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  11. 大塩平八郎
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

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国史大辞典
大塩平八郎
おおしおへいはちろう
一七九三 - 一八三七
江戸時代後期の大坂町奉行所与力。儒学者。諱は後素、字は子起、通称平八郎、号は連斎・中軒さらに中斎と改めた。大塩敬高を父とし、寛政五年(一七九三)正月二十二日天満四軒屋敷の与力邸に生まれた。先祖は駿河・遠江の守護今川氏の一族であったという。幼にして父母を失い、祖父に薫育され、十三、四歳のころから東町奉行所に見習として出仕して以来、三十八歳で退職するまで二十四、五年の間、吏務に精励してしばしば難事件を処理し名与力と謳われた。その間、文武の道に励み槍術は特にすぐれたが、学問では陽明学を修め、知己の頼山陽からは「小陽明」と称せられたほどで、学者としても広く知られ、早くから自邸に洗心洞と名づける学塾を開いて、同僚の子弟や近在の富農に学を講じていた。しかし天保元年(一八三〇)上司の東町奉行高井山城守実徳が辞職するに際し、みずからもこれに殉じた。満幅の信頼を寄せ、存分に能力を発揮させてくれた山城守が辞職しては、もはや再び自己の才能を十分に発揮できないと考えたからであるが、他面、封建的な身分制度のため、すぐれた才能を有しながら、昇進の道が閉ざされていたことへの不満もあったようである。それ以後は家塾にあって学問に専念し、『古本大学刮目』『洗心洞箚記』などを著わした。しかし天保七年(一八三六)前年来の大飢饉で大坂市中にさえ餓死者が続出する惨状に直面し、時の東町奉行跡部山城守良弼にしばしば救急策を上申したが、まったく顧みられないばかりか、身分を弁えぬ不届者と叱責されたりした。ここに至って「知行合一」を学問の根本義とする平八郎は、ついに意を決して、みずからの蔵書をすべて売り払って窮民に分け与えたのち、ひそかに近在農村に挙兵の檄文を撒布し、同八年二月十九日「救民」の旗印をかかげて蹶起した。しかし城兵の出動によって一日で平定され、平八郎はその場から姿を隠したが、約四十日後の三月二十七日、市中に潜伏中を発見され、幕吏の包囲中に自刃した。四十五歳。墓は大阪市北区末広町の成正寺にある。
[参考文献]
『浮世の有様』六・七(『日本庶民生活史料集成』一一)、『大阪市史』二、幸田成友『大塩平八郎』(『幸田成友著作集』五)、岡本良一『大塩平八郎』、石崎東国『大塩平八郎伝』、戸谷敏之「中斎の「太虚」について」(小野武夫博士還暦記念論文集刊行会編『日本農業経済史研究』上所収)、前田一良「大塩平八郎」(河出書房『日本歴史講座』四所収)、阿部真琴「農業と哲学との前進―大塩中斎について―」(『神戸大学文学会研究』一)
(岡本 良一)


日本大百科全書(ニッポニカ)
大塩平八郎
おおしおへいはちろう
[1793―1837]

江戸後期の陽明学者、大坂町奉行与力(まちぶぎょうよりき)。諱(いみな)は後素、字(あざな)は子起、号は連斎、中斎など。幼少期に父母を亡くしたため、大坂町奉行与力だった祖父の嗣(し)となり、13~14歳ころより町奉行所に出仕する。かたわら、ほとんど独学にて陽明学を修得し、30代の前半に自宅に私塾「洗心洞(せんしんどう)」を開く。門弟には、江戸時代後期、動揺する幕藩制支配の最末端を担った大坂町奉行の与力・同心や、近隣の農村の村落支配者層が多かった。大坂町奉行与力としては切支丹(キリシタン)逮捕、奸吏(かんり)糺弾、破戒僧遠島等々の実績をあげ、与力としての役職の頂点に昇るが、上司の高井山城守(やましろのかみ)(実徳(さねのり)、1763―1834)の辞任と進退をともにし、38歳にて致仕する。