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  11. 芥川龍之介
国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典

国史大辞典
芥川竜之介
あくたがわりゅうのすけ
一八九二 - 一九二七
大正時代の小説家。別号柳川隆之介・澄江堂主人。俳号我鬼。明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区(中央区)入船町に生まれた。父新原敏三は酪農業を営む進取の人だったが、生後七ヵ月で実母ふくが発狂したため、本所区(墨田区)小泉町の芥川家(母の実家)に引き取られ、芥川道章の養子となった(正式の養子縁組は明治三十七年八月)。道章は実母の長兄にあたり、東京府の役人で、土木課長に進んだ。養母は儔(とも)、幕末の大通細木香以の姪にあたる。芥川家は下町の由緒ある旧家で、代々江戸城の御奥坊主を勤め、江戸趣味を愛好し、文人的な気風が強かった。その家風と、おなじく江戸情緒を濃くとどめた本所一帯の風土性とは、実母の発狂という事実とあわせて、芥川文学の根柢に沈む文人趣味やニヒリズムをつちかう重要な幼時体験となった。同三十八年、本所元町の江東小学校を終えて東京府立三中に入学、ついで四十三年に一高文科に入り、大正二年(一九一三)九月に東京帝大英文科に進んだ。少年時代から病弱で、そのため早くから読書を好み、東西の文学や哲学を耽読、「本の中の人生を知らうとした」と、のちに回想している。東大在学中に同窓の友人久米正雄や菊池寛らと第三次および第四次『新思潮』を創刊、夏目漱石の知遇を得た。同五年二月、第四次『新思潮』創刊号所掲の『鼻』が出世作で、漱石の激賞を得て文壇進出の機縁となった。同年七月東大を卒業、十二月海軍機関学校の嘱託教官に就任し鎌倉に住んだ。かたわら創作活動を続け、『芋粥』『地獄変』『奉教人の死』など、主として説話や古典に題材を求めた短編を書き、歴史小説の新しい領域を拓いた。計算のゆきとどいた構成、一作ごとに語り口を変える文体など、知的で巧緻な作風は同時代に比類がなく、いわゆる新技巧派の代表作家と目された。同八年三月、機関学校を辞職して東京に帰り、以後は大阪毎日新聞社の社友(のちに社員)として、作家活動に専念した。その作風は前・後の二期に大別され、前期は日常的現実を否定する芸術至上主義をめざしたが、『舞踏会』『秋』などを書いた同九年前後から、健康の衰えや時代の動向などに促されて文学観の動揺を生じ、現実を描くための方法を模索し始めた。それは機関学校時代の私生活を短編化した保吉物を経て、半自伝体の中編『大導寺信輔の半生』に至るが、このころから芥川のニヒリズムはいっそう深刻化し、『河童』や『玄鶴山房』などに、救済のない絶望的な人間風景を描いて、昭和二年(一九二七)七月二十四日、ついに自殺した。三十六歳。墓は東京都豊島区巣鴨の慈眼寺にある。死を前にした虚無的な心情は遺稿の『歯車』『或阿呆の一生』『西方の人』正続などに生々しく、その死は、時代の転形期に遭遇した知識階級の敗北の象徴として、文壇の内外に大きな衝撃を与えた。第一短編集『羅生門』(大正六年)以下の多くの短編集をはじめ、童話集『三つの宝』(昭和三年)、評論集『侏儒の言葉』(同二年)、詩集『澄江堂遺珠』(同八年)などがあり、全集も数種出ている。
[参考文献]
吉田精一『芥川竜之介』、森本修『芥川竜之介伝記論考』、三好行雄編『芥川竜之介』(『現代のエスプリ』二四)、福田恆存『作家論』(『福田恆存評論集』三)
(三好 行雄)


日本大百科全書(ニッポニカ)
芥川龍之介
あくたがわりゅうのすけ
[1892―1927]

小説家。明治25年3月1日東京に生まれる。号は我鬼(がき)、澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)。新原敏三の長男として生まれたが、母フクが精神を病み、母の実家芥川家(道章・儔(とも))に引き取られた。代々江戸城の奥坊主を務めた家柄である芥川家に育ったため、文芸、芸事への関心を早くからもった。東京帝国大学入学の翌年(1914)久米正雄(くめまさお)、松岡譲(ゆずる)らと第三次『新思潮』を創刊し、『老年』(1914.5)や翻訳を発表した。ついで『羅生門』(1915.11)、『鼻』(1916.2)、『芋粥(いもがゆ)』(1916.9)を発表し、1915年(大正4)末から師事していた夏目漱石(そうせき)に認められたことから、文壇へ登ることになった。