1. 大岡忠相
日本大百科全書
江戸中期の幕府行政官。幼名求馬(もとめ)、のち市十郎、忠右衛門。旗本大岡忠高(2700石)の四男、同族忠真(ただざね)(1920石)の養子となる。1702年(元 ...
2. 大岡忠相
世界大百科事典
1677-1751(延宝5-宝暦1) 江戸中期の幕臣,政治家。幼名は求馬,のち市十郎,忠右衛門。先祖は徳川氏三河以来の譜代。忠高の第4子。1686年(貞享3)同 ...
3. おおおか‐ただすけ【大岡忠相】
日本国語大辞典
江戸中期の幕臣。越前守。八代将軍徳川吉宗に登用され名奉行といわれたが、いわゆる「大岡裁き」は、和漢の裁判説話によって作為されたものが多い。町奉行ののち奏者番兼寺 ...
4. おおおかただすけ【大岡忠相】
国史大辞典
、彼が当時の法をできるだけ現実の姿に近づけようと努力したことは事実である。なお、彼の日記に『大岡忠相日記』がある。 [参考文献]『寛政重修諸家譜』一〇六一、辻達 ...
5. 大岡忠相
日本史年表
1717年〈享保2 丁酉〉 2・3 幕府、 大岡忠相 を江戸町奉行に任じる(実紀)。 1722年〈享保7 壬寅〉 6・‐ 幕府、町奉行 大岡忠相 に関東地方御 ...
6. おおおか-ただすけ【大岡忠相】
日本人名大辞典
1677−1752* 江戸時代前期-中期の武士,大名。延宝5年生まれ。大岡忠高の4男。享保(きょうほう)2年8代将軍徳川吉宗によって江戸町奉行にとりたてられ越前 ...
7. 大岡忠相[文献目録]
日本人物文献目録
の墓』雨『消防史から見た大岡越前守忠相』鷹見安二郎『名判官物語 30‐36 大岡忠相』小山松吉『歴史教室 大岡忠相』沼田次郎 ...
8. 大岡忠相日記
世界大百科事典
大岡忠相の寺社奉行時代の日記。忠相自身がしたためたとされる〈自筆本〉が59冊,右筆が清書したとされる〈書写本〉が115冊ある。公人としての生活日記で,寺社奉行の ...
9. おおおかただすけにっき【大岡忠相日記】
国史大辞典
大岡忠輔家には、仮目録によると冊子三百六十三冊、文書百十六通と若干の付属史料が残っている。『大岡忠相日記』はその中心的部分をなすもので、元文二年(一七三七)正月 ...
10. 『大岡忠相日記』
日本史年表
1737年〈元文2 丁巳⑪〉 1・‐ 大岡忠相、 『大岡忠相日記』 を記す(~寛延4年閏6月)。 ...
11. 大岡忠相政要実録(著作ID:116870)
新日本古典籍データベース
おおおかただすけせいようじつろく 色川三中(いろかわみなか) 言行録 ...
12. 大岡忠相比事(著作ID:731419)
新日本古典籍データベース
おおおかただすけひじ 実録 ...
13. 大岡忠相秘事(著作ID:4372564)
新日本古典籍データベース
おおおかただすけひじ 実録 ...
14. あおきこんよう【青木昆陽】
国史大辞典
播植すべきことを主唱し、『蕃薯考』一巻を著わした。近隣に住む町奉行所与力加藤枝直(千蔭の父)が町奉行大岡忠相(越前守)にかれを推挙したところから忠相の知遇を得、 ...
15. いしはたむら【石畑村】東京都:西多摩郡/瑞穂町地図
日本歴史地名大系
家文書)では高五七五石余。村南部の持添新田(六町四方ほど、陸田のみ)は元文元年(一七三六)に大岡忠相の検地を受け、以後幕府領として推移した。入会地をめぐる争論が ...
16. いせし【伊勢市】三重県
日本歴史地名大系
「三方会合諸旧例書」は寛永八年(一六三一)花房志摩守以来と記す。正徳年間(一七一一―一六)には大岡忠相が就任している。奉行所は有滝村に置かれ、公事裁判の日は吹上 ...
17. 打越
日本大百科全書
外されている。この慣習が公認され制度化されたのは1726年(享保11)町奉行(まちぶぎょう)大岡忠相(ただすけ)のときであるという。幕府は同年、江戸住民の生活必 ...
