1. 徳川慶喜画像
日本大百科全書
江戸幕府第15代、最後の将軍。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の第7子で幼名七郎麿(しちろうまろ)、または昭致(あきむね)。字(あざな)は子邦、刑部卿(ぎょうぶきょ ...
2. 徳川慶喜[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵 ...
3. 徳川慶喜
世界大百科事典
1837-1913(天保8-大正2) 江戸幕府15代将軍。烈公斉昭(なりあき)を父として水戸徳川家に生まれたが,12代将軍家慶(いえよし)に見込まれて1847年 ...
4. とくがわ‐よしのぶ【徳川慶喜】
日本国語大辞典
江戸幕府第一五代将軍。水戸藩主斉昭の七男。幼名七郎麿、諱昭致。弘化四年(一八四七)一橋家を継ぐ。将軍継嗣問題で家茂と争って敗れた。文久二年(一八六二)将軍後見職 ...
5. とくがわよしのぶ【徳川慶喜】画像
国史大辞典
[参考文献]渋沢栄一『徳川慶喜公伝』、徳川慶喜公伝編纂所編『昔夢会筆記』、宮内省編『孝明天皇紀』、同編『明治天皇紀』、藤井貞文『宿命の将軍徳川慶喜』、松浦玲『 ...
6. 德川慶喜(とくがわよしのぶ)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 30ページ ...
7. とくがわ-よしのぶ【徳川慶喜】画像
日本人名大辞典
1837−1913 江戸幕府15代将軍。在職1867*-68*。天保(てんぽう)8年9月29日生まれ。常陸(ひたち)水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の7男。母は徳川 ...
8. 徳川慶喜[文献目録]
日本人物文献目録
辞退』森谷秀亮『徳川慶喜』渡辺轍『徳川慶喜公』嶋田三郎『徳川慶喜公』萩野由之『徳川慶喜公の御直話に就ての談話』藤井甚太郎『徳川慶喜公の政権奉還に就いて』井野辺茂 ...
9. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談
東洋文庫
最後の将軍徳川慶喜は,毀誉褒貶にかこまれてその実体が捉えがたい。本書は私家版として25部だけひそかに刷られ,以後公刊されることのなかった稀覯本。読書人垂涎の書で ...
10. 徳川慶喜印[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
11. 『徳川慶喜公伝』
日本史年表
1918年〈大正7 戊午〉 この年 渋沢栄一 『徳川慶喜公伝』 刊。 ...
12. とくがわよしのぶこうでん【徳川慶喜公伝】
国史大辞典
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の伝記。全八巻。著者渋沢栄一。大正七年(一九一八)刊。渋沢が慶喜の雪寃を考え私費を投じて編纂したもの。明治二十六年(一八九三)ころか ...
13. 徳川慶喜公伝 3
東洋文庫
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完 ...
14. 徳川慶喜公伝 4
東洋文庫
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完 ...
15. 徳川慶喜公伝 1
東洋文庫
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完 ...
16. 徳川慶喜公伝 2
東洋文庫
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完 ...
17. とくがわよしのぶせいけん【徳川慶喜政権】 : 文久・慶応期
国史大辞典
〔徳川慶喜政権〕 徳川慶喜は、朝廷の管理を強化して、天皇の権威の独占をはかった。フランスとの提携をふかめ、また、広範な幕政改革に着手した。慶応幕政改革である。 ...
18. 会津戦争画像
日本大百科全書
戊辰(ぼしん)戦争のなかの一戦争。1868年正月の鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いののち、維新政府は徳川慶喜(よしのぶ)、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平 ...
19. 会津戦争
世界大百科事典
1868年(明治1)1月の鳥羽・伏見の戦後,新政府は,会津藩主松平容保(かたもり)を徳川慶喜に次ぐ朝敵とし,奥羽鎮撫総督に沢為量(ためかず),のち九条道孝を任命 ...
20. あおまつばじけん【青松葉事件】
国史大辞典
で公武合体策の推進力として期待された。同年十二月、慶勝は朝命により畿内の警衛を命ぜられ、将軍徳川慶喜の大政奉還上奏後も、福井藩主松平慶永とともに慶喜の自発的な辞 ...
