1. 斎藤道三画像
日本大百科全書
戦国大名。初め長井規秀(のりひで)、のち斎藤利政(としまさ)、晩年入道して道三と号す。北条早雲(そううん)などとともに戦国の梟雄(きょうゆう)といわれ、典型的な ...
2. 斎藤道三[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「斎藤(道三)利政画像 題目」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ...
3. 斎藤道三
世界大百科事典
?-1556(弘治2) 戦国時代の武将。藤原規秀,長井新九郎規秀(のりひで),斎藤左近大夫利政などと名のる。道三は法名。父長井新左衛門尉は,京都の妙覚寺の僧で, ...
4. さいとう‐どうさん【斎藤道三】
日本国語大辞典
戦国時代の武将。山城の油売りから身を起こしたといわれるが、それは父の代の出来事らしい。彼の父は美濃国の名族長井氏を名乗るまでになっていたが、道三は更に斎藤の姓を ...
5. さいとうどうさん【斎藤道三】画像
国史大辞典
稲村三郎『岐阜城と斎藤道三および織田信長』、村瀬茂七『斎藤道三と稲葉山城史』、桑田忠親『斎藤道三』、阿部愿「斎藤道三家系略考」(『史学雑誌』一六ノ五・七)、福田 ...
6. さいとう-どうさん【斎藤道三】
日本人名大辞典
1494/1504−1556 戦国時代の武将。明応3/永正(えいしょう)元年5月生まれ。天文(てんぶん)3年美濃(みの)(岐阜県)守護土岐(とき)氏の家臣長井景 ...
7. 斎藤道三[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:2件 【逐次刊行物】:2件 『岐阜城と斎藤道三および織田信長』稲村三郎(著刊)『落城私考 織田信長岐阜攻略の時期』郷浩『斎藤道三家系略考』阿部愿『斎藤 ...
8. 斎藤道三印[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 斎藤道三花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
10. 斎藤道三記(著作ID:200248)
新日本古典籍データベース
さいとうどうさんき ...
11. あいばじょうあと【相羽城跡】岐阜県:揖斐郡/大野町/相羽村
日本歴史地名大系
(現垂井町)から長屋氏が移り修築、守護土岐頼芸に属したとされる。天文一四年一二月、長屋景興は斎藤道三に攻められ滅ぼされたという。 ...
12. あおき[あをき]【青木】
日本国語大辞典
新田義貞に属した青木氏を、その一族とする説がある。〔二〕近世の摂津国麻田藩主。初代の重直は美濃に住し、土岐氏・斎藤道三・織田信長、ついで豊臣秀吉に仕え、摂津国豊 ...
13. あおきし【青木氏】画像
国史大辞典
(石田 祐一) (二)摂津国麻田藩主 青木氏は戦国時代末美濃にあり、青木重直が土岐頼芸・斎藤道三・織田信長に仕え、豊臣秀吉の時、摂津国豊島郡・兎原郡で千七百 ...
14. あおき-しげなお【青木重直】
日本人名大辞典
1528−1614* 戦国-江戸時代前期の武将。享禄(きょうろく)元年生まれ。土岐頼芸(とき-よりなり),斎藤道三(どうさん),織田信長につかえたのち,豊臣秀吉 ...
15. あくたみのしょう【芥見庄】岐阜県:岐阜市/旧山県郡・各務郡地区/芥見村
日本歴史地名大系
長善寺文書の年月日未詳の所領控には「芥見庄長山彦五郎以御判紙永賜之」とある。年未詳七月二〇日の斎藤道三書状写(金沢市立図書館蔵今枝氏古文書等写)によれば、「日野 ...
16. あくたみむら【芥見村】岐阜県:岐阜市/旧山県郡・各務郡地区
日本歴史地名大系
郡上街道が通り、郡上川(長良川)筋の河岸場が設けられていた。天文二〇年(一五五一)九月一日の斎藤道三寄進状写(常在寺文書)に「芥見村之内清水領」とあり、当地など ...
17. あけちし【明智氏】
国史大辞典
とって姓としたと伝えられるが、明智氏は雄族土岐氏の流れとして東美濃の土豪的存在であったとみられる。斎藤道三の娘で織田信長に嫁した濃姫の生母は明智氏の出とする説も ...
18. あずちのしゅうろん【安土宗論】
国史大辞典
日蓮宗は京都頂妙寺の日
・美濃
斎藤道三の帰依僧常光院日諦・京都妙満寺の久遠院日淵・京都妙顕寺内法音院の僧某(記録者)、各四人が左右に対坐し
...19. あとべむら【跡部村】岐阜県:武儀郡/武芸川町
日本歴史地名大系
不沙汰していることが知られる。戦国期には跡部将監の居城跡部城が築かれ、将監は土岐頼芸に仕え、のち斎藤道三に従ったという。慶長郷帳では高五〇〇石。元和二年(一六一 ...
