1. 毛利元就画像
日本大百科全書
戦国時代の武将。安芸(あき)国高田(たかた)郡吉田郡山(よしだこおりやま)城(広島県安芸高田市吉田町)主、毛利弘元(ひろもと)の二男。のちに父が兄興元(おきもと ...
2. 毛利元就[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「毛利元就画像 煕春龍喜賛」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ...
3. 毛利元就
世界大百科事典
1497-1571(明応6-元亀2) 戦国時代の武将。少輔次郎,右馬頭,陸奥守を称する。弘元の次男。兄興元,甥幸松丸の相次ぐ早世により,1523年(大永3)安芸 ...
4. もうり‐もとなり【毛利元就】
日本国語大辞典
戦国大名。毛利氏はもと安芸国吉田荘地頭。天文九年(一五四〇)、大内・尼子両氏の対立に、大内義隆に属して尼子晴久を破った。また二男元春を吉川氏に、三男隆景を小早川 ...
5. もうりもとなり【毛利元就】画像
国史大辞典
[参考文献]『大日本史料』一〇ノ六 元亀二年六月十四日条、『寛政重修諸家譜』六一六、三卿伝編纂所編『毛利元就卿伝』 (河合 正治) ...
6. 毛利元就
日本史年表
1523年〈大永3 癸未③〉 7・25 毛利元就 ,一族老臣に擁立され家督継承(毛利家文書)。 1537年〈天文6 丁酉〉 3・7 毛利元就,尼子経久方の安芸 ...
7. もうり-もとなり【毛利元就】
日本人名大辞典
1497−1571 戦国時代の武将。明応6年3月14日生まれ。毛利弘元の次男。大永(たいえい)3年(1523)家督をつぎ,安芸(あき)(広島県)郡山城主となる。 ...
8. もうりもとなり【毛利元就】
日本架空伝承人名事典
戦国時代の武将。少輔次郎、右馬頭、陸奥守を称する。弘元の次男。兄興元、甥幸松丸の相次ぐ早世により、一五二三年(大永三)安芸高田郡吉田の国人領主として家督を継ぎ、 ...
9. 毛利元就[文献目録]
日本人物文献目録
第四編』松井広吉(編)『毛利元就』一戸桜外『毛利元就卿』瀬川秀雄『元就公と厳島』瀬川秀雄『毛利元就と教育』水無瀬徳太郎, 小都勇二『郷土史談毛利元就』小都勇二『 ...
10. 毛利元就
訓書
(見出し語:毛利元就)古事類苑
人部 洋巻 第2巻 216ページ ...
11. 毛利元就獻二即位費一 (見出し語:毛利元就)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 423ページ ...
12. 毛利元就被レ勅二許菊桐御紋一 (見出し語:毛利元就)
古事類苑
姓名部 洋巻 第1巻 511ページ ...
13. 祀二毛利元就於豐榮神社一 (見出し語:毛利元就)
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 1715ページ ...
14. 毛利元就花押[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan ...
15. 毛利元就花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
16. もうりもとなりのはか【毛利元就墓】広島県:高田郡/吉田町/吉田村/洞春寺跡
日本歴史地名大系
洞春寺跡にある。県指定史跡。元就は元亀二年六月一四日死去し、初七日の法要を営んだのち、現在火葬場跡として残る所で荼毘に付された。この墓所について「祐長老答国司広 ...
17. 毛利元就墓所[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
広島県安芸高田(あきたかた)市 ©広島県 ...
18. 毛利元就一代記(著作ID:4407509)
新日本古典籍データベース
もうりもとなりいちだいき 伝記 ...
19. 毛利元就記(著作ID:1023683)
新日本古典籍データベース
もうりもとなりき 伝記 ...
20. 毛利元就追善連歌千句(著作ID:1755551)
新日本古典籍データベース
もうりもとなりついぜんれんがせんく 連歌 ...
21. 毛利元就伝(著作ID:1755562)
新日本古典籍データベース
もうりもとなりでん 伝記 ...
22. 春霞集(著作ID:227098)
新日本古典籍データベース
大江元就公独詠集 大江元就集 大江元就連歌 贈従三位元就卿詠草 陸奥守大江元就朝臣詠草 毛利元就御詠草 元就詠草 元就句集 毛利元就(もうりもとなり) 和歌 連 ...
