1. 板垣退助画像
日本大百科全書
28日に京都に到着した。そしてただちに東山道先鋒(せんぽう)総督府参謀となり、600の藩兵を率いて出陣した。板垣退助と名のったのはこのときからである。大垣、信州 ...
2. 板垣退助[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 板垣退助
世界大百科事典
1837-1919(天保8-大正8) 幕末・明治期の政治家。土佐藩出身。旧姓乾(いぬい)。名は正形,退助は通称。1861年(文久1)江戸藩邸詰となり,ついで山内 ...
4. いたがき‐たいすけ【板垣退助】
日本国語大辞典
政治家。旧姓、乾(いぬい)。土佐藩出身。幕末、討幕運動を推進。維新後、参議となったが征韓論を主張して辞職。愛国公党を結成して民選議院設立建白書を提出する。以後自 ...
5. いたがきたいすけ【板垣退助】
国史大辞典
の興源寺にある。板垣守正編による『板垣退助全集』が刊行されている。→自由党(じゆうとう),→立志社(りっししゃ) [参考文献]栗原亮一・宇田友猪編『板垣退助君伝 ...
6. 板垣退助
日本史年表
1882年〈明治15 壬午〉 4・6 自由党総理 板垣退助 、岐阜で遊説中に襲われ負傷。 1919年〈大正8 己未〉 7・16 没。 ...
7. いたがき-たいすけ【板垣退助】画像
日本人名大辞典
1837−1919 幕末-明治時代の政治家。天保(てんぽう)8年4月17日生まれ。土佐高知藩士。戊辰(ぼしん)戦争で総督府参謀をつとめ,明治4年新政府の参議とな ...
8. 板垣退助[文献目録]
日本人物文献目録
芸愛山『板垣退助』-『板垣退助』服部之総『板垣退助』福地重孝『板垣退助 近代政治家伝』阿部真之助『板垣退助抄伝』松川譲児『板垣退助小論』深谷博治『板垣退助と大隈 ...
9. いたがきたいすけあんさつみすいじけん【板垣退助暗殺未遂事件】
国史大辞典
自由党総理板垣退助が刺客に襲われて負傷した事件。明治十五年(一八八二)四月六日自由党総理板垣退助は、岐阜の金華山麓の中教院において開かれた懇親会に出席し、そこ ...
10. 板垣退助意見書(著作ID:4396043)
新日本古典籍データベース
いたがきたいすけいけんしょ 板垣退助(いたがきたいすけ) 政治 外交 ...
11. 愛国公党
日本大百科全書
(1)1874年(明治7)1月12日結成された自由民権政治結社。征韓論に敗れて下野した前参議の板垣退助(たいすけ)、後藤象二郎(しょうじろう)、副島種臣(そえじ ...
12. 愛国公党
世界大百科事典
明治時代の政治結社。2度結成された。(1)自由民権政社。征韓論に敗れて下野した前参議板垣退助,後藤象二郎,副島種臣,江藤新平や政府高官の由利公正,岡本健三郎,小 ...
13. あいこく‐こうとう[‥コウタウ]【愛国公党】
日本国語大辞典
党。明治七年(一八七四)板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らが結成。民選議院設立の建白書を左院に提出したが、三か月後党は解散。〔二〕明治二三年(一八九〇) ...
14. あいこくこうとう【愛国公党】
国史大辞典
そしてこの主張を具体的に実行するため、四日おいた一月十七日には、民撰議院設立建白書を、副島・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平の四人の前参議、それに小室信夫・由利公 ...
15. あいこくこうとう【愛国公党】 : 愛国公党/(一)
国史大辞典
そしてこの主張を具体的に実行するため、四日おいた一月十七日には、民撰議院設立建白書を、副島・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平の四人の前参議、それに小室信夫・由利公 ...
16. あいこくこうとう【愛国公党】 : 愛国公党/(二)
国史大辞典
明治二十三年(一八九〇)五月五日に、旧自由党の土佐派を中心に創立された。大同団結運動の分裂後の事態に処して、板垣退助らが旧自由党員を愛国公党へ結集しようとしたの ...
17. 愛国公党〔明治中期〕
日本史年表
1889年〈明治22 己丑〉 12・19 板垣退助、大阪で旧自由党員との懇親会を開催し、 愛国公党 の結成を発表。 ...
18. 愛国公党〔明治初期〕
日本史年表
1874年〈明治7 甲戌〉 1・12 板垣退助・副島種臣・後藤象二郎・江藤新平ら、 愛国公党 結成。 ...
