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  11. 皇室典範
国史大辞典

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皇室典範
こうしつてんぱん
皇室および皇族の基本であり、皇位継承をはじめ、結婚・摂政・皇族などが定められている。明治二十二年(一八八九)非公式に発表され、明治四十年と大正七年(一九一八)に増補を加えた。第二次世界大戦後の昭和二十一年(一九四六)、現在のものに改正されている。明治十五年伊藤博文が欧州に赴いた際、オーストリアのローレンツ=フォン=シュタインから皇室の家法をつくるようすすめられた。伊藤は同十九年から皇室典範の取調べを始めた。最初の案は皇室制規で、シュタインの意見を参考とし、皇位継承・丁年および結婚・摂政・皇族について定めた。女系の継承権を認め、庶出の子女は皇族として待遇しないことにした。ついで井上毅が女系の継承は祖宗の大憲に反するとの意見を提出した。そこで帝室典則案では女系の継承をやめ、皇庶子孫の継承を認めた。翌二十年柳原前光が皇室法典初稿という皇室財産・皇室経費などを含む大きくまとめた案をつくった。ついで井上がロエスレルに諮問したのち、柳原案を取捨した皇室典範と題する案をつくり、さらに柳原が再稿をつくった。同年三月伊藤が譲位は認めぬこと、皇位の尊号は天皇のみとすることなどについて裁定した。その後柳原がまとめた案ができたが、これを井上が検討して修正を行い、伊藤の決裁を経た。皇族臣籍に列するの規定などものちになって削られた。同二十一年四月皇室典範諮詢案ができ天皇に奉呈された。同年五月・六月と翌年一月の枢密院会議でいくらかの修正があったが、永久皇族の制は維持された。皇室典範の公示の方法については、起草当時から問題となっていたが、典範は皇室みずから家法を定めるものであって公式によりこれを臣民に公布するものでないとし、大臣も副署せず、官報に掲載することもなく、同二十二年二月十一日非公式に発表された。この皇室典範は十二章六十二条から成る。第一章皇位継承では、大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子これを継承すとし、継承の順序を定め、庶系庶出の継承権も認め、皇嗣心身の不治の重患または重大の事故あるときは皇族会議および枢密顧問に諮詢して継承の順序を換えることを得とした。第二章践祚即位では、天皇崩ずるときは皇嗣すなわち践祚し祖宗の神器を承くとし、即位の礼および大嘗祭は京都で行うとし、また一世一元の制をとるとした。第三章成年立后立太子では、天皇および皇太子皇太孫の成年は満十八年とした。第四章敬称は、陛下と殿下を用い、第五章摂政では、天皇未成年のときと、皇族会議および枢密顧問の議を経て天皇親政不能と決したときは摂政を置くとし、成年の皇太子以下の摂政の資格順序を決めた。第六章は太傅、第七章皇族では皇族の範囲を定め、皇族の婚嫁は勅許により、皇族は養子をすることができぬとした。第八章世伝御料、第九章皇室経費、第十章皇族訴訟及懲戒、第十一章皇族会議とした。第十二章補則では、典範を改正増補するときは皇族会議および枢密顧問に諮詢して勅定すとし、臣民の公議に付さないことにした。同四十年二月十一日皇室典範の増補を行なった。これは帝室制度調査局(伊藤博文・伊東巳代治ら)の調査によった。典範制定の時とは異なり、典範は皇室の家法でなく、国法として臣民を拘束するとされ、公式令によって官報をもって公布された。増補は八条から成り、王は勅旨または情願により華族に列せしむることあるべしとして永世皇族の制をやめ、また皇族の身位その他権義について、また皇族と人民とにわたる事項についても典範およびこれに基づく皇室令によって定め、一般法令は典範およびこれに基づく皇室令に別段の定めなきときに限り皇族に適用されるとした。大正七年十一月二十八日の典範増補で皇族女子は王・公族に嫁することを得とした。そして第二次世界大戦後昭和二十一年十二月二十七日典範増補を改正して内親王・王・女王は勅旨または情願により臣籍に入らしむることあるべしとして、親王その妃および子を除くすべての皇族の臣籍降下を行なった。翌二十二年一月十六日新たに公布された皇室典範は旧名を継承するが帝国議会の協賛を経た法律で、第一章皇位継承、第二章皇族、第三章摂政、第四章成年、敬称、即位の礼、大喪の礼、皇統譜及び陵墓、第五章皇室会議に分かれ、三十七条から成り、日本国憲法と同時に施行された。内容も明治の典範に比べて大きく変わった。皇位は皇統に属する男系の男子継承とするのは変わらぬが、庶系庶出の者は皇族となるを得ず、継承権もなくなった。神器、大嘗祭を京都で行うこと、一世一元の規定もなくなった。皇太子皇太孫を除く皇族がその身分を離れる途を広く認めた。皇位継承の順序変更、摂政、立后、皇族男子の婚姻、皇族身分を離れる等々の場合は皇室会議の議を経ることになった。日本国憲法により、皇室財産は国に属し、皇室の費用は予算に計上して国会の議決を経ることになったので、皇室財産・皇室経費の規定は典範からなくなった。→憲法義解(けんぽうぎかい),→皇室令(こうしつれい)
[参考文献]
稲田正次『明治憲法成立史』、中川善之助・宮沢俊義『法律史』(『現代日本文明史』五)、小嶋和司「帝室典則について」(小嶋和司・藤田宙靖編『行政行為と憲法』所収)、稲田正次「明治皇室典範の成立過程について」(『富士論叢』一八ノ二)
(稲田 正次)
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検索コンテンツ
1. 皇室典範
日本大百科全書
宮務法(皇室典範およびそれに基づく皇室令)と、政務法(憲法およびそれに基づく法令)に分かれ、皇室典範は宮務法の基本法として、もっぱら天皇によって改廃された。池田 ...