以後は「洗心洞」での講学と著述に専心し、『洗心洞箚記(さっき)』上下2巻、『儒門空虚聚語(しゅうご)』2巻、『同附録』1巻、『増補孝経彙註(いちゅう)』1巻、『古本大学刮目(かつもく)』8巻などの著述をなす。その陽明学は経書の解釈において、また、中国・宋明(そうみん)時代の儒者の著作の博引ぶりにおいて、幕末の儒林で有数のものである。1836年(天保7)、年来の大飢饉(ききん)のなかで大坂市中に餓死人が続出すると、陽明学の「万物一体の仁」の立場より、その惨状を傍観視できず、当局に救済策を上申するが拒否される。翌1837年2月、近隣の農民に檄文(げきぶん)を飛ばし、大坂市中の諸役人とそれと結託した特権豪商を誅伐(ちゅうばつ)するため、門弟とともに挙兵するが、小一日もちこたえられず敗走。市中潜伏中、幕吏に囲まれ、同年3月27日自刃。墓は大阪市北区末広町、成正寺(じょうしょうじ)内にある。
[宮城公子]2016年4月18日



世界大百科事典
大塩平八郎
おおしおへいはちろう
1793-1837(寛政5-天保8)

江戸後期の大坂東町奉行所与力で陽明学者。1837年2月に大坂で乱を起こして自殺。父は平八郎敬高,母は大西氏。出生地には大坂天満と阿波美馬郡の2説がある。幼くして両親を失い,与力であった祖父のあとを継ぐ。幼名文之助,長じて平八郎と称し,諱(いみな)は正高,のち後素。字は子起,士起,与力退職後は連斎または中斎という。与力在職中,東町奉行高井実徳に重用されて下記の三大功績をあげ,世に廉直の評が高かった。すなわち1827年(文政10)豊田貢(みつぎ)らのキリシタン類似の宗教を弾圧し,29年には四ヵ所非人と結んで不正を働いた西町奉行所筆頭与力弓削新右衛門を処断し,30年には破戒僧数十名を遠島の刑に処した。この年実徳が奉行を引退したため,みずからも与力職を養子格之助に譲って致仕し,与力時代から天満川崎四軒屋敷に開いていた家塾洗心洞で教学につとめた。中国の呂新吾の著作を読んで陽明学に志し,北宋の張横渠の影響をうけて政治刷新をふくむ独自の学風を築きあげた。〈心太虚に帰す〉〈良知を致す〉〈天地万物一体の仁〉などについての特異な評釈は,〈天満風の我儘学問〉とも評されたが,清直かつ峻厳な教学の内容に心をよせるものも多く,奉行所の与力・同心,医師の子弟や淀川左岸の摂津・河内の豪農がその塾に加わった。農民を愛し,〈民を視ること傷の如し〉といわれ,近隣の村や町場に出講し,また摂津高槻,近江大溝,伊勢の津にも赴いて諸藩士とも交流した。豪農たちは財政的にも,のちの大塩の乱の組織化にも重要な役割を果たしている。飢饉のさなか町奉行らの施策に抗議して事件を起こし,〈知行合一〉をみずから実践して命を絶ったが,これを惜しむものは多かった。著書に《洗心洞劄記(さつき)》《古本大学刮目(かつもく)》《儒門空虚聚語》《増補孝経彙註》などがある。蜂起時の檄文はその思想の極点を示している。
[酒井 一]

[索引語]
大塩中斎 洗心洞
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1. 大塩平八郎
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江戸後期の陽明学者、大坂町奉行与力(まちぶぎょうよりき)。諱(いみな)は後素、字(あざな)は子起、号は連斎、中斎など。幼少期に父母を亡くしたため、大坂町奉行与力 ...
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江戸後期の陽明学者。号、中斎。大坂町奉行所与力。辞職後は私塾洗心洞で著述に専念。天保の大飢饉(ききん)に際し、農民を救うため兵を起こしたが、失敗して自殺。著「洗 ...