19. 愛国社
世界大百科事典
ともに全国的な政社を結成する檄を飛ばし,1875年2月22日大阪で大会を開いた。土佐立志社の板垣退助,岡本健三郎,片岡健吉,林有造ら,阿波自助社の小室信夫,井上 ...
20. あいこくしゃ【愛国社】
国史大辞典
その前半の段階で全国的に指導した中央政党。明治八年(一八七五)二月二十二日、大阪会議に参加した板垣退助が、大阪で旧愛国公党同志の再結集を呼びかけて創立した。板垣 ...
21. あいこくしゃ【愛国社】 : 愛国社/(一)
国史大辞典
その前半の段階で全国的に指導した中央政党。明治八年(一八七五)二月二十二日、大阪会議に参加した板垣退助が、大阪で旧愛国公党同志の再結集を呼びかけて創立した。板垣 ...
22. 会津戦争画像
日本大百科全書
ざわ)、仙台が政府軍に降伏、列藩同盟は解体して、抗戦最大の拠点は会津若松となった。8月23日板垣退助が指揮する政府軍は若松城下に進撃、1か月にわたる激戦ののち、 ...
23. あかさかくいちがいのへん【赤坂
違の変】
国史大辞典
臣岩倉具視が襲撃され、負傷した事件。前年十月二十四日、征韓論が破裂し、征韓派の参議西郷隆盛・板垣退助らは辞職した。征韓派の敗北は、閣議での対立の激化を心痛して病 ...
24. あきぐん【安芸郡】高知県
日本歴史地名大系
〔近現代〕明治一一年郡区町村編制法が制定されると、安芸郡役所は安芸村(現安芸市)に設置されたが、板垣退助の立志社に属すると目された浜田更始が初代郡長に就任すると ...
25. あしおどうざんあと【足尾銅山跡】栃木県:上都賀郡/足尾町/足尾村
日本歴史地名大系
田中正造は保木間(現東京都足立区)の氷川神社境内にこれを迎え、いまの内閣(首相・外相大隅重信、内相板垣退助)は諸君の内閣であるからと説得し、代表を選び、多くは帰 ...
26. アメリカ彦蔵自伝 2 243ページ
東洋文庫
たる板垣〔前参議、板垣退助〕は、ここしばらく政府の行動に不満をいだいていたが、いまや政府と反乱軍の間に中立の立場を取ることを公言した。………その地方に政府への不 ...
27. アメリカ彦蔵自伝 2 247ページ
東洋文庫
ないサムライたちの要求は、相当の自制心をも って、背後に引っこめられている。注 土佐の立志社は板垣退助によって設立 された。すなわち一八七四年一月に発表 ...
28. あわじのくにとくしまはんりょうてんめいにねんいっき【淡路国徳島藩領天明二年一揆】
国史大辞典
騒動』という小説が掲載された。現在緑町広田の大宮寺の裏山にこの騒動の「天明志士の碑」が立ち、板垣退助の撰文がある。 [参考文献]安倍喜平編『淡路古今紀聞』、小室 ...
29. 板垣(いたがき)死(し)すとも自由(じゆう)は死(し)せず
故事俗信ことわざ大辞典
この板垣が死んだとしても、自由民権運動は終りはしない。自由民権運動の指導者板垣退助が、明治一五年四月、岐阜市において演説の折、暴漢に刺された時に叫んだといわれる ...
30. いたがきようこうもんだい【板垣洋行問題】
国史大辞典
自由党総理板垣退助の外遊をめぐっておきた諸問題。明治十五年(一八八二)四月岐阜における遭難後、板垣退助は後藤象二郎の勧めに従ってヨーロッパに外遊しようと考えた ...
31. いちだい‐かぞく[‥クヮゾク]【一代華族】
日本国語大辞典
〔名〕華族の爵位は、世襲制を廃して一代限りにすべきであるとする主張。
板垣退助などが唱えた。
[カ]
...32. いちはら-さだなお【市原定直】
日本人名大辞典
山(けんざん)の養子。土佐高知藩足軽として戊辰(ぼしん)戦争に従軍。明治6年板垣退助にしたがい官吏をやめ帰郷,養父とともに能茶山(のうさやま)焼を発展させた。ま ...
33. いとう-いちろう【伊藤一郎】
日本人名大辞典
び,郷里讃岐(さぬき)(香川県)の多度津(たどつ)藩校自明館につとめる。明治12年県会議員。板垣退助らの愛国公党に参加し,23年衆議院議員。のち東洋哲学を研究し ...
