1. 徳川家光画像
日本大百科全書
江戸幕府第3代将軍(在職1623~51)。秀忠(ひでただ)の第2子(長子長丸は2歳で幼死)。母は秀忠夫人浅井氏お江(ごう)。慶長(けいちょう)9年7月17日江戸 ...
2. 徳川家光[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
「徳川家光画像」 東京大学史料編纂所所蔵模写(部分) ©東京大学史料編纂所 ...
3. 徳川家光
世界大百科事典
1604-51(慶長9-慶安4) 江戸幕府3代将軍。2代将軍秀忠の次男(長男長丸は早死)。母は浅井長政の三女江与(えよ)(逵子(みちこ),崇源院)。幼名竹千代。 ...
4. とくがわ‐いえみつ【徳川家光】
日本国語大辞典
江戸幕府第三代将軍。秀忠の次男。幼名竹千代。元和九年(一六二三)将軍となる。酒井忠世をはじめとする賢臣の補佐によって、法度・職制・兵制・参勤交代などを定めて幕府 ...
5. とくがわいえみつ【徳川家光】画像
国史大辞典
思われる。→寛永・慶安期(かんえい・けいあんき) [参考文献]『徳川実紀』二・三、広野三郎『徳川家光公伝』、辻達也「寛永期の幕府政治に関する若干の考察」(『横浜 ...
6. 徳川家光
日本史年表
7・27 家光 、征夷大将軍に任じられる(東武実録)。 1633年〈寛永10 癸酉〉 7・17 徳川家光 、忍岡の先聖殿で林羅山の『尚書』尭典を聴く(実紀)。 ...
7. とくがわ-いえみつ【徳川家光】
日本人名大辞典
1604−1651 江戸幕府3代将軍。在職1623-51。慶長9年7月17日生まれ。徳川秀忠の次男。母はお江与の方(崇源院)。元和(げんな)9年将軍となる。祖父 ...
8. 徳川家光[文献目録]
日本人物文献目録
第九編』松井広吉(編)『徳川家光』芳賀八弥『徳川家光公伝』日光東照宮社務所(編刊)『家光公自筆書状』徳川義宣『折獄叢譚 徳川家光』霞外『沢菴和尚と将軍家光』辻善 ...
9. 葵紋1[図版]画像
国史大辞典
徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 徳川家康 徳川家綱 徳川綱吉 徳川家宣 徳川吉宗 御紋控書 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
10. 德川家光儉約 (見出し語:德川家光)
古事類苑
人部 洋巻 第2巻 70ページ ...
11. 德川家光爲二征夷大將軍一 (見出し語:德川家光)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 19ページ ...
12. 徳川家光印[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
13. 徳川家光花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. 徳川家光書状(著作ID:4377255)
新日本古典籍データベース
とくがわいえみつしょじょう 徳川家光(とくがわいえみつ) 書簡 ...
15. 徳川家光書状写(著作ID:324232)
新日本古典籍データベース
とくがわいえみつしょじょううつし 徳川家光(とくがわいえみつ) 書簡 ...
16. 德川家光爲二澤庵一建二東海寺一 (見出し語:澤庵)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 453ページ ...
17. あいづぐん【会津郡】福島県:陸奥国
日本歴史地名大系
若松と改め、城を鶴ヶ城とした。この当時の検地の結果が文禄三年の蒲生領高目録である。保科正之は将軍徳川家光の異母弟で、本領二三万石のほか、会津南山、安積郡西部(現 ...
18. 会津藩画像
日本大百科全書
南山御蔵入(みなみやまおくらいり)領5万1200石余も私領同様の取扱いで預かった。正之は3代将軍徳川家光(いえみつ)の異母弟で、1669年(寛文9)隠居するまで ...
19. 会津藩
世界大百科事典
相つぎ,家臣堀主水との軋轢(あつれき)(会津騒動)もあり,43年明成は封を返還した。代わって徳川家光の異母弟保科正之が最上より入部,保科氏は95年(元禄8)松平 ...
20. あおやま‐ただとし【青山忠俊】
日本国語大辞典
江戸初期の老中。武蔵岩槻藩主。忠成の子。徳川家光の補佐役として、酒井忠世、土井利勝と共に「寛永の三輔」と呼ばれた。天正六~寛永二〇年(一五七八~一六四三) ...
21. あおやまただとし【青山忠俊】
国史大辞典
天正六年(一五七八)二月十日、遠江浜松に生まれる。幼少から徳川秀忠に近侍し、慶長十二年(一六〇七)徳川家光の傅となる。同十六年五千石加増されて譜代大名となり、同 ...
