1. 杉田玄白画像
日本大百科全書
江戸中期の蘭方医(らんぽうい)、蘭学者。名は翼(よく)、字(あざな)は子鳳、鷧斎(いさい)のち九幸(きゅうこう)と号し、玄白は通称。学塾を天真楼といい、晩年の別 ...
2. 杉田玄白
世界大百科事典
1733-1817(享保18-文化14) 江戸中期の蘭方医。若狭国小浜藩医杉田玄甫(甫仙)の子として江戸牛込の小浜藩邸で生まれた。名は翼(たすく),字は子鳳(し ...
3. すぎた‐げんぱく【杉田玄白】
日本国語大辞典
江戸後期の蘭方医、蘭学者。若狭(福井県)小浜藩医杉田玄甫の子。本名は翼、字(あざな)は子鳳、号は
斎(いさい)、九幸翁。前野良沢ら
...4. すぎたげんぱく【杉田玄白】
国史大辞典
目)に葬られる。九幸院仁誉義真玄白居士という。墓は東京都史蹟に指定。 [参考文献]片桐一男『杉田玄白』(『人物叢書』一五八) (片桐 一男) ...
5. 杉田玄白
日本史年表
1771年〈明和8 辛卯〉 3・4 杉田玄白 ・ 前野良沢 ら、千住小塚原で刑死体の解剖を見、 『解体新書』 の翻訳を始める(蘭学事始)。 1817年〈文化1 ...
6. 杉田玄白(すぎたげんぱく)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 960ページ ...
7. すぎた-げんぱく【杉田玄白】
日本人名大辞典
1733−1817 江戸時代中期-後期の蘭方医。享保(きょうほう)18年9月13日生まれ。若狭(わかさ)(福井県)小浜(おばま)藩医。西玄哲(げんてつ)にまなぶ ...
8. 杉田玄白[文献目録]
日本人物文献目録
号』川並秀雄『杉田玄白』藤田宗一『杉田玄白 鷧斎日録』入沢達吉, 原田謙太郎『杉田玄白翁のお正月』岡本隆一『杉田玄白尺牘』-『杉田玄白先生尺牘』-『杉田玄白先生 ...
9. 【杉田玄白】すぎたげんぱく
新選漢和辞典Web版
人名。江戸時代の学者・医者。蘭学(らんがく)を修め、前野良沢らと「解体新書」を訳した。(一七三三~一八一七) ...
10. 杉田玄白蘭學 (見出し語:杉田玄白)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 999ページ ...
11. 杉田玄白墓(栄閑院)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
寛永年間、天徳寺の塔頭(たっちゅう)として同寺の境内に開山。蘭方医(らんぽうい)杉田玄白(げんぱく)の墓がある寺としてよく知られている。玄白の墓は都の史跡に指定 ...
12. あおじりんそうのはか【青地林宗墓】愛媛県:松山市/北西海岸地域(旧和気郡地区)/山越村/来迎寺
日本歴史地名大系
頌徳碑がある。林宗は松山藩医青地快庵の子、名は盈、字は子遠。初め漢方を学んだ。のち江戸に出て杉田玄白に蘭学を学び、天文台訳官馬場佐十郎と深交を結んだ。文政五年( ...
13. 青地林宗
世界大百科事典
名は盈,字は子遠,芳滸と号した。初め家学の漢学,漢方医学を学び,のち京坂,次いで江戸に出て,馬場佐十郎,杉田玄白に師事し,蘭学,蘭方医学を学ぶ。父の死でいったん ...
14. あおち‐りんそう【青地林宗】
日本国語大辞典
江戸後期の医者、物理学者。松山藩医の子。蘭学を杉田玄白に学んだといわれる。物理学、地誌を研究し、「輿地誌(よちし)」「気海観瀾(きかいかんらん)」などを訳述。安 ...
15. 明石町画像
日本大百科全書
れ、西欧文明の玄関口となった。聖路加病院(せいろかびょういん)もその名残(なごり)の一つで、杉田玄白(げんぱく)らが『解体新書』の翻訳をした所でもある。東隅から ...
16. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 257ページ
東洋文庫
慶応二年(天六六)隠居し、閑水と号した。杉田成卿〔五七「晃〕蘭学者。江戸の人。名は信、 号は梅里。杉田玄白の孫。坪井信道に学び、天保 十一年(天国〇)天文方和解 ...
17. 秋田(県)画像
日本大百科全書
間(1772~1789)にかけて展開された。直武は1773年から1779年まで江戸に滞在し、杉田玄白訳の『解体新書』木版付図の下絵を描いた。明治になってこの伝統 ...
