1. 徳川綱吉画像
日本大百科全書
江戸幕府第5代将軍。3代将軍家光(いえみつ)の四男。正保(しょうほう)3年1月8日生まれ。幼名徳松。生母は本庄(ほんじょう)氏桂昌院(けいしょういん)。1651 ...
2. 徳川綱吉
世界大百科事典
1646-1709(正保3-宝永6) 江戸幕府5代将軍。3代将軍家光の四男。幼名徳松。生母は本庄氏,桂昌院。1651年(慶安4)父家光の死後,上野国その他で所領 ...
3. とくがわ‐つなよし【徳川綱吉】
日本国語大辞典
江戸幕府第五代将軍。家光の第四子。四代家綱の弟。幼名徳松。上野国館林城主。延宝八年(一六八〇)将軍となる。学問に心酔し湯島に聖堂を開き、朱子学を官学とした。柳沢 ...
4. とくがわつなよし【徳川綱吉】画像
国史大辞典
一六四六―一七〇九 江戸幕府第五代将軍。一六八〇―一七〇九在職。三代将軍家光の第四子。母は本庄氏(於玉、桂昌院)。正保三年(一六四六)正月八日、江戸城本丸に生 ...
5. 徳川綱吉
日本史年表
翌日没(実紀)。 1680年〈延宝8 庚申⑧〉 9・11 徳川綱吉 、林鳳岡らと経書を討論(実紀)。 1688年〈元禄元(9・30) 戊辰〉 11・21 徳川綱 ...
6. とくがわ-つなよし【徳川綱吉】
日本人名大辞典
1646−1709 江戸幕府5代将軍。在職1680-1709。正保(しょうほ)3年1月8日生まれ。徳川家光の4男。母はお玉の方(桂昌院)。上野(こうずけ)(群馬 ...
7. 徳川綱吉[文献目録]
日本人物文献目録
寿『史話第六回 徳川綱吉事蹟』重野安繹『谷子爵ノ五代将軍ノ説ヲ読ム』荆城外史『綱吉の好学と近世日本の漢学 』尾関富太郎『徳川綱吉』古田良一『徳川綱吉及其時代』古 ...
8. 葵紋1[図版]画像
国史大辞典
徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 徳川家康 徳川家綱 徳川綱吉 徳川家宣 徳川吉宗 御紋控書 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 德川綱吉保二護犬一 (見出し語:德川綱吉)
古事類苑
動物部 洋巻 第1巻 180ページ ...
10. 德川綱吉爲二征夷大將軍一 (見出し語:德川綱吉)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 20ページ ...
11. 德川綱吉講二經書一 (見出し語:德川綱吉)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 824ページ ...
12. 德川綱吉造二營大成殿一 (見出し語:德川綱吉)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1130ページ ...
13. 徳川綱吉印[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
14. 徳川綱吉花押[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
15. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 18ページ
東洋文庫
所句読教授出役と相唱へ都て外揚所出役並の通相心得候様との通達を受けた。 〔補〕 蕃書調所……徳川綱吉公の時代江戸に天文方といふ天文・編暦のことなどを担当する役所 ...
16. 秋元氏画像
日本大百科全書
甲斐国(かいのくに)都留(つる)郡で1万8000石を与えられ谷村(やむら)城に住した。5代将軍徳川綱吉(つなよし)に仕えた喬知(たかとも)は老中に登用され、武蔵 ...
17. 秋元喬知
世界大百科事典
の加増により6万石。在任中江戸城三丸,小石川御殿,護持院護国寺,東叡山中堂の造営に活躍。なお徳川綱吉の御前で論語を講ずるなど元禄期文治政治を推進した。大舘 右喜 ...
18. あきやま-まさとし【秋山正俊】
日本人名大辞典
持弓頭(もちゆみがしら)などをへて天和(てんな)3年大目付となる。貞享(じょうきょう)2年将軍徳川綱吉の前から退出するとき,城中で道をまちがえ御休息所にいったた ...
19. あぐり【阿久里】
日本人名大辞典
1648−? 江戸時代前期,徳川綱吉(つなよし)の側室。慶安元年生まれ。将軍綱吉の生母桂昌院の侍女をつとめ,綱吉の寵臣(ちょうしん)牧野成貞(なりさだ)と結婚。 ...
20. 赤穂浪士画像
世界大百科事典
負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼のため京都から遣わされた勅使・院使に対して,将軍徳川綱吉の挨拶が白書院で行われるはずであったが,事件は勅使ら ...
21. あこうろうし【赤穂浪士】
日本架空伝承人名事典
負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼のため京都から遣わされた勅使・院使に対して、将軍徳川綱吉の挨拶が白書院で行われるはずであったが、事件は勅使ら ...