21. あかさかひかわちよう【赤坂氷川町】東京都:港区/旧赤坂区地区地図
日本歴史地名大系
兵庫(現兵庫県神戸市兵庫区)に出張、薩長などの他藩士と交流し、閉門にもなりながら献策もして江戸開城談判、徳川慶喜助命に成功するなど生涯でもっとも活躍した時代を送 ...
22. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 248ページ
東洋文庫
一時差控えを命ぜられたが、のち 外国奉行、勘定奉行、陸軍奉行、若年寄を歴任。 維新後次郎八と改名、徳川慶喜の水戸退去、謹慎 に随行した。荒井郁之助〔天三五-冗究 ...
23. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 275ページ
東洋文庫
首尾を果たす。慶応四年 毛歳 一月、パリの栗本公使より、前年十月明治元年 将軍徳川慶喜大政奉還の報を受け、帰 (天六八) 国を決意する。 ...
24. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 290ページ
東洋文庫
行わしめた。この改革の眼目とし、海軍拡張のためにアメリカに軍艦建造の注文となったのである(『徳川慶喜公伝』2、東洋文庫95、七〇ページ)。このアメリカに対する軍 ...
25. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 302ページ
東洋文庫
相手に万丈の気焔をはいた。榎本が艦長、沢が副長となって、軍艦奉行矢田堀鴻司令官の下で海上警備に当り、徳川慶喜の大坂敗走の際にその搭乗艦となったo縦横の活躍にもか ...
26. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 308ページ
東洋文庫
参考文献 一、単行本徳川慶喜公伝 四冊 東洋文庫 昭和四二年四月一四三年一月刊渋沢栄一若干凡社 原本八冊(本伝四冊、資料編三冊、索引一冊) 大正七年 ...
27. 浅野長勲
日本大百科全書
月薩長(さっちょう)2藩と三藩挙兵討幕の盟約を結びながら、土佐藩の公議政体論にも共鳴し、将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還を勧告した。また、王政復古になると議定 ...
28. あさのながこと【浅野長勲】
国史大辞典
。広島藩は同年九月薩長二藩と三藩挙兵討幕の盟約を結んだが、高知藩の公議政体論にも共鳴し、将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告した。長勲は同年十一月率兵入京し、十二月王政 ...
29. あさの-ながこと【浅野長勲】
日本人名大辞典
安政5年安芸(あき)広島新田藩主浅野家6代。明治2年本藩をつぎ安芸広島藩主浅野家12代。この間将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還をすすめるなど,国事に奔走。維新 ...
30. あさひこしんのうにっき【朝彦親王日記】
国史大辞典
同元年七月十九日の禁門の変に先立つこと四日前に始まり、慶応三年十月十四日の討幕の密勅降下と将軍徳川慶喜の大政奉還奏請という大事件のわずか半月以前に終っているこの ...
31. あつこじょおう【敦子女王】
日本人名大辞典
大正-昭和時代前期の皇族。明治40年5月8日生まれ。伏見宮博恭王(ひろやすおう)の第2王女。母は徳川慶喜(よしのぶ)の9女経子。大正15年伯爵で動物学者の清棲幸 ...
32. 天野八郎
世界大百科事典
や,徳川氏の受けた朝敵の汚名をそそごうと幕臣たちを集め,彰義隊を組織して副頭取となる。前将軍徳川慶喜などの説得にも応ぜず,上野寛永寺を本拠として官軍に抵抗。敗軍 ...
33. アメリカ彦蔵自伝 1 279ページ
東洋文庫
二十五日)あるいは九月二十三日(十酬 月十四日)、将軍家茂が、政事総裁職の 松平慶永、後見職の徳川慶喜らをしたが えて、浜庭(のちの浜離宮)に ...
34. アメリカ彦蔵自伝 1 291ページ
東洋文庫
伝えられるところによれば、この会談でフランスの海軍司令官は奉行に「いったいミカドが将軍に対し、一橋〔徳川慶喜〕に外国人を国外に追放するように指令せよ、と命じたと ...
35. アメリカ彦蔵自伝 1 294ページ
東洋文庫
戦争に巻き込む危険に直面するよりも、賠償を支払うようにとの沙汰をうけたものと推測した。 注 将軍後見職の徳川慶喜は、すでに六月 二十三日(旧五月八日) ...
36. アメリカ彦蔵自伝 2 138ページ
東洋文庫
貴下が帝国の福祉を増進するため、陛下に協力するよう要請せよとのご沙汰があった」。 注 ここに掲げられた徳川慶喜の建白は一 八六八年一月の日付になってい ...
