1. シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)画像
日本大百科全書
修理のため積み荷を陸揚げしたとき、シーボルトの荷から、国外持ち出し禁制の品が出て、シーボルト事件が起こった。友人、弟子、通詞(つうじ)のなかに処罰される者が出た ...
2. シーボルト(Karl Theodor Ernst von Siebold)
日本大百科全書
。原生動物Protozoaの語もシーボルトによる。さらに、寄生虫の生活史の研究から、寄生虫が宿主の体の一部から生じるという考えを正した。幕末に来日したシーボルト ...
3. シーボルト[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
岩崎灌園(かんえん)画 1826年(文政9) 国立国会図書館所蔵 ...
4. シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)
世界大百科事典
用された。シーボルトの長崎滞在中の愛人其扇(そのぎ)との間にできた娘いねは,楠本いねといい,のち女医となった。彼の《江戸参府紀行》は《異国叢書》と《東洋文庫》に ...
5. シーボルト
日本国語大辞典
〔一〕(Karl Theodor Ernst von Siebold カール=テオドール=エルンスト=フォン─)ドイツの生理学者、動物学者。クラゲの発生、内臓 ...
6. シーボルト
日本人名大辞典
1846−1911 ドイツ人外交官。1846年8月16日オランダのライデン生まれ。P.F.シーボルトの長男。安政6年(1859)再来日の父とともに長崎にくる。文 ...
7. シーボルト
日本人名大辞典
ドイツ人外交官。1852年7月21日ドイツのボッパルト生まれ。P.F.シーボルトの次男。明治2年(1869)兄A.G.シーボルトにしたがい来日。オーストリア-ハ ...
8. シーボルト
日本人名大辞典
博物学をおしえ,日本の洋学発展につくす。11年国禁の地図の海外持ち出しが発覚し,国外追放となる(シーボルト事件)。帰国後「日本」「日本植物誌」などをあらわす。安 ...
9. シーボルト(しーぼると)[外國醫]
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 751ページ ...
10. シーボルト【Alexander Georg Gustav von Siebold】
国史大辞典
書翰集が外務省外交史料館に保存されている。 [参考文献]今井庄次『お雇い外国人』一二、ハンス=ケルナー『シーボルト父子伝』(竹内精一訳) (金井 圓) ...
11. シーボルト【Heinrich Philipp von Siebold】
国史大辞典
日本石器時代やアイヌに関する論文がある。→考古説略(こうこせつりゃく) [参考文献]ハンス=ケルナー『シーボルト父子伝』(竹内精一訳)、Peter Pantze ...
12. シーボルト【Philipp Franz von Siebold】
国史大辞典
功業』、同『シーボルト先生』(『東洋文庫』一〇三・一一五・一一七)、板沢武雄『シーボルト』(『人物叢書』四五)、日独文化協会編『シーボルト研究』 (大鳥 蘭三郎 ...
13. シーボルト〔Alexander Georg Gustav〕
日本史年表
1911年〈明治44 辛亥〉 1・23 没。 ...
14. シーボルト〔Heinrich Philipp〕
日本史年表
1908年〈明治41 戊申〉 8・11 没。 ...
15. シーボルト〔Philipp Franz〕
日本史年表
オランダ商館医師ドイツ人 シーボルト 、長崎に着任(日本)。 1828年〈文政11 戊子〉 12・23 幕府、 シーボルト の日本国外への出立を禁じ、翌日奉行所 ...
16. シーボルト事件
日本大百科全書
江戸後期、ドイツ人医師シーボルトの国外追放事件。1828年(文政11)9月、オランダ商館付医官シーボルトが任期を終えて帰国しようとした際に、たまたま起こった暴風 ...
17. シーボルト事件
世界大百科事典
1828年(文政11)に起こった洋学者弾圧事件。オランダ商館付医員シーボルトは,1826年にオランダ商館長の江戸参府に随行し,江戸の洋学者と交流した。幕府天文方 ...
18. シーボルト‐じけん【─事件】
日本国語大辞典
文政一一年(一八二八)に起きた蘭学者処罰事件。シーボルト〔二〕が帰国の際、国禁の日本沿海実測図などの持出しが発覚、シーボルトは国外追放、門人をはじめ関係する蘭学 ...
