1. 尾崎行雄画像
日本大百科全書
政治家。戸籍上は安政(あんせい)6年(1859)11月20日神奈川県生まれ。号は咢堂(がくどう)。慶応義塾、工学寮を中退。1879年(明治12)福沢諭吉の推薦で ...
2. 尾崎行雄[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー ...
3. 尾崎行雄
世界大百科事典
1859-1954(安政6-昭和29) 日本近代の代表的自由主義政治家。号は咢堂。相模国又野村(現,神奈川県相模原市)出身。慶応義塾中退後新聞記者となり,188 ...
4. おざき‐ゆきお【尾崎行雄】
日本国語大辞典
政治家。相模(神奈川県)生まれ。号は咢堂(がくどう)・卆翁(くじゅうおう)。新聞記者を経て第一回選挙から衆議院議員連続当選二五回。文相、東京市長、法相を歴任。立 ...
5. おざきゆきお【尾崎行雄】
国史大辞典
著書は約八十冊に及ぶが、大部分は『尾崎咢堂全集』全十二巻に収められている。 [参考文献]伊佐秀雄『尾崎行雄伝』、同『尾崎行雄』(『人物叢書』四八) (宇野 俊一 ...
6. 尾崎行雄
日本史年表
1942年〈昭和17 壬午〉 4・24 尾崎行雄 を不敬罪容疑で起訴。 ...
7. 尾崎行雄[文献目録]
日本人物文献目録
と語る』尾崎行雄『尾崎行雄伝』伊佐秀雄『風雲閣閑話』尾崎行雄(著刊)『卒翁夜話』尾崎行雄『わが遺言』尾崎行雄『民権闘争七十年』尾崎行雄『咢堂回顧録 2巻2冊』尾 ...
8. おざき-ゆきお【尾崎行雄(1)】画像
日本人名大辞典
1858−1954 明治-昭和時代の政治家。安政5年11月20日生まれ。「新潟新聞」主筆などをへて,立憲改進党の結成に参加。明治23年の第1回総選挙以来衆議院議 ...
9. おざき-ゆきお【尾崎行雄(2)】
日本人名大辞典
1944−2013 昭和時代後期のプロ野球選手。昭和19年9月11日生まれ。昭和36年夏の甲子園で浪商高(現・大阪体育大浪商高)のエースとして剛速球を武器に法政 ...
10. おざきゆきおふけいじけん【尾崎行雄不敬事件】
国史大辞典
執行猶予二年の判決、上告した大審院判決で十九年六月無罪が決定した。 [参考文献]伊佐秀雄『尾崎行雄伝』、同『尾崎行雄』(『人物叢書』四八) (宇野 俊一) ...
11. 青木周蔵自伝 315ページ
東洋文庫
恣にして大権を蔑視し、行政の治績を謳ひて政府を攻撃し、実に乱暴狼藉を極むるに至れり。就中、河野広中、尾崎行雄氏等は、実に憲法の規定を蔑視し、其の協賛の権限を超越 ...
12. あさひな-そうげん【朝比奈宗源】画像
日本人名大辞典
京都妙心寺などで修行し,鎌倉浄智寺住持をへて,昭和17年円覚寺貫主。20年円覚寺派管長。38年賀川豊彦,尾崎行雄らと世界連邦日本仏教徒協議会を結成,会長となった ...
13. アメリカ彦蔵自伝 2 265ページ
東洋文庫
の地に退去を命ぜられた。尾崎行雄、星亨、中島信行、中江兆民、竹内綱(吉田茂の父)も、このなかにはいっていた。 一 八 章 ...
14. 板垣退助[文献目録]
日本人物文献目録
板垣洋行費に関する一史料』落木正文『板垣洋行に関する一資料』深谷博治『伊藤・大隈・板垣と私』尾崎行雄『英信流居合術と板垣伯』岡本九敏『近世日本建設の父板垣退助伯 ...
15. 伊藤博文[文献目録]
日本人物文献目録
『伊藤博文 明治官僚の肖像』渡部英三郎『伊藤・井上と山県』渡辺幾治郎『伊藤・大隈・板垣と私』尾崎行雄『我が交友録 2 伊藤・大隈・山県』徳富猪一郎『伊藤公を追悼 ...
16. 犬養毅画像
日本大百科全書
を設立し『東海経済新報』を創刊、主幹として編集を担当した。1881年先輩矢野文雄の勧めにより尾崎行雄(おざきゆきお)らとともに統計院に入る。このときの関係から以 ...
17. 犬養毅
世界大百科事典
方正義内閣と提携した。98年自由・進歩両党が憲政党に合同し隈板(わいはん)内閣が成立すると,尾崎行雄辞任後の文相となった。憲政党分裂後は憲政本党筆頭総務に就任し ...
