の事  近江国。「堅田」。滋賀県大津市、琵琶湖西岸の地名。一休宗純は応永二十二年(一四一五)に堅田に行き華叟に師事する。堅田の ...
35. 一休ばなし(仮名草子集) 353ページ
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退院の偈までついているところから、形式的に奉勅しただけで、実際には入山しなかったと一般に解されている。一休宗純は、国景、夢閨、狂雲子、天下老和尚などとも称したが ...
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江戸前期の咄本。四巻四冊。作者未詳。寛文八年(一六六八)刊。一休宗純和尚を主人公とした狂歌咄集。当時流布していた、一休俗伝中の奇行を集めて好評を博し、以後一休を ...
38. 一休筆詩巻(著作ID:4372338)
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いっきゅうひつしかん 一休宗純(いっきゅうそうじゅん) 書  ...
39. 横川景三
日本史年表
1467年〈応仁元(3・5) 丁亥〉 一休宗純 ・ 瑞渓周鳳 ・ 横川景三 ,乱を避けて離京(一休和尚年譜・興宗明教禅師行状・横川和尚伝)。 1493年〈明応 ...
40. 御ふみ 322ページ
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におなじくして、智者のふ  るまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」と説かれたことは名高い。一休宗純『狂雲集』も、  「賛二法然上人一」においては、「教二智者一 ...
41. おわ-そうりん【尾和宗臨】
日本人名大辞典
?−1502* 室町-戦国時代の貿易商。堺の豪商で,明(みん)(中国)との貿易で富をえる。一休宗純に参禅し,大徳寺真珠庵を創建。応仁(おうにん)の乱で焼失した大 ...
42. 改訂 京都民俗志 43ページ
東洋文庫
井とし、雍州府志巻八には一休宗純が聖水と名づけたと見える。口碑によると紫式部の産湯井であるともいう。 軒端の井 洛東、左京区吉田の東北院の庭にある(弁財天堂の西 ...
43. 掛物
日本大百科全書
床に掛けるようになったのは、唐絵よりも後のことで、わび茶の創始者、村田珠光(じゅこう)が、参禅の師、一休宗純から印可(いんか)の証(あかし)として授与された宋代 ...
44. かそう-そうどん【華叟宗曇】
日本人名大辞典
忠の法をつぐ。近江(おうみ)(滋賀県)堅田(かただ)に祥瑞(しょうずい)寺をひらいた。門弟に一休宗純(いっきゅう-そうじゅん),養叟宗頤(ようそう-そうい)ら。 ...
45. かどまつ は 冥途(めいど)の旅(たび)の一里塚(いちりづか)
日本国語大辞典
(「めでたくもありめでたくもなし」とつづく一休宗純作という歌から)正月の門松はめでたいものとされているが、門松を飾るたびに一つずつ年をとり、死に近づくので、死へ ...
46. 門松(かどまつ)は冥途(めいど)の旅(たび)の一里塚(いちりづか)
故事俗信ことわざ大辞典
成には死滅が伴ふ。門松は冥途の旅の一里塚に過ぎない」「めでたくもありめでたくもなし」と続け、一休宗純が蜷川親当(ちかまさ)と道歌問答をした際の歌とされる。しかし ...
47. 漢詩
日本大百科全書
中国の詩に比肩しうる境地に至る。その後は惟肖得巌(いしょうとくがん)、江西龍派(こうせいりゅうは)や一休宗純(いっきゅうそうじゅん)らの文学僧が出たが、あまり振 ...
48. 漢文学
日本大百科全書
横川景三(おうせんけいさん)、天隠龍沢(てんいんりゅうたく)、景徐周麟(けいじょしゅうりん)や、風狂僧一休宗純(いっきゅうそうじゅん)、南学の祖桂菴玄樹(けいあ ...
49. かんぶんがく【漢文学】
国史大辞典
祖述したものである。『三体詩』も中巌らから流行し、五山版の刊行もこれらの僧たちによって起った。その他、一休宗純・景徐周麟・桃源瑞仙・桂庵玄樹・横川景三らの詩文集 ...
50. かんぶんがく【漢文学】 : 中世/(四)
国史大辞典
となり、虎関師錬・雪村友梅・中巌円月・義堂周信・絶海中津・横川景三などの作者が輩出している。一休宗純は大徳寺の僧で五山文学者の範囲外であるが、現実への痛烈な批判 ...
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