ユリ科(APG分類:ヒガンバナ科)の多年草。ガーリックの名でよばれることもある。鱗茎(りんけい)は強い辛味と特有の臭気があり、香辛料としまた強壮薬とするために栽培される。原生野生種は未発見であるが、キルギス砂漠地帯が原生地とみられている。栽培の歴史は古く、エジプト、ギリシア時代から栽培、利用があった。イスラムの神話では、悪魔が人間の堕落を見届けてエデンの園の外へ出たとき、左の足跡からニンニクが、右の足跡からタマネギが生えたという。中国へは西方から入り、胡(こ)の国からもたらされた植物という意味で葫の名がついた。日本へは古く中国から入った。鱗茎は球状に肥大し、白または紅色の薄膜に包まれ、内部は数個の小鱗茎に分かれる。葉は灰白色を帯びた緑色で、夏に枯れ、休眠する。しばしば葉腋(ようえき)にむかごをつける。地上茎は葉の間から伸び、茎頂に白紫色の花をつける。花序は鳥のくちばし状に伸びた長い包葉に包まれる。種子はできず、花の中に子苗ができ、これが地に落ちて繁殖する。秋に小鱗茎を植え付け、翌年の初夏に収穫する。現在よく栽培される品種はホワイト六片と壱州早生(いしゅうわせ)である。ホワイト六片は北日本で栽培され、主産地は青森県、壱州早生は西日本で栽培され、四国が主産地である。ほかに遠州早生などが昔から知られた品種である。
2019年1月21日
古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(前5世紀)によれば、ピラミッド建設に従事したエジプトの労働者が食したという。中国では、『爾雅(じが)』(前2世紀ごろ)に蒜(サン)の名がみえ、『博物志』(3世紀)は、ニンニクを中国に伝えたのは張騫(ちょうけん)(?―前114)とする。蒜(大蒜、小蒜、蒜子を含む)は、6世紀の『斉民要術(せいみんようじゅつ)』では26の料理に使用されている。日本にも古く伝わり、『古事記』に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国(あずまのくに)平定の際、足柄山(あしがらやま)の神が化けた白鹿(しろしか)を、蒜を投げて打ち殺した物語が載る。ニンニクに含まれるアリシンは栄養源になり、殺菌作用も強い一方で、強烈な臭(にお)いをもつ。ニンニクはこれらのとらえ方で、神聖視されたり、嫌われたりした。古代ギリシアでは魔術の女神ヘカテの供物に使われ、中世のヨーロッパでは吸血鬼を払う魔力があると信じられた。日本でもニンニクと縁をもつ神社があり、茨城県つくば市の一ノ矢八坂神社(いちのややさかじんじゃ)では旧暦6月7日の祭りにニンニク市(いち)が立つ。一方、古代の小アジアでは神々の母神シビリーCybele(ギリシア語Kubele)の神殿に、ニンニクを食べて入ることは許されなかった。仏教でニンニクを薬用以外に禁じたのは、釈迦(しゃか)がコーサラ国で説法中、臭気を気にして身の入らない尼がいたためであったと仏典は説く。ニンニクの語源となった忍辱(にんにく)は、もともと「辱めを忍ぶ」意味の仏教用語で、寺での食用を禁止された大蒜(おおひる)の隠語として使われていたのが、のちに通用名となった。
2019年1月21日
ユリ科の多年草。一名をオオニンニク,古名をオオビル(大蒜)ともいう。原産は,中央アジアまたはインドなどとする説もあるが,野生植物が発見されず明らかではない。鱗茎は扁球状に肥大し,放射状に着生した4~十数個の鱗片から成っている。鱗茎は白または帯紅色の被膜に包まれる。葉は扁平で長く先はとがり,青白色を呈する。花茎は円く高さ30~60cmに直立し,先端に散形花序をつけるが,花はつけず,先端に珠芽を生ずることもある。