2. 皇室典範
世界大百科事典
事務に関する宮務法体系の頂点に立つものであり,大日本帝国憲法と並ぶ最高の成文法典であった。旧皇室典範は,皇室自律主義の原則の下で,臣民の意思を反映させるべきもの ...
3. こうしつ‐てんぱん【皇室典範】
デジタル大辞泉
規定する法律。昭和22年(1947)制定。明治22年(1889)に制定された旧皇室典範は明治憲法と並ぶ最高法典であったが、現行皇室典範は通常の法律の一。  ...
4. こうしつ‐てんぱん[クヮウシツ:]【皇室典範】
日本国語大辞典
皇室会議などについて規定している。旧憲法当時の皇室典範は憲法と同格で議会の関与が禁じられていたが、その廃止後、昭和二二年(一九四七)に制定された現行皇室典範は法 ...
5. こうしつてんぱん【皇室典範】
国史大辞典
って削られた。同二十一年四月皇室典範諮詢案ができ天皇に奉呈された。同年五月・六月と翌年一月の枢密院会議でいくらかの修正があったが、永久皇族の制は維持された。皇室 ...
6. 皇室典範
日本史年表
大日本帝国憲法発布 . 皇室典範制定 .議院法・衆議院議員選挙法・貴族院令・会計法・憲法発布に際しての大赦令公布、国事犯多数出獄。 1947年〈昭和22 丁亥〉 ...
7. 皇室典範
法律用語辞典
皇室会議等)について定める。皇室の経済、財政に関しては別に皇室経済法が定められている。なお、旧皇室典範は、明治二二年旧憲法と同時に欽定(きんてい)された皇室に関 ...
8. 皇室典範
プログレッシブ和英
the Imperial Household Law ...
9. Imperial Household Law 【皇室典範】
Encyclopedia of Japan
The law concerning matters related to the imperial household, such as succession ...
10. 皇室典範義解
法律用語辞典
⇒憲法義解 ...
11. 特集 天皇と憲法 知っておこう 天皇は憲法と皇室典範にどう書かれている?
週刊エコノミスト 2015-16
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。 第三条 天皇の ...
12. im・pe・ri・al1音声
ランダムハウス英和
Household Agency(日本の)宮内庁the Imperial Household Law(日本の)皇室典範.3 (属国に対する)帝国の支配[権力]の ...
13. 青木周蔵自伝 313ページ
東洋文庫
然れども老閣並に諸彦の年齢、尚ほ甚だ高からず、老閣の齢は小生の齢を超越する纏に七、八若くは、八、九に過ぎず。皇室典範〔皇位継承、天皇・皇族の身分・財産を定めた法 ...
14. あやま・る【誤】
日本国語大辞典
・一七「斯格的(スコット)は、定規を立て時刻を愆(アヤマラ)ざる人なり」*大日本帝国憲法及び皇室典範制定の御告文‐明治二二年〔1889〕二月一一日「此の憲章を履 ...
15. ありすがわのみやけ【有栖川宮家】
国史大辞典
爾来父子あるいは兄弟相受けて第十代威仁親王に及んだ。しかるに親王の王子栽仁王が早世し、ために当宮家は皇室典範の制規により威仁親王の代を似て絶えることとなったが、 ...
16. い‐しゃ【倚藉】
日本国語大辞典
〔名〕(「倚」はよる、「藉」はかりるの意)たよること。たのむこと。*大日本帝国憲法及び皇室典範制定の御告文‐明治二二年〔1889〕二月一一日「洵に皇祖皇宗及び我 ...
