1. 陸奥宗光画像
日本大百科全書
明治時代の外交官、政治家。天保(てんぽう)15年7月7日、和歌山藩士伊達宗広(千広)(だてむねひろ(ちひろ))の六男として生まれる。宗広が藩内の政争で失脚したた ...
2. 陸奥宗光[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵 ...
3. 陸奥宗光
世界大百科事典
1844-97(弘化1-明治30) 明治の政治家,外交官。和歌山藩士伊達宗広の第6子として出生。宗広は和歌山藩大番頭格を務め,千広と号して《大勢三転考》を著す。 ...
4. むつ‐むねみつ【陸奥宗光】
日本国語大辞典
明治時代の外交官。和歌山藩出身。尊王攘夷運動に加わり、海援隊にはいる。維新後、兵庫県知事、神奈川県令などを経て元老院議官となる。西南の役で挙兵をはかり禁獄五年。 ...
5. むつむねみつ【陸奥宗光】
国史大辞典
[参考文献]陸奥広吉編『伯爵陸奥宗光遺稿』、萩原延壽編『陸奥宗光』(『日本の名著』三五)、阪崎斌『陸奥宗光』、渡辺幾治郎『陸奥宗光伝』、陸奥宗光伯七十周年記念会 ...
6. むつ-むねみつ【陸奥宗光】画像
日本人名大辞典
1844−1897 明治時代の外交官。天保(てんぽう)15年7月7日生まれ。伊達宗広(むねひろ)の6男。坂本竜馬の海援隊に参加。維新後新政府につとめたが,明治1 ...
7. 陸奥宗光[文献目録]
日本人物文献目録
宗光』古谷綱正『陸奥宗光 1‐3』山本茂『陸奥宗光 日清戦争の処理と三国干渉を応接せる陸奥外交』猪俣敬太郎『陸奥宗光と船頭』江口準人『陸奥宗光と其父宗広』渡辺幾 ...
8. 青木周蔵自伝 78ページ
東洋文庫
信・青木周蔵・榎本武揚ら)が改正交渉を行なったが、 いずれも失敗、 一八九四年(明治二十七)陸奥宗光外相のとき領事裁判権の撤廃に成功、一九 一一年(明治四十四 ...
9. 青木周蔵自伝 190ページ
東洋文庫
甚だ浩瀚にして而かも何たる一事も実際に施設する所なかりき。 某年某月〔明治二十五年八月八日、第二次伊藤内閣〕、陸奥宗光氏外務大臣に任ぜられ、二十六年七月五日に至 ...
10. 青木周蔵自伝 261ページ
東洋文庫
祝詞を啓上せんと、服装を改め、将に家を出でんとするに方り、農商務大臣陸奥宗光氏来訪し、 今回の事に関しては、貴君の配慮尋常ならず。其の苦衷は、万々予の推察する ...
11. 青木周蔵自伝 268ページ
東洋文庫
従前清国に対する英国の友誼的輿論を変更する事に小少ならざる加功を与へたり。是より先き予は、我外務大臣〔陸奥宗光〕に電信を発し、 英国に於ける日本の「ポリチカル ...
12. 青木周蔵自伝 274ページ
東洋文庫
永代借地・家屋所有・永久居住を認めた。 又、この地域は居留民の自治行政が行なわれ治外法権的存在となった。六 陸奥宗光外相秘書官中田敬義が、明治二十七年八月付で陸 ...
13. 青木周蔵自伝 278ページ
東洋文庫
行 なったが、日本はこの干渉を拒絶した。 三 この講和条件は、明治二十七年十月九日、陸奥宗光外相に宛てた青木葉で、この他に、釜山浦 と、その付随地 ...
14. 青木周蔵自伝 284ページ
東洋文庫
響に独皇頗る機嫌克き際には、其の甲鉄戦艦二隻を霜に我に売却せんとの事に有レ之候故、当時外相〔陸奥宗光〕を経て我海軍大臣〔西郷従道〕に勧奨したるも、「艦質旧式に属 ...
15. 青木周蔵自伝 350ページ
東洋文庫
青木と伊藤をみると、長州閥内の複雑な人間関係をみせつけられる。 伊藤についで青木の評価が悪いのは、陸奥宗光である。陸奥は奇しくも青木と同年であるが、外交官として ...
16. 青木周蔵自伝 358ページ
東洋文庫
青木周蔵)として生れる。幼名団七・木戸孝允十二歳、井上馨十歳、山県 有朋七歳、伊藤博文四歳、陸奥宗光 一歳・エリサベット・フォン・ラーデ生れ る三浦一家、船木宰 ...
17. あきたさきがけしんぽう【秋田魁新報】
国史大辞典
小誌』(終刊二七号か)を発行する。詩歌句の三部立てで、投稿者は大沼枕山・小野湖山・大鳥圭介・陸奥宗光・伊藤博文・岡鹿門・高崎正風・税所敦子・中島歌子・佐々木弘綱 ...