栽培は古く,エジプトではすでに王朝期以前から知られ,ギリシア・ローマ時代にもよく利用されていた。ネギ類のうちでもにおいが最も強いところから,忌むべきものとして,聖域の禁制品とされていた。古代ギリシア人の間でも,ニンニクを口にしたものは神殿に入ることを許されなかった。一方,古代ローマ人も強臭を嫌ったが,強精な成分があるとして,兵士や奴隷には食べさせたといわれている。現在の栽培は近東方面から地中海地方,インド,アフリカ,中国,韓国に多く,アメリカにも広がっている。日本では《本草和名》以後に記載がみられるところから,導入,栽培されたのは10世紀以前からのことといわれる。中国や韓国から渡ってきたとみられ,品種には早晩性があり,〈遠州極早生〉〈壱州早生〉〈6片種〉〈佐賀大ニンニク〉〈香港〉などがある。繁殖は種球(鱗片か珠芽)で行う。9月に種球を植え付けて翌年5月に収穫する。全国的に栽培されているが,茨城,長野,佐賀などの各県に多い。中国やインドでは生食することもあり,欧米でもラテン系の民族が好んで利用している。おもに鱗茎がケチャップやソース類などの調味料や,肉,魚の香辛料として利用される。最近ではガーリックパウダーとして加工され,調味料として広く使われている。また葉や若芽が野菜として利用される。ニンニクのにおいはアリルトリサルファイド(三硫化アリル)で,またビタミンB1を多く含んでいる。
ニンニクの薬効は古くから経験的に知られていたもので,日本でも平安時代には《源氏物語》帚木(ははきぎ)の巻に見られるように,〈極熱(ごくねち)の草薬(そうやく)〉とも呼ばれ,諸病の治療に用いられていた。室町時代以後は,夏の土用になると夏まけのまじないとして,ニンニクとアズキを水でのむならわしがあった。門口などにつるして疫病よけとする風は江戸初期から見られる。食用に関する文献が,江戸時代になるまでその食穢(しよくえ)について以外に見られないのは,強い臭気と仏教上の禁忌によるものと思われ,1643年(寛永20)刊の《料理物語》にいたって初めてニンニクを使う料理名が記載される。《江戸料理集》(1674)には鳥肉の汁の薬味やタニシのあえ物に使うとあり,においの強い材料や鳥獣肉の料理に使われたようである。ニンニクは油脂によくなじみ肉類のうまみを引き立てるので,スープ,いため物,煮込み物その他の肉料理などに多用され,日本でも第2次大戦後の洋風料理,中国風料理などの普及にともなって身近な食品になりつつある。
《日本書紀》の景行天皇条には,日本武尊が一箇蒜 (ひとつのひる)で山神の化身白鹿の目を打ち,そのために鹿が死ぬ話があるが,ニンニクの中でもとくに鬼邪を殺す効能をもつとされた独頭葫(どくとうこ)(《陳蔵器食経》)や,独子葫(《図経》)を連想させる。古代医術ではニンニクは風湿や水病を除き,山間の邪気であるところの瘴気(しようき)を去り,少しずつ長期にわたって食べれば血液を浄化し,白髪を黒くするほか,生で食べれば虫蛇を殺す効能があるが,一度にたくさん食べると目を損なうとされていた。このことは,白鹿が目を打たれて死に,その後,山越えする場合はニンニクをかんで人や牛馬に塗る,そうすると神の気に当たらないという《日本書紀》の記述に重なり合う部分が多い。
ニンニクには強烈な異臭にまつわる俗信が多い。古代フリュギアではニンニクのにおいのする者はキュベレの神殿に入れなかったといわれる。一方,ギリシアでは魔術を破る霊草として神聖視され,ホメロスはオデュッセウスが魔女キルケのまじないを解くのに用いたと伝えている。イスラム圏にはエデンの園を出たサタン(シャイターン)の左の足跡にニンニク,右の足跡にタマネギが生えたという伝説がある。イギリスでは幼児をいれたゆりかごにニンニクを飾り,取替子とすり換えようとする妖精よけにした。そのほかヘビ,サソリ,疫病を駆逐する強力な薬草として古くから各地で用いられた。ハローウィーン(万聖節の宵祭)にはこれを戸口につるして厄を払い,ペスト流行時には死体を清めるのに用いられた。吸血鬼よけの効能も,B.ストーカーの《ドラキュラ》などの作品でおなじみである。さらに大プリニウスは《博物誌》において,天然磁石をニンニクで擦れば磁力がうせると述べ,ディオスコリデスは《薬物誌》で,ヘビや狂犬による咬傷(こうしよう)や歯痛の特効薬としている。花言葉は〈勇気と力〉。
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