18. いぬかいつよし【犬養毅】
国史大辞典
が、同年十月の政変で大隈傘下の同志とともに連袂辞職し、翌十五年矢野文雄・藤田茂吉・箕浦勝人・尾崎行雄らと東洋議政会を組織し、ついで同年四月、この仲間とともに立憲 ...
19. 犬養毅[文献目録]
日本人物文献目録
養毅』唐島基智三『保護貿易と犬養毅』堀経夫『木堂書簡』犬養毅『木堂と健』山浦貫一『老友木堂』尾崎行雄 ...
20. 井上馨[文献目録]
日本人物文献目録
、服部氏へ』尾佐竹猛『明治前半期における井上馨の東亜外交政略』安岡昭男『明治大正人物譚 7』尾崎行雄 ...
21. いるまし【入間市】埼玉県地図
日本歴史地名大系
堂が完成、同一四年から豊岡大学が開講され、昭和一二年まで二二回にわたって犬養毅・新渡戸稲造・尾崎行雄らを招聘して講座が開かれた。昭和八年に宮寺村・金子村・東金子 ...
22. いわむらみちよ【岩村通世】
国史大辞典
十六年七月第三次近衛内閣に入閣して司法大臣となり、同年十月東条内閣成立とともにひきつづき司法大臣として留任、尾崎行雄不敬事件・中野正剛事件に関係したが、また司法 ...
23. 演説
日本大百科全書
けいもう)の講演会に形を変えていった。名演説家としては、島田三郎、犬養毅(いぬかいつよし)、尾崎行雄(ゆきお)、永井柳太郎、鶴見祐輔(つるみゆうすけ)などがいる ...
24. おおうらないしょうじけん【大浦内相事件】
国史大辞典
を辞して隠栖したので起訴猶予、その他は翌五年六月に懲役六ヵ月以下の処分をうけた。また閣内では尾崎行雄法相の単独責任論と他閣僚の共同責任論に分かれ、新聞の攻撃もあ ...
25. 大隈重信[文献目録]
日本人物文献目録
中心として』大石嘉一郎『板垣退助と大隈重信』井上清『板垣退助と大隈重信』徳富猪一郎『伊藤・大隈・板垣と私』尾崎行雄『犬養と大隈』渡辺幾治郎『浮田博退職記念論文集 ...
26. 大隈重信内閣画像
日本大百科全書
当初より大臣の椅子(いす)をめぐって旧自由、進歩両派が争い、また猟官運動も盛んであった。たまたま尾崎行雄(おざきゆきお)文相が共和演説事件によって辞任したため、 ...
27. おおくまないかく【大隈内閣】画像
国史大辞典
内の混乱を一層激化させた。このようにさまざまな弱点をもっていた大隈内閣は、八月二十二日の文相尾崎行雄の「共和演説」をきっかけとする貴族院の倒閣運動によりまずぐら ...
28. おおくまないかく【大隈内閣】 : 大隈内閣/〔第一次〕
国史大辞典
内の混乱を一層激化させた。このようにさまざまな弱点をもっていた大隈内閣は、八月二十二日の文相尾崎行雄の「共和演説」をきっかけとする貴族院の倒閣運動によりまずぐら ...
29. おおくまないかく【大隈内閣】 : 大隈内閣/〔第二次〕
国史大辞典
以来の民衆政治家としてのイメージも強く残っていた。大隈は桂太郎の遺産である立憲同志会を基礎に尾崎行雄の中正会や貴族院の山県系たる幸倶楽部の支持を得て組閣に成功し ...
30. 岡崎邦輔
日本大百科全書
などにあたった。1908年ふたたび代議士となり、第一次護憲運動では政友会を代表して活躍、一時尾崎行雄らと政友倶楽部(くらぶ)をつくったが、やがて政友会に復帰、大 ...
31. 岡崎邦輔
世界大百科事典
の官房長をつとめた。また,憲政党,立憲政友会の政務に関与し策士として有名。1912年犬養毅,尾崎行雄らと護憲運動を起こし,25年第1次加藤高明内閣の農相となる。 ...
32. おかざきくにすけ【岡崎邦輔】
国史大辞典
第一次護憲運動には桂内閣打倒の急先鋒として活曜したが、内閣倒壊後政友会が薩閥山本権兵衛内閣の与党となったため尾崎行雄らとの義理合いから脱党し、政友倶楽部を組織し ...
33. おかざき-くにすけ【岡崎邦輔】
日本人名大辞典
ミシガン大に留学。24年衆議院議員となり,自由党,憲政党,政友会に属した(当選10回)。大正元年犬養毅,尾崎行雄らと第1次護憲運動をおこす。のち加藤高明内閣の農 ...
34. おかもと-わたる【岡本弥】
日本人名大辞典
26年青年進徳会を組織して,部落改善・差別糾弾にのりだす。35年和歌山県西本願寺布教師の差別説教,尾崎行雄の差別発言などを糾弾。36年大日本同胞融和会を結成。融 ...
