1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 陸奥宗光
国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
国史大辞典
陸奥宗光
むつむねみつ
一八四四 - 九七
明治時代の政治家で第二次伊藤内閣の外務大臣。伯爵。父は和歌山藩士伊達藤二郎宗広、母は同じく和歌山藩士渥美源五郎の長女政子。その第六子として、弘化元年(一八四四)七月七日誕生。幼名牛麿。父宗広は家禄八百石、藩の重職を歴任したが、宗光九歳のとき政争により失脚。一家流離の憂き目にあう。十五歳にして江戸に出て苦学。父は赦免の後、脱藩、一家は京都に移り、宗光もまた京都に来て、勤皇運動に従事、坂本竜馬と知り合う。土佐藩士を称し、神戸の海軍所で勝海舟の教えを受ける。慶応元年(一八六五)、竜馬に従い鹿児島・長崎に遊ぶ。このころ、薩摩藩士を称し、伊達陽之助・陸奥小次郎などと称する。三年、海援隊に入る。四年末、大坂に赴き英国公使パークスに面会、その結果を岩倉具視に報じ、明治元年(一八六八)正月、外国事務局御用掛となる。陸奥陽之助としてはじめて任官。その後、大阪府権判事・兵庫県知事などを歴任したが、三年、和歌山藩欧州執事として渡欧、翌四年和歌山藩庁出仕、廃藩置県を迎える。同年、出京の命を受け、神奈川県知事となり、五年、外務大丞を兼ね、六年には前年の地租改正の主張を認められ、大隈重信の推挙で大蔵少輔心得に昇進。ときに征韓論で政府分裂、征韓論には与しなかったが、下野して活動するのを得策とし、七年一月、「日本人」を草し薩長有司の専制を痛難、辞任した。翌年、元老院議官となったが、十年、西南戦争が起ると、土佐立志社の大江卓らの政府転覆計画に連累、翌十一年、免官、国事犯として五年の禁獄に処せられ、山形・宮城の監獄に入る。獄中では、ベンサムの著作の翻訳などにうちこみ、十六年、出獄。伊藤博文らの勧めもあり、十七年から英・墺などに学ぶ。十九年帰国、外務省に入り、弁理公使・特命全権公使を経て、二十一年、駐米公使に転出、在任中、はじめての対等条約であるメキシコとの条約に調印。二十三年帰国、同年五月、第一次山県内閣の農商務大臣に就任、七月には第一回衆議院議員総選挙に和歌山県第一区から出馬、当選。閣僚中、唯一の衆議院議員となる。翌年五月、第一次松方内閣にも農商務大臣として留任、九月には衆議院議員を辞職。二十五年三月、総選挙における松方内閣の激しい選挙干渉を論難して辞任、枢密顧問官となる。しかし、同年八月、元勲総出の第二次伊藤内閣に迎えられ外務大臣の要職に就き、伊藤と協力しながら外交に腕を振るった。防穀令事件・千島艦事件の処理にあたるとともに、最大の懸案である条約改正をめざし、二十六年七月、対等条約改正案および交渉方針を閣議に提出、まずイギリスとの交渉に着手、議会の対外強硬論には真向から反対した。二十七年四月、正式の交渉をイギリスと始めるころ、朝鮮に甲午農民戦争(東学党の乱)が激化、六月、清国の朝鮮出兵に対抗して日本も出兵、対清強硬政策をつぎつぎと展開、七月、日英改正条約に調印するとともに、日清戦争の開戦にふみきり、講和・三国干渉をも処理した。この外務大臣中の事績を称して、世に「陸奥外交」という。日清戦争中の激務から持病の肺患が悪化、二十八年六月、賜暇を得て大磯で療養、『蹇蹇録』の著述に没頭。翌年五月、外相辞任。ハワイに療養、帰国後、竹越与三郎をして雑誌『世界之日本』を発行させ、それに寄稿を続けた。藩閥が幅をきかせた明治の政界にあって、非藩閥出身の陸奥はしばしば不遇をかこったが、才気と機略に富み、伊藤らの信頼を得て栄進、晩年には首相の座をもめざしたが、宿痾のため三十年八月二十四日、東京西ケ原の自邸で死去。五十四歳。浅草海禅寺で葬儀、大阪夕陽岡陸奥家墓所に埋葬された。昭和二十八年(一九五三)大阪より鎌倉寿福寺に移葬。明治四十年、外務省正面に銅像が竣成、第二次世界大戦中、供出のため撤去されたが、昭和四十一年、外務省構内に再建された。→蹇蹇録(けんけんろく),→陸奥外交(むつがいこう)
