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天城山

ジャパンナレッジで閲覧できる『天城山』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
天城山
あまぎさん

伊豆半島中央の東部を占める火山。万三郎まんざぶろう(一四〇五・六メートル)を主峰とする連山で、古くは狩野かの山と称したとされるが、天城山は狩野山を含む呼称で、狩野山は現天城湯あまぎゆしま町と中伊豆町の境の嵩田たけだ(竹田山)付近をさすとの見解もある。「増訂豆州志稿」は天城山を東西一三里・南北六里とする。「日本書紀」応神五年一〇月条にみえる伊豆国の枯野船は狩野山から伐出された木材で造られたとされる(→伊豆国。文治元年(一一八五)源頼朝は自ら伽藍建立の資材確保のため「狩野山」に赴き(「吾妻鏡」同年二月一二日条)、承元二年(一二〇八)には鎌倉鶴岡八幡宮神宮寺造営の用材を狩野山より沼津の海に運び出している(同書同年閏四月二日条)。当地は杉・檜の豊富な産地として、また半島という地理的条件から水運を用いて容易に木材を運搬できるため鎌倉幕府に注目され、小田原北条氏に至っても貴重な材木供給源として重視された。弘治二年(一五五六)二月二四日の北条家朱印状(大川文書)によると、大河(大川)神左衛門尉は天文一九年(一五五〇)より「狩野山檜奉行」を命じられている。永禄二年(一五五九)二月三日に狩野山などの雑木伐採についての法度が定められ(「北条家法度写」同文書)、同七年には伐採は原則禁止とされ、「狩野山奉行」大川神左衛門尉父子にその統括が命じられている(同年一〇月一九日「北条家朱印状」同文書、「北条家禁制写」諸州古文書)。のち用材の搬出港として伊東津が使用されたらしく、天正一四年(一五八六)と同一六年に桑原くわはら(現函南町)の百姓中に狩野山から伊東津までの搬出用人足を供出させている(同一四年九月一五日・同一六年正月六日「北条家朱印状」森文書)

天城山がいつから江戸幕府の御用林となって管理されていたかは不明だが、元禄七年(一六九四)中原戸なかはらと(現中伊豆町)の差出帳写(内田家文書)には「公儀様御林天城山役入用ハ八ケ村ニ而相勤、金銭出役ハ半分高割、半分平均割」とあるので、すでに管理する村が決まっていた。同九年天城山を狩野口・大見おおみ口・仁科にしな口・河津かわづ口の四口に分けてそれぞれに山守を置き、給米三石余のほか一日五合ずつの加夫持が四口に配分された(「山守由緒書」足立家文書)。狩野口はしま市山いちやま門野原かどのはら(現天城湯ヶ島町)の三ヵ村が、大見口は中原戸・戸倉野とくらの姫之湯ひめのゆ原保わらぼ菅引すげひき地蔵堂じぞうどう貴僧坊きそうぼう筏場いかだば(現中伊豆町)の八ヵ村が、仁科口は明伏あけぶし吉田よしだ池代いけしろ南郷なんごう伏倉しくら門野かどの江奈えな船田ふなた建久寺けんきゆうじなか桜田さくらだ峰輪みねわ宮内みやうち大沢おおさわ(現松崎町)大沢里おおそうりはま一色いつしき・中・田子たご(現西伊豆町)宇久須うぐす安良里あらり(現賀茂村)小土肥おどい土肥とい八木沢やぎさわ小下田こしもだ(現土肥町)の二五ヵ村、河津口は梨本・大鍋・小鍋・・浜・見高みだかみね下佐しもさ矢野やの・筏場・下筏場・沢田さわだ田中たなか笹原ささはら谷津やつ縄地なわじ逆川さかさがわ(現河津町)白田しらだ片瀬かたせ奈良本ならもと大川おおかわ稲取いなとり(現東伊豆町)北野沢きたのさわ(現下田市)の二三ヵ村が山付村であった(安永八年「御村帳」江川文庫蔵)。狩野口は湯ヶ島・市山両村が山守を年番で勤め(前掲由緒書)、大見口では菅引村山口家(安政四年「大見口風倒木払下吟味」江川文庫蔵)、仁科口では中村奥田家が山守を勤めた(奥田家文書)。なお河津口では梨本村と湯ヶ野村の各名主が安政六年(一八五九)に山守を勤めたという。万治三年(一六六〇)の豆州狩野山中五人組帳(大城家文書)によると、伐禁木は杉・檜・槻・栢・松の五木で、貞享二年(一六八五)には槻・杉・楠・栢・樫・松・檜・樅・栂が伐禁木に指定されていた(石渡家文書)。明暦三年(一六五七)の江戸大火後、万治三年天城山狩野口から槻一万六千本が伐出された(小森家文書)。寛文一二年(一六七二)川原かわはら(現三島市)新町しんまち橋の架替えには天城山の材木を沼津まで狩野川を利用して川下げしたという。

山付村は天城山の下草、伐禁木以外の雑木を利用する権利をもち、材木・薪などを伐出し、炭・椎茸などを生産して江戸へ売出していた。このため瓜生野うりゆうの(現修善寺町)三津みと(現沼津市)・宇久須(現賀茂村)などに分一番所があり、ここで生産者値段の一〇分の一の運上金を納めていた(大城家文書)。宝暦八年(一七五八)の湯ヶ島村差出帳(足立家文書)によると、湯ヶ島村の者が天城山内に入って耕作の合間に樫小道具作りや抹香皮剥、鍛冶炭の焼出しを行っていた。文化一〇年(一八一三)の狩野口における天城山諸荷物・冥加納調(足立家文書)によると、すす竹は一ヵ年永二五〇文、菅は一ヵ年永六一二文五分で請負い、菅一背負鐚六文・抹香皮一匁鐚八文・下駄木一背負鐚八文・甘茶一匁鐚二四文・かそ一〇貫目鐚五文・藤蔓一〇貫目鐚五文・鍛冶炭一俵鐚五文・荷棒一〇本鐚四文・下駄歯一個鐚八文・椎茸一卸鐚四文・檜綱一房鐚三文・モチ皮一樽鐚一〇〇文の冥加を納めていた。延享年間(一七四四―四八)狩野口山守の板垣勘四郎が駿河国有東木うとうぎ(現静岡市)からワサビの栽培技術を伝え、岩尾いわび伽藍堂(現天城湯ヶ島町)に試植したと伝える。この成功により天城山中各所にワサビ沢ができ、生産が盛んになった。宝暦年間には紀州尾鷲おわせ(現三重県尾鷲市)の炭焼市兵衛が新しい炭焼技術を伝えたといわれ、江戸で天城炭の名声を得るに至った。元禄年間に湯ヶ島村西平にしびらの農民が椎茸の人工栽培を始め(増訂豆州志稿)、のち干椎茸を作るようになり、宝暦年間には天城山付村の農民は指導と称して各地へ出稼に行くようになった(「椎茸御用差紙受状」石渡家文書)。現在、天城山の連山一帯は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。

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検索ヒット数 144
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世界大百科事典
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47. かののしょう【狩野庄】静岡県:田方郡
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日本歴史地名大系
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世界大百科事典
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「天城山」の情報だけではなく、「天城山」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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