17. 一世一元の制
日本大百科全書
示すものとなった。一世一元の制をとることは皇室典範や登極令(とうきょくれい)においても法的に確認されたが、1947年(昭和22)日本国憲法制定に伴う皇室典範など ...
18. 伊藤博文
日本大百科全書
また翌年から井上毅(いのうえこわし)、伊東巳代治(いとうみよじ)、金子堅太郎(かねこけんたろう)らと憲法、皇室典範のほか貴族院令、衆議院議員選挙法などの草案の起 ...
19. 伊藤博文
世界大百科事典
公布して反政府運動を弾圧した。この間,伊藤首相と井上毅,伊東巳代治,金子堅太郎らの手によって大日本帝国憲法,皇室典範ならびに憲法付属の法典の起草が進められていた ...
20. いとうひろぶみ【伊藤博文】
国史大辞典
憲法制度調査の任を帯びて渡欧した。帰朝後の伊藤は、来たるべき憲法発布、立憲政治の開幕に備えて、憲法草案・皇室典範草案の起草をはじめ、国内の支配機構の確立整備に全 ...
21. いとうみよじ【伊東巳代治】
国史大辞典
諸制度の改革とその整備に努めた。また、伊藤のもとで井上毅・金子堅太郎とともに大日本帝国憲法・皇室典範ならびに憲法付属の諸法典の草案起草にあたった。枢密院書記官長 ...
22. いのうえこわし【井上毅】
国史大辞典
にあたり、翌十九年からいよいよ憲法起草に入った。伊藤の主宰のもとに、井上は主として憲法本文と皇室典範の起草を担当し、二十年五月、まず試草甲・乙案を脱稿、さらに起 ...
23. いのうえ-こわし【井上毅】
日本人名大辞典
岩倉具視(ともみ)の側近として明治十四年の政変を画策。19年から伊藤博文のもとで,大日本帝国憲法,皇室典範,教育勅語などを起草。枢密顧問官となり,26年文相。子 ...
24. いのうえこわしもんじょ【井上毅文書】
国史大辞典
同文書は現在二分されて、公文書を中心とする部分が、国学院大学図書館に「梧陰文庫」として保管されている。内容は皇室典範・明治憲法・司法・行政・教育などの高度な草案 ...
25. 王
世界大百科事典
王号を称するのを例とした。1889年制定の皇室典範では,皇子より皇玄孫(4世)までを親王・内親王,5世以下を王・女王と称し,1947年制定の皇室典範で皇子および ...
26. おう【王】
デジタル大辞泉
儒教で、道徳をもって天下を治める者。王者。 2 皇族で、親王宣下(せんげ)のない男子。皇室典範では、天皇の3世(旧制では5世)以下の皇族男子。 3 同類中、また ...
27. おう[ワウ]【王】
日本国語大辞典
ただ人の四位とわうの五位とは深緋(くろあけ)を着」(ロ)明治以後、皇室典範で天皇の五世以下の皇族の男子。昭和二二年(一九四七)の改正で三世以下となる。*皇室典範 ...
28. おう【王】
国史大辞典
世職とした花山天皇の裔の白川家が伯在任中王号を称したのは、王号に関する特殊な事例である。明治の皇室典範においては、従来の皇親制度を改廃して永世皇族の制をとるとと ...
29. おう‐し[ワウ:]【王氏】
日本国語大辞典
、位封、位田を給与された。婚嫁についてはいくつかの条件で制限されている。旧皇室典範では五世以下の皇族をいい、現皇室典範では三世以下の嫡男系嫡出の子孫をいう。王姓 ...
30. おうじ【皇子】
国史大辞典
」とあるのをはじめとし、諸書に数多くの用例がみられる。明治の皇室典範制定以後も、公式には男女ともに一様に皇子と称し、なお男女を区別する必要がある場合には、皇男子 ...
31. おう‐ひ[ワウ:]【王妃】
日本国語大辞典
1920〕〈寺田寅彦〉「王妃に扮した女優は」(2)日本の皇族で、王の称号をもつ者の配偶者。*皇室典範(明治二二年)〔1889〕三〇条「皇族と称ふるは太皇太后、皇 ...
32. 改元
日本大百科全書
明治の改元にあたって一世一元と定められ、旧皇室典範の規定により、践祚と同時に枢密院に諮詢(しじゅん)し、天皇が勘定して、即日施行された。日本国憲法に基づく新皇室 ...
33. 改元
世界大百科事典
り,元号を明治と定め,改元の詔書に一世一元を永式と定め,1889年帝国憲法と同時に発布された皇室典範にもこれを明記した。→元号佐藤 進一 年号 元号 代始(だい ...