23. 春霞集序(著作ID:4370434)
新日本古典籍データベース
しゅんかしゅうじょ 毛利元就家集序 三条西実枝(さんじょうにしさねき) 和歌 ...
24. 春霞集跋(著作ID:4363164)
新日本古典籍データベース
しゅんかしゅうばつ 毛利元就家集跋 紹巴(じょうは) 和歌 ...
25. あいおうむら【相合村】広島県:高田郡/吉田町
日本歴史地名大系
ひがしの大かたどのへ」とあり、「相合手づくりのうち一町八反を梅千代に遣はす」と記される。また毛利元就の異母弟就勝は、相合四郎ともよばれており、のち出家して常楽寺 ...
26. あいかごう【秋鹿郷】島根県:松江市/旧秋鹿郡地区/秋鹿村
日本歴史地名大系
以後の土屋氏の動向は不明。戦国期の年月日未詳の二宮俊実覚書(吉川家文書)によると、永禄六年(一五六三)に毛利元就は「相賀」に至り、二月から八月までこの地に陣を布 ...
27. あい‐かまえて[あひかまへて]【相構】
日本国語大辞典
『我返らむ時に、相構て供養し奉らむと』」*毛利家文書‐(天文一九年カ)〔1550か〕一〇月二三日・毛利元就書状(大日本古文書二・五七六)「相かまへて相かまへて、 ...
28. あいものしょうじまち【相物小路町】山口県:山口市/山口町
日本歴史地名大系
経好同前に可被相勤之由候条、為人足仕、魚物小路事被預遺之由候、弥御馳走肝要候」とみえるが、これは毛利元就が大内氏の滅亡後山口高嶺城を守備していた市川経好とともに ...
29. あおがけやまじょうあと【青掛山城跡】広島県:庄原市/峰村
日本歴史地名大系
大永三年(一五二三)七月二五日の福原広俊外十四名連署状(毛利家文書)によると、赤川十郎左衛門就秀は毛利元就の本家相続を要請する重臣一五名のうちに加わっている。ま ...
30. 青木周蔵自伝 55ページ
東洋文庫
る木戸翁は、聞き了て落涙数行、予は足下の説に賛成すと云へり。 注 一 弘治元年(一五五五)毛利元就は厳島の戦いで、陶晴賢を破り、周防・長門二国を領有した。 ...
31. あおやまじょうあと【青山城跡】広島県:高田郡/吉田町/吉田村
日本歴史地名大系
三〇ヵ所以上の平壇が残る。「高田郡村々覚書」に「青光井古城山、高三丁・横四丁、是は雲州尼子晴久公陣所、毛利元就公と合戦之時在城也」とあり、天文九年(一五四〇)尼 ...
32. あかえごう・あかえのしょう【赤江郷・赤江庄】島根県:安来市
日本歴史地名大系
一二月一九日「毛利元就・同輝元連署充行状」同書)が、それぞれ宇山久信と富田(毛利)元秋に与えられた。しかし元亀元年(一五七〇)富田元秋が赤江地域の一括支配を強く ...
33. あかし【明石】広島県:佐伯郡/廿日市町/宮内村
日本歴史地名大系
宮内の西端にあたり、明石峠を経て峠(現佐伯町)に至る。地名は天文二三年(一五五四)六月一一日付の毛利元就同隆元連署状(熊谷家文書)に「於 ...
34. あかなのしょう【赤穴庄】島根県:飯石郡/赤来町
日本歴史地名大系
戦死し、永禄五年(一五六二)閏六月一二日には毛利氏に降伏して赤穴五〇〇貫を安堵されている(「毛利元就・隆元連署書下」同書)。なお天正一九年(一五九一)九月二五日 ...
35. あかまじんぐうもんじょ【赤間神宮文書】
国史大辞典
書以下、応永十六年(一四〇九)守護大内家奉行人奉書案に至る六通、第四巻は弘治二年(一五五六)毛利元就安堵状以下、年未詳毛利輝元書状に至る十二通、第五巻は年未詳毛 ...
36. あがりむら【上里村】広島県:三次市
日本歴史地名大系
り、諸人これを上里御役所とよんだのが村名となったとある。天文四年(一五三五)井上新六に与えた毛利元就感状(「閥閲録」所収内藤新右衛門家文書)に「今度三吉面上里固 ...
