1. 勝海舟画像
日本大百科全書
幕末期の開明的な幕臣。文政(ぶんせい)6年1月30日、石高41石余の貧乏旗本勝家に生まれる。通称麟太郎(りんたろう)、名は義邦(よしくに)、のち安芳(やすよし) ...
2. 勝海舟[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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3. 勝海舟
世界大百科事典
1823-99(文政6-明治32) 幕末・明治の政治家。下級幕臣勝小吉の長男で通称麟太郎,名は義邦,海舟は号。幼少のころ将軍徳川家斉の孫初之丞の相手をつとめたが ...
4. かつ‐かいしゅう【勝海舟】
日本国語大辞典
幕末、明治の政治家。名は義邦。のち安芳。通称、麟太郎(りんたろう)。安房守(あわのかみ)。幕府の海軍伝習生としてオランダ人から海軍諸術を学ぶ。遣米使節を送るため ...
5. かつかいしゅう【勝海舟】画像
国史大辞典
した。なお、近年『勝海舟全集』二種が編纂され、一種は完結し(全二十一巻別巻二巻)、他の一種は刊行中である。 [参考文献]松浦玲『勝海舟』(『中公新書』一五八)、 ...
6. かつ-かいしゅう【勝海舟】画像
日本人名大辞典
1823−1899 幕末-明治時代の武士,政治家。文政6年1月30日生まれ。勝惟寅(これとら)の長男。幕臣。嘉永(かえい)3年江戸に蘭学塾をひらく。長崎の海軍伝 ...
7. 勝海舟[文献目録]
日本人物文献目録
人としての勝海舟』堀江秀雄『勝海舟』勝田孫弥『勝海舟』奈良本辰也『勝海舟翁』-『勝海舟翁遺書七則』渡辺国武『勝海舟翁の和歌』国分剛二『勝海舟を論ず』山路愛山『勝 ...
8. 勝海舟蔵書印[図版]画像
国史大辞典
勝安芳 物部義邦 海舟 海軍弘通 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 勝海舟翁之詠歌(著作ID:4370707)
新日本古典籍データベース
かつかいしゅうおうのえいか 勝海舟(かつかいしゅう) 和歌 明治二二 ...
10. 勝海舟書簡(著作ID:477770)
新日本古典籍データベース
かつかいしゅうしょかん 海防護国論ニ就テ海舟勝氏来翰 勝海舟(かつかいしゅう) 書簡 ...
11. 勝海舟書簡(著作ID:477781)
新日本古典籍データベース
かつかいしゅうしょかん 勝海舟(かつかいしゅう) 書簡 ...
12. 竹川竹斎に贈る勝海舟の詩(著作ID:477769)
新日本古典籍データベース
たけかわちくさいにおくるかつかいしゅうのし 勝海舟(かつかいしゅう) 漢詩 ...
13. あかしはん【明石藩】
国史大辞典
なえ砲台を築き、洋式砲術の訓練を始めた。明石―垂水海岸で十二の砲台をおき、なかでも舞子砲台は勝海舟の設計によるもので、文久三年(一八六三)には十四代将軍徳川家茂 ...
14. あかまつこさぶろう【赤松小三郎】
国史大辞典
学び、さらに下曾根金三郎に蘭学・砲術を学ぶ。安政元年(一八五四)、同藩赤松弘の養嗣子となり、勝海舟に学ぶ。翌二年勝に従い長崎に赴き、オランダ人の海軍伝習に参加し ...
15. あかまつ-こさぶろう【赤松小三郎】
日本人名大辞典
幕末の兵法家。天保(てんぽう)2年4月4日生まれ。信濃(しなの)(長野県)上田藩士。内田五観(いつみ),勝海舟にまなび,長崎の海軍伝習所にはいる。京都で鹿児島藩 ...
16. 赤松則良
世界大百科事典
継ぎ吉沢大三郎を赤松則良と改名。オランダ語を学び,長崎海軍伝習所に派遣され,測量術,航海術などを研修,勝海舟を知る。60年遣米使節として咸臨丸で渡米。62年西周 ...
17. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 223ページ
東洋文庫
地理、天文を初め航海測量、帆船等に関する西洋学の基本や知識というものをこの時習ったことであろう(勝海舟はその語 ...
18. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 224ページ
東洋文庫
既にこの時代に約束されていたということが出来る。同時に彼はここで多くの有益な友人を得ている。就中彼はここで直接勝海舟に教えを受けたが、勝は彼にとって兄貴であり、 ...
19. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 225ページ
東洋文庫
出帆して一路アメリカへ向い、その年の五月六日に無事に帰国した。なお長崎海軍伝習所や威臨丸渡航の記録については、勝海舟著『海軍歴史』に詳細な記録があり、文倉平次郎 ...
20. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 252ページ
東洋文庫
所の整備に参画、のち講武所奉行に転じ、ついで 京都町奉行、外国奉行、会計総裁、若年寄等を歴 任、勝海舟とともに幕府の最後を収拾した。維新 後も、東京府知事、教部 ...
21. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 264ページ
東洋文庫
授方。転じて海 軍に入り、柳楢悦(宗悦の父)の下で水路局副長 をつとめ、大佐のとき病死した。勝海舟の『海軍 歴史』の事実上の著者といわれる。肥田浜五郎〔天吾不発 ...
22. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 270ページ
東洋文庫
矢田堀景蔵(讃岐守)〔天尭一八七〕幕臣。字は監修、 明治後は名を鴻と改む。測量・算数に長じ、安政 二年(天至)勝海舟とともに長崎に下って海軍伝 習の中心となり、 ...
23. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 272ページ
東洋文庫
翌年戸田から帰国。のち提督。交渉 の前面に出なかったためか、日本側の記録には少 ない。たとえば勝海舟『海軍歴史』には「船将レ ツスキ」とある。ロシェス(ロッシュ ...
24. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 311ページ
東洋文庫
榎本武揚子菊版一冊明治四二年一月刊 一戸隆次郎著 嵩山房榎本武揚伝(勝海舟伝と合冊) 四六版一冊 昭和一九年六月刊 田中惣五郎著 日本海軍図書榎本武揚 B6版一 ...
25. 浅田宗伯
日本大百科全書
1865年フランス公使ロッシュの難病を治療して、その名声は国の内外に響き、また明治維新の際、国事に奔走し、勝海舟や西郷隆盛と折衝して江戸を戦火より救った。187 ...
26. あねがこうじきんとも【姉小路公知】
国史大辞典
四月には石清水社行幸に供奉した。同月摂海防衛巡検の朝命を受け、長州藩士ら七十余人を随えて大坂に下り、軍艦奉行並勝海舟より摂海防禦策を聞き、かつ順動丸に乗って兵庫 ...
27. 阿部正弘
世界大百科事典
外交姿勢では,岩瀬忠震(ただなり)らの影響もあり,開国論や貿易による富国強兵を唱えるに至った。また,岩瀬や勝海舟,筒井政憲らの人材を登用したほか洋学所(蕃書調所 ...
28. あみや-きちべえ【網屋吉兵衛】
日本人名大辞典
江戸時代後期の公共事業家。天明5年生まれ。兵庫港の整備,拡充をこころざし,安政2年神戸村に港を完成した。のち勝海舟(かいしゅう)の進言によりここに幕府海軍操練所 ...
29. アメリカ合衆国画像
日本大百科全書
その警護の名目で太平洋を渡った咸臨(かんりん)丸の一行ともども、アメリカ文明について見聞を広めてきた。勝海舟、横井小楠(しょうなん)、坂本龍馬(りょうま)など維 ...
30. あらいいくのすけ【荒井郁之助】
国史大辞典
収を不満とし、同年四月海軍副総裁榎本武揚に率いられて品川沖から房州館山に脱走したが、陸軍総裁勝海舟に説諭されて品川沖に帰航した。ついで八月十九日の夜、榎本ととも ...
31. いけがみほんもんじ【池上本門寺】東京都:大田区/池上村地図
日本歴史地名大系
の墓、山内寺院の南之院墓地に将軍家御用絵師狩野探幽の墓がある。江戸開城前に西郷隆盛(南洲)と勝海舟が会見したという松濤園も保存されている。また日惺が天正一八年に ...
32. いしい-たかし【石井孝】
日本人名大辞典
研究。平成8年5月6日死去。86歳。栃木県出身。東京帝大卒。著作に「明治維新の国際的環境」「勝海舟」「戊辰戦争論」など。 ...
33. いのうえ-おさむ【井上修】
日本人名大辞典
い),田口江村にまなぶ。尊王攘夷(じょうい)をとなえ,文久3年藩の周旋方となる。武田耕雲斎,勝海舟らと交流した。明治2年藩校の教授,廃藩後は海軍省,図書寮(ずし ...
34. 岩瀬忠震
日本大百科全書
翌年さらに免職、蟄居(ちっきょ)を命ぜられたが、直弼も忠震の外交における功績は高く評価した。勝海舟らの人材を登用し、開明派官僚の第一人者と目された。江戸・向島( ...
35. いわせただなり【岩瀬忠震】画像
国史大辞典
兼ねて以来、正弘の幕政改革を補佐して、講武所・蕃書調所・長崎海軍伝習所の創設に関与した。また勝海舟・矢田堀鴻らの俊才の登用を正弘に進言し、常に開国論を唱えて外交 ...