35. おがわへいきち【小川平吉】
国史大辞典
三十六年衆議院議員に初当選(以後当選十回)したが、この年政友会革新運動をおこして脱党した。また河野広中・尾崎行雄・秋山定輔らと勅語奉答文事件を計画し議会の解散を ...
36. おざき-えいこ【尾崎英子】
日本人名大辞典
1871*−1932 明治-昭和時代前期,尾崎行雄(ゆきお)の妻。明治3年12月25日ロンドン生まれ。尾崎三良(さぶろう)の長女。両親が離婚し,イギリス人の母に ...
37. おざき-がくどう【尾崎咢堂】
日本人名大辞典
⇒尾崎行雄(おざき-ゆきお)(1) ...
38. おざきゆきおふけいじけん【尾崎行雄不敬事件】 : 尾崎行雄不敬事件/(一)
国史大辞典
(一) 明治三十一年(一八九八)文相尾崎行雄が「共和」演説のため辞職した事件。同年六月わが国最初の政党内閣として隈板内閣(第一次大隈内閣)が成立し、尾崎は旧進 ...
39. おざき-ゆきてる【尾崎行輝】
日本人名大辞典
1888−1964 大正-昭和時代の飛行士,政治家。明治21年1月14日生まれ。尾崎行雄の4男。京都帝大在学中にライト兄弟にあこがれ,民間パイロットとなる。大正 ...
40. おざき-ゆきまさ【尾崎行正】
日本人名大辞典
1838−1916 明治時代の官吏。天保(てんぽう)9年9月生まれ。尾崎行雄の父。廃藩置県後,高崎,度会(わたらい),熊本の県庁に勤務。熊本県庁に在職中の明治9 ...
41. おんな二代の記 98ページ
東洋文庫
藩閥ぎらいの一事だけはよく話があいました。伊藤、山県など長閥の悪事もよく聞かされたもので、とりわけ尾崎行雄氏が共和演説で文部大臣をやめさせられたことを母はいつも ...
42. かがく‐しょうせつ[クヮガクセウセツ]【科学小説】
日本国語大辞典
く、ときにスリラーの要素を伴う。空想科学小説。SF。*雪中梅〔1886〕〈末広鉄腸〉下・序〈尾崎行雄〉「之に尋で科学小説(サイエンチヒック、ナーブェル)あり」* ...
43. 革新俱楽部
世界大百科事典
憲政・政友両党の挟撃にあって党勢拡大に失敗し,25年5月14日犬養らの右派は政友会と合流し,尾崎行雄,清瀬一郎らの左派は5月30日に中正俱楽部などと合流して新正 ...
44. かくしんクラブ【革新
楽部】
国史大辞典
十五名により結成された。党首はおかず、党議拘束を廃止したことを最大の特色とし、犬養毅を筆頭に尾崎行雄・田川大吉郎・植原悦二郎・中野正剛・清瀬一郎・星島二郎らが中 ...
45. 革新倶楽部
日本史年表
1922年〈大正11 壬戌〉 11・8 犬養毅・尾崎行雄・島田三郎ら、 革新倶楽部 を結成。 1925年〈大正14 乙丑〉 5・14 革新倶楽部 ・ 中正倶楽 ...
46. 桂太郎自伝 290ページ
東洋文庫
なさず、布て中立者たる陸海両大臣間に運動し、自己の論議の賛成を乞ふの場合に達せり。尤も甚敷は尾崎行雄文相交秩〔迭〕の場合に於て其極端に至れり。文相は失言を以て免 ...
47. 桂太郎自伝 343ページ
東洋文庫
「閥族打破・憲政擁護」を唱える憲政擁護運動の高まりの中で政権の座を降りた。かつて、「共和演説事件」で尾崎行雄を文相の座から引きずりおろし、最初の政党内閣である隈 ...
48. かつらないかく【桂内閣】画像
国史大辞典
したのみで、期待した政友会の分裂は起らなかった。停会あけの二月五日群衆が議会を包囲するなかで尾崎行雄は政府弾劾演説を行い、桂内閣の詔勅政策をきびしく批判した。桂 ...
49. かつらないかく【桂内閣】 : 桂内閣/〔第三次〕
国史大辞典
したのみで、期待した政友会の分裂は起らなかった。停会あけの二月五日群衆が議会を包囲するなかで尾崎行雄は政府弾劾演説を行い、桂内閣の詔勅政策をきびしく批判した。桂 ...
50. 加波山事件 民権派激挙の記録 17ページ
東洋文庫
ぜられた。軍部大臣を除くすべての閣僚を党員で占めた、わが国最初の政党内閣である。しかし、文相尾崎行雄の大日本教育会におけるいわゆる「共和演説」に端を発して、自由 ...