22. あさくさきたきよしまちよう【浅草北清島町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
西隣の浄土宗正安寺は元和二年の起立で、西光寺と同じく寛永一三年浅草御蔵前から移転した。境内は拝領地で、五代将軍徳川綱吉生母桂昌院の位牌を安置していた。正安寺西に ...
23. あさくさたじまちよう【浅草田島町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
明暦の大火で焼失し、浅草北寺町に移転して再興された。境内は拝領地で一万七千二〇六坪余、元禄九年(一六九六)には徳川綱吉生母桂昌院の先祖位牌所となり、それまでの寮 ...
24. あさくさだいごいんもんぜん【浅草大護院門前】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
改称。同五年八幡社地を合併。石清水八幡は御蔵前八幡ともよばれた。江戸城鬼門除けとして五代将軍徳川綱吉が山城石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされ、元禄六年金三〇 ...
25. 朝妻船
日本大百科全書
描いた水干(すいかん)、烏帽子(えぼし)をつけ、棹(さお)をさす朝妻船の遊女の姿は、時の将軍徳川綱吉を諷(ふう)したとして、朝湖は遠島(えんとう)に処された。の ...
26. 浅妻船
世界大百科事典
づま)》。作詞2世桜田治助,作曲2世杵屋(きねや)佐吉,振付3世藤間勘兵衛と市山七十郎。将軍徳川綱吉の愛妾を風刺した英(はなぶさ)一蝶の絵を材とした舞踊。筑摩祭 ...
27. あざぶごてん【麻布御殿】
国史大辞典
五代将軍徳川綱吉のとき、遊楽のために、江戸麻布本村町(東京都港区南麻布)にあった御薬園内に設けた別邸。白金御殿・富士見御殿・麻布御花畑御殿などとも呼ばれる。元 ...
28. あざぶじゆうばんばばまち【麻布十番馬場町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
杭が残っていたためともいわれ(竹橋余話別集)、また人足の幟は元禄一一年(一六九八)上流に将軍徳川綱吉が白金御殿を建設する舟運のため改修を行ったときである(前掲書 ...
29. あしかがぐん【足利郡】栃木県:下野国
日本歴史地名大系
半数以上の村が古河藩土井氏分家領で、残りは幕府領・旗本領もしくはその相給地。寛文元年(一六六一)徳川綱吉が館林に入部すると、当郡のかなりの部分が館林藩領となった ...
30. あしかがはん【足利藩】
国史大辞典
河堤の修築を行なった。同二年三月越前国大野へ転封された。 (二) 本庄氏。譜代。陣屋持。将軍徳川綱吉の生母桂昌院の弟本庄宗資は姉の勢威によって元禄元年(一六八八 ...
31. あしかがはん【足利藩】 : 足利藩/(二)
国史大辞典
(二) 本庄氏。譜代。陣屋持。将軍徳川綱吉の生母桂昌院の弟本庄宗資は姉の勢威によって元禄元年(一六八八)正月、足利郡内において一万石を賜わり、同二年十一月二万 ...
32. あしくぼむら【足久保村】静岡県:静岡市/旧安倍郡地区
日本歴史地名大系
」など)。しかしこれは史料的裏づけがなく、現在までのところ上納茶は天和元年(一六八一)の将軍徳川綱吉の時代に始まったとされている。御用茶は享保元年まで続けられた ...
33. あたごじんじゃ【愛宕神社】群馬県:館林市/館林城下/木挽町
日本歴史地名大系
配下とする修験寺として栄えた。明暦三年(一六五七)松平乗久は愛宕神社を修築、寛文九年(一六六九)には徳川綱吉により社殿が改築された。綱吉は箱棟・千木・張柱などに ...
34. あつたじんぐう【熱田神宮】愛知県:名古屋市/熱田区/宮宿
日本歴史地名大系
出て訴え、延宝六年(一六七八)からは惣代二人ずつが江戸に詰めて訴訟を繰返した。貞享元年、将軍徳川綱吉とその生母桂昌院帰依の護国寺(現東京都)の僧が熱田社に社参し ...
35. あつたじんぐうじ【熱田神宮寺】
国史大辞典
舎がみえる。慶長二年(一五九七)焼失、同十一年豊臣秀頼が再興し、さらに元禄十六年(一七〇三)徳川綱吉これを修造、新たに医王院・不動院・愛染院の三院を建てて併せて ...
36. あべ-まさたけ【阿部正武】
日本人名大辞典
奏者番兼寺社奉行をへて,延宝9年老中となる。また「武徳大成記」30巻の編修を惣奉行として推進した。将軍徳川綱吉の信任あつく2回加増され,10万石を領した。宝永元 ...