漱石からは近代個人主義を軸とした人格主義を、森鴎外(おうがい)からはその翻訳などを通して文体や表現上の影響を受けた。『今昔物語集』などの説話から素材を得て、歴史小説の形式をとりながら、ストリンドベリやアナトール・フランスらの西欧19世紀末文学の影響下に形成した人間観を表出した初期の諸短編は、自然主義にかわり、耽美(たんび)主義、新理想主義に続く新しい文学(新理知派)の展開として注目された。1917年から翌1918年にかけては、海軍機関学校教官、大阪毎日新聞社員として生活しつつ、『戯作三昧(げさくざんまい)』(1917.10)、『地獄変』(1918.5)、『奉教人の死』(1918.9)、『枯野抄』(1918.10)などの力作を相次いで発表し、自然主義的、小市民的現実がはらむ矛盾・対立を、芸術によって止揚しようとする芸術主義を顕示し、大正文壇の代表作家の地位を確立した。
 しかし、1920年(大正9)以降は、『秋』(1920.4)を初めとして、現実や日常性に目を向け、芸術主義の態度を修正しつつあり、『蜜柑(みかん)』(1919.5)、『舞踏会』(1920.1)などには、人生における感動と認識との調和の破綻(はたん)がすでに表現されている。1921年3月から7月にかけての、大阪毎日新聞社海外視察員としての中国旅行から帰国後、健康の衰えが著しく、懐疑的、厭世(えんせい)的態度を強めて、『藪(やぶ)の中』(1922.1)、『神神の微笑』(1922.1)などを発表したものの、創作上の行き詰まりを自覚するに至り、私小説隆盛の当時の時流のなかでかたくなに拒否していた私小説的作品にまで手を染めたが、結局打開しきれなかった。大正10年代、とくに関東大震災(1923)後、勢力を拡張してきたプロレタリア文学と対峙(たいじ)した市民文学のなかで、私小説や心境小説を偏重する傾向に対して、芸術の自律性を尊重する芸術派の立場を変えなかったが、社会主義への関心を示したり、中野重治(しげはる)や堀辰雄(たつお)に新しい文学の萌芽(ほうが)を認めるなど変化をみせ、やがて自己の芸術にさえ懐疑的になった。昭和改元(1926.12)後に発表した『玄鶴(げんかく)山房』(1927.2)、『蜃気楼(しんきろう)』(1927.3)、『河童(かっぱ)』(1927.3)や、遺稿として死後に発表された『歯車』(1927.10)、『或阿呆(あるあほう)の一生』(1927.10)などには、暗い現実認識を基調に、個性とか人格とかいう既存の価値観では支えきれない人間のあり方が描きとめられ、近代個人主義に立脚した芸術の一つの帰結が認められる。昭和2年7月24日、自宅でベロナールなどの睡眠薬を多量に飲んで自殺した。芥川の自殺は、一つの時代の変わり目を告げる事件として、文壇や知識人に衝撃を与え、社会的にも大きく報じられた。
 近代自我の全体性を芸術を通して実現する芸術主義と個人主義とを基調として展開された大正文学の代表的作家として、また、西欧的なものの広範な摂取のうえに近代短編小説の多様な可能性を実践した短編小説家として芥川の名は近代文学史のうえに特筆されるものである。没後、何度も全集が刊行されて広く愛読されている。親友であった『文芸春秋』創刊者菊池寛によって設けられた「芥川龍之介賞」は、今日に至るまで権威のある文学賞として社会的関心をも集めている。多くを小穴(おあな)隆一が装丁した芥川の著作集も、『芥川龍之介文学館』(日本近代文学館刊。1977.7)として復刻され、太平洋戦争の際に焼失を免れた芥川の蔵書の一部は、現在、日本近代文学館に「芥川文庫」として所蔵されて、研究者などに利用されている。
[海老井英次]



改訂新版 世界大百科事典
芥川竜之介
あくたがわりゅうのすけ
1892-1927(明治25-昭和2)