4. おおしおへいはちろう【大塩平八郎】画像
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5. 大塩平八郎
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2・19 大坂町奉行元与力 大塩平八郎 、門弟・近在百姓らと徒党し、天満与力町に火をかけ鉄砲を放つ.3月27日、大塩、鎮圧されて自殺.大坂市街の大半焼失( 大塩 ...
6. 大鹽平八郎(おおしおへいはちろう)
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文學部 洋巻 第2巻 805ページ ...
7. おおしお-へいはちろう【大塩平八郎】
日本人名大辞典
1793−1837 江戸時代後期の武士,儒者。寛政5年1月22日生まれ。大坂東町奉行所で名与力と評される。38歳で辞職,私塾洗心洞(せんしんどう)で陽明学を教授 ...
8. おおしおへいはちろう【大塩平八郎】
日本架空伝承人名事典
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9. 大塩平八郎[文献目録]
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10. 【大塩(鹽)平八郎】おお(おほ)しお(しほ)へいはちろう(らう)
新選漢和辞典Web版
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11. 丁酉春大塩平八郎(著作ID:4394962)
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12. 大塩平八郎蔵書印[図版]画像
国史大辞典
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13. 大塩平八郎の乱
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江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1828年(文政11)の九州大洪水より、断続的に天災による諸国異作が続き、36年(天保7)は未曽有(みぞう ...
14. おおしおへいはちろうのらん【大塩平八郎の乱】
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であったかを知ることができる。 [参考文献]石崎東国『大塩平八郎伝』、幸田成友『大塩平八郎』(『幸田成友著作集』五)、岡本良一『大塩平八郎』 (岡本 良一)  ...
15. 大塩平八郎の乱
日本史年表
2・19 大坂町奉行元与力 大塩平八郎 、門弟・近在百姓らと徒党し、天満与力町に火をかけ鉄砲を放つ.3月27日、大塩、鎮圧されて自殺.大坂市街の大半焼失( 大塩 ...
16. 大塩平八郎軍実記(著作ID:4376338)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういくさじっき  ...
17. 大塩平八郎遺事(著作ID:259256)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういじ 服部鉄石(はっとりてっせき) 伝記  ...
18. 大塩平八郎一件(著作ID:1052397)
新日本古典籍データベース
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19. 大塩平八郎一件評定所一座書留(著作ID:2087561)
新日本古典籍データベース
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20. 大塩平八郎落シ文の事(著作ID:4376337)
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21. 大塩平八郎逆乱一件(著作ID:2087629)
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22. 大塩平八郎檄文(著作ID:2087630)
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23. 大塩平八郎書状(著作ID:4397872)
新日本古典籍データベース
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24. 大塩平八郎摂河泉播之四州郷在村村江落置候文之写(著作ID:316701)
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25. 大塩平八郎触書写(著作ID:3514316)
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26. 大塩平八郎乱暴一件(著作ID:1052400)
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27. あいぎん【間銀】
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相場のたて方の改正があり、間銀は拡大されて百姓の負担となった。(三)天保八年(一八三七)の大塩平八郎の乱後、大坂で米価暴騰になやむ細民のために、町奉行所から搗米 ...
28. あお‐びょうたん[あをベウタン]【青瓢箪】
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29. あおもの‐いちば[あをもの‥]【青物市場】
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右は近来仕始候儀には無〓之」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「天満の青物市場(アヲモノイチバ)」 ...
30. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
打立ち給ふに」*葬列〔1906〕〈石川啄木〉「かの哀れなる亡国の民に愛国心を起さしめ、独立軍を挙げさせる」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「此体(このてい) ...
31. あさひく【旭区】大阪府:大阪市地図
日本歴史地名大系
名産には荒生村の葱、今市村の薬種、両村の越瓜、中村の河骨などがあった。天保八年(一八三七)の大塩平八郎の乱には赤川村を除くすべての村から参加者を出した。これは大 ...
32. 足代弘訓
日本大百科全書
竹屋光棣(たけやみつとみ)(1781―1837)に学び、江戸、大坂に出て塙保己一(はなわほきいち)、大塩平八郎らと交流した。研究は、国語・国文のほか、神道・国史 ...