37. ありまつむら【有松村】愛知県:名古屋市/緑区
日本歴史地名大系
寛文年間には藍だけの染料に加えて紅・紫絞染が工夫され、旅人の目をひいたという。延宝八年(一六八〇)徳川綱吉が将軍になった時、尾張藩主は、有松絞の絹布の手綱を「九 ...
38. 安中藩
日本大百科全書
所領も1678年(延宝6)、1679年両度の加増によって4万石となった。この間、老中として5代将軍徳川綱吉(つなよし)の擁立に尽力、1681年(天和1)にはその ...
39. 按摩
世界大百科事典
骨折の手当てなども行った。その後,あんま術は衰えたようであるが,近世前期に復興されて広まり,徳川綱吉の病気をなおした杉山和一にはじまる杉山流が盛んになった。杉山 ...
40. あんま【按摩】
国史大辞典
按摩は中国から伝わったものといわれている。中世の按摩はよくわからないが、近世になると、五代将軍徳川綱吉の病気をなおして関東総録となった杉山和一の流れをくむ杉山流 ...
41. いくしまし【生島氏】
国史大辞典
同氏はその荘官職を伝領したと考えられる。『細川両家記』の生島宗竹はその一族か、子孫秀福(ひでよし)は徳川綱吉に仕えた。 (福留 照尚) ...
42. いけだむら【池田村】大阪府:池田市地図
日本歴史地名大系
司代板倉重宗領、その後幕府領となったが、元禄六年(一六九三)から宝永二年(一七〇五)まで将軍徳川綱吉の側用人松平美濃守(柳沢吉保)領、引続いて同五年まで上州高崎 ...
43. いけのはたしちけんちよう【池之端七軒町】東京都:台東区/旧下谷区地区地図
日本歴史地名大系
備考」では奥行三〇間三尺)の須山店とよばれる町屋敷がある。須山は大奥の女中で、松姫(五代将軍徳川綱吉養女、尾張藩主徳川綱誠娘)が金沢藩主前田吉徳に輿入れした時に ...
44. いしかわ-のりゆき【石川憲之】
日本人名大辞典
転じ,寛文9年山城(京都府)淀(よど)藩主石川家初代となる。6万石。元禄(げんろく)8年将軍徳川綱吉に「論語」を講じた。宝永4年7月11日死去。74歳。初名は昌 ...
45. いしかわ-ろくべえ【石川六兵衛】
日本人名大辞典
まねいておごりをきわめる。江戸一の伊達ぶりをほこる妻おかちが,延宝9年(1681)寛永寺参りの将軍徳川綱吉に華美なふるまいをみせつけたため,石川家は財産没収,追 ...
46. いしはらむら【石原村】静岡県:浜松市/旧長上郡・豊田郡地区
日本歴史地名大系
宗に改宗したと伝える。朱印高は八石一斗(うち二石は薬師堂自光院領)で、貞享二年(一六八五)の徳川綱吉寺領継目安堵朱印状写が残る。同じく正光寺に伝わる永禄四年(一 ...
47. いずもいわいじんじゃ【出雲伊波比神社】埼玉県:入間郡/毛呂山町/前久保村地図
日本歴史地名大系
。江戸時代、毛呂明神(飛来明神)は八幡宮と並祀され、社領一〇石の朱印状を得ていた(貞享二年「徳川綱吉朱印状」同文書など)。蓬莱社の称が誤伝されたといわれる(風土 ...
48. いたみごうちょう【伊丹郷町】兵庫県:伊丹市
日本歴史地名大系
大坂と有馬(現神戸市北区)を結ぶ大坂道に沿う。初め伊丹町(慶長国絵図・正保郷帳)や伊丹村(「徳川家綱判物」「徳川綱吉判物」「徳川吉宗判物」内閣文庫蔵)とよび、別 ...
49. いちがやせいないやしき【市谷清内屋敷】東京都:新宿区/旧牛込区地区地図
日本歴史地名大系
北で二間。古くは市谷村の百姓地であったが、のち明地となり、元禄一五年(一七〇二)養仙院(将軍徳川綱吉養女)の近侍鈴木清内が拝借、拝借時から町並家作を許され、正徳 ...
50. いちがやはちまんぐう【市谷八幡宮】東京都:新宿区/旧牛込区地区/市谷八幡町地図
日本歴史地名大系
二)に戦火により衰退したが、慶長年中(一五九六―一六一五)別当源空が再興に奔走、また五代将軍徳川綱吉の母桂昌院も元禄一五年(一七〇二)に黄金数枚を寄進して神輿を ...