1. 大塩平八郎
日本大百科全書
江戸後期の陽明学者、大坂町奉行与力(まちぶぎょうよりき)。諱(いみな)は後素、字(あざな)は子起、号は連斎、中斎など。幼少期に父母を亡くしたため、大坂町奉行与力 ...
2. 大塩平八郎
世界大百科事典
1793-1837(寛政5-天保8) 江戸後期の大坂東町奉行所与力で陽明学者。1837年2月に大坂で乱を起こして自殺。父は平八郎敬高,母は大西氏。出生地には大坂 ...
3. おおしお‐へいはちろう【大塩平八郎】
日本国語大辞典
江戸後期の陽明学者。号、中斎。大坂町奉行所与力。辞職後は私塾洗心洞で著述に専念。天保の大飢饉(ききん)に際し、農民を救うため兵を起こしたが、失敗して自殺。著「洗 ...
4. おおしおへいはちろう【大塩平八郎】画像
国史大辞典
本庶民生活史料集成』一一)、『大阪市史』二、幸田成友『大塩平八郎』(『幸田成友著作集』五)、岡本良一『大塩平八郎』、石崎東国『大塩平八郎伝』、戸谷敏之「中斎の「 ...
5. 大塩平八郎
日本史年表
2・19 大坂町奉行元与力 大塩平八郎 、門弟・近在百姓らと徒党し、天満与力町に火をかけ鉄砲を放つ.3月27日、大塩、鎮圧されて自殺.大坂市街の大半焼失( 大塩 ...
6. 大鹽平八郎(おおしおへいはちろう)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 805ページ ...
7. おおしお-へいはちろう【大塩平八郎】
日本人名大辞典
1793−1837 江戸時代後期の武士,儒者。寛政5年1月22日生まれ。大坂東町奉行所で名与力と評される。38歳で辞職,私塾洗心洞(せんしんどう)で陽明学を教授 ...
8. おおしおへいはちろう【大塩平八郎】
日本架空伝承人名事典
考察があり、なかでも幸田成友『大塩平八郎』(一九一〇)が有名で、森鴎外の小説『大塩平八郎』(一九一四)などに影響を及ぼした。また一九二五年上演の史劇『大塩平八郎 ...
9. 大塩平八郎[文献目録]
日本人物文献目録
』高瀬武次郎『大塩平八郎』石崎東国『大塩平八郎』金子幹太『大塩平八郎』佐井田安仲『大塩平八郎』高安月郊『大塩平八郎欧州に失踪す』奥並継『大塩平八郎「檄文」』阿部 ...
10. 【大塩(鹽)平八郎】おお(おほ)しお(しほ)へいはちろう(らう)
新選漢和辞典Web版
人名。江戸後期の陽明学者。号は中斎。天保七年(一八三六)の飢饉(ききん)に蔵書を売り払って窮民を救った。翌年兵を起こして大坂城を攻め、敗れて死んだ。(一七九三 ...
11. 丁酉春大塩平八郎(著作ID:4394962)
新日本古典籍データベース
ていゆうはるおおしおへいはちろう 大塩平八郎 記録 ...
12. 大塩平八郎蔵書印[図版]画像
国史大辞典
洗心洞図書記 大塩後素 浪花法曹 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
13. 大塩平八郎の乱
日本大百科全書
江戸後期、大坂で大塩平八郎らが救民のため挙兵した反乱。1828年(文政11)の九州大洪水より、断続的に天災による諸国異作が続き、36年(天保7)は未曽有(みぞう ...
14. おおしおへいはちろうのらん【大塩平八郎の乱】
国史大辞典
であったかを知ることができる。 [参考文献]石崎東国『大塩平八郎伝』、幸田成友『大塩平八郎』(『幸田成友著作集』五)、岡本良一『大塩平八郎』 (岡本 良一) ...
15. 大塩平八郎の乱
日本史年表
2・19 大坂町奉行元与力 大塩平八郎 、門弟・近在百姓らと徒党し、天満与力町に火をかけ鉄砲を放つ.3月27日、大塩、鎮圧されて自殺.大坂市街の大半焼失( 大塩 ...
