1. 岩倉具視画像
日本大百科全書
幕末・明治前期の政治家。公卿(くぎょう)として三条実美(さんじょうさねとみ)とともに明治政府の最高指導者の位置にあった。前権中納言(ごんちゅうなごん)堀河康親( ...
2. 岩倉具視[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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3. 岩倉具視
世界大百科事典
1825-83(文政8-明治16) 明治維新期における公卿出身の政治家。権中納言堀河康親の次男。養父は岩倉具慶(ともやす)。幼名は周丸(かねまる),号は対岳。1 ...
4. いわくら‐ともみ【岩倉具視】
日本国語大辞典
公卿。政治家。京都の人。号は対岳。堀河康親(やすちか)の子。岩倉具慶(ともやす)の養子。公武合体を唱え、和宮(かずのみや)降嫁を策して、四奸の一人とされ、文久二 ...
5. いわくらともみ【岩倉具視】
国史大辞典
華族令の制定により嗣子具定は公爵に列する。 [参考文献]『岩倉具視関係文書』(『日本史籍協会叢書』)、『岩倉贈太政大臣集』、宮内省編『岩倉公実記』、徳富猪一郎『 ...
6. 岩倉具視
日本史年表
) 朝廷、 岩倉具視 ら公武合体派公卿を蟄居処分とし、辞官・落飾を請願させる(維新史料綱要)。 1871年〈明治4 辛未〉 10・8( 11・20 ) 欧米各国 ...
7. いわくら-ともみ【岩倉具視】画像
日本人名大辞典
1825−1883 幕末-明治時代の政治家。文政8年9月15日生まれ。堀河康親の次男。岩倉具慶(ともやす)の養子。嘉永(かえい)7年孝明天皇の侍従。公武合体をと ...
8. 岩倉具視[文献目録]
日本人物文献目録
適律』深谷博治『岩倉具視』大久保利謙『岩倉具視』時野谷勝『岩倉具視を想う 1‐2 明治憲法制定前史』藤井新一『岩倉具視』森谷秀亮『岩倉具視 その思想と行動』中島 ...
9. いわくらともみかんけいもんじょ【岩倉具視関係文書】
国史大辞典
日本史籍協会編、八冊(昭和二年―十年刊、昭和四十三―四十四年再刊)。岩倉具視旧蔵文書は、その地位から幕末明治初期の中央政局史研究の基礎史料である。岩倉の没後そ ...
10. いわくらともみけんぽういけんしょ【岩倉具視憲法意見書】
国史大辞典
明治十四年(一八八一)七月右大臣岩倉具視の提出した憲法意見書。憲法大綱領ともいう。同二十二年に制定された大日本帝国憲法の起草方針と基本的性格を示したものとして ...
11. いわくらともみゆうせいきゅうたく【岩倉具視幽棲旧宅】京都市:左京区/岩倉村地図
日本歴史地名大系
[現]左京区岩倉上蔵町 岩倉実相院の門前近くに位置。維新の元勲と称された岩倉具視が、その主張する公武合体論が敗れて文久二年(一八六二)より五年間、幽棲した屋敷。 ...
12. 青木周蔵自伝 34ページ
東洋文庫
仮令半年又一年間の学期を延長するも、規定の試験に応ずるの心算なりき。是れ(明治四年)恰も日本政府が岩倉具視公を正使となし、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚 ...
13. 青木周蔵自伝 36ページ
東洋文庫
述べると共に、各国の制度・法律、理財・会計、教育の三分野について視察・ 研究を命じた。使節団は岩倉具視を特命全権大使とし、副使に木戸・大久保・伊藤・山口の大 物 ...
14. 青木周蔵自伝 38ページ
東洋文庫
第四回 木戸孝允副使との宗教論 其の後、大使〔岩倉具視遣欧使節〕の一行米国を発して倫敦に到著したる時〔明治五年七月十三日〕に方り、木戸〔孝允〕副使より ...
15. 青木周蔵自伝 118ページ
東洋文庫
廟堂に於て欧米諸国に大使を派遣し、彼国の実況を視察せしむるの議起り、遂に其年十月八日、外務卿岩倉具視を右大臣に任じ、特命全権大使として欧米に派遣し、締盟各国を訪 ...
16. 青木周蔵自伝 351ページ
東洋文庫
従来の近代政治史研究、近代の人物研究は、主にトップリーダー側の史料によって書かれて来た。『伊藤博文秘録』、『岩倉具視関係文書』、『大久保利通日記』、『木戸孝允日 ...
17. 青木周蔵自伝 354ページ
東洋文庫
一 政府要人、とくに長州系要人への工作で、太政大臣三条実美、右大臣岩倉具視はじめ、長州出身の木一尺井上、伊藤、山県、桂太郎などに、ベルリンから書翰で、或いは帰国 ...