18. 秋田蘭画
日本大百科全書
西洋の図書や銅版画によって西洋画法の研究を深め、翌1774年の有名な『解体新書』の翻訳出版に際しては、杉田玄白の依頼で挿絵を描いている。一方、曙山、義躬らは参勤 ...
19. 秋田蘭画
世界大百科事典
研究と作品の制作は,おもに江戸において同地の蘭学者と密接な関係をもって行われた。小田野直武が杉田玄白訳《解体新書》(1774)の挿絵を担当したことは,それを象徴 ...
20. 浅田宗伯[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:11件 『浅田宗伯翁伝 3巻3冊』赤沼金三郎『本朝医人伝』紫竹屏山『大日本思想全集 12 杉田玄白・浅田宗伯集 附前野良沢集・司馬江漢集・大槻盤 ...
21. あらいしょうじゅうろう【荒井庄十郎】
国史大辞典
った。のち他家に入って森平右衛門と改名。また杉田玄白の門人で米沢藩主上杉鷹山の侍医を勤めた堀内林哲とも親交を結んだ。 [参考文献]片桐一男『杉田玄白』(『人物叢 ...
22. あらい-しょうじゅうろう【荒井庄十郎】
日本人名大辞典
吉雄耕牛(よしお-こうぎゅう)の甥(おい)。安永7年(1778)ごろ江戸にでて平賀源内のもとに寄食し,杉田玄白の塾でオランダ語をおしえた。のち陸奥(むつ)会津( ...
23. 医学
世界大百科事典
この訳業のきっかけを与えたのは,1771年(明和8)3月4日,江戸小塚原刑場であった解剖(腑分け)を,杉田玄白,前野良沢,中川淳庵が見学し,その際持参したクルム ...
24. いがく【医学】
国史大辞典
大学は欧州第一の医学の中心をなしていた。西洋医学の正確を知り、古方派の実験精神にめざめていた杉田玄白・前野良沢らは、明和八年(一七七一)の三月江戸で人体解剖をみ ...
25. 医学史
日本大百科全書
)となる。さらに長崎を通して輸入された驚くばかりに正確なオランダ解剖図譜の訳出へと発展する。杉田玄白らによる『解体新書』の刊行(1774)を契機に蘭学(らんがく ...
26. 『鷧斎日録』
日本史年表
1787年〈天明7 丁未〉 1・1 杉田玄白、 『鷧斎日録』 を記す(~文化2年3月25日)。 ...
27. いさいにちろく【
斎日録】
国史大辞典
時々の見聞・随想・詩歌などを含む貴重な史料。刊本として『杉田玄白全集』(ただし未完)一所収のものがある。→杉田玄白(すぎたげんぱく) [参考文献]高浜二郎「杉田 ...
28. いしかわげんじょう【石川玄常】
国史大辞典
愚岡と号す。十四歳の時、医官熊谷無術に修学。明和八年(一七七一)、京師に遊学、名医と交わる。前野良沢・杉田玄白らが関東に西洋医学を興すの報に接して江戸に帰り、ク ...
29. いしかわ-げんじょう【石川玄常】
日本人名大辞典
江戸時代中期-後期の蘭方医。延享元年2月28日生まれ。京都でオランダ医学をまなび,江戸で前野良沢,杉田玄白らの「解体新書」翻訳に参加。のち一橋家の侍医にまねかれ ...
30. いしかわたいろう【石川大浪】
国史大辞典
高く評価された。杉田立卿訳の『眼科新書』には実地に解剖をみて「眼球解剖図」を描き与え、晩年の杉田玄白の座像を正確に写生するなど、江戸の蘭学者の主流や京坂の文化人 ...
31. いしかわ-たいろう【石川大浪】
日本人名大辞典
洋風画で名をあらわす。大槻玄沢(おおつき-げんたく)らの蘭医書に挿絵をかき,西洋画の模写や「杉田玄白像」「ヒポクラテス像」などで知られる。文化14年12月23日 ...
32. 医者
世界大百科事典
解剖書をもとに人体解剖を行って五臓六腑説を訂正した。 このころから蘭方医が本格的に出現した。杉田玄白,前野良沢らが《ターヘル・アナトミア》をもとに,千住小塚原で ...
33. いちのせきじょうあと【一関城跡】岩手県:一関市/一関城下
日本歴史地名大系
救うため「民間備荒録」「備荒草木図」を著し、平賀源内や杉田玄白との交遊を通じて書簡「和蘭医事問答」をまとめた。清庵の門人で一関藩蘭外科医大槻玄梁の子玄沢は杉田玄 ...
34. いちのせきはん【一関藩】
国史大辞典
新的な碩学を多く出している。その源流をなすものは一関藩医建部清庵である。『蘭学事始』を書いた杉田玄白は清庵と交友深く、玄白の家学を継承した杉田伯元は清庵の子であ ...