22. あおやま-ただとし【青山忠俊】
日本人名大辞典
江戸時代前期の大名。天正(てんしょう)6年2月10日生まれ。青山忠成の次男。元和(げんな)元年徳川家光の補導役となり,翌年老中。6年武蔵(むさし)岩槻(いわつき ...
23. あおやまはちまんぐう【青山八幡宮】静岡県:藤枝市/八幡村
日本歴史地名大系
同九年八月の志太郡山西八幡社領水帳(同文書)が残る。寛永一八年(一六四一)には徳川家光から八幡郷一七〇石五斗が寄進されている(「徳川家光判物」同文書)。なお一七 ...
24. あおやま-むねとし【青山宗俊】
日本人名大辞典
1604−1679 江戸時代前期の大名。慶長9年11月6日生まれ。青山忠俊の長男。父が徳川家光の勘気にふれ,ともに蟄居(ちっきょ)したが,のちゆるされ書院番頭( ...
25. あおやむら【青谷村】静岡県:天竜市
日本歴史地名大系
文化七年には一日一千人を超す参拝者があったという(「内山真竜日記」内山家蔵)。投老寺は慶長六年僧順慶が開創、徳川家光から朱印地七石三斗を安堵されたという(貞享三 ...
26. あかいわむら【赤岩村】群馬県:邑楽郡/千代田町
日本歴史地名大系
領がなくなり、山崎氏を含む七給となり、家数一八七。鎮守は八幡宮、寺院には慶安二年(一六四九)徳川家光より寺領一五石三斗余の朱印が与えられた曹洞宗安楽寺がある。 ...
27. あかぎじんじゃ【赤城神社】群馬県:勢多郡/宮城村/三夜沢村
日本歴史地名大系
を約し、武運長久、子孫繁栄を祈願して五〇貫文の神領を寄進(奈良原文書)。慶安二年(一六四九)徳川家光は朱印状を下付して五〇石の神領を先規に任せて寄付、以後歴代将 ...
28. あかぬまむら【赤沼村】埼玉県:春日部市地図
日本歴史地名大系
〇)の墨書銘があるという(武蔵史料銘記集)。慶安元年(一六四八)徳川家光から朱印三石が薬師堂領として宛行われており(「徳川家光朱印状」常楽寺文書)、同堂を中心に ...
29. あかみむら【赤見村】栃木県:佐野市
日本歴史地名大系
という。臨済宗妙心寺派満願寺は天正一一年(一五八三)の創立と伝えられ、慶安二年(一六四九)に徳川家光より朱印地一〇石余を受けている(「満願寺領朱印状」県立文書館 ...
30. あきづきはん【秋月藩】
国史大辞典
越し、七月長興入部。同二年江戸参府を本藩家老中から差しとめられたが、ひそかに上り、翌三年将軍徳川家光に謁し、従五位下甲斐守に任ぜられ、十一年八月将軍家光から五万 ...
31. あきづきはん【秋月藩】 : 秋月藩/(一)
国史大辞典
越し、七月長興入部。同二年江戸参府を本藩家老中から差しとめられたが、ひそかに上り、翌三年将軍徳川家光に謁し、従五位下甲斐守に任ぜられ、十一年八月将軍家光から五万 ...
32. あきづきはんじんやあと【秋月藩陣屋跡】福岡県:甘木市/秋月町
日本歴史地名大系
前小倉藩細川氏の援助で江戸に上ったと伝えられる。同三年長興は将軍秀忠に謁し、同一一年には将軍徳川家光から五万石の朱印状を得ている。以降、秋月藩と福岡藩とは断絶状 ...
33. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
た。しかし寛永九年(一六三二)幕府の命で支藩の三次藩を分知したあと、同一一年八月に与えられた徳川家光領知判物(「広島県史」所収)によると、広島藩は安芸国八郡二六 ...
34. あきはさん【秋葉山】静岡県:周智郡/春野町/領家村
日本歴史地名大系
当山はこれ以後可睡斎の支配するところとなった(「酒井忠世外七名連署状」同文書)。同一九年六月一六日、将軍徳川家光は朱印状(「秋葉寺書上」東京大学史料編纂所蔵)を ...
35. あこうじむら【阿幸地村】静岡県:富士宮市
日本歴史地名大系
大宮浅間社(富士山本宮浅間大社)大宮司領として、阿幸地村高二一〇石余とみえる。寛永一八年(一六四一)の徳川家光社領寄付朱印状写(同文書)などによれば、阿幸地村の ...