18. えどきょうほうじゅうはちねんうちこわし【江戸享保十八年打毀】
国史大辞典
十六日町方暮し向きにつき組合名主申合せ、十七日各町名主が米下直にならねば餓死人も出ると願い出たが、町奉行大岡忠相も解決策がなく、これを却下した。このため十九日名 ...
19. えどばくふしりょう【江戸幕府史料】
国史大辞典
幕府役人の残した文書・記録類の中にも、広い意味で江戸幕府史料とみることのできるものがある。たとえば『大岡忠相日記』や『水野忠邦日記』などは、私的な日記ではあるが ...
20. おおおか-えちぜんのかみ【大岡越前守】
日本人名大辞典
⇒大岡忠相(おおおか-ただすけ) ...
21. おおおか‐さばき[おほをか‥]【大岡裁】
日本国語大辞典
〔名〕(大岡忠相が、人情に厚く、公正な裁判を行なったとされることから)人情味ある、公正な判決や裁定のこと。オーオカサバキ ...
22. おおおかせいだん【大岡政談】
国史大辞典
大岡忠相の登場する講釈・小説・戯曲の総称。名奉行としての忠相の裁判・判決の形をとるが、多くは忠相と無関係である。宝暦ごろから講釈師が世話講談として脚色し、これ ...
23. 大岡政談 1
東洋文庫
芝居や落語で親しまれた江戸町奉行大岡忠相の名裁判物語。江戸庶民の理想裁判官像は,どのような史実にもとづいてでき上がったのか?◆第1巻は,「天一坊実記」「白子屋阿 ...
24. 大岡政談 1 169ページ
東洋文庫
赤星典膳は赤川大膳であろう。これに加えて直助権兵衛や煙草屋喜八など『大岡政談』の中の主人公達も登場して来る。大岡忠相は大江広元、吉宗は頼朝に置き替えてある。講談 ...
25. 大岡政談 1 205ページ
東洋文庫
説 この事件は『大岡政談』の中で、唯一実際に大岡忠相が裁いたものである。判決が死刑を含んでいるので、執行には老中の認可を要したが、実質は町奉行大岡忠相の判決とみ ...
26. 大岡政談 1 206ページ
東洋文庫
られた創作上の人物で、芝居では才三郎あるいは新三と名のっている。 ところで実際の事件に対する大岡忠相の裁きぶりを見ると、そこにはいわゆる大岡裁きの特色 ...
27. 大岡政談 1 207ページ
東洋文庫
そこに幕藩制下の社会秩序維持を使命とする町奉行大岡越前守の実像の一端が現れている。 ただし、この事件は実際に大岡忠相が裁いたに拘わらず、後世忠相の事績としてあま ...
28. 大岡政談 1 221ページ
東洋文庫
ただし、これを裁いたのは大岡忠相ではなく、同僚の中山出雲守時春であった。それがいつしか大岡越前守の裁きにすり替ると共に、忠相の頓才発揮が主題となってしまったの ...
29. 大岡政談 1 229ページ
東洋文庫
計れば足らざるがごとく、遠きに経ればすなわち余り有りとなす。我が国聴訟を言 う者、おおむね青砥藤綱・大岡忠相の両氏が明断を称す。ここに説き出だすは、その大岡殿勤 ...
30. 大岡政談 1 337ページ
東洋文庫
またチョソガレすなわち浮れ節にも語られた。お六は平素父母に孝行な上この侠気な行いがあったので、大岡忠相が賞讃して伝吉に添わしたとかあった、と覚える。『守貞漫稿』 ...
31. 大岡政談 1 367ページ
東洋文庫
定奉行稲生下野守正武が担当し、「直助権兵衛」は忠相同僚の町奉行中山出雲守時春が扱った事件で、大岡忠相の裁きによるものは「白子屋」一件のみであった。 この三件の実 ...
32. 大岡政談 1 368ページ
東洋文庫
いずれも同時代の人として入手した公辺や市井の情報を記録したもので、信憑性が高い。 その他の物語はいずれも大岡忠相に仮托した創作であるが、忠相以前に名裁判官として ...
33. 大岡政談 1 370ページ
東洋文庫
また他の部分は江戸時代初期以来の名奉行の事績に托した裁判物語が、いつしか大岡忠相に集中していって成立したものである。その傾向は大岡忠相の死(宝暦元年H一七五一) ...
34. 大岡政談 1 371ページ
東洋文庫
この両本には「白子屋」「天一坊」はなく、享保期の実話としては「直助権兵衛」のみ載っているが、すでに大岡忠相の裁きとなっている。そのほか『近代公実厳秘録』では松浦 ...