33. あじろひろのり【足代弘訓】画像
国史大辞典
語らって窮民救済に奔走し、古今の飢饉の史実と救荒食物の製法を記した『おろかおひ』を著述した。大坂の大塩平八郎とは特に親しく交わり、平八郎が著書を神宮に奉献したの ...
34. あじろ-ひろのり【足代弘訓】
日本人名大辞典
通じ,古典の考証にすぐれた。天保(てんぽう)の飢饉(ききん)には私財を投じて救民につとめ,大塩平八郎とも親交があった。安政3年11月5日死去。73歳。通称は権太 ...
35. あずけ[あづけ]【預】
日本国語大辞典
右四ケ条御免之例有〓之候事」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「留置(とめおき)、預(アヅ)けなどと云ふことにせられては、病体で凌 ...
36. あずけ‐がえ[あづけがへ]【預替】
日本国語大辞典
〔名〕預け(2)の刑を受けた罪人を預かる者が変更されること。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一三「此中で酒井大和守忠嗣へ預替(アヅケガヘ)になってゐた平山は、 ...
37. あとべよしすけ【跡部良弼】
国史大辞典
。また打ち続く凶作で米不足のなかで幕命により大坂の米を江戸に送ることを強行したので、旧与力大塩平八郎は門下の与力・同心たちと謀り挙兵、良弼は西町奉行とともにその ...
38. あとべ-よしすけ【跡部良弼】
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旗本跡部氏をつぐ。天保(てんぽう)7年(1836)大坂東町奉行となり,江戸への廻米を強行して翌年の大塩平八郎の乱をまねく。のち勘定奉行,江戸町奉行,若年寄などを ...
39. あぶらかけちょう【油掛町】大阪府:大阪市/西区地図
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年寄は新天満町今津屋与右衛門の兼帯。当町の染物屋美吉屋五郎兵衛宅は、天保八年(一八三七)挙兵して敗れた大塩平八郎父子がかくまわれ、幕吏に囲まれて自刃した場所であ ...
40. あめ‐つづき【雨続】
日本国語大辞典
〔名〕雨が降り続くこと。長雨であること。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉五「五月から雨続(アメツヅキ)で、冬のやうに寒く」*湖畔手記〔1924〕〈葛西善蔵〉「 ...
41. アメリカ彦蔵自伝 2 276ページ
東洋文庫
  全畢    一〇.一一δ ○遠州灘にて遭難。         全◇◇この年三月、大坂に大塩平八郎の乱が起こった。六月に浦賀でモリソン号事件全七〉。 ◇「父は ...
42. あん‐せきしょく【暗赤色】
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〔名〕黒みを帯びた赤色。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一一「血色の悪い、蒼白い顔が、大酒をしたやうに暗赤色(アンセキショク)になって」*芽むしり仔撃ち〔19 ...
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一大家族の母として路傍に遺棄(ヰキ)せらるる幾多の霊魂を拾ひては覆翼(はぐく)み育つるを楽としつ」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉八「四辻の辺に敵の遺棄(ヰキ ...
44.&nnbsp;生田万画像
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万は妻子を伴って移住した。たまたま天保(てんぽう)の飢饉(ききん)の真っ最中であり、1837年、大塩平八郎の乱が伝わるとその影響を強く受けて、6月1日、同志6名 ...
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46. いくた‐よろず【生田万】
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江戸末期の国学者。上野(こうずけ)館林藩士。平田篤胤に学ぶ。越後柏崎に移り、天保飢饉の際、大塩平八郎の乱に呼応して、救民のため大久保陣屋を襲ったが、負傷して自害 ...
47. いくたよろず【生田万】
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藩政改革を具申して藩を追われ,のち越後(えちご)(新潟県)柏崎(かしわざき)で私塾をひらく。大塩平八郎の乱の影響をうけ,飢饉(ききん)による窮民救済のため,天保 ...
49. 生田万[文献目録]
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(やまがた)にては葛(くず)之根などを喰(く)ひ、小児をば川へ流し申候、(中略)扨(さて)大塩平八郎の事御写し被下辱(くだされかたじけなく)、当方にても諸所の届 ...
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