[参考文献]
陸奥広吉編『伯爵陸奥宗光遺稿』、萩原延壽編『陸奥宗光』(『日本の名著』三五)、阪崎斌『陸奥宗光』、渡辺幾治郎『陸奥宗光伝』、陸奥宗光伯七十周年記念会編『陸奥宗光伯―小伝・年譜・付録文集―』、萩原延壽「陸奥宗光」(『現代日本思想大系』一〇所収)、同「陸奥宗光」(『毎日新聞』昭和四十二年六月十二日―同四十三年十二月二十八日)
(中塚 明)


日本大百科全書(ニッポニカ)
陸奥宗光
むつむねみつ
[1844―1897]

明治時代の外交官、政治家。天保(てんぽう)15年7月7日、和歌山藩士伊達宗広(千広)(だてむねひろ(ちひろ))の六男として生まれる。宗広が藩内の政争で失脚したため江戸に出て苦学、安井息軒(そくけん)などに師事。やがて尊王攘夷(じょうい)運動に身を投じて坂本龍馬(りょうま)を知り、1863年(文久3)ともに勝海舟(かつかいしゅう)の神戸海軍操練所に入った。同所が閉鎖されると龍馬に従って長崎で亀山(かめやま)社中を結成、海運・商業に従事、このころに陸奥陽之助(ようのすけ)と称した。1867年(慶応3)には龍馬の下で海援隊に入って活躍した。明治維新とともに外国事務局御用掛に登用され、兵庫県知事などを経て和歌山藩の藩政改革を担当。渡欧後、政府に復帰して神奈川県知事となり、1872年(明治5)には租税権頭(ごんのかみ)に任じられて地租改正を建議した。1875年元老院議官となる。1877年の西南戦争に呼応した土佐立志社の挙兵計画に加担し、1878年に拘引され、免官、下獄した。1882年出獄後外遊、1888年駐米公使となり、メキシコとの間の最初の対等条約締結に成功した。第一次山県有朋(やまがたありとも)内閣に農商務大臣として入閣、最初の議会で政党工作に努め、続く松方正義(まつかたまさよし)内閣にも留任したが、選挙干渉問題をめぐる政府の責任を追及して辞任した。枢密顧問官を経て第二次伊藤博文(ひろぶみ)内閣の外務大臣となり、イギリスとの間で条約改正交渉を進め、対外硬派による反対を抑えて1894年7月日英通商航海条約の調印にこぎ着け、治外法権の撤廃に成功した。さらに朝鮮で東学党の乱(甲午(こうご)農民戦争)が起こるとただちに出兵を決定、8月日清(にっしん)戦争に突入した。1895年伊藤首相とともに全権として講和条約に調印したが、三国干渉を受け、遼東(りょうとう)半島の還付を決断した。戦争中から持病の肺結核が進行し、1896年5月外務大臣を辞任した。この間1895年に伯爵となる。その後、竹越与三郎(たけごしよさぶろう)に雑誌『世界之日本』を編集させ、匿名で寄稿したが、明治30年8月24日没した。回顧録に『蹇蹇録(けんけんろく)』がある。
[宇野俊一]



世界大百科事典
陸奥宗光
むつむねみつ
1844-97(弘化1-明治30)