16. 大塩平八郎軍実記(著作ID:4376338)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういくさじっき ...
17. 大塩平八郎遺事(著作ID:259256)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういじ 服部鉄石(はっとりてっせき) 伝記 ...
18. 大塩平八郎一件(著作ID:1052397)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういっけん 記録 ...
19. 大塩平八郎一件評定所一座書留(著作ID:2087561)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろういっけんひょうじょうしょいちざかきとめ 記録 ...
20. 大塩平八郎落シ文の事(著作ID:4376337)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうおとしぶみのこと ...
21. 大塩平八郎逆乱一件(著作ID:2087629)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうぎゃくらんいっけん 堀田正身(ほったまさみ) 記録 天保九 ...
22. 大塩平八郎檄文(著作ID:2087630)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうげきぶん 政治 天保八 ...
23. 大塩平八郎書状(著作ID:4397872)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうしょじょう 大塩中斎(おおしおちゅうさい) 書簡 ...
24. 大塩平八郎摂河泉播之四州郷在村村江落置候文之写(著作ID:316701)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうせっかせんばんのししゅうごうざいむらむらへおとしおきそうろうふみのうつし 記録 ...
25. 大塩平八郎触書写(著作ID:3514316)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうふれがきうつし 法制 ...
26. 大塩平八郎乱暴一件(著作ID:1052400)
新日本古典籍データベース
おおしおへいはちろうらんぼういっけん 木村黙老(きむらもくろう) 記録 ...
27. あいぎん【間銀】
国史大辞典
相場のたて方の改正があり、間銀は拡大されて百姓の負担となった。(三)天保八年(一八三七)の大塩平八郎の乱後、大坂で米価暴騰になやむ細民のために、町奉行所から搗米 ...
28. あお‐びょうたん[あをベウタン]【青瓢箪】
日本国語大辞典
あざけっていうことば。あおたん。うらなり。*雑俳・柳多留‐二〔1767〕「赤がしら青ひゃうたんを抱あるき」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉五「一度喀血したこと ...
29. あおもの‐いちば[あをもの‥]【青物市場】
日本国語大辞典
右は近来仕始候儀には無
之」*
大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「天満の青物市場(アヲモノイチバ)」
...30. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
打立ち給ふに」*葬列〔1906〕〈石川啄木〉「かの哀れなる亡国の民に愛国心を起さしめ、独立軍を挙げさせる」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「此体(このてい) ...
31. あさひく【旭区】大阪府:大阪市地図
日本歴史地名大系
名産には荒生村の葱、今市村の薬種、両村の越瓜、中村の河骨などがあった。天保八年(一八三七)の大塩平八郎の乱には赤川村を除くすべての村から参加者を出した。これは大 ...
32. 足代弘訓
日本大百科全書
竹屋光棣(たけやみつとみ)(1781―1837)に学び、江戸、大坂に出て塙保己一(はなわほきいち)、大塩平八郎らと交流した。研究は、国語・国文のほか、神道・国史 ...
33. あじろひろのり【足代弘訓】画像
国史大辞典
語らって窮民救済に奔走し、古今の飢饉の史実と救荒食物の製法を記した『おろかおひ』を著述した。大坂の大塩平八郎とは特に親しく交わり、平八郎が著書を神宮に奉献したの ...
34. あじろ-ひろのり【足代弘訓】
日本人名大辞典
通じ,古典の考証にすぐれた。天保(てんぽう)の飢饉(ききん)には私財を投じて救民につとめ,大塩平八郎とも親交があった。安政3年11月5日死去。73歳。通称は権太 ...
35. あずけ[あづけ]【預】
日本国語大辞典
右四ケ条御免之例有
之候事」*
大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一「留置(とめおき)、預(アヅ)けなどと云ふことにせられては、病体で凌
...36. あずけ‐がえ[あづけがへ]【預替】
日本国語大辞典
〔名〕預け(2)の刑を受けた罪人を預かる者が変更されること。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一三「此中で酒井大和守忠嗣へ預替(アヅケガヘ)になってゐた平山は、 ...
