1. 福沢諭吉画像
日本大百科全書
明治時代の啓蒙(けいもう)思想家、慶応義塾の創立者。天保(てんぽう)5年12月12日、大坂の中津(なかつ)藩蔵屋敷で、13石二人扶持(ぶち)の藩士福沢百助(ひゃ ...
2. 福沢諭吉[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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3. 福沢諭吉
世界大百科事典
1834-1901(天保5-明治34) 明治の思想家,教育者。豊前中津藩の蔵屋敷で廻米方を勤める百助の次男として大坂に生まれる。数え年3歳で父を失い中津に帰る。 ...
4. ふくざわ‐ゆきち【福沢諭吉】
日本国語大辞典
教育家、啓蒙思想家。慶応義塾の創立者。豊前国(大分県)の人。長崎に留学、ついで大坂の緒方洪庵の適塾に学び、のち江戸に蘭学塾を開いて子弟を教授。この間、独力で英学 ...
5. ふくざわゆきち【福沢諭吉】
国史大辞典
界』(『角川新書』八)、小泉信三『福沢諭吉』(『岩波新書』青五九〇)、遠山茂樹『福沢諭吉―思想と政治との関連―』(『UP選書』五八)、ひろたまさき『福沢諭吉』、 ...
6. ふくざわ-ゆきち【福沢諭吉】画像
日本人名大辞典
1835*−1901 幕末-明治時代の思想家。天保(てんぽう)5年12月12日生まれ。豊前(ぶぜん)中津藩(大分県)藩士。大坂の適塾でまなび,安政5年江戸で蘭学 ...
7. 福沢諭吉[文献目録]
日本人物文献目録
福沢諭吉』小林澄兄『福沢諭吉』宮下正美『福沢諭吉』吉田武三『福沢諭吉の若き日』浦上五六『日本近代化と福沢諭吉 日本憲政史上における福沢諭吉』中村菊男『福沢諭吉』 ...
8. ふくざわゆきちきゅうたく【福沢諭吉旧宅】大分県:中津市/中津城下/留守居町・弓町・小堀・南稲堀
日本歴史地名大系
[現]中津市中津 留守居町 中津城下の北東部の武家屋敷の中に残る。福沢諭吉は天保五年(一八三四)一二月一二日、大坂堂島(現大阪市北区)の中津藩蔵屋敷で生れた。父 ...
9. あい‐あ・う[あひあふ]【相合・相逢】
日本国語大辞典
、はじめて世をおこなはせ給ふに、あいあい参らせてめでたくある也」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「遂に敵対の勢を為して議論の相合ふことなし」(3)合 ...
10. あい‐い・れる[あひ‥]【相容】
日本国語大辞典
正直訳〉一・五「この両説は、互に相容(アヒイレ)ざるの仇敵なり」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉四・八「其勢両(ふたつ)ながら相容る可らず」*かのやうに〔 ...
11. あい‐う・つ[あひ‥]【相打】
日本国語大辞典
我とうちやうぞ」*四河入海〔17C前〕八・一「此での心は、浪と舟と相打つ声を云ぞ」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「父子相戦ひ兄弟相伐ち」*道草〔1 ...
12. あい‐がっ・す[あひ‥]【相合】
日本国語大辞典
〔自サ変〕(「あい」は接頭語)二つ以上のものが集まって一つになる。互いに一致する。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・二「譬へば、英と蘇格蘭(スコットラン ...
13. 愛国心[政治理論]
イミダス 2018
君愛国」のスローガンに見られるように君主主権と対外膨張の方向に利用されたが、それでも初期には福沢諭吉などに見られるように愛国は自由の契機と結びついていた。愛国心 ...
14. あい‐ことな・る[あひ‥]【相異】
日本国語大辞典
〔自ラ五(四)〕(「あい」は接頭語)互いに異なる。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉三・六「畢竟世の事物に於て議論と実際と相異なる可きの理なし」 ...
15. あい‐じん【愛人】
日本国語大辞典
愛すること。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉外・二「世人或は愛人の美名を買はんとして慢に政府の任を責め」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉五・九「仁 ...
16. あい‐せっ・する[あひ‥]【相接】
日本国語大辞典
相接するのあたりに於て」(2)互いに交わる。付き合う。交際する。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「唯人と人と相接して其心に思ふ所を言行に発露するの機 ...
17. あい‐そ【哀訴】
日本国語大辞典
悲しんで訴えること。人の同情心にうったえて頼み込むこと。哀願。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉外・二「固より国法を議定することを得ず唯時として国王に哀訴 ...