18. 足尾鉱毒事件画像
世界大百科事典
で重要な外貨獲得産業である産銅業の保護育成をはかっていた政府は,次男を古河の養嗣子にしていた陸奥宗光が農商務大臣だったこともあって鉱毒問題を重視し,その鎮静化の ...
19. あしおどうざんあと【足尾銅山跡】栃木県:上都賀郡/足尾町/足尾村
日本歴史地名大系
探って一二〇〇キロ余に達する坑道が掘られるに至った。同三六年古河市兵衛の事業を継いだ養子潤吉(陸奥宗光の次男)は組織改革を進め、同三八年古河鉱業会社とし、社長に ...
20. あしおどうざんこうどくじけん【足尾銅山鉱毒事件】
国史大辞典
損害の補償と将来の予防を要求したことによって、事件は中央政界の問題となった。しかし、政府の当局者であった陸奥宗光農商務相の次男潤吉が、足尾銅山主の古河市兵衛の養 ...
21. あぶらやまち【油屋町】長崎県:長崎市/長崎町
日本歴史地名大系
オルトから大量の注文を受け、茶の輸出が増大していった。これで富を得た慶は大隈重信・松方正義・陸奥宗光らに経済支援を行った。その屋敷(四二六坪)は破産後に料亭宝家 ...
22. アメリカ彦蔵自伝 2 197ページ
東洋文庫
すなわち正直なところ、裁判長は不快を示し、弁護人が書類の半分まで読むと、それを中止させた。 前県令〔陸奥宗光〕がこの事件を耳にすると、旧来の娼妓制度の廃止を願う ...
23. アメリカ彦蔵自伝 2 211ページ
東洋文庫
梟首の刑に処せられた。つまり斬首の上、さらし首となったのである。 なお、紀伊における不穏な動きは、陸奥宗光を中心にしたものであった。陸奥は紀州藩士、明治政府に出 ...
24. イザベラ・バード 極東の旅 2 359ページ
東洋文庫
鉱工業や軍隊・交通の近代化に努めた。日清戦争後、清国講和全権大使として日本国講和全権大使伊藤博文、陸奥宗光との間に下関条約を締結した。(49)『清史稿』本紀二三 ...
25. いとうないかく【伊藤内閣】画像
国史大辞典
旧態に戻り、しかも、自由党と政府との間には微妙な関係が形成されることとなった。この間他方では陸奥宗光外相によって条約改正の作業が進捗しつつあった。この条約改正問 ...
26. いとうないかく【伊藤内閣】 : 伊藤内閣/〔第二次〕
国史大辞典
旧態に戻り、しかも、自由党と政府との間には微妙な関係が形成されることとなった。この間他方では陸奥宗光外相によって条約改正の作業が進捗しつつあった。この条約改正問 ...
27. 伊藤博文画像
日本大百科全書
1868年(明治1)明治政府の外国事務掛として出仕、参与兼外国事務局判事、兵庫県知事を歴任、翌年陸奥宗光(むつむねみつ)らと当面する政治改革についての建白を提出 ...
28. 伊藤博文
世界大百科事典
1868年(明治1)外国事務掛として明治政府に出仕し,参与兼外国事務局判事,兵庫県知事を歴任,翌69年には陸奥宗光らとともに中央集権化構想を含む政治改革案を建白 ...
29. 伊藤博文内閣画像
日本大百科全書
入閣させ、藩閥政治家中の実力者である元勲層を網羅することで強力内閣を目ざした。そのほかに外相には陸奥宗光(むつむねみつ)、蔵相に渡辺国武(わたなべくにたけ)らの ...
30. いまむら-せいのすけ【今村清之助】
日本人名大辞典
生まれ。明治3年横浜で両替屋をひらく。11年東京株式取引所設立の発起人のひとりとなる。17年陸奥宗光(むつ-むねみつ)と外遊。19年両毛鉄道の設立にくわわり,の ...
31. うちだこうさい【内田康哉】
国史大辞典
学政治学科卒業後直ちに外務省に入省、交際官試補・取調局勤務を経て在ワシントン日本公使館在勤、陸奥宗光公使の知遇を得た。同二十三年から二十五年まで陸奥に従って農商 ...
32. えいたいしゃくちけん【永代借地権】
国史大辞典
いる居留地内の永代借地権のみを土地所有権と改める方針で、対英交渉を実施した。しかるに二十六年陸奥宗光の改正草案では、条約国人に、居留地外はもとより、居留地内の現 ...
33. おおえたく【大江卓】
国史大辞典
このころ後藤象二郎の次女小苗と結婚、後藤を援けて蓬莱社・高島炭坑の経営に従事。西南戦争中林有造・陸奥宗光らとともに政府転覆を企て、十一年四月逮捕、八月禁獄十年に ...