19. シーボルトじけん【シーボルト事件】
国史大辞典
人心に相当の影響を与え、その意味で一時蘭学の発展を畏縮させた。 [参考文献]呉秀三『シーボルト先生其生涯及功業』、板沢武雄『シーボルト』(『人物叢書』四五)、中 ...
20. シーボルト先生 1 その生涯及び功業
東洋文庫
もって日本研究を推進し,悲劇的に追放された“巨人”シーボルトと,彼とともに刻苦して洋学に光をともした人びとの伝記。第1巻は,1から34,シーボルトの伝記,文政1 ...
21. シーボルト先生 2 その生涯及び功業
東洋文庫
わが国蘭学史研究の礎を築いた呉博士の大著の覆刻。熱意と才識をもって日本研究を推進し,悲劇的に追放された“巨人”シーボルトと,彼とともに刻苦して洋学に光をともした ...
22. シーボルト先生 3 その生涯及び功業
東洋文庫
もって日本研究を推進し,悲劇的に追放された“巨人”シーボルトと,彼とともに刻苦して洋学に光をともした人びとの伝記。最終第3巻は,70から78,シーボルトの門人, ...
23. シーボルト台風
日本大百科全書
死者は1万人に達した。シーボルトの名は、この台風により長崎の出島(でじま)付近に停泊していたオランダ商船コルネリス・ハウトマン号が難破し、その中のドイツ人医師シ ...
24. シーボルト台風
世界大百科事典
襲来時が著名であるが,日本の歴史に残るもっとも強い台風といわれるのがこのシーボルト台風である。もちろんその頃にシーボルト台風と名付けられたのではなく,後の気象災 ...
25. しーぼるとたくあと・なるたきじゅくあと【シーボルト宅跡・鳴滝塾跡】長崎県:長崎市/中川郷
日本歴史地名大系
、また日本研究家で知られるシーボルトの居宅兼塾舎の跡。あじさい屋敷とも称された。国指定史跡。文政六年(一八二三)オランダ商館医として来崎したP・F・B・V・シー ...
26. シーボルトにっぽん【シーボルト日本】
国史大辞典
富雄他著『シーボルト「日本」の研究と解説』の巻末に新たに「人名・地名索引」をつけた。邦訳には岩生成一監修『日本』(本文六冊・図録三冊)がある。 [参考文献]日独 ...
27. シーボルトノキ
日本大百科全書
果実は黒色の核果、ほぼ球形で径約4ミリメートル。中国中南部に分布し、長崎市鳴滝(なるたき)のシーボルト宅跡に植えられていたので、この名がついた。枝葉、果実から緑 ...
28. シーボルトの日本報告
東洋文庫
オランダ東インド総督府への報告や関連資料から明らかになるシーボルトの実像。商館長との軋轢や「事件」への対処が、野心的で熱心な青年博物学者の姿を浮き彫りにする。 ...
29. シーボルトミミズ
日本大百科全書
日本のミミズを最初に研究したホルストによって記載された種で、種名は、江戸時代に日本にきて採集したシーボルトの名にちなむ。日本のミミズ類中、最大級の1種で、体長4 ...
30. シーボルトミミズ
世界大百科事典
貧毛綱フトミミズ科の環形動物。大型な種類。P.F.vonシーボルトが日本で採集し,この標本をホーストR.Horstが1883年に発表した際にシーボルトに献名した ...
31. シーボルト一件申渡書(著作ID:2810164)
新日本古典籍データベース
しいぼるといっけんもうしわたししょ 記録 ...
32. 長崎での踏絵執行の図[図版]画像
国史大辞典
シーボルトの日本 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
33. 矢勃児験方録(著作ID:212806)
新日本古典籍データベース
しいぼるとけんぽうろく 斯勃盧篤験方録 失伊保児篤験方録 シーボルト験方録 志意保留土験方録 医学 ...
34. 小シーボルト蝦夷見聞記
東洋文庫
1878年(明治11),シーボルトの次男ハインリッヒは北海道に調査旅行を敢行した。当時のアイヌの生活と和人による開拓のようすをいきいきと伝える貴重な調査報告「蝦 ...
35. アイヌ
日本大百科全書
身につけて来日した学者たちの間で、アイヌの人種論、起源論が日本人種論とともに論争された。ドイツ人学者シーボルト父子は日本石器時代人アイヌ説を、アメリカ人学者モー ...