34. 金子堅太郎
世界大百科事典
もなう諸法制の整備に関与した。86年からは伊藤博文のもとで井上毅,伊東巳代治らとともに憲法,皇室典範や憲法付属の法典の起草に当たり,とくに貴族院令,衆議院議員選 ...
35. かねこけんたろう【金子堅太郎】
国史大辞典
諸制度の創設に関与、十八年には総理大臣秘書官となり、翌年から伊藤博文のもとで井上毅・伊東巳代治らとともに憲法・皇室典範ならびに憲法付属の諸法典の起草にあたり、特 ...
36. かんいんのみやけ【閑院宮家】
国史大辞典
命ぜられ、ついで親王宣下を受けた。かくて六代にわたって世襲親王家として継承されたが、同二十二年皇室典範の制定により世襲親王家の制は廃止され、当宮家もその家格を失 ...
37. かんざい‐しゃ[クヮンザイ:]【管財者】
日本国語大辞典
〔名〕「かんざいにん(管財人)」に同じ。*皇室典範(明治二二年)〔1889〕五三条「皇族蕩産の所行あるときは勅旨を以て治産の禁を宣告し其の管財者を任ずべし」 ...
38. 官有地
世界大百科事典
その結果,大量の村持ちの山林原野などが官有地に編入されるにいたった。この官有林野は,このあと,89年2月制定の皇室典範にもとづき90年11月までにかけて,約36 ...
39. 貴族院令
日本史年表
1889年〈明治22 己丑〉 2・11 大日本帝国憲法発布 . 皇室典範制定 .議院法・衆議院議員選挙法・貴族院令・会計法・憲法発布に際しての大赦令公布、国事 ...
40. きねんほう【紀年法】
国史大辞典
紀元はあまり普及せず、公文書はほとんど年号のみを用い、干支も用いない。明治二十二年二月十一日に定められた皇室典範により、天皇は践祚とともに改元し、一世の間改めな ...
41. きゅう‐と[キウ:]【旧図】
日本国語大辞典
旧図〓」*大日本帝国憲法及び皇室典範制定の御告文‐明治二二年〔1889〕二月一一日「惟神(かむながら)の宝祚を承継し、旧図を保持 ...
42. 宮務法体系
法律用語辞典
旧憲法時代において、皇室典範を最高法規とし、皇室令や宮内省令などによって皇室に関する事項を定めていた法体系。旧憲法を最高法規とする国務法体系とは別個・独立の法体 ...
43. きょ‐こう[:カウ]【挙行】
日本国語大辞典
*新聞雑誌‐九号・明治四年〔1871〕八月「速に採択挙行(キョコウ)の実あらんことを仰ぐ」*大日本帝国憲法及び皇室典範制定の御告文‐明治二二年〔1889〕二月一 ...
44. きん‐じゅん【欽遵】
日本国語大辞典
〔名〕(「欽」は天子に関する物事に冠して敬意を示す語)したがい守ること。*皇室典範増補御告文‐明治四〇年〔1907〕二月一一日「皇室典範は〈略〉紹述以来爰に十有 ...
45. きんだい【近代】 : 摂政
国史大辞典
れた大日本帝国憲法では、摂政を置く時は皇室典範によること、および「摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ」ことが定められた(第一七条)。また同日制定された皇室典範は、( ...
46. 黒田清隆内閣
日本大百科全書
ょうじろう)ら在野の元勲の入閣を図り、民間の反政府運動を抑えようとした。1889年2月11日皇室典範、大日本帝国憲法を公布(宮中で発布式)。翌12日黒田首相は地 ...
47. 君主無答責の原則
日本大百科全書
また、天皇は、象徴的地位にあること(憲法1条)、摂政(せっしょう)は在任中訴追されないこと(皇室典範21条)などから、刑事法の適用を受けることはない。しかし民事 ...
48. けい‐しょう【敬称】
日本国語大辞典
または単独に用いて、その人に対する敬意を表わす語。「殿」「様」「氏」「さん」「くん」などの類。*皇室典範(明治二二年)〔1889〕一七条「天皇太皇太后皇太后皇后 ...
49. けい‐しょう【継承】
日本国語大辞典
〔名〕ひきつづいて、うけつぐこと。先代や先任者などの地位や身分、財産、権利、義務などを、うけつぐこと。承継。*皇室典範(明治二二年)〔1889〕一条「大日本国皇 ...
50. 刑事裁判権
日本大百科全書
国内法上の例外として、象徴たる地位にある天皇、在任中訴追されないことになっている摂政(せっしょう)(皇室典範21条)、それに国事行為の臨時代行者(国事行為の臨時 ...
「皇室典範」の情報だけではなく、「皇室典範」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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