作家。東京の生れ。号,澄江堂主人など。俳号は我鬼。生後7ヵ月にして母の発狂のため,その実家芥川家に養育され,幼少年期を下町の本所に過ごす。養家は代々お数寄屋坊主を務め,その家系につたわる文人的・遊芸的気分はおのずからに彼の作風に影響を与え,その文人趣味とともにすぐれた鑑賞家の眼を育てた。府立三中,一高を経て1916年,東大英文科を卒業後,海軍機関学校の英語教官として19年まで勤めた。16年2月発刊の第4次《新思潮》に発表の《鼻》が,師夏目漱石の推挽を受け文壇に登場。翌17年には第1創作集《羅生門》を刊行。その多彩な文体の変化と巧緻をきわめた構想の妙を示す短編の数々に独自の世界をひらき,たちまちに大正文壇の寵児となった。その題材も《羅生門》(1915),《芋粥》(1916),《地獄変》(1918),《六の宮の姫君》(1922)など王朝の説話集に材をとった王朝もの,《奉教人の死》(1918)や《神神の微笑》(1922)のごとき切支丹もの,《戯作三昧》《或日の大石内蔵助》(以上1917)など江戸時代を舞台としたもの,《開化の殺人》(1918),《舞踏会》(1920)など明治初期に材をとった開化ものなどをはじめ多岐にわたったが,いずれもその鋭い人間批評とともに,また一面〈日本的優情〉とも呼ばれる繊細な抒情性をにじませ独自の短編世界を示した。そのすべてを作家のすぐれて意識的な試みと見る芸術観(《芸術その他》)は,やがて意識ならぬ無意識の世界,日常性そのものへの着目へと転移し,22年以後書き出される保吉もの(《保吉の手帳から》ほか)から《大導寺信輔の半生》(1925),《点鬼簿》(1926)などへと進むにつれ,己の出自をめぐる宿命への暗い凝視となる。その心身の衰弱のなかにも力編《玄鶴山房》や《河童》,珠玉の小品《蜃気楼》(以上1927)などに最後の光芒を見せつつ,やがて《或阿呆の一生》をはじめとする一連の遺稿の内にその作家的宿運の何たるかを語りつつ,27年7月24日未明,〈ぼんやりした不安〉の一句を遺書に残し,自裁の死をもって36年の生涯を閉じた。遺稿《歯車》や《西方の人》の語るその内なる西方と東方の相克,また日常性を“守らんとする”生活者の意識とこれを“超えんとする”芸術家の意識の葛藤などを基底とする,彼自身のいう“無数の分裂”こそは,芥川という作家の存在が,まさしく大正から昭和への架橋を意味していたことを告げるものであろう。
[佐藤 泰正]

[索引語]
鼻(芥川竜之助) 或阿呆の一生
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1. 芥川龍之介画像
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池寛によって設けられた「芥川龍之介賞」は、今日に至るまで権威のある文学賞として社会的関心をも集めている。多くを小穴(おあな)隆一が装丁した芥川の著作集も、『芥川
2. 芥川龍之介[百科マルチメディア]画像
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4. あくたがわ‐りゅうのすけ【芥川龍之介】
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5. あくたがわりゅうのすけ【芥川竜之介】
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八年)などがあり、全集も数種出ている。 [参考文献]吉田精一『芥川竜之介』、森本修『芥川竜之介伝記論考』、三好行雄編『芥川竜之介』(『現代のエスプリ』二四)、福
6. あくたがわ-りゅうのすけ【芥川竜之介】画像
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1892−1927 大正時代の小説家。明治25年3月1日生まれ。芥川比呂志・也寸志の父。母の実家芥川家の養子となる。東京帝大在学中,久米正雄,菊池寛らと第3次,
7. 芥川龍之介[文献目録]
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葛巻義敏『芥川竜之介』浅井清『芥川竜之介 1‐3』浅井真男『芥川竜之介』阿部知二『芥川竜之介』石丸久『芥川竜之介』猪野謙二『芥川竜之介』岡本かの子『芥川竜之介
8. 芥川賞
日本大百科全書
芥川龍之介(りゅうのすけ)の名を記念した純文学の新人賞。正式名は芥川龍之介賞。芥川の友人であった菊池寛の発案で1935年(昭和10)直木賞とともに始まり、今日に
9. あい‐あい【曖曖】
日本国語大辞典
たん)、烟となっては火に還り、火となっては再(ま)た烟となりつ」*煙草と悪魔〔1916〕〈芥川龍之介〉「こののんびりした鐘の音を聞いて、この曖々たる日光に浴して
10. あいづち を 打(う)つ
日本国語大辞典
して買った事をぬりかくさんと、頻に茶見蔵に相槌を打たせんと気をもむ故」*芋粥〔1916〕〈芥川龍之介〉「両方に満足を与へるやうな、相槌(アヒヅチ)を打った」
11. アイロニカル
