1. 西園寺公望画像
日本大百科全書
近代の政治家、元老。嘉永(かえい)2年10月23日、京都の公家(くげ)、徳大寺公純(とくだいじきんずみ)の次男として生まれる。兄実則(さねのり)は長く内大臣、侍 ...
2. 西園寺公望[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 西園寺公望
世界大百科事典
1849-1940(嘉永2-昭和15) 明治,大正,昭和3代にわたり首相,元老として天皇制政権の中枢にあり,立憲主義の確立,維持に努めた公卿出身の政治家。右大臣 ...
4. さいおんじ‐きんもち【西園寺公望】
日本国語大辞典
政治家。公爵。号陶庵。徳大寺公純(きんいと)の二男。王政復古に参与。戊辰(ぼしん)戦争にも参加し、のちフランスに留学。明治一四年(一八八一)明治法律学校(明治大 ...
5. さいおんじきんもち【西園寺公望】画像
国史大辞典
竹越与三郎『西園寺公』、小泉策太郎『随筆西園寺公』(『小泉三申全集』三)、木村毅『西園寺公望』、同編『西園寺公望自伝』、岡義武『近代日本の政治家』 (鳥海 靖) ...
6. さいおんじ-きんもち【西園寺公望】画像
日本人名大辞典
1849−1940 明治-昭和時代前期の政治家。嘉永(かえい)2年10月23日生まれ。徳大寺公純(きんいと)の次男。西園寺師季の養子。フランス留学後,明治14年 ...
7. 西園寺公望[文献目録]
日本人物文献目録
の鍵を握る西園寺公望の立場』山浦貫一『西園寺公望伝』白柳秀湖『陶庵公西園寺公望公伝』竹越与三郎『西園寺公望伝』田中貢太郎『欧羅巴紀遊抜書』西園寺公望『西園寺公望 ...
8. 西園寺公望蔵書印[図版]画像
国史大辞典
陶庵蔵書 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
9. 西園寺公望内閣画像
日本大百科全書
明治末・大正初期、西園寺公望を首班として組織された第一次、二次にわたる内閣。山本四郎第一次(1906.1.7~1908.7.14 明治39~41)第一次桂太郎( ...
10. 西園寺公望内閣(第一次)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
※(臨兼)は臨時兼務、(兼)は兼任。在任期間が短い閣僚は一部省略した。一つの職名に複数の人名がある場合は順次後任を示し、同一人名がある場合は専任となったことを示 ...
11. 西園寺公望内閣(第二次)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
※在任期間が短い閣僚は一部省略した。一つの職名に複数の人名がある場合は順次後任を示す。一時、外務大臣は林董が、文部大臣は牧野伸顕が臨時兼務 ©Shogakuka ...
12. 西園寺公望元服並拝賀次第(著作ID:2706221)
新日本古典籍データベース
さいおんじきんもちげんぶくならびにはいがしだい 有職故実 安政四 ...
13. 青木周蔵自伝 234ページ
東洋文庫
第十五回 伊藤博文のドイツにおける憲法調査 明治十六年参議伊藤博文氏は、憲法調査の為め西園寺公望〔参事院議官補〕、岩倉具定〔参事院議官補〕、戸田氏共、相良頼 ...
14. 赤旗事件
日本大百科全書
山県有朋(やまがたありとも)系勢力はこれを大事件につくりあげ、社会主義取締りに比較的寛大であった第一次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣を辞職に追い込み(7月 ...
15. 赤旗事件
世界大百科事典
杉に懲役2年6月,堺,山川に2年,荒畑に1年6月の重科を科した。社会主義に比較的寛大だった西園寺公望内閣は7月に総辞職し第2次桂太郎内閣に代わり,反動性を強めて ...
16. あかはたじけん【赤旗事件】
国史大辞典
この事件を契機に社会主義の取締りは急速に強化され、まもなく社会主義者に対して比較的寛大であった西園寺公望内閣は、山県系官僚によって辞職せしめられた。 [参考文献 ...
17. いくのぎんざんあと【生野銀山跡】兵庫県:朝来郡/生野町
日本歴史地名大系
坑夫らも出水を予知しながら作業を行っていたという(生野史)。〔近現代〕慶応四年正月、山陰道鎮撫総督西園寺公望の麾下にある薩摩藩士黒田清綱・折田年秀らが生野に来て ...
18. いくのぎんざんまち【生野銀山町】兵庫県:朝来郡/生野町
日本歴史地名大系
課せられていた。〔近現代〕慶応四年(一八六八)一月一五日生野役所が廃され、山陰道鎮撫総督の西園寺公望は生野を府中と改称している。同年七月久美浜県出張生野役所とな ...