18. 青木周蔵自伝 360ページ
東洋文庫
伊藤博文ら憲法調査の ためベルリン到着・七月二十七日、予議会終る・七月、壬午の変おこる・七月、岩倉具視麗去・フランス、日本へ清への共同攻撃を 提案・十二月、甲申 ...
19. 赤坂喰違の変
日本大百科全書
1874年(明治7)1月14日、右大臣岩倉具視(ともみ)が征韓派の不平士族に襲撃された事件。前年10月、征韓論争によって明治政府内部が分裂した結果、敗退した征韓 ...
20. あかさかくいちがいのへん【赤坂
違の変】
国史大辞典
明治七年(一八七四)一月十四日夜、東京赤坂喰違見附で右大臣岩倉具視が襲撃され、負傷した事件。前年十月二十四日、征韓論が破裂し、征韓派の参議西郷隆盛・板垣退助ら ...
21. 赤坂喰違の変
日本史年表
1874年〈明治7 甲戌〉 1・14 右大臣 岩倉具視 、高知県士族武市熊吉らに襲われ負傷( 赤坂喰違の変 、7月9日、犯人斬罪)。 ...
22. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 259ページ
東洋文庫
ついで慶応三年(一八宅)向山 隼人正の副使として渡仏。維新後は外務少丞をへ て一等書記官に進み、明治四年岩倉具視一行の欧 州派遣に随行、同七年台湾事件に際しては ...
23. あさかそすい【安積疏水】福島県:郡山市
日本歴史地名大系
大にしたという(安積疏水誌)。一〇月一日開成山大神宮社前で安積疏水完工式典が行われた。右大臣岩倉具視・宮内卿徳大寺実則・大蔵卿松方正義・農商務卿西郷従道をはじめ ...
24. 浅野長勲
日本大百科全書
ょう)として小御所(こごしょ)会議に出席、山内豊信(やまうちとよしげ)の慶喜擁護論にくみして岩倉具視(ともみ)に説得される。1869年(明治2)広島藩主、ついで ...
25. あさのながこと【浅野長勲】
国史大辞典
入京し、十二月王政復古となると、議定に任じて小御所会議に出席、山内豊信の慶喜擁護論に与したが岩倉具視に説得された。明治元年(一八六八)正月鳥羽・伏見の戦後、議定 ...
26. あねがこうじきんとも【姉小路公知】
国史大辞典
次第に志士からも嘱目され、文久二年(一八六二)八月実美ら十二人と連署して、和宮降嫁に尽力した久我建通・岩倉具視らを弾劾した。九月には実美を正使、公知を副使とする ...
27. アメリカ彦蔵自伝 2 33ページ
東洋文庫
〔千種有文〕この三人はミカドの台閣の最高位にあった。京都市中より永久に追放さる。岩倉、前中将 〔岩倉具視〕富小路、中務大輔 〔富小路敬直〕藤井、式部永久に ...
28. アメリカ彦蔵自伝 2 34ページ
東洋文庫
として、いわゆる「四妊二嬢」を名ざした。それは、次の人びとである。 久我建道 内大臣 岩倉具視 左近衛中将 千種有文 左近衛権少将 富小路敬直 中 ...
29. アメリカ彦蔵自伝 2 130ページ
東洋文庫
土佐藩の構想も、また然りである。 しかし倒幕派の運動はすさまじくつづ けられた。そして岩倉具視と薩摩藩の代 表(大久保利通、西郷隆盛ら)は、ひそ ...
30. アメリカ彦蔵自伝 2 170ページ
東洋文庫
が末ながく続くよう、照国大明神に納めること を命ずる。 一八七〇年、明治三年十二月注 岩倉具視を通じて島津久光に賜わった 勅語の原文(読みくだし)は ...
31. アメリカ彦蔵自伝 2 205ページ
東洋文庫
も、かの地で全幅の厚情を寄せられることは期待しがたい、と主張したのであった。 注 右大臣岩倉具視を大使とする全権団 ...
32. アメリカ彦蔵自伝 2 209ページ
東洋文庫
た。 岩倉具視の遭難 一八七四年一月。芝の増上寺の壮麗な伽藍が焼失した。 一月十四日には第二国務長官の岩倉〔右大臣たる岩倉具視〕が ...
33. アメリカ彦蔵自伝 2 287ページ
東洋文庫
委嘱された。 ・ 〈一九一 二i O明年一月より太陽暦を採用。 〈葬◇一月、岩倉具視が薩摩に派遣せられた。 △ ...