日本国語大辞典
〔形動〕({英}ironical )皮肉な。皮肉っぽい。いやみたっぷりな。*西郷隆盛〔1918〕〈芥川龍之介〉「不相変(あひかはらず)小さな眼が、〈略〉アイロニ
12. あい‐わ【哀話】
日本国語大辞典
〔名〕悲しい、哀れな物語。悲話。*開化の殺人〔1918〕〈芥川龍之介〉「以て酒間その口より一場の哀話を語らしめたり」*秋声の描く女〔1946〕〈中野好夫〉「哀話
13. 「青い文学」[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2018
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14. 「青い文学」シリーズ[アニメ]
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15. あか‐あざ【赤痣】
日本国語大辞典
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16. 赤い鳥
日本大百科全書
果たした。第一は、明治期の前近代的な児童読物を克服して近代的、芸術的な童話を生み出したことで、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の『蜘蛛(くも)の糸』、有島武
17. 赤い鳥
世界大百科事典
真価ある純麗な童話と童謡を創作する,最初の運動〉をめざし,島崎藤村,徳田秋声,野上弥生子,芥川竜之介,泉鏡花,小川未明,有島武郎ら当時,文壇で活躍していた人たち
18. あかいとり【赤い鳥】
国史大辞典
を迎ふる一大区画的運動の先駆である」と宣言して自家出版した。小川未明・島崎藤村・北原白秋・芥川竜之介・有島武郎らの作品を収載し、また坪田譲治・塚原健二郎・新美南
19. あかし【明・灯・燈・証】
日本国語大辞典
短きとて、證拠(アカシ)にこそなれなかなかに、疑はるべきものならず」*邪宗門〔1918〕〈芥川龍之介〉一四「予でない事だけは、しかとした証(アカシ)もある」*抒
20. あか‐はな【赤鼻】
日本国語大辞典
なるを見給ひて、手づから、此のあかはなをかきつけ、にほはして見給ふに」*芋粥〔1916〕〈芥川龍之介〉「生れた時から、あの通り寒むさうな赤鼻(アカハナ)と、形ば
21. あが・る【上・揚・挙・騰】
日本国語大辞典
自ら思ひあがりして鶴屋の手を離れ自立して高く標置せんなどいふ考へは更に無く候が」*邪宗門〔1918〕〈芥川龍之介〉四「されば父上の御名誉も、一段と挙(ア)がらう
22. あきす‐ねらい[‥ねらひ]【空巣狙】
日本国語大辞典
是(こ)れは出来るだらう』『明巣狙ひ……』『留守を目掛けて這入(はい)るのだ』」*お富の貞操〔1922〕〈芥川龍之介〉「つい、御留守へはひこみましたがね─何、格
23. あきたさきがけしんぽう【秋田魁新報】
国史大辞典
和風らが近代新聞の体裁を整えていく。ことに学芸面に特色を盛り、泉鏡花・山村暮鳥・徳田秋声・芥川竜之介らの珍しい作品が載った。大正三年(一九一四)七月輪転機を設け
24. あく‐さく【悪作】
日本国語大辞典
ピザロー』といふ悪作(アクサク)をもて名を知られたるのみ」*あの頃の自分の事〔1919〕〈芥川龍之介〉二「だから自分は言下に悪作だとけなしつけた」
25. アクサン
日本国語大辞典
〔名〕({フランス}accent )(1)語学の用語。(イ)アクセント。*舞踏会〔1920〕〈芥川龍之介〉一「その仏蘭西(フランス)の海軍将校は〈略〉異様なアク
26. あく‐し【悪子】
日本国語大辞典
九・二五「阿闍世王の悪子にあひて此を縁として裟婆世界をうとみ」*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉前書「唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持ったものたちを如何にも
27. あく‐しん【悪親】
日本国語大辞典
〔名〕悪い親。*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉前書「唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持ったものたちを如何(いか)にも気の毒に感じてゐる」
28. 芥川賞
世界大百科事典