19. いくのだいかんしょあと【生野代官所跡】兵庫県:朝来郡/生野町/生野銀山町/口銀屋町
日本歴史地名大系
山陰道鎮撫総督参謀黒田清綱が薩摩藩兵を率いて生野代官所を接収、江戸幕府による支配の終焉となった。総督の西園寺公望はただちに参謀書記の折田要蔵を官軍執事に任じて生 ...
20. いけのむら【池野村】鳥取県:西伯郡/会見町
日本歴史地名大系
され、出雲松江・広瀬両藩主の参勤交代路となった。慶応四年(一八六八)三月、山陰道鎮撫使総督西園寺公望は帰途この道を通り、当村雑賀邸で小休止したと伝える。明治二年 ...
21. 石井菊次郎
世界大百科事典
千葉県出身。1890年帝大法科大学卒業,同年外務省に入る。パリ,北京などに在勤し,通商局長,第2次西園寺公望内閣の林董外相のもとで次官,さらに1912年駐仏大使 ...
22. いずもかいどう【出雲街道】鳥取県:総論
日本歴史地名大系
会見郡請、二里分を日野郡請とするなどの措置がとられた(在方諸事控)。慶応四年(一八六八)三月、西園寺公望ら山陰道鎮撫使一行は松江から帰京の途中池野村で小休止した ...
23. いずものくに【出雲国】島根県
日本歴史地名大系
「ひたすら勤王の外これなし」という藩主の決意を家中に発表したのは一六日のことであった。新政府が西園寺公望を山陰道鎮撫総督に任じて、松江・浜田両藩の取調を命じたの ...
24. 一木喜徳郎
世界大百科事典
歴任し,17年から枢密顧問官。日本の地方制度の育成者の一人で,山県有朋の信任を得た。山県の死後,元老西園寺公望にも認められ,24年枢密院副議長,宮内相を経て,3 ...
25. いちききとくろう【一木喜徳郎】
国史大辞典
抜きにつとめた。十四年宮内大臣に就任し、昭和八年(一九三三)までつとめ、退官後男爵。翌九年西園寺公望・斎藤実らの推選で枢密院議長となり、元老重臣グループの一員と ...
26. 伊藤博文[文献目録]
日本人物文献目録
』東雲新報社(編刊)『大勲位公爵伊藤博文之伝』朝日亭楽雲『明治史伝 1 公爵伊藤博文・侯爵西園寺公望』植松孝昭『列伝体明治史日本新英傑伝』高橋立吉『副島伯と伊藤 ...
27. いなばのくに【因幡国】鳥取県
日本歴史地名大系
開始され、慶応三年には農兵隊が組織され浜坂歩兵屋敷に駐屯した。翌四年二月五日山陰道鎮撫総督西園寺公望一行が鳥取に入り、二〇日まで滞在した。同年三月には八東郡奥構 ...
28. いぬかいないかく【犬養内閣】画像
国史大辞典
これより前、二月に行われた総選挙で政友会は三百三議席を獲得し、史上最大の多数党となったが、元老西園寺公望は政友会の後任総裁鈴木喜三郎ではなく海軍大将斎藤実を次の ...
29. いはらぐん【庵原郡】
国史大辞典
転換し、全国でも屈指の近代的農村となった。一方、気候も良く景色もよかったので、明治の政治家西園寺公望の坐漁荘(興津)、田中光顕(富士川町)や井上馨(清水市横砂) ...
30. いまい-きみ【今井キミ】
日本人名大辞典
明治18年生まれ。15歳のとき長駒(ちょうこま)の名で神戸花隈(はなくま)の芸妓となる。伊藤博文,西園寺公望(きんもち),東郷平八郎らと親交をもつ。昭和47年8 ...
31. うえの-ばんざん【上野盤山】
日本人名大辞典
天保(てんぽう)10年生まれ。もと丹波園部(そのべ)藩(京都府)藩士。明治元年山陰道鎮撫使西園寺公望(さいおんじ-きんもち)に随行。5年京都府船井郡の園部第一校 ...
32. 上原勇作画像
日本大百科全書
監となる。日露戦争には第四軍参謀長として参加。男爵を授けられる。1912年(大正1)第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の陸軍大臣となり、2個師団増設を主 ...
33. 上原勇作
世界大百科事典
81-85年フランスに留学し工兵の新技術を学ぶ。陸士教官,参謀本部員,砲工学校長などを経て,1912年第2次西園寺公望内閣の陸相となり,2個師団増設を強硬に主張 ...
34. うがきかずしげ【宇垣一成】
国史大辞典
はかり、一方、学校教練・青年訓練を推進して国防の底辺の拡大に努めた。主としてこの時の実行力が元老西園寺公望をはじめ広く政界に認識され、宇垣は以後、「政界の惑星」 ...