34. いとうないかく【伊藤内閣】画像
国史大辞典
、年来の懸案たる地租増徴をもはや不可避とする情勢にあった。ここに伊藤首相は議会対策の上から、板垣退助と大隈重信の入閣による自由・改進両党の支持、挙国態勢の構築を ...
35. いとうないかく【伊藤内閣】 : 伊藤内閣/〔第二次〕
国史大辞典
、年来の懸案たる地租増徴をもはや不可避とする情勢にあった。ここに伊藤首相は議会対策の上から、板垣退助と大隈重信の入閣による自由・改進両党の支持、挙国態勢の構築を ...
36. 伊藤博文
世界大百科事典
由党の支持をとりつけて膨張した予算案ならびに関連諸法案を通過させ,閉会後には自由党総理である板垣退助の入閣を実現した。さらに進歩党の指導者大隈重信を入閣させて挙 ...
37. いとうひろぶみ【伊藤博文】
国史大辞典
う二つの大問題を一応乗り切った後、伊藤は困難な戦後経営推進のため挙国一致内閣を構想し自由党の板垣退助と改進党の大隈の入閣を策したが、結果は板垣入閣と自由党の与党 ...
38. 伊藤博文内閣画像
日本大百科全書
かわして、軍拡を中心とする戦後経営実現のための巨額の予算案と関係法案を成立させた。議会後、自由党総理板垣退助を内相として入閣させたが、伊藤首相の挙国一致構想によ ...
39. いとうみよじ【伊東巳代治】
国史大辞典
維持し明治三十一年第三次伊藤内閣に農商務大臣として入閣、政府と自由党との提携を斡旋した。しかし板垣退助の入閣問題が他の閣僚の反対に逢って不調となり責任を負って辞 ...
40. いぬい‐たいすけ【乾退助】
日本国語大辞典
いたがきたいすけ(
板垣退助)
...41. いぬい-たいすけ【乾退助】
日本人名大辞典
⇒板垣退助(いたがき-たいすけ) ...
42. いらこ-けいさい【五十子敬斎】
日本人名大辞典
1857−1937 明治-昭和時代前期の農民。安政4年1月15日生まれ。明治15年板垣退助の自由党にはいる。26年から38年間,気象・農事・年中行事などをしるし ...
43. いわくらけんがいしせつ【岩倉遣外使節】
国史大辞典
この使節団派遣にあたり、大久保・木戸ら政府首脳部が多数海外に赴くことに異論があったが、参議西郷隆盛・同板垣退助が、太政大臣三条実美を輔佐して国事を処理することと ...
44. 植木枝盛画像
日本大百科全書
。父直枝(なおえ)は土佐藩の中等の藩士。藩校致道館(ちどうかん)で学び、1874年(明治7)板垣退助(いたがきたいすけ)の演説を聞いて政治に発奮した。1875年 ...
45. 植木枝盛
世界大百科事典
1857-92(安政4-明治25) 徹底した民主主義を主張した自由民権家,思想家。土佐藩士出身。1874年板垣退助の演説を聞いて政治に志し翌年上京,明六社の演説 ...
46. うえきえもり【植木枝盛】
国史大辞典
安政四年(一八五七)正月二十日に高知藩士の家に生まれ、藩校致道館で漢学等を学び、明治七年(一八七四)板垣退助の演説をきいて政治思想に目を開いた。同八年東京におい ...
47. うえき-えもり【植木枝盛】画像
日本人名大辞典
1857−1892 明治時代の自由民権思想家,政治家。安政4年1月20日生まれ。明治10年立志社に参加,板垣退助のブレーンとして国会開設運動や民権思想の普及につ ...
48. 植木枝盛[文献目録]
日本人物文献目録
の人々』遠山茂樹『植木枝盛研究』家永三郎『近代日本の思想家』家永三郎『日本の思想家 1』-『板垣退助の知恵嚢としての植木枝盛について』中川徹哉『植木枝盛』-『植 ...
49. うだともい【宇田友猪】
国史大辞典
続いて『土陽新聞』主筆として立志社の伝統を伝えるためにその孤塁を守った。その間、三十六年には板垣退助の風俗改良会機関誌『友愛』の編集人にもなっている。大正二年( ...
50. うだ-ともい【宇田友猪】
日本人名大辞典
1868−1930 明治-昭和時代前期のジャーナリスト,漢詩人。慶応4年7月17日生まれ。明治20年板垣退助にしたがって上京し,東京専門学校(現早大)を卒業。「 ...