35. うえのむら【上野村】福井県:小浜市
日本歴史地名大系
いい、若狭国内では二〇余ヵ寺ある。庵は明治一六年(一八八三)に奥田縄へ移築されたが、跡地には杉田玄白の父甫仙による永福般若蔵建造の石碑が残る。 ...
36. 宇田川玄真
世界大百科事典
者を育成して江戸蘭学の発展に尽くした。本姓は安岡氏,伊勢の生れ,名は璘,字は玄真,号は榛斎。杉田玄白の門にあったとき,その才を認められ養嗣子となったが,訳あって ...
37. うだがわげんしん【宇田川玄真】
国史大辞典
江戸に遊学して大槻玄沢・宇田川玄随・桂川甫周など諸家に就いて蘭学を研鑽し、最も翻訳に長じる。杉田玄白にその才を愛され養子となったが、一時身をもち崩したため離縁さ ...
38. 宇田川玄随
日本大百科全書
槐園(かいえん)・東海と号す。幼時より性格は温柔寡言、孝経などを精読、25歳のとき、西学説に感服して学び始め、杉田玄白(げんぱく)、前野良沢(りょうたく)、桂川 ...
39. 宇田川玄随
世界大百科事典
役者に似た色白のやさ男であったので,世人は東海夫人とあだ名した。宇田川家蘭学初代として,前野良沢,杉田玄白らと同時代にあって活躍し,ゴルテルJ.de Gorte ...
40. うだがわげんずい【宇田川玄随】
国史大辞典
二十五歳の時桂川甫周・大槻玄沢の説を聞くに及んで、翻然志を改めて蘭学を学ぶ。大槻玄沢の門に入り、さらに杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らに就いて蘭学を修めた。天明元 ...
41. うだがわ-げんずい【宇田川玄随】
日本人名大辞典
れ。宇田川道紀(みちのり)の長男。美作(みまさか)(岡山県)津山藩医。桂川甫周(ほしゅう),杉田玄白,前野良沢(りょうたく)らにまなぶ。オランダ人ゴルテル著の翻 ...
42. 宇田川榛斎
日本大百科全書
随の門に入り、前野良沢(りょうたく)、大槻玄沢(おおつきげんたく)にも師事。その才を見込まれ杉田玄白(げんぱく)の娘婿になったが、のちに離縁。玄随没後、稲村三伯 ...
43. 江戸参府紀行 274ページ
東洋文庫
による)。高野長英 一八〇四-五〇。奥州伊達家の支藩、水沢藩の医家に育ち、漢学を祖父、蘭学を杉田玄白門下の養父玄斎に学ぶ。 一八二〇(文政三)年江戸に出て杉田伯 ...
44. 江戸参府紀行 285ページ
東洋文庫
奥州一関の人。同藩の医師建部清庵(一七一二-八二)について医学を修め、清庵の子亮策についで江戸の杉田玄白の門にはいり、前野良沢にもついて蘭学と医学を学んだ。福知 ...
45. 江戸参府紀行 317ページ
東洋文庫
もうひとつはいうまでもなく「蘭学」の勃興で、青木昆陽の教えを継いでさらにこれを深めた前野良沢および杉田玄白らを中心とする江戸在住の医学者たちの動向であった。一方 ...
46. 江戸参府紀行 318ページ
東洋文庫
奥州一関の医官建部清庵由正(一七一一-一七八二)という未知の人から、その門人某を介して一通の長い手紙が杉田玄白のもとに届けられた。それは主としてオランダ流外科に ...
47. 江戸参府紀行 319ページ
東洋文庫
数えた。 安岡玄真(一七六九-一八三四、宇田川玄随の死後その家をつぐ)ははじめ玄随の門下から杉田玄白の養子となった。学問には非常に熱心であったが、若いことでもあ ...
48. 江戸参府紀行 329ページ
東洋文庫
奥守家来松平越中守家来松平越後守家来酒井修理大夫家来奥平九八郎家来大槻玄沢森島甫斎宇田川玄随杉田玄白前野良沢右私蛮書同学之者に御座候何れも蛮書之内年来 ...
49. 江戸参府紀行 338ページ
東洋文庫
・オランダ、フランスに合併される。ヴュルツプルク大学へ入学し、医学のほか地理学・民族学を修める。・杉田玄白「蘭学事始」成る。・オランダ王国成立。・ワーテルローの ...
50. 江戸参府随行記 370ページ
東洋文庫
を得て、同社より本年(一九九四)出版されるはずである。 ツユンベリーが来日した一七七五年は、杉田玄白訳、中川淳庵校、石川玄常参、桂川甫周閲『解体新書』が出版され ...