明治の政治家,外交官。和歌山藩士伊達宗広の第6子として出生。宗広は和歌山藩大番頭格を務め,千広と号して《大勢三転考》を著す。宗光の幼名牛麿,江戸遊学ののち脱藩,陸奥陽之助と称し坂本竜馬のひきいる海援隊の一員として活躍。維新後政府に出仕,外国事務局御用掛から兵庫県知事,神奈川県知事をへて租税頭,大蔵少輔心得となるが,薩長の専制を憤って辞任,1875年元老院議官となる。78年立志社の政府転覆計画に荷担したとして投獄され,獄中にベンサムの《道徳および立法の諸原理》を《利学正宗》として翻訳。83年特赦により出獄すると外遊してL.vonシュタインに国家学を学び,帰国後外務省に出仕。88年駐米公使となりメキシコとの対等条約(日墨通商修好条約)とアメリカとの新条約調印を果たした。90年1月帰朝して第1次山県有朋内閣に入閣して農商務大臣となり,第1回総選挙(1890)に和歌山第1区から立候補し当選した。91年5月成立した松方正義内閣に留任し,内閣規約を提案,みずから政務部長となったが薩摩派との衝突で辞任した。11月後藤象二郎や大江卓,岡崎邦輔の協力をえて日刊新聞《寸鉄》を発刊して薩摩閥を攻撃し,みずからの列する松方内閣を批判,92年3月辞職して枢密顧問官となる。92年第2次伊藤博文内閣が成立すると迎えられて外務大臣となり,長年の懸案であった対等条約実現を期す。千島艦事件をめぐる領事裁判問題,防穀令事件をめぐる朝鮮との賠償交渉,議会における条約励行建議案にみられる排外気運の高揚などのなかでイギリスに新条約案を提示,条約改正会談を開始した。94年5月,朝鮮国に甲午農民戦争がはじまると清国の出兵に対抗して派兵し,7月16日日英通商航海条約の調印に成功した。一方,朝鮮では積極政策を展開し,23日朝鮮王宮占拠による親日政権の樹立,25日豊島沖海戦により日清戦争を開始した。この開戦外交はイギリスとの協調を維持しつつ,対清強硬路線をすすめる川上操六参謀次長の戦略と気脈を通じたもので〈陸奥外交〉の名を生んだ。日清戦争後薩摩派を中心とする膨張主義とそれに賛同した世論の圧力で下関条約で遼東半島を割取し,三国干渉を招いた。軍に制約された日清戦争の外交を詳記した《蹇蹇録(けんけんろく)》を持疾の肺患とたたかいつつ95年末脱稿したが,長く公刊を許されなかった。なお,試験採用による職業外交官の制度が確立したのは陸奥の外相時代である。
[藤村 道生]

[索引語]
伊達宗広 陸奥陽之助
ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
タブレットやスマホからも利用できます。
陸奥宗光の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 242
検索コンテンツ
1. 陸奥宗光画像
日本大百科全書
明治時代の外交官、政治家。天保(てんぽう)15年7月7日、和歌山藩士伊達宗広(千広)(だてむねひろ(ちひろ))の六男として生まれる。宗広が藩内の政争で失脚したた ...
2. 陸奥宗光[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵 ...
3. 陸奥宗光
世界大百科事典
1844-97(弘化1-明治30) 明治の政治家,外交官。和歌山藩士伊達宗広の第6子として出生。宗広は和歌山藩大番頭格を務め,千広と号して《大勢三転考》を著す。 ...
4. むつ‐むねみつ【陸奥宗光】
日本国語大辞典
明治時代の外交官。和歌山藩出身。尊王攘夷運動に加わり、海援隊にはいる。維新後、兵庫県知事、神奈川県令などを経て元老院議官となる。西南の役で挙兵をはかり禁獄五年。 ...
5. むつむねみつ【陸奥宗光】
国史大辞典
[参考文献]陸奥広吉編『伯爵陸奥宗光遺稿』、萩原延壽編『陸奥宗光』(『日本の名著』三五)、阪崎斌『陸奥宗光』、渡辺幾治郎『陸奥宗光伝』、陸奥宗光伯七十周年記念会 ...