36. 巌本善治
日本大百科全書
実践した。同校廃校後は実業方面に転じた。彼の編になる『海舟座談(かいしゅうざだん)』(1930)は、勝海舟の口を通して語られる幕末から明治にかけての為政者の姿と ...
37. うえのひこま【上野彦馬】
国史大辞典
同十年には西南戦争の情況を撮影した。いずれもわが国最初の写真記録である。彼は交友内外にきわめて広く、勝海舟や榎本武揚らはかつての同窓であり、また維新の際には高杉 ...
38. うどの-だんじろう【鵜殿団次郎】
日本人名大辞典
文久2年幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)教授。慶応3年目付となり,鳥羽・伏見の戦いののち勝海舟とともに恭順論をとなえた。明治元年12月9日死去。38歳。名は ...
39. うめ‐やしき【梅屋敷】
日本国語大辞典
つれて梅屋(ウメヤ)しきの七くさから、蓮華寺の大師さまへお参り申ませう」〔四〕東京都江戸川区平井にあった勝海舟の別荘の通称。明治初期から呼ばれた。〔五〕東京都大 ...
40. 江戸開城
日本大百科全書
3月15日と決定した。東帰後の慶喜は抗戦の意志をもたないわけでもなかったが、やがて恭順の姿勢を示し、後事を勝海舟(かつかいしゅう)、大久保忠寛(ただひろ)に託し ...
41. 江戸開城
世界大百科事典
(たるひと)親王以下の新政府軍は,3月6日江戸城進撃の日を3月15日と決めた。旧幕府陸軍総裁勝海舟(安房)は,山岡鉄舟(鉄太郎)を大総督府参謀西郷隆盛のもとに派 ...
42. 江戸開城
日本史年表
1868年〈慶応4明治元(9・8) 戊辰④〉 3・13( 4・5 ) 旧幕府陸軍総裁勝海舟、大総督府参謀西郷隆盛と会談、翌14日、再度会談し 江戸開城 に合意 ...
43. 江戸参府紀行 342ページ
東洋文庫
元年〔一八六口文久 二年〔一八六二〕・安政の大獄始まり、吉田松陰らを処刑。一乗院から鳴滝へ移る。・勝海舟ら、成臨丸でアメリカへ渡航。・井伊直弼、桜田門外に殺害さ ...
44. えどじょう‐あけわたし[えどジャウ‥]【江戸城明渡】
日本国語大辞典
一一日、前将軍徳川慶喜追討の政府軍に、徳川家が謝罪の条件として江戸城を無血で明け渡したこと。勝海舟と西郷隆盛の会見で実現し、江戸を戦火から救った。エドジョーアケ ...
45. えどじようあと【江戸城跡】東京都:江戸・東京/東京地図
日本歴史地名大系
に敗れ、慶喜は江戸に逃れた。これを追討する新政府軍は江戸城に総攻撃をしかけることになったが、勝海舟と西郷隆盛の会談で総攻撃は回避され、四月一一日に無血開城された ...
46. えどばくふしりょう【江戸幕府史料】
国史大辞典
は幕府財政の重要史料である。また向山誠斎『向山誠斎雑記』、大田南畝『竹橋蠹簡』『竹橋余筆』、勝海舟『吹塵録』などもこの種の史料を集めたものである。幕府諸役所の史 ...
47. えのもとたけあき【榎本武揚】
国史大辞典
箱館奉行堀織部正利煕に従い箱館に赴く。安政三年(一八五六)四月長崎の海軍伝習所に第二期生として入所。勝海舟の指導を受く。同五年六月江戸築地の海軍操練所の御軍艦操 ...
48. 榎本武揚[文献目録]
日本人物文献目録
西伯利亜日記 2巻2冊』榎本武揚『類聚伝記大日本史 13』-『日本電気技術者伝』田村栄太郎『勝海舟榎本武揚伝』田中惣五郎『榎本武揚 明治日本の隠れたる礎石』加茂 ...
49. おおいし-まどか【大石円】
日本人名大辞典
1830*−1916 幕末の武士。文政12年12月17日生まれ。土佐高知藩の郷士。文久元年洋学研究のため江戸で勝海舟の門にはいる。同年武市瑞山(たけち-ずいざん ...
50. 大久保忠寛画像
日本大百科全書
奉行を一時務め、それを最後に退隠、一翁(いちおう)と称した。松平慶永(よしなが)とも親しく、勝海舟(かつかいしゅう)の門下でもあり、外国事情に関心をもつ開明的な ...