18. あい‐たい・する[あひ‥]【相対】
日本国語大辞典
其内西海は日本国へ相対(アヒタイ)し候」(2)互いに反対の立場に立つ。対立する。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「軽重長短善悪是非等の字は相対したる ...
19. あい‐ちかづ・く[あひ‥]【相近付】
日本国語大辞典
〕「Aichicazzuqi, u, ita (アイチカヅク)」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「斯の如く異説の両極相接するときは其勢必ず相衝(つき ...
20. あい‐つ・く[あひ‥]【相衝】
日本国語大辞典
〔自カ四〕(「あい」は接頭語)互いにぶつかり合う。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「斯の如く異説の両極相接するときは其勢必ず相衝(ツキ)て相近づく可 ...
21. あい‐つぐな・う[あひつぐなふ]【相償】
日本国語大辞典
や行為などで、不足、損失や罪過を補う。または、罪を許してもらう。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「或は其長短相償ふてこれがため双方の争論も和すること ...
22. あい‐てき【愛敵】
日本国語大辞典
〔名〕自分と反対の立場にある人、争うべき人などを愛すること。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉六・一〇「今の世界に行はるる各国の戦争と貿易との情実を尋れば、 ...
23. あい‐とう・ずる[あひ‥]【相投】
日本国語大辞典
あひとう・ず〔自サ変〕互いに一致する。ぴったりする。*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・一「此一段までは両説相投ずるが如くなれども」*家〔1910~11〕 ...
24. あい‐ともな・う[あひともなふ]【相伴】
日本国語大辞典
伴(アヒトモナ)ふ者無て、中有(ちうう)の途(みち)に迷ふらん」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・二「文明と政治と歩歩(ほぼ)相伴なはんことを欲するのみ ...
25. あい‐・にる[あひ‥]【相似】
日本国語大辞典
且(かつふ)は情を知らざるに相似て候へ共、斯(かか)る身には力無き次第にて候」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉四・七「中古の戦争と今の戦争と相似たればとて ...
26. あい‐ひ・す[あひ‥]【相比】
日本国語大辞典
王法と相比すべき理を存じて、弐(ふたごころ)なく忠戦を致す処に」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉緒言「二生相比し両身相較し」*焼跡のイエス〔1946〕〈石 ...
27. あい‐び【愛美】
日本国語大辞典
〔名〕美しいものを愛すること。*福翁百話〔1897〕〈福沢諭吉〉一二「我れは唯花を見て愛美(アイビ)の情を満足せしむるのみ」 ...
28. あい‐まい【曖昧】
日本国語大辞典
曖昧
」*文明論之概略〔1875〕〈
福沢諭吉〉緒言「既往を論ずるに臆測推量の曖昧(アイマイ)に陥ること少なくして」*自由艷舌女文章〔18
...29. あい‐まじわ・る[あひまじはる]【相交】
日本国語大辞典
求抄〔1529頃〕八「神意不接とは真実の心が、あいまじはらぬぞ」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉一・三「世間相交り人民相触れ、其交際愈(いよいよ)広く」( ...
30. あおきしゅうぞう【青木周蔵】
国史大辞典
福原越後の領内にある村学校晩成堂、豊後中津の手島仁太郎の塾で学ぶ。手島塾の橋本忠次郎に勤皇を教えられ、福沢諭吉の修学方法に傾倒する。慶応元年(一八六五)萩藩校明 ...
31. 青木周蔵自伝 7ページ
東洋文庫
同年〔安政七"万延元年〕或は其の翌年〔文久元年〕のことなりき。橋本氏は偶然、予に語りて曰く、 予の親戚に福沢諭吉なる者あり。今回、幕府より北米合衆国に派遣せら ...
32. 青木周蔵自伝 358ページ
東洋文庫
二二四・三月桜田門外の変五月、誠求堂で上等二級、塾長代理となる。橋本忠次郎に勤皇を教えられる福沢諭吉宅を訪ね、修学の方法を知る中津より藤曲村へ帰る能美隆庵の家塾 ...
33. あお‐ふだ[あを‥]【青札】
日本国語大辞典
〔名〕(1)青い色の札。特に、鉄道の青切符(中等、二等)をいった。*福翁自伝〔1899〕〈福沢諭吉〉一身一家経済の由来「青い切符を以て一寸(ちょい)と上等に乗込 ...
34. 青森(県)画像
日本大百科全書
利用して菊池九郎らにより東奥義塾(とうおうぎじゅく)が開校した。菊池は慶応義塾の出身であり、福沢諭吉の実学精神とキリスト教精神を基本とする学校であった。菊池九郎 ...