6. むつ-むねみつ【陸奥宗光】画像
日本人名大辞典
1844−1897 明治時代の外交官。天保(てんぽう)15年7月7日生まれ。伊達宗広(むねひろ)の6男。坂本竜馬の海援隊に参加。維新後新政府につとめたが,明治1 ...
7. 陸奥宗光[文献目録]
日本人物文献目録
宗光』古谷綱正『陸奥宗光 1‐3』山本茂『陸奥宗光 日清戦争の処理と三国干渉を応接せる陸奥外交』猪俣敬太郎『陸奥宗光と船頭』江口準人『陸奥宗光と其父宗広』渡辺幾 ...
8. 青木周蔵自伝 78ページ
東洋文庫
信・青木周蔵・榎本武揚ら)が改正交渉を行なったが、 いずれも失敗、 一八九四年(明治二十七)陸奥宗光外相のとき領事裁判権の撤廃に成功、一九  一一年(明治四十四 ...
9. 青木周蔵自伝 190ページ
東洋文庫
甚だ浩瀚にして而かも何たる一事も実際に施設する所なかりき。 某年某月〔明治二十五年八月八日、第二次伊藤内閣〕、陸奥宗光氏外務大臣に任ぜられ、二十六年七月五日に至 ...
10. 青木周蔵自伝 261ページ
東洋文庫
祝詞を啓上せんと、服装を改め、将に家を出でんとするに方り、農商務大臣陸奥宗光氏来訪し、  今回の事に関しては、貴君の配慮尋常ならず。其の苦衷は、万々予の推察する ...
11. 青木周蔵自伝 268ページ
東洋文庫
従前清国に対する英国の友誼的輿論を変更する事に小少ならざる加功を与へたり。是より先き予は、我外務大臣〔陸奥宗光〕に電信を発し、  英国に於ける日本の「ポリチカル ...
12. 青木周蔵自伝 274ページ
東洋文庫
永代借地・家屋所有・永久居住を認めた。 又、この地域は居留民の自治行政が行なわれ治外法権的存在となった。六 陸奥宗光外相秘書官中田敬義が、明治二十七年八月付で陸 ...
13. 青木周蔵自伝 278ページ
東洋文庫
行    なったが、日本はこの干渉を拒絶した。  三 この講和条件は、明治二十七年十月九日、陸奥宗光外相に宛てた青木葉で、この他に、釜山浦    と、その付随地 ...
14. 青木周蔵自伝 284ページ
東洋文庫
響に独皇頗る機嫌克き際には、其の甲鉄戦艦二隻を霜に我に売却せんとの事に有レ之候故、当時外相〔陸奥宗光〕を経て我海軍大臣〔西郷従道〕に勧奨したるも、「艦質旧式に属 ...
15. 青木周蔵自伝 350ページ
東洋文庫
青木と伊藤をみると、長州閥内の複雑な人間関係をみせつけられる。 伊藤についで青木の評価が悪いのは、陸奥宗光である。陸奥は奇しくも青木と同年であるが、外交官として ...
16. 青木周蔵自伝 358ページ
東洋文庫
青木周蔵)として生れる。幼名団七・木戸孝允十二歳、井上馨十歳、山県 有朋七歳、伊藤博文四歳、陸奥宗光 一歳・エリサベット・フォン・ラーデ生れ る三浦一家、船木宰 ...
17. あきたさきがけしんぽう【秋田魁新報】
国史大辞典
小誌』(終刊二七号か)を発行する。詩歌句の三部立てで、投稿者は大沼枕山・小野湖山・大鳥圭介・陸奥宗光・伊藤博文・岡鹿門・高崎正風・税所敦子・中島歌子・佐々木弘綱 ...
18. 足尾鉱毒事件画像
世界大百科事典
で重要な外貨獲得産業である産銅業の保護育成をはかっていた政府は,次男を古河の養嗣子にしていた陸奥宗光が農商務大臣だったこともあって鉱毒問題を重視し,その鎮静化の ...