35. 大岡政談 1 372ページ
東洋文庫
豊と誤ってその妻を殺したことを自白したという。「越後伝吉」でも、伝吉の妻お専が見た夢について、大岡忠相から意見を求められた林大学頭が、符融と同じ易占によって、伝 ...
36. 大岡政談 1 373ページ
東洋文庫
印形が確かなため、遺族側の不利は免れなかった。ところが同年四月二十一日の評定所の寄り合いに、大岡忠相はどのようにして探し出したのか、周随の悪事を知っている七助と ...
37. 大岡政談 1 374ページ
東洋文庫
ところがこれを見た者が、あれは小網町の数珠屋の奉公人で、事件当夜は主人の店にいたと話しているのを耳にした大岡忠相配下の同心が、これを忠相に報告し、忠相から諏訪頼 ...
38. 大岡政談 1 375ページ
東洋文庫
はじめ、歌舞伎や浄瑠璃の題材にもなっているが、すでに宝暦元年(一七五一)には『銀の笄』という大岡忠相が事件解決に全権をふるう筋の実録小説が成立している。(内山美 ...
39. 大岡政談 1 376ページ
東洋文庫
奉行に昇った。これは大名の役職で、旗本がこれに任ぜられるというのは、全く異例の抜擢である。 大岡忠相の活躍は司法面のみではない。裁判官としての業績には重きを置か ...
40. 大岡政談 1 379ページ
東洋文庫
文学史に省かれた実録体小説(巻22) ただし信憑性にかなり不安があるのが鳶魚の著論の欠陥である。 大岡忠相の実際の活動に関する主要根本史料としては次の ...
41. 大岡政談 1 380ページ
東洋文庫
撰要類集(内閣文庫、続群書類従完成会) 寛政重修諸家譜巻一〇六一(内閣文庫、続群書類従完成会) また大岡忠相の伝記等の主要文献は次のとおりである。 沼 ...
42. 大岡政談 2
東洋文庫
芝居や落語で親しまれた江戸町奉行大岡忠相の名裁判物語。江戸庶民の理想裁判官像は,どのような史実にもとづいてでき上がったのか?◆第2巻は,「小間物屋碑彦兵衛之伝」 ...
43. 大岡政談 2 41ページ
東洋文庫
願い奉る」と言うに、八右衛門・彦三郎も進み出で、権三・助十もろとも、かまびすしくこそ申しけれ。 ○大岡忠相殿仁心の事 さても越前守殿にはしばらく黙して ...
44. 大岡政談 2 47ページ
東洋文庫
ただ奉行とのみ記してある)。しかし馬場文耕の著という『珍説要秘録』(上に「当世」を冠する本もある)では、大岡忠相よりやや後の町奉行依田和泉守(後に豊前守)政次( ...
45. 大岡政談 2 238ページ
東洋文庫
三九)であり、しかもその支配地は相模である。さらにいえば、蓑笠之助は代官を勤めながら、身分は大岡忠相の指揮下にあった人なので、原沢村文蔵らが笠之助の手から勘定奉 ...
46. 大岡政談 2 248ページ
東洋文庫
甚八の母親が、彼の殺された夜九つ時と、葬儀を出した昼八つ時が恨めしいと言ったのにヒントを得た大岡忠相が、『周易』を根拠に「九八」という名の男を容疑者として求め、 ...
47. 大岡政談 2 275ページ
東洋文庫
大岡(多くは)食わねえ、たった越前(一膳)」と答えるのが落ちとなっている。これにも出典があり、もともとはむしろ大岡忠相への悪評を意味する落首である。 すなわち享 ...
48. 大岡政談 2 289ページ
東洋文庫
「一枝ヲ折ハ一指ヲ切ルベシ」という厳しい古法もあることを指摘している。『大岡政談』では、その厳しい古法を大岡忠相が巧みに運用して花盗人を放免するところに焦点があ ...
49. 大岡政談 2 312ページ
東洋文庫
解説 これは平戸藩主松浦静山『甲子夜話』巻六に見える大岡忠相の逸話である。静山は甚だ博聞強記の大名で、その見聞を綴った『甲子夜話』には史料として興味ある逸 ...
50. 大岡政談 2 316ページ
東洋文庫
昭和五九年六月)を頂戴した。これについては前巻「総解説」でもちょっと言及しておいたが、いわゆる大岡忠相の「実像」に関しても啓発される所多かった。 また延広真治氏 ...