文芸春秋社を主宰していた菊池寛が旧友芥川竜之介を記念する意味と雑誌の発展,純文学の新人の発掘をめざして設定した文学賞。年2回。1935年(昭和10)以来続いてい
29. あくたがわ‐しょう[あくたがはシャウ]【芥川賞】
日本国語大辞典
昭和一〇年(一九三五)芥川龍之介を記念し、文芸春秋社が設けた文学賞。年二回、新進・無名作家の小説を対象に選考、授与される。昭和二〇~二三年まで中断し、二四年復活
30. あくたがわしょう【芥川賞】
国史大辞典
芥川竜之介の名を記念し、直木(三十五)賞とともに文芸春秋社が昭和十年(一九三五)に創設した純文学賞(直木賞は大衆文学賞)で、新人の文壇登竜門とされている。正式
31. 芥川賞/直木賞[文芸]
イミダス 2018
正しくは芥川龍之介賞、直木三十五賞。菊池寛の友人だった芥川龍之介(1892~1927年)、直木三十五(1891~1934年)の名前にちなんだもので、芥川賞は純
32. 芥川比呂志
日本大百科全書
俳優、演出家。作家芥川龍之介(りゅうのすけ)の長男として東京に生まれる。慶応義塾大学仏文科卒業。1947年(昭和22)劇作家加藤道夫らと「麦の会」を結成、194
33. あくたがわ-ひろし【芥川比呂志】画像
日本人名大辞典
1920−1981 昭和時代の俳優,演出家。大正9年3月30日生まれ。芥川竜之介の長男。芥川也寸志(やすし)の兄。慶大在学中から演劇をはじめ,加藤道夫らと劇団麦
34. あくたがわ-ふみ【芥川文】
日本人名大辞典
1900−1968 大正-昭和時代前期,芥川竜之介の妻。明治33年8月4日生まれ。夫の東京府立第三中学時代の同級生山本喜誉司の姪(めい)。大正5年婚約し,7年1
35. 芥川也寸志
日本大百科全書
作曲家。東京都生まれ。芥川龍之介の三男、兄は俳優の芥川比呂志(ひろし)。1943年(昭和18)東京音楽学校(現、東京芸術大学)本科作曲部に入学。翌1944年学徒
36. あくたがわ-やすし【芥川也寸志】画像
日本人名大辞典
1925−1989 昭和時代後期の作曲家。大正14年7月12日生まれ。芥川竜之介の3男。芥川比呂志の弟。伊福部昭(いふくべ-あきら)らにまなび,昭和28年団伊玖
37. あく‐ふ【悪夫】
日本国語大辞典
〔名〕わるい夫。わるい亭主。*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉前書「唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持ったものたちを」
38. あくま‐しゅぎ【悪魔主義】
日本国語大辞典
もなくなって、只悪魔主義(アクマシュギ)丈が存在してゐる」*侏儒の言葉〔1923~27〕〈芥川龍之介〉或悪魔主義者「彼は悪魔主義(アクマシュギ)の詩人だった」ア
39. 悪魔の辞典
日本大百科全書
いずれも彼の冷笑癖と風刺精神が遺憾なく発揮されている。なお、ビアスを日本に最初に紹介したとされる芥川龍之介の『侏儒(しゅじゅ)の言葉』は、この『悪魔の辞典』にな
40. アグニ【阿耆尼】
日本国語大辞典
太陽・雷光・祭火となって暗黒と邪悪を滅ぼす。密教では大日如来の化身ともいう。*アグニの神〔1921〕〈芥川龍之介〉一「何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをな
41. あ‐けい【鴉髻】
日本国語大辞典
、「髻」は髪、またはそのもとどりの意)カラスの羽のように黒い髪。*南京の基督〔1920〕〈芥川龍之介〉一「金花は彼の腕に、鴉髻(アケイ)の頭(かしら)を凭(もた
42. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
一「室内(うち)では恭一と主婦と、顔を擡(ア)げてお波を見上げた」*るしへる〔1918〕〈芥川龍之介〉二「ふと眼を挙げて、行手を見れば」(2)馬を跳ねさせる。走
43. 赤穂浪士
世界大百科事典
大異議〉と規定する。すなわち作者は,赤穂事件を描くさいに,講談風の封建的な義士礼賛を排し,芥川竜之介が歴史小説中でとった近代的解釈の方法を継承し,これに豊かな肉
44. あさや・ける【朝焼】
日本国語大辞典
〔自カ下一〕(「あさやけ(朝焼)」の動詞化)日の出のとき、東の空が陽光で赤く染まる。*枯野抄〔1918〕〈芥川龍之介〉「一しきり赤々と朝焼けた空は、又昨日のやう
45. あしで‐もよう[‥モヤウ]【葦手模様】
日本国語大辞典