37. あとべよしすけ【跡部良弼】
国史大辞典
。また打ち続く凶作で米不足のなかで幕命により大坂の米を江戸に送ることを強行したので、旧与力大塩平八郎は門下の与力・同心たちと謀り挙兵、良弼は西町奉行とともにその ...
38. あとべ-よしすけ【跡部良弼】
日本人名大辞典
旗本跡部氏をつぐ。天保(てんぽう)7年(1836)大坂東町奉行となり,江戸への廻米を強行して翌年の大塩平八郎の乱をまねく。のち勘定奉行,江戸町奉行,若年寄などを ...
39. あぶらかけちょう【油掛町】大阪府:大阪市/西区地図
日本歴史地名大系
年寄は新天満町今津屋与右衛門の兼帯。当町の染物屋美吉屋五郎兵衛宅は、天保八年(一八三七)挙兵して敗れた大塩平八郎父子がかくまわれ、幕吏に囲まれて自刃した場所であ ...
40. あめ‐つづき【雨続】
日本国語大辞典
〔名〕雨が降り続くこと。長雨であること。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉五「五月から雨続(アメツヅキ)で、冬のやうに寒く」*湖畔手記〔1924〕〈葛西善蔵〉「 ...
41. アメリカ彦蔵自伝 2 276ページ
東洋文庫
全畢 一〇.一一δ ○遠州灘にて遭難。 全◇◇この年三月、大坂に大塩平八郎の乱が起こった。六月に浦賀でモリソン号事件全七〉。 ◇「父は ...
42. あん‐せきしょく【暗赤色】
日本国語大辞典
〔名〕黒みを帯びた赤色。*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉一一「血色の悪い、蒼白い顔が、大酒をしたやうに暗赤色(アンセキショク)になって」*芽むしり仔撃ち〔19 ...
43. い‐き[ヰ‥]【遺棄】
日本国語大辞典
一大家族の母として路傍に遺棄(ヰキ)せらるる幾多の霊魂を拾ひては覆翼(はぐく)み育つるを楽としつ」*大塩平八郎〔1914〕〈森鴎外〉八「四辻の辺に敵の遺棄(ヰキ ...
44.&nnbsp;生田万画像
日本大百科全書
万は妻子を伴って移住した。たまたま天保(てんぽう)の飢饉(ききん)の真っ最中であり、1837年、大塩平八郎の乱が伝わるとその影響を強く受けて、6月1日、同志6名 ...
45. 生田万
世界大百科事典
施さず,かえって米価の騰貴を図った。生田は再三農民のために嘆願したが入れられず,37年6月1日,大塩平八郎の乱に刺激され,窮民を救わんとして6人の同志とともに桑 ...
46. いくた‐よろず【生田万】
日本国語大辞典
江戸末期の国学者。上野(こうずけ)館林藩士。平田篤胤に学ぶ。越後柏崎に移り、天保飢饉の際、大塩平八郎の乱に呼応して、救民のため大久保陣屋を襲ったが、負傷して自害 ...
47. いくたよろず【生田万】
国史大辞典
かえって米価のつり上げを計って暴利を貪った。彼は再三嘆願するところがあったが容れられず、八年二月に大坂で大塩平八郎の騒動の報が伝わると、六月一日、同志を募って柏 ...
48. いくた-よろず【生田万(1)】
日本人名大辞典
藩政改革を具申して藩を追われ,のち越後(えちご)(新潟県)柏崎(かしわざき)で私塾をひらく。大塩平八郎の乱の影響をうけ,飢饉(ききん)による窮民救済のため,天保 ...
49. 生田万[文献目録]
日本人物文献目録
華『生田万の話』渡辺刀水『生田万の北越転住について』小島茂男『越後柏崎と生田万』花見朔巳『大塩平八郎と生田万』黒頭巾『太田に隠棲せる生田万』寺島錬二『柏崎事件と ...
50. 生田万の乱画像
日本大百科全書
(やまがた)にては葛(くず)之根などを喰(く)ひ、小児をば川へ流し申候、(中略)扨(さて)大塩平八郎の事御写し被下辱(くだされかたじけなく)、当方にても諸所の届 ...