36. あさいながまさ【浅井長政】画像
国史大辞典
文禄三年(一五九四)二十一回忌にあたり茶々は菩提寺養源院を京都に建立、寛永九年(一六三二)外孫徳川家光の奏請により、従二位権中納言が追贈された。法号は養源院天英 ...
37. あさがやむら【阿佐ヶ谷村】東京都:杉並区地図
日本歴史地名大系
して正木棟別麦八俵を四月二八日限りに上納することを命じている。寛永一二年(一六三五)三代将軍徳川家光が山王社(現千代田区日枝神社)に当村一八七石余などを寄進した ...
38. あさくさきたきよしまちよう【浅草北清島町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
寺地と法然上人源空の名にちなんだ源空寺の号を与え、寺が建立された。二代将軍徳川秀忠・三代将軍徳川家光も円誉を重んじ、銅鐘を寄進している。明暦の大火によって焼失し ...
39. 浅草神社画像
日本大百科全書
従い、土師氏系の専当坊(せんとうぼう)が神職を継ぎ、今日に至る。現社殿は1649年(慶安2)徳川家光(いえみつ)の建立した国の重要文化財。5月中旬に行われる例祭 ...
40. あざぶろつぽんぎちよう【麻布六本木町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
ら存在した(沿革図書)。寛永三年(一六二六)二代将軍徳川秀忠夫人お江(お江与・逵子、崇源院、徳川家光生母)が没し、芝増上寺から西方の当地で火葬された。三回忌後の ...
41. あたけまる【安宅丸】画像
国史大辞典
寛永九年(一六三二)徳川家光が向井将監に命じて新造させた巨大な軍船形式の御座船。同十一年伊豆の伊東で完成し、同十二年六月二日品川沖で家光が試乗、以来深川に繋留 ...
42. あたごじんじゃ【愛宕神社】山梨県:甲府市/甲府城下/愛宕町
日本歴史地名大系
された(「徳川家奉行連署証文写」同書)。九石余の愛宕山権現領については寛永一九年(一六四二)徳川家光以後朱印地として歴代徳川将軍の朱印状が与えられた(同書)。寛 ...
43. あたみむら【熱海村】静岡県:熱海市
日本歴史地名大系
よると田三七町六反余・畑一三町八反余、新田畑四町五反余、ほかに畑一町二反(寛永元年に三代将軍徳川家光の湯治宿御用に建てられた御殿跡)。貞享四年の家数覚(前掲手控 ...
44. あちじんじゃ【阿智神社】長野県:下伊那郡/阿智村/昼神村
日本歴史地名大系
奥宮の祭神は思兼命・表春命二神であるが、明治以前は大山咋命・建御名方命・誉田別命を合祀していた。徳川家光が昼神の山王権現に社領一〇石を寄進した朱印状が残っている ...
45. あなはちまん‐じんじゃ【穴八幡神社】
日本国語大辞典
東京都新宿区西早稲田にある神社。旧村社。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。慶安元年(一六四八)徳川家光が建立、幕府の祈願所となる。江戸八所八幡の一つ。牛込鎮守 ...
46. あふちじんじゃ【安布知神社】長野県:下伊那郡/阿智村/駒場村
日本歴史地名大系
奉祀し新羅明神と称したとある。天正元年(一五七三)、領主小笠原信貴が社殿を造営し、慶安二年(一六四九)徳川家光は新羅明神の名において、朱印地一〇石を寄進。明治五 ...
47. 阿部重次
世界大百科事典
領し老中となる。47年1万石加増され,48年父の遺領3万石を合わせ9万9000石となったが,51年将軍徳川家光の死に殉じた。藤井 譲治 ...
48. あべしげつぐ【阿部重次】
国史大辞典
慶安元年(一六四八)七月父の遺領摂津国の三万石をつぎ、合わせて九万九千石余となる。同四年四月二十日将軍徳川家光の死に殉じた。五十四歳。江戸東叡山の寛永寺現竜院に ...
49. 阿部忠秋
世界大百科事典
1602-75(慶長7-延宝3) 江戸前期の譜代大名。老中。武蔵忍藩主。徳川家光の小姓,小姓組番頭となり,1624年(寛永1)遺領を継ぐ。33年松平信綱らととも ...
50. あべただあき【阿部忠秋】
国史大辞典
武蔵国忍藩主。幼名小平次。慶長七年(一六〇二)忠吉の長子として生まる。母は松平康高の女。同十五年九歳で徳川家光の小性となる。元和九年(一六二三)御小性組番頭とな ...