35. 内田康哉
世界大百科事典
使,駐オーストリア,駐米各大使を務める。この間07年に男爵,11年に子爵となる。同年第2次西園寺公望内閣の外相となり,辛亥革命に対処するとともに第3次日露協約を ...
36. 内田康哉
日本大百科全書
外務次官を歴任し、1907年(明治40)男爵。欧米在勤ののち、1909年子爵となり、第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の外相に就任。1916年(大正5) ...
37. うまじむら【馬路村】京都府:亀岡市
日本歴史地名大系
のうち馬路村以下四ヵ村二千一〇〇石)の代官にも登用されている。明治維新の際、山陰道鎮撫総督西園寺公望が丹波に入るや両苗の士は率先して迎え、桑田・船井両郡弓箭組二 ...
38. えちごふ【越後府】画像
国史大辞典
三島・古志・蒲原・岩船・沼垂各郡を支配下とした。九月二十一日越後府を改めて新潟府とし、水原に府庁をおき西園寺公望が新潟府知事となった。しかし翌二年二月八日、越後 ...
39. えんげきかいりょうかい【演劇改良会】
国史大辞典
大麓・森有礼・渋沢栄一・依田学海・福地桜痴・井上馨、賛成員に伊藤博文・岩倉具定・大隈重信・西園寺公望・三井養之助・大倉喜八郎など、官・学・財界の巨頭が名を連ねた ...
40. おいれむら【追入村】兵庫県:篠山市/旧丹南町地区
日本歴史地名大系
村はづれより登る。登十丁余難所也」と記される。慶応四年(一八六八)戊辰戦争で山陰道鎮撫総督となった西園寺公望一行も篠山城下を経て追入で休息している(園田家文書) ...
41. 大村益次郎[文献目録]
日本人物文献目録
の橋立』横山健堂『近世名将言行録 1』近世名将言行録刊行会(編)『近世二十傑 大村益次郎・西園寺公望』伊藤痴遊『類聚伝記大日本史 14』-『近代軍制の創始者 大 ...
42. 岡田啓介
世界大百科事典
田中義一内閣の海相となったのちロンドン軍縮会議では浜口雄幸内閣と海軍との間を斡旋して条約成立にこぎつけ,元老西園寺公望の信任を得た。次いで斎藤実内閣の海相となっ ...
43. おかだないかく【岡田内閣】画像
国史大辞典
五・一五事件以来の非常時局を担当した斎藤実内閣は帝人事件によって総辞職の止むなきに至ったが、元老西園寺公望と斎藤は、その後継内閣として同質の中間内閣を存続せしめ ...
44. おかべ-ながし【岡部長】
日本人名大辞典
越前(えちぜん)福井藩士。代々福井藩の家老をつとめ,慶応4年の会津(あいづ)攻めには軍事総奉行として参加。西園寺公望(きんもち)にみとめられ参謀となった。かつて ...
45. 興津(静岡県)画像
日本大百科全書
岐、交通の要衝であった。江戸時代中~後期には興津川流域で生産される和紙の集散地。明治以降、西園寺公望(さいおんじきんもち)の坐漁荘(ざぎょそう)はじめ、井上馨( ...
46. おきつ【興津】
国史大辞典
数えた。明治になるとここの風光明媚さと気候の温暖さから、明治の元勲たちが別荘を営み、なかでも西園寺公望の坐漁荘のあったことは有名である。またここでとれる興津鯛は ...
47. 尾崎行雄画像
日本大百科全書
経て1909年に復党した。また1903年東京市長となり1912年まで在職。1912年(大正1)12月第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣が倒れると、国民党 ...
48. かいがいりゅうがくせい【海外留学生】
国史大辞典
同五年、学制が制定されると規則はそのうちに編入された。皇族では明治三年の華頂宮博経親王、華族では西園寺公望らがはやく留学した。政府の奨励で六年には計三百七十三名 ...
49. かさまつけんご【笠松謙吾】
国史大辞典
遊説中、計画が洩れ同志村松藩七士は捕われ、謙吾は仙台へ逃げ岡鹿門に匿われた。明治戊辰戦争には西園寺公望に従い軍功を賞された。明治四年(一八七一)柏崎県に建言して ...
50. かすがおんせん【春日温泉】富山県:上新川郡/大沢野町/春日村
日本歴史地名大系
飛越線(現JR高山本線)沿線では有名であった。また電力事業に関係したアメリカ人技術者が投宿したり、西園寺公望も来遊した。昭和一六年(一九四一)の太平洋戦争勃発前 ...