19. あしおどうざんあと【足尾銅山跡】栃木県:上都賀郡/足尾町/足尾村
日本歴史地名大系
探って一二〇〇キロ余に達する坑道が掘られるに至った。同三六年古河市兵衛の事業を継いだ養子潤吉(陸奥宗光の次男)は組織改革を進め、同三八年古河鉱業会社とし、社長に ...
20. あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】
国史大辞典
損害の補償と将来の予防を要求したことによって、事件は中央政界の問題となった。しかし、政府の当局者であった陸奥宗光農商務相の次男潤吉が、足尾銅山主の古河市兵衛の養 ...
21. あぶらやまち【油屋町】長崎県:長崎市/長崎町
日本歴史地名大系
オルトから大量の注文を受け、茶の輸出が増大していった。これで富を得た慶は大隈重信・松方正義・陸奥宗光らに経済支援を行った。その屋敷(四二六坪)は破産後に料亭宝家 ...
22. アメリカ彦蔵自伝 2 197ページ
東洋文庫
すなわち正直なところ、裁判長は不快を示し、弁護人が書類の半分まで読むと、それを中止させた。 前県令〔陸奥宗光〕がこの事件を耳にすると、旧来の娼妓制度の廃止を願う ...
23. アメリカ彦蔵自伝 2 211ページ
東洋文庫
梟首の刑に処せられた。つまり斬首の上、さらし首となったのである。 なお、紀伊における不穏な動きは、陸奥宗光を中心にしたものであった。陸奥は紀州藩士、明治政府に出 ...
24. イザベラ・バード 極東の旅 2 359ページ
東洋文庫
鉱工業や軍隊・交通の近代化に努めた。日清戦争後、清国講和全権大使として日本国講和全権大使伊藤博文、陸奥宗光との間に下関条約を締結した。(49)『清史稿』本紀二三 ...
25. いとうないかく【伊藤内閣】画像
国史大辞典
旧態に戻り、しかも、自由党と政府との間には微妙な関係が形成されることとなった。この間他方では陸奥宗光外相によって条約改正の作業が進捗しつつあった。この条約改正問 ...
26. いとうないかく【伊藤内閣】 : 伊藤内閣/〔第二次〕
国史大辞典
旧態に戻り、しかも、自由党と政府との間には微妙な関係が形成されることとなった。この間他方では陸奥宗光外相によって条約改正の作業が進捗しつつあった。この条約改正問 ...
27. 伊藤博文画像
日本大百科全書
1868年(明治1)明治政府の外国事務掛として出仕、参与兼外国事務局判事、兵庫県知事を歴任、翌年陸奥宗光(むつむねみつ)らと当面する政治改革についての建白を提出 ...
28. 伊藤博文
世界大百科事典
1868年(明治1)外国事務掛として明治政府に出仕し,参与兼外国事務局判事,兵庫県知事を歴任,翌69年には陸奥宗光らとともに中央集権化構想を含む政治改革案を建白 ...
29. 伊藤博文内閣画像
日本大百科全書
入閣させ、藩閥政治家中の実力者である元勲層を網羅することで強力内閣を目ざした。そのほかに外相には陸奥宗光(むつむねみつ)、蔵相に渡辺国武(わたなべくにたけ)らの ...
30. いまむら-せいのすけ【今村清之助】
日本人名大辞典
生まれ。明治3年横浜で両替屋をひらく。11年東京株式取引所設立の発起人のひとりとなる。17年陸奥宗光(むつ-むねみつ)と外遊。19年両毛鉄道の設立にくわわり,の ...
31. うちだこうさい【内田康哉】
国史大辞典
学政治学科卒業後直ちに外務省に入省、交際官試補・取調局勤務を経て在ワシントン日本公使館在勤、陸奥宗光公使の知遇を得た。同二十三年から二十五年まで陸奥に従って農商 ...
32. えいたいしゃくちけん【永代借地権】
国史大辞典
いる居留地内の永代借地権のみを土地所有権と改める方針で、対英交渉を実施した。しかるに二十六年陸奥宗光の改正草案では、条約国人に、居留地外はもとより、居留地内の現 ...