20. あねがこうじよりつな【姉小路自綱】
国史大辞典
。初名を光頼といい、史料によっては頼綱としている。左京大夫、大和守、入道して久安と号す。妻は斎藤道三の娘。永禄三年(一五六〇)従五位下左衛門佐、同六年三月十二日 ...
21. いこやまじょうあと【祐向山城跡】岐阜県:本巣郡/本巣町/法林寺村
日本歴史地名大系
弘安(一二七八―八八)頃の人と推定される。戦国時代には土岐氏守護代斎藤氏の臣長井利安が居城、のち斎藤道三も一時拠ったという(「美濃国諸旧記」ほか)。道三の孫斎藤 ...
22. 稲葉一鉄
日本大百科全書
進攻を迎撃し、父と5人の兄が戦死したあと、還俗(げんぞく)して家を継ぐ。土岐(とき)氏に続き斎藤道三(どうさん)に仕えたが、その子龍興(たつおき)と対立。織田信 ...
23. いなば-いってつ【稲葉一鉄】
日本人名大辞典
と兄5人が戦死したため還俗(げんぞく)して家をつぎ,美濃(みの)(岐阜県)曾根(そね)城主。斎藤道三(どうさん)らにつかえ,安藤守就(もりなり)・氏家卜全(うじ ...
24. いなばぐん【稲葉郡】岐阜県:美濃国
日本歴史地名大系
明治三〇年(一八九七)の郡制施行に伴い厚見郡・各務郡全域と方県郡の大部分が合併して成立。県南部に位置し、郡名は斎藤道三の居城があり、郡の中央に位置した稲葉山(金 ...
25. いなばじんじゃ【伊奈波神社】岐阜県:岐阜市/岐阜町/善光寺大門
日本歴史地名大系
みえない。中世には美濃国三宮と称したという(美濃国第三宮因幡社本縁起)。天文八年(一五三九)斎藤道三が稲葉山城を築城するとき椿原から現在地に移され、永禄一〇年( ...
26. いなば‐やま【稲葉山】
日本国語大辞典
〔一〕岐阜市の長良川南岸にある金華山の別名。戦国時代、斎藤道三が稲葉山城を構え、のち織田信長が攻略し、岐阜城と改めた。標高三二九メートル。破鏡山。*俳諧・如行子 ...
27. 稲葉山城画像
日本大百科全書
美濃(みの)守護土岐(とき)氏の時代には守護代の斎藤氏が代々居城した。 1534年(天文3)斎藤道三(どうさん)によって戦国の城として再興され、義龍(よしたつ) ...
28. いのくち【井ノ口】岐阜県:岐阜市
日本歴史地名大系
同二三年二月二二日、斎藤道三は「井之口道場」へ仏餉料として新田の内「火田壱反歩」を寄進し(斎藤道三寄進状写)、同年三月五日には「井口道場」が寄合所であることを認 ...
29. いのこ-たかなり【猪子高就】
日本人名大辞典
?−1582 戦国-織豊時代の武将。斎藤道三(どうさん)につかえたが,永禄(えいろく)ごろ織田信長の家臣となり,近習として軍の検使をつとめた。本能寺の変のとき織 ...
30. いびぐん【揖斐郡】岐阜県
日本歴史地名大系
戦後頼忠が美濃守護となった。頼忠の子頼益以後、土岐氏は本拠地を厚見郡に移し、頼芸の時その家臣斎藤道三により滅亡した。揖斐城(現揖斐川町)城主揖斐光親は守護家の五 ...
31. いびじょうあと【揖斐城跡】岐阜県:揖斐郡/揖斐川町/三輪村
日本歴史地名大系
詮頼・友雄・基春・基信と続くが、基信のあとには守護土岐政房の子光親を養子として入れた。天文一六年(一五四七)斎藤道三の攻撃にあい落城、光親は逃れた。織田信長が美 ...
32. いびはん【揖斐藩】
国史大辞典
美濃国揖斐(岐阜県揖斐郡揖斐川町)を藩庁とした藩。藩主西尾氏。外様。西尾光教は斎藤道三に仕え、のち織田信長・豊臣秀吉に随って二万石を領し、関ヶ原の戦には東軍に ...
33. いわどむら【岩戸村】岐阜県:岐阜市/旧厚見郡地区
日本歴史地名大系
ったという(「諸書記」小林文書)。なお豪族物部氏は物部神社(式内社)を当地に祀ったと伝える。斎藤道三が天文八年(一五三九)伊奈波神社を遷したとき当地の物部神社も ...