37. アメリカ彦蔵自伝 2 285ページ
東洋文庫
政復古のクーデタi(一・三)。◇鳥羽・伏見の合戦 (一・老)。◇徳川慶喜は二月に江戸に帰り、以後は謹慎。江戸の開城は五月三日。 ◇維 ...
38. あらしけいし【嵐圭史】[付録]
歌舞伎事典
郎、平成17・11前進座劇場《五重塔》ののっそり十兵衛、平成21・5国立劇場《江戸城総攻》の徳川慶喜などを演じる。平成22芸術選奨文部科学大臣賞 口跡よし姿よし ...
39. アラビアン・ナイト 2 5ページ
東洋文庫
拠馬伽㎜訳著 訳注著編訳著訳著訳訳説述訳著6972幕末外交談12全二巻 妬㎜ 撒一訳瀦76昔夢会筆記〈徳川慶喜公回想談〉搬触保群論校諦79加波山事件〈民権派激 ...
40. ありすがわのみやひ-さだこ【有栖川宮妃貞子】
日本人名大辞典
)親王の妃。嘉永(かえい)3年10月27日生まれ。徳川斉昭(なりあき)の11女。慶応3年将軍徳川慶喜(よしのぶ)の養女となり,明治3年熾仁親王と結婚。和歌を小池 ...
41. あわおきのかいせん【阿波沖の海戦】
国史大辞典
発射し、勝敗の決しないまま日没に至って戦闘を終了した。この後開陽丸は大坂沖に引き返し、やがて将軍徳川慶喜らを乗せて同月十二日江戸に帰った。また春日丸は、土佐沖を ...
42. 安政の大獄画像
日本大百科全書
雄藩合議制を主張する家門・外様大名の一派は一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)(斉昭の第7子。のちに徳川慶喜)を将軍継嗣にしようとし(一橋派)、他方、幕閣独裁をとろう ...
43. あんどうくぜせいけん【安藤・久世政権】 : 文久・慶応期
国史大辞典
すすめ幕府権力強化を計った。他方では、井伊政権の強圧方針は継承せず、朝廷・雄藩には宥和的な姿勢をとった。徳川慶喜・徳川慶勝・松平慶永・山内豊信等々、一橋派の大名 ...
44. アーネスト・サトウ伝 65ページ
東洋文庫
大君が兵馬を引き連れて京都に進軍するとの姿勢を示すとともにさらに大君の親戚にあたる一橋〔後の徳川慶喜。この時禁裏守衛総督として朝議において勅許を強く主張〕が天皇 ...
45. アーネスト・サトウ伝 73ページ
東洋文庫
重要視されるようになった。つまり条約の天皇による批准を、かねてから積極的に求めてぎたのがこの徳川慶喜なのであった。この局面において彼が将軍の地位に就いたことは日 ...
46. アーネスト・サトウ伝 79ページ
東洋文庫
奏請する将軍徳川慶喜の慶応三年(一八六七年)四月九日付の上奏文(『徳川 慶喜公伝』)〕。 恐怖の襲撃 掛川の一夜 自分より年長であるとともに、父・孝明天皇の ...
47. アーネスト・サトウ伝 92ページ
東洋文庫
れる 一八六八年一月四日京都御所から次のような勅令が出された。 「将軍の退位を了承する」〔徳川慶喜に辞官・納地を命ずる〕この短い言葉を以て天皇の体制が日本帝国 ...
48. アーネスト・サトウ伝 180ページ
東洋文庫
条約にも用いられていることからみて大君として使用される多少の根拠はあるとしている。(19) 諸侯会議 徳川慶喜は一八六六年に将軍に就任すると、諸侯を召集して征長 ...
49. いくしま【幾島】
日本人名大辞典
が将軍徳川家定と結婚したさい将軍夫人付老女として江戸城大奥にはいる。将軍継嗣問題がおきたとき徳川慶喜(よしのぶ)を擁立する西郷隆盛と天璋院との間を斡旋(あっせん ...
50. いけだ-もちまさ【池田茂政】
日本人名大辞典
1839−1899 幕末の大名。天保(てんぽう)10年10月11日生まれ。水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の9男。徳川慶喜(よしのぶ)の弟。池田慶政(よしまさ)の養 ...