35. あかしちょう【明石町】
国史大辞典
原橋のそばに、旧赤穂浅野家鉄炮洲屋敷跡の碑があり、またその三叉路に『解体新書』訳出の所の碑と福沢諭吉の慶応義塾開設の碑がある。それは現在の聖路加国際病院が旧中津 ...
36. あか‐ずね【赤臑】
日本国語大辞典
〔名〕衣類でおおわないでむき出しになっている足のすね。*福沢先生浮世談〔1898〕〈福沢諭吉〉「往来する日本人が赤臑(アカズネ)を出して路傍を徘徊して居ると云へ ...
37. アカデミー
日本大百科全書
もつ帝国大学に改組されたが、その目的は「国家ノ須要(すよう)ニ応スル」学術研究と人材の養成にあった。民間では福沢諭吉の慶応義塾(1858)、新島襄(にいじまじょ ...
38. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 77ページ
東洋文庫
松平伯耆守抱医 木村宋俊 門生二人 木村摂津守従者 福沢諭吉 鼓手 斎藤留蔵 ...
39. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 81ページ
東洋文庫
米国船員便乗の経緯……此航海決行に就いては乗組士官には相当自信があったが、他からは随 分危ぶまれたもので、福沢諭吉氏の談に、 「威臨丸の航海は日本開闢以来 ...
40. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 89ページ
東洋文庫
一行と別れ遺憾ながら其盤桑港から引返すことにした。此一行中に私の従者が五人あったが、其一人が福沢諭吉先生であった。従者といふ名義ではあるが全く自費で行かれたので ...
41. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 91ページ
東洋文庫
小杉雅之進と医師二人、舶夫、火焚六十五人、予が従者を併せて九十六人とす。1下略1」 〔補四〕 木村摂津守の従者福沢諭吉……福沢氏は軍艦奉行の木村氏に随従を許され ...
42. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 95ページ
東洋文庫
祝砲発射笑話……今日では一笑話に過ぎないが、当時は技術上自他共に相当の不安があった ので、之に就いて福沢諭吉氏の談がある。 「海上恙なく桑港に着た。着くやいな ...
43. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 101ページ
東洋文庫
こと二十目許に過ぎなかったけれど精神的に受けた衝動は大なるものがあった。殊に明治文明の指 導者の一人である福沢諭吉氏が此行に加はつてみたことは他日氏の進路に多 ...
44. あが・る【上・揚・挙・騰】
日本国語大辞典
がってゐない」(4)(効果、実績などが)目立って出てくる。*学問のすゝめ〔1872~76〕〈福沢諭吉〉四・学者の職分を論ず「今日に至るまで未だ実効の挙るを見ず」 ...
45. あきたさきがけしんぽう【秋田魁新報】
国史大辞典
やがて明治中期の言論時代到来で、狩野らの近世末の儒学的教養では乗り切れず、同十五年一月十六日福沢諭吉門下の霞城大久保鉄作社主・編輯長上遠野富之助・印刷長狩野徳蔵 ...
46. あき‐だる【空樽】
日本国語大辞典
・鑓の権三重帷子〔1717〕上「四斗入の明樽(アキダル)下人に持せ」*福翁百話〔1897〕〈福沢諭吉〉五四「西洋の諺(ことわざ)に空樽(アキダル)の音は高しと云 ...
47. あき‐や【空家・空屋・明家】
日本国語大辞典
家同然の坂本の城。責(せめ)なりとも崩しなりとも、勝手次第に遊ばせ」*福翁自伝〔1899〕〈福沢諭吉〉老余の半生「生徒散じ教員去て塾が空屋(アキヤ)になれば」* ...
48. あく‐い【悪意】
日本国語大辞典
善意・好意。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉外・三「抑抑富有の人は唯国法に従ふのみを以て其処置を尽せりとす可らず、法の禁ずると否とに拘はらず都て其私財 ...
49. あく‐えき【悪疫】
日本国語大辞典
〔名〕悪性の流行病。天然痘、コレラ、ペストの類。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉初・三「千三百四十九年悪疫大に流行して国内の人口過半を亡ひ」*遙拝隊長〔 ...
50. あく‐ぎょう[‥ゲフ]【悪業】
日本国語大辞典
〔名〕悪いしわざ、仕事。よくない職業。*西洋事情〔1866~70〕〈福沢諭吉〉外・二「国に是等の場所あれば自から人心を導て放僻邪侈の風を除き悪業に陥入る者少し」 ...