〔名〕葦手を模様にしたもの。*路上〔1919〕〈芥川龍之介〉一〇「初子の隣に同年輩の若い女が、紺地に藍の竪縞の着物の胸を蘆手模様(アシデモヤウ)の帯に抑へて、品
46. あし を 止(と)める
日本国語大辞典
*雁〔1911~13〕〈森鴎外〉一「古本屋があれば足(アシ)を止(ト)めて見る」*葱〔1920〕〈芥川龍之介〉「思はずその八百屋の前へ足を止めた」(2)行ったり
47. アスファルト
日本国語大辞典
内田魯庵〉矮人巨人・一「幅一間の一等道路はアスパルトで敷詰め」*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉八「雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った」
48. あずま‐がらす[あづま‥]【東鴉】
日本国語大辞典
〔名〕夜明け方の空に鳴くカラス。東国の人をあざけっていう呼び名。*偸盗〔1917〕〈芥川龍之介〉一「猪熊の婆も腰を反らせて、一しきり東鴉(アヅマガラス)のやうな
49. あた 面倒(めんどう)
日本国語大辞典
ひどくわずらわしい。いやに厄介だ。*浄瑠璃・八百屋お七〔1731頃か〕中「あためんどうな」*龍〔1919〕〈芥川龍之介〉一「生憎予はこれと云うて、筆にする程の話
50. あた・る【当・中】
日本国語大辞典
、するほどの事あたらぬ事なく、天地(あめつち)も動す勢なりしに」*ひょっとこ〔1915〕〈芥川龍之介〉「日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青(いはろくしゃう)を買占
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坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代・江戸初期の大名。上杉謙信の養子。初名は卯松、喜平次、顕景。実父は越後坂戸城(新潟県南魚沼市)の城主長尾政景で、母は謙信の姉。父の死後謙信に養われ、1575年(天正3)春日山城の中城で上杉弾正少弼景勝となる。78年謙信の死後、もう1人の養子上杉三郎景虎
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キング(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカ合衆国のバプティスト派の黒人牧師で、黒人公民権運動の指導者。ジョージア州アトランタに生まれる。バスの座席の人種分離に反対して1955年12月から1年以上にわたって闘われた、アラバマ州モントゴメリーのバス・ボイコット運動の指導者として一躍脚光を浴び
リンカーン(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカ合衆国第16代大統領(在任1861~65)。開拓農民だった父トーマスと母ナンシーの第2子(第1子は長女セラ)として、2月12日にケンタッキー州のホッジェンビル付近の丸太小屋で生まれた。独立戦争が終わったころバージニア州から辺境のこの地方に移住
チャーチル(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
イギリスの政治家。11月30日保守党政治家ランドルフ・チャーチルの長男として、名門貴族マールバラ公爵家に生まれる。サンドハースト陸軍士官学校で学んだのち、陸軍に入り、インドに赴任した。そこでの経験をもとに書いた『マラカンド野戦軍』
コロンブス(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
スペイン語名クリストバル・コロン、イタリア語名クリストフォロ・コロンボ。イタリアのジェノバ生まれといわれる航海者、新大陸の「発見」者。生年月日は明確ではないが、1451年の8月26日から10月末日までの間に生まれたと推定される
ベネディクト(日本大百科全書・世界大百科事典・世界人名大辞典)
アメリカの文化人類学者。ニューヨークに生まれる。1909年バッサー・カレッジ卒業後、1914年生化学者スタンレー・ベネディクトStanley Rossiter Benedict(1884―1936)と結婚するまで語学教師として数年を過ごし、結婚後は詩作に熱中した
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