34. アメリカ彦蔵自伝 2 288ページ
東洋文庫
0東京にて大蔵省への勤務をつづけて いる。 一八七四 一.西 ○右大臣岩倉具視の遭難。 全9 〔明治七〕 一一.一 ...
35. アーネスト・サトウ 神道論 164ページ
東洋文庫
岩倉具視の腹心)や矢野の意を具視が受け入れたもの。維新後は神祇省事務局判事、内国事務権判事を経て文部省修史館御用係などを歴任して明治初期の文教行政や神道国教化政 ...
36. アーネスト・サトウ伝 186ページ
東洋文庫
佐賀出身で長崎でフルペッキから英学を教えられた大隈重信は、イギリス式の議会政治の導入に熱心であったが、岩倉具視、伊藤博文らは欧米回覧に当ってプ・イセン・ドイツが ...
37. いいだたけさと【飯田武郷】画像
国史大辞典
慶応二年(一八六六)に家督を長男武夫に譲り、権田直助・落合直亮らと共に江戸薩摩屋敷と連絡をとったり、上洛して岩倉具視に献策するなど、東西に奔走した。王政復古後、 ...
38. イギリス画像
日本大百科全書
整えるのに大きな貢献をした。 明治時代の日英関係の劈頭(へきとう)を飾ったのは、岩倉使節団の派遣であった。正使岩倉具視(いわくらともみ)をはじめ木戸孝允(きどた ...
39. イギリスこうししゅうげきじけん【イギリス公使襲撃事件】
国史大辞典
大いに驚いた新政府は、外国事務局督晃親王を知恩院に派遣してパークスを慰問し、副総裁三条実美・同岩倉具視も連署してこれに謝した。かくて三月三日パークスは諸藩兵厳戒 ...
40. 一世一元の制
日本大百科全書
(みん)・清(しん)朝においてみられたものである。日本では1868年(明治1)明治維新に際し岩倉具視(ともみ)の主張に基づき、行政官布告第1号によって一世一元の ...
41. いっせいいちげんのせい【一世一元の制】
国史大辞典
行われた。由来天皇が登祚したのちの改元は、即位の翌年に行われる慣例であったが、この時にあたり岩倉具視は、従来幕府が年号採択の実権を持ち、朝廷はただ古例によって儀 ...
42. 伊藤博文
世界大百科事典
現した。大蔵少輔に転じ民部少輔を兼任,鉄道建設や貨幣制度の改革を推進した。さらに71年には遣外大使岩倉具視の副使となって米欧に出張(岩倉使節団),その間に同行し ...
43. いとうひろぶみ【伊藤博文】
国史大辞典
同六年帰朝後、政府の征韓論争に直面した彼は、終始内治の整備・近代化優先の立場において非征韓を主張し、岩倉具視・木戸・大久保らを援けて奔走画策した。この論争による ...
44. いとうひろぶみもんじょ【伊藤博文文書】
国史大辞典
なおこの『秘書類纂』は、昭和八年(一九三三)―十一年、二十四冊として刊行された。(三)諸家の来翰は、皇族・岩倉具視・三条実美・木戸孝允・大久保利通らの重要人物の ...
45. いのうえ-いわみ【井上石見】
日本人名大辞典
。藤井良節の弟。薩摩(さつま)鹿児島藩士。鹿児島諏訪神社の神職の子。万延元年上京。兄とともに岩倉具視(ともみ)ら討幕派の公家と藩との連絡をはかる。慶応4年新政府 ...
46. いのうえかおるもんじょ【井上馨文書】
国史大辞典
文書は井上馨宛の来翰三千五百通、関係書類千三百点余からなる幕末・明治・大正期の政治史料である。書翰は三条実美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山県有朋 ...
47. 井上毅画像
日本大百科全書
1873年に帰国するや、盛んに政府首脳部に対して献策し、しだいに大久保利通(おおくぼとしみち)、岩倉具視(いわくらともみ)、伊藤博文(いとうひろぶみ)らの信任を ...
48. 井上毅
世界大百科事典
司法省に出仕,72-73年渡欧し,主としてフランスで司法制度を調査した。帰国後,大久保利通,岩倉具視,続いて伊藤博文に協力して,枢機に関与した。とくに明治14年 ...
49. いのうえこわし【井上毅】画像
国史大辞典
翌年兼地方官会議御用掛、ついで兼内務大書記官となる。このころ、伊藤博文のために「教育議」を起草した。これから、岩倉具視・伊藤らの命で各種の意見書の起案をするよう ...
50. いのうえ-こわし【井上毅】画像
日本人名大辞典
れ。司法省につとめ,明治5年渡欧して司法制度をまなぶ。大久保利通に登用されて頭角をあらわし,岩倉具視(ともみ)の側近として明治十四年の政変を画策。19年から伊藤 ...