34. うじいえぼくぜん【氏家卜全】画像
国史大辞典
はじめ安八郡楽田城(大垣市)にいたが、永禄二年(一五五九)より大垣牛屋城に移る。土岐頼芸に仕え、土岐氏滅亡後は
斎藤道三・義竜・竜興に仕え、安藤道
...35. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
、朝倉氏の出兵は提携関係にあった若狭の武田氏、近江の浅井氏らへの支援や、内紛の続く美濃へは反斎藤道三方支援、あるいは将軍義尚・義晴の要請に応じたものなどである。 ...
36. おおがじょうあと【大桑城跡】岐阜県:山県郡/高富町/大桑村
日本歴史地名大系
頼芸は大桑に城を築いて移ったと記される。城下には侍屋敷のほか町屋敷がつくられたという。大桑城の土岐氏は斎藤道三により攻略され、滅亡した。「美濃国諸旧記」によれば ...
37. おおくわ‐じょう[おほくはジャウ]【大桑城】
日本国語大辞典
った山城。美濃国の守護、土岐頼芸(よりなり)が居城としたと伝えるが、天文一六年(一五四七)、斎藤道三に攻められて落城し、廃城となる。おおがじょう。オークワジョー ...
38. おおのぐん【大野郡】岐阜県:美濃国
日本歴史地名大系
光俊の子孫からは郡家・小弾正・屋井などの家が分れた。饗庭一族は室町時代には土岐守護家に属し、戦国時代に斎藤道三と争って滅びた。また土岐頼清の次男頼康は、揖斐庄を ...
39. 織田信長画像
日本大百科全書
幼名は吉法師(きちほうし)。1546年(天文15)元服して三郎信長。翌年三河へ初陣、ついで美濃(みの)斎藤道三(さいとうどうさん)の娘と結婚、1551年信秀の死 ...
40. おだ‐のぶなが【織田信長】
日本国語大辞典
戦国大名。幼名吉法師または三郎。信秀の子。美濃の斎藤道三(どうさん)の娘と結婚。永祿三年(一五六〇)今川義元を桶狭間(おけはざま)に破り、斎藤氏をも滅ぼして勢力 ...
41. 織田信長[文献目録]
日本人物文献目録
イス(著), 村上直次郎(訳)『信長の安土経営』コエリヨ(著), 村上直次郎(訳)『岐阜城と斎藤道三および織田信長』稲村三郎(著刊)『織田信長』桑田忠親『落城私 ...
42. 織田信秀
日本大百科全書
1542年(天文11)駿河(するが)の今川義元(よしもと)と小豆坂(あずきざか)で戦い、さらに美濃(みの)の斎藤道三(どうさん)と戦い、両勢力の尾張進出の阻止を ...
43. 織田信秀
世界大百科事典
に1534年熱田の北の古渡に城を築く。42年今川氏と三河小豆坂に戦って勝ち,48年には美濃の斎藤道三の女濃姫を子信長にめとって和議を結ぶなど,その勢力は隣国にま ...
44. おだのぶひで【織田信秀】画像
国史大辞典
支配下におさめた今川氏の軍と岡崎郊外の小豆坂に戦い、これを破って西三河を席捲。同年九月および十六年に美濃に斎藤道三を攻め、稲葉城下まで迫って敗れ、弟与次郎以下多 ...
45. おだ-のぶひで【織田信秀】
日本人名大辞典
氏豊を那古野(なごや)城から追放するなど,尾張で勢力をふるう。16年美濃(みの)(岐阜県)の斎藤道三に敗れ,道三の娘濃姫を信長と結婚させ和議をむすんだ。天文20 ...
46. 伽婢子 2 251ページ
東洋文庫
平定して本流となった。 信長は幼名吉法師、上総介、弾正忠。贈従一位・ 太政大臣。信秀の嫡子。妻は斎藤道三の女濃姫。 永禄三年今川義元を桶狭間に討ち(五ノ2)、同 ...
47. 伽婢子 2 258ページ
東洋文庫
遂に妻としたというもの。詩は本書に 載るとおりで、人口に膾炙され劇化されたという。斎藤(ニノー)斎藤道三を指す。斎藤氏は代々美 濃の守護土岐氏の守護代として稲葉 ...
48. 伽婢子 2 274ページ
東洋文庫
騎を率い て山名方に与力し功あったという(『寛政重修諸 家譜』)。なお土岐氏は=代頼芸の代に斎藤道三 に追われて実質滅亡。成頼は明応六年没。?1一 四九七。飛加 ...
49. おわりのくに【尾張国】愛知県
日本歴史地名大系
。この頃、三河では松平氏が台頭し、美濃では斎藤道三が稲葉山城にあって美濃一国を領有していた。このため織田信秀は両勢力との対決を余儀なくされ、斎藤道三とは、美濃の ...
50. 女大学集 79ページ
東洋文庫
信行はいつわり病なることを知り、玄蕃同道にて出勤すべき旨おおせありければ、七郎左衛門はにげ出て斎藤道三のもとに隠れおれり。勝はこのことをきき、かなしみにたえかね ...