33. おおえたく【大江卓】
国史大辞典
このころ後藤象二郎の次女小苗と結婚、後藤を援けて蓬莱社・高島炭坑の経営に従事。西南戦争中林有造・陸奥宗光らとともに政府転覆を企て、十一年四月逮捕、八月禁獄十年に ...
34. 大津事件日誌 19ページ
東洋文庫
首相兼蔵相松方正義、内相西郷従道、法相山田顕義、陸相大山巌、逓相後藤象次郎、海相樺山資紀、文相大木喬任、農相陸奥宗光の諸名臣を網羅せるものなるに至りては、唯茫乎 ...
35. 大津事件日誌 199ページ
東洋文庫
官邸に訪問した。官邸には内閣総理大臣松方正義、枢密院議長大木喬任、逓信大臣後藤象次郎、農商務大臣陸奥宗光を始め、伊藤博文伯、山県有朋伯、黒田清隆伯、井上馨伯が集 ...
36. 岡崎邦輔
日本大百科全書
明治~大正時代の政党政治家。和歌山藩出身。従兄(いとこ)の陸奥宗光(むつむねみつ)を頼って大蔵省に出仕、内務、司法省に転じ、1878年(明治11)新宮(しんぐう ...
37. 岡崎邦輔
世界大百科事典
和11) 政治家。和歌山県出身。本姓長坂。岡崎家の養子。鳥羽・伏見の戦に参加。1888年従兄陸奥宗光特命全権公使に従い渡米しミシガン大学に学ぶ。91年代議士とな ...
38. おかざきくにすけ【岡崎邦輔】
国史大辞典
つとめ、家禄四百五十石、母は同藩士渥美家の四女落穂。脱藩して国事に奔走していた従兄伊達宗興・陸奥宗光らの感化を受けて成長。藩校学習館に入学、鳥羽・伏見の戦には鼓 ...
39. おかざき-くにすけ【岡崎邦輔】
日本人名大辞典
1853−1936 明治-昭和時代前期の政治家。嘉永(かえい)6年3月15日生まれ。明治21年駐米公使陸奥宗光(むつ-むねみつ)にしたがって渡米し,ミシガン大に ...
40. おかべ-ながし【岡部長】
日本人名大辞典
行として参加。西園寺公望(きんもち)にみとめられ参謀となった。かつて京都で坂本竜馬とはかり,陸奥宗光(むつ-むねみつ)を暗殺からすくったという。明治39年5月1 ...
41. 岡本柳之助
世界大百科事典
明治時代の軍人。和歌山藩士,本姓諏訪,岡本鑅之進の養子。和歌山藩の砲兵大隊長をつとめ,廃藩後,陸奥宗光らの推薦で陸軍省に出仕,西南戦争には大阪鎮台参謀として参戦 ...
42. おだじゅんいちろう【織田純一郎】
国史大辞典
の経営する『朝日新聞』その他の新聞主筆として活動した。この人の得意時代であったらしい。その後陸奥宗光の『寸鉄』、板垣退助らの『社会新報』主筆をつとめ、その間農商 ...
43. おだ-じゅんいちろう【織田純一郎】
日本人名大辞典
帰国後の明治11年翻訳したリットンの「欧州奇事花柳春話」がベストセラーとなる。18年大阪朝日新聞の主筆。のち陸奥宗光の「寸鉄」,板垣退助らの「社会新報」の主筆を ...
44. 海援隊
世界大百科事典
),村役人(菅野覚兵衛),饅頭屋(近藤長次郎)など多様であり,出身地も土佐中心であるが紀州(陸奥宗光)など他藩出身もみられた。そして最終的には土佐藩の海軍力とな ...
45. 海軍操練所
日本大百科全書
免職されたため、65年(元治2)3月廃止。坂本龍馬(りょうま)(土佐)、横井左平太(熊本)、陸奥宗光(むつむねみつ)(紀州)らがここに学んだ。(2)明治初年の海 ...
46. かとうたかあき【加藤高明】
国史大辞典
同十四年東京大学法学部を首席で卒業し、直ちに三菱本社に入った。同十六年より二年間イギリスに遊学、この間陸奥宗光の知遇を得た。帰国後三菱本社副支配人を経て十八年日 ...