34. 大津事件日誌 19ページ
東洋文庫
首相兼蔵相松方正義、内相西郷従道、法相山田顕義、陸相大山巌、逓相後藤象次郎、海相樺山資紀、文相大木喬任、農相陸奥宗光の諸名臣を網羅せるものなるに至りては、唯茫乎 ...
35. 大津事件日誌 199ページ
東洋文庫
官邸に訪問した。官邸には内閣総理大臣松方正義、枢密院議長大木喬任、逓信大臣後藤象次郎、農商務大臣陸奥宗光を始め、伊藤博文伯、山県有朋伯、黒田清隆伯、井上馨伯が集 ...
36. 岡崎邦輔
日本大百科全書
明治~大正時代の政党政治家。和歌山藩出身。従兄(いとこ)の陸奥宗光(むつむねみつ)を頼って大蔵省に出仕、内務、司法省に転じ、1878年(明治11)新宮(しんぐう ...
37. 岡崎邦輔
世界大百科事典
和11) 政治家。和歌山県出身。本姓長坂。岡崎家の養子。鳥羽・伏見の戦に参加。1888年従兄陸奥宗光特命全権公使に従い渡米しミシガン大学に学ぶ。91年代議士とな ...
38. おかざきくにすけ【岡崎邦輔】
国史大辞典
つとめ、家禄四百五十石、母は同藩士渥美家の四女落穂。脱藩して国事に奔走していた従兄伊達宗興・陸奥宗光らの感化を受けて成長。藩校学習館に入学、鳥羽・伏見の戦には鼓 ...
39. おかざき-くにすけ【岡崎邦輔】
日本人名大辞典
1853−1936 明治-昭和時代前期の政治家。嘉永(かえい)6年3月15日生まれ。明治21年駐米公使陸奥宗光(むつ-むねみつ)にしたがって渡米し,ミシガン大に ...
40. おかべ-ながし【岡部長】
日本人名大辞典
行として参加。西園寺公望(きんもち)にみとめられ参謀となった。かつて京都で坂本竜馬とはかり,陸奥宗光(むつ-むねみつ)を暗殺からすくったという。明治39年5月1 ...
41. 岡本柳之助
世界大百科事典
明治時代の軍人。和歌山藩士,本姓諏訪,岡本鑅之進の養子。和歌山藩の砲兵大隊長をつとめ,廃藩後,陸奥宗光らの推薦で陸軍省に出仕,西南戦争には大阪鎮台参謀として参戦 ...
42. おだじゅんいちろう【織田純一郎】
国史大辞典
の経営する『朝日新聞』その他の新聞主筆として活動した。この人の得意時代であったらしい。その後陸奥宗光の『寸鉄』、板垣退助らの『社会新報』主筆をつとめ、その間農商 ...
43. おだ-じゅんいちろう【織田純一郎】
日本人名大辞典
帰国後の明治11年翻訳したリットンの「欧州奇事花柳春話」がベストセラーとなる。18年大阪朝日新聞の主筆。のち陸奥宗光の「寸鉄」,板垣退助らの「社会新報」の主筆を ...
44. 海援隊
世界大百科事典
),村役人(菅野覚兵衛),饅頭屋(近藤長次郎)など多様であり,出身地も土佐中心であるが紀州(陸奥宗光)など他藩出身もみられた。そして最終的には土佐藩の海軍力とな ...
45. 海軍操練所
日本大百科全書
免職されたため、65年(元治2)3月廃止。坂本龍馬(りょうま)(土佐)、横井左平太(熊本)、陸奥宗光(むつむねみつ)(紀州)らがここに学んだ。(2)明治初年の海 ...
46. かとうたかあき【加藤高明】
国史大辞典
同十四年東京大学法学部を首席で卒業し、直ちに三菱本社に入った。同十六年より二年間イギリスに遊学、この間陸奥宗光の知遇を得た。帰国後三菱本社副支配人を経て十八年日 ...
47. かのう-そうしち【加納宗七】
日本人名大辞典
1827−1887 明治時代の実業家,地域開発者。文政10年6月23日生まれ。紀伊(きい)和歌山の人。陸奥宗光らの尊攘(そんじょう)運動にくわわる。慶応3年神戸 ...
48. 加波山事件 民権派激挙の記録 309ページ
東洋文庫
(平野義太郎氏説)二十六年(一八九三)十月、大日本協会を起こし、条約改正阻止の運動を展開、外相陸奥宗光の翻意を求めた。この結果、同年第五議会は荒れに荒れ、十二月 ...
49. 皮/革画像
世界大百科事典
明治維新後,軍隊の洋式化が進み,多量の革製品が必要となった。最初の近代なめし技術の導入は,1869年(明治2)陸奥宗光によって,ドイツより技術者を招いて和歌山に ...
50. 関税自主権
日本大百科全書
国民の願望と期待を背負って列強と交渉を試みた。政府はやがて法権回復に絞って交渉し、94年(明治27)外相陸奥宗光(むつむねみつ)は改正条約を締結、治外法権廃止、 ...