37. あきぐん【安芸郡】
国史大辞典
安北郡には守護武田氏、地頭熊谷氏など関東御家人勢力が強かった。戦国時代には全般に大内氏治下に入り、やがて毛利元就によって統一された。毛利輝元の築いた広島城は安南 ...
38. あきぐん【安芸郡】 : 安芸郡/(一)
国史大辞典
安北郡には守護武田氏、地頭熊谷氏など関東御家人勢力が強かった。戦国時代には全般に大内氏治下に入り、やがて毛利元就によって統一された。毛利輝元の築いた広島城は安南 ...
39. 安芸高田(市)画像
日本大百科全書
毛利(もうり)氏と尼子(あまご)氏の争乱の地となった。安芸高田市の前身である高田郡6町域は、戦国時代に毛利元就(もとなり)が吉田郡山(こおりやま)城主となって統 ...
40. 安芸高田[市]
世界大百科事典
シイタケ栽培が行われ,工業団地も造成されている。郡山城跡(史)など毛利氏に関わる史跡が多く,毛利元就はじめ一門の墓所もある。臨済宗の大寺で,元就が京より観世太夫 ...
41. あきたけだし【安芸武田氏】 : 武田氏/(二)
国史大辞典
この系統の光和・信実が安芸国守護として分郡支配を継承していく。しかし永正十四年十月、元繁が有田合戦で毛利元就に敗れて戦死後は衰退していき、大内・毛利・尼子氏らの ...
42. 安芸国画像
日本大百科全書
)氏らが入って、守護武田、今川、山名、大内各氏の支配のもとで在地領主制を展開する。戦国末期、毛利元就(もとなり)が出て1555年(弘治1)巌島で陶晴賢(すえはる ...
43. 安芸国
世界大百科事典
の勢力は衰え,その間に毛利氏が勢力を拡大した。51年陶隆房が義隆打倒の際佐西郡を占領すると,毛利元就は佐東郡の全域を掌中におさめ熊谷・天野をはじめ多くの国衆を従 ...
44. あきのくに【安芸国】画像
国史大辞典
吉田荘から成長した毛利氏ははじめに尼子氏、のちに大内氏に加わった。しかし、やがて大内家臣陶晴賢の謀叛に乗じて毛利元就は安芸を統一し、ついで厳島合戦で晴賢を討死さ ...
45. あさくみごう【朝酌郷】島根県:松江市/旧島根郡地区/朝酌村
日本歴史地名大系
が知られる。永禄七年(一五六四)一一月一八日毛利元就は安芸厳島神社に寄進した朝酌三〇〇貫のうち五〇貫の地を児玉肥前守に預けると伝えており(「毛利元就預ケ状」閥閲 ...
46. あさぐん【厚狭郡】山口県
日本歴史地名大系
吉田宰判区域の厚狭郡を下厚狭郡と記している。郡内のおもな給領主としては、厚狭・舟木市・逢坂に毛利元就の子元康から始まる厚狭毛利氏、津布田村などに貞享四年(一六八 ...
47. あさはら-すけろく【麻原助六】
日本人名大辞典
?−? 戦国-織豊時代の武士。毛利元就(もとなり)の臣。永禄(えいろく)13年(1570)元就の子小早川隆景(たかかげ)が尼子勝久の城を包囲したとき,尼子方の横 ...
48. あさひやまじんじゃ【旭山神社】広島県:広島市/西区/己斐村
日本歴史地名大系
勧請し当所産土神と仰き尊み奉」という。また弘治元年(一五五五)の厳島合戦に際し、郡山(現高田郡吉田町)を発した毛利元就が出陣の途次、一〇月一日未明に当社で戦勝祈 ...
49. あさもうりけはぎやしきながや【厚狭毛利家萩屋敷長屋】山口県:萩市/萩城下/堀内
日本歴史地名大系
[現]萩市大字堀内 厚狭毛利氏は毛利元就の五男元秋を祖とする一門で、厚狭(現厚狭郡山陽町)に知行地(八千三〇〇石余)をもっていた。萩の屋敷は、萩城三の丸の大手門 ...
50. 足利義昭画像
日本大百科全書
10月征夷(せいい)大将軍、参議、左近衛権中将(さこんえごんのちゅうじょう)となる。1569年毛利元就(もうりもとなり)と大友宗麟(おおともそうりん)、上杉輝虎 ...