47. かのう-そうしち【加納宗七】
日本人名大辞典
1827−1887 明治時代の実業家,地域開発者。文政10年6月23日生まれ。紀伊(きい)和歌山の人。陸奥宗光らの尊攘(そんじょう)運動にくわわる。慶応3年神戸 ...
48. 加波山事件 民権派激挙の記録 309ページ
東洋文庫
(平野義太郎氏説)二十六年(一八九三)十月、大日本協会を起こし、条約改正阻止の運動を展開、外相陸奥宗光の翻意を求めた。この結果、同年第五議会は荒れに荒れ、十二月 ...
49. 皮/革画像
世界大百科事典
明治維新後,軍隊の洋式化が進み,多量の革製品が必要となった。最初の近代なめし技術の導入は,1869年(明治2)陸奥宗光によって,ドイツより技術者を招いて和歌山に ...
50. 関税自主権
日本大百科全書
国民の願望と期待を背負って列強と交渉を試みた。政府はやがて法権回復に絞って交渉し、94年(明治27)外相陸奥宗光(むつむねみつ)は改正条約を締結、治外法権廃止、 ...
「陸奥宗光」の情報だけではなく、「陸奥宗光」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

陸奥宗光と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。本名信繁。昌幸の次男。1586年(天正14)豊臣秀吉の臣となり、94年(文禄3)豊臣信繁の名で従五位下左衛門佐に叙任した。妻は秀吉の奉行大谷吉継の女。のち父昌幸、兄信之とともに徳川家康に臣従したが、関ヶ原の戦いには
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代・江戸初期の大名。上杉謙信の養子。初名は卯松、喜平次、顕景。実父は越後坂戸城(新潟県南魚沼市)の城主長尾政景で、母は謙信の姉。父の死後謙信に養われ、1575年(天正3)春日山城の中城で上杉弾正少弼景勝となる。78年謙信の死後、もう1人の養子上杉三郎景虎
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「陸奥宗光」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
連歌(小学館 全文全訳古語辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
〔名詞〕短歌の上の句(五七五)と下の句(七七)とを、二人が応答してよむ詩歌の一種。平安時代に発生し、はじめは、二人の唱和で一首とする「短連歌」であったが、中世以降、二人以上(時には一人)で、五七五と七七の句を交互に長く続ける「長連歌」
俳諧集(新編 日本古典文学全集)
俳諧集(扉) 哥いづれの巻(貞徳翁独吟百韻自註)(扉) 作品解説・作者解説 哥いづれ小町おどりや伊勢踊 紅梅やの巻(紅梅千句)(扉) 作品解説・作者解説 梅 第一 蚊柱はの巻(蚊柱百句)(扉) 作品解説・作者解説 そもそもいきとしいけるもの
吉田茂(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八八五 - 一九五四 大正・昭和時代の内務官僚、政治家。明治十八年(一八八五)九月二日大分県北海部郡臼杵町(臼杵市)に生まれる。父は銀行員。父の転勤により上京。同四十四年東京帝国大学法科大学独法科卒業。内務省に入り地方官を経て神社局第二課長、同第一課長を歴任
マッカーサー(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一八八〇 - 一九六四 アメリカ合衆国軍人、日本占領連合国最高司令官(昭和二十年(一九四五)―二十六年)。一八八〇年一月二十六日アーカンソー州リトル=ロックに生まれる。父親アーサー=マッカーサーは陸軍中将。一九〇三年陸軍士官学校卒業後
山本五十六(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
[1884―1943]昭和期の海軍軍人。明治17年4月4日新潟県生まれ。海軍兵学校32期、海軍大学校14期卒業。第一次世界大戦後の3回にわたる在米勤務ののち、いち早く航空機の将来性に着目。1930年(昭和5)航空本部技術部長、1935年航空本部長。航空兵力を主体とした対米迎撃戦を構想し
人物に関連する記事をもっと見る
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る