36. アイヌ語
世界大百科事典
《もしほ草》が成立。これは当時最大のアイヌ語辞書であるというばかりでなく,最上徳内を通じてシーボルトに紹介され,オーストリアのプフィッツマイヤーA.Pfizma ...
37. あおき-しゅうすけ【青木周弼】
日本人名大辞典
江戸時代後期の医師。享和3年1月3日生まれ。青木研蔵の兄。大坂,江戸で医学をまなび,長崎でシーボルトに入門。天保(てんぽう)10年長門(ながと)(山口県)萩(は ...
38. 青木周蔵自伝 147ページ
東洋文庫
午後二時伊公使「デ・マルチノ」〔Oo日日磐留目閃①暴88雲霞ぎo〕氏を、午後四時填代理公使「シーボルト」氏を外務省に引見し、条約書類を交付し其の主旨を演説するこ ...
39. 青木周蔵自伝 178ページ
東洋文庫
物となすべき旨を決定案に載せたるにも拘はらず、青木子は二十三年五月乃至六月の際、霜に男爵「シーボルト」氏を英国に派遣し、間接に「ソースベリ」侯に説きて不動産所有 ...
40. 青木周蔵自伝 222ページ
東洋文庫
於て「エス・エル・バアルチー」氏、「ガビンス」氏と日 本公使青木子爵井に「フォン・シーボルト」男爵との対話の覚書。 「パアルチー氏」曰く、 在東京 ...
41. 青木周蔵自伝 231ページ
東洋文庫
アレキサンデル・シ!ボルト。ドイツ人。幕末、長崎の鳴滝塾で日本人に医学を教えたフィリ ップ・シーボルトの長子である。シーボルトは外務省雇となり、ベルリン公使館 ...
42. 青木周蔵自伝 354ページ
東洋文庫
文部顧問「ヘルマソ・テヒョー」、大蔵顧問「フォン・グラマツキー」、外務省雇の「アレキサンデル・シーボルト」など、日本絶対主義の体制づくりに助言を与えたお雇いドイ ...
43. 青木周弼(あおきしゅうひつ)
日本大百科全書
緒方洪庵(おがたこうあん)と同門であった。また弟の研蔵(1815―1870)を同行し長崎でシーボルトにも入門した。1839年(天保10)萩藩医となり、1842年 ...
44. あかしじょうか【明石城下】兵庫県:明石市
日本歴史地名大系
医学の方面においては、寛政一三年藩主の招きにより藩医となった眼科の蘭法医の高良斎、その甥で肥前長崎の鳴滝塾でシーボルトの教えを受け、高弟として眼科と外科で活躍し ...
45. あかばねおうせつしょ【赤羽応接所】
国史大辞典
。この時、支援にあたったヒュースケンは、赤羽から米公館へ帰る途次、浪士により殺されている。シーボルト父子が、文久元年(一八六一)五月から十月まで、宿泊したことも ...
46. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 202ページ
東洋文庫
発し二月仏国馬耳塞に着、三月を以て巴里に入った。此行には長崎駐在の仏国総領事ジュレー、英国公使館通訳シーボルトも同行して種々斡旋の労を執った。民部公子の一行にも ...
47. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 208ページ
東洋文庫
二十四日、当国に在るシーボルトの別業に御遊行、日本国と名づけたり〇 二十五日、午後三時四十五分エッセンに御着、和・白国境なり、留学生五人は此所にて御暇賜は ...
48. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 257ページ
東洋文庫
産業分野にわたる近代企業確立に尽力、財界の大 御所として活躍した。子爵。シーボルト≧。惹巳RO8おO巨擘く8ω菩o年 〔天異i充=〕 有名なシーボルトの長男。安 ...
49. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 266ページ
東洋文庫
一夫〕 ドイツの日本学者。シーボルトについて日本語お よび東洋の研究に従事、政府の日本語通訳をつと め、ライデン大学正教授(天蓋)となり日本講座 を担当。シーボ ...
50. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 280ページ
東洋文庫
特派の軍艦バレンパン号によってはるばる将軍に贈った。この画策の蔭には日本の国情に精通していたシーボルトの運動があったことも特筆の要があろう(呉秀三著『シ1ボルト ...