1922年2月6日,アメリカ,ベルギー,イギリス,フランス,中国,イタリア,日本,オランダ,ポルトガルの計9ヵ国の間でワシントン会議の一環として調印された条約。中国の主権・独立・領土的行政的保全の尊重,中国における商工業上の機会均等,勢力範囲設定の禁止などを約した。25年8月5日発効。以後ボリビア,デンマーク,メキシコ,ノルウェー,スウェーデンも加わった。この条約は第1次世界大戦後の中国をめぐる国際関係について,アメリカの年来の主張であった門戸開放政策をその準則として樹立し,大戦中の日本の政策に見られたような特殊権益獲得・勢力範囲設定を目ざすいわゆる〈旧外交〉を否定したものであった。日本は譲歩を余儀なくされ,条約成立と前後して,大戦中獲得した権益の一部を放棄することとなった。他面この条約は,すでに確立された権益についてはこれを認めると解される条項(第1条第4項)を含んでおり,日本の満蒙権益の主要部分を脅かすものではなかったため,日本は対米協調を重視してこの条約に応じた。しかしやがて日本は,この満蒙権益への危機感から,31年満州事変に始まる中国侵略を開始する。列国は九ヵ国条約違反として日本を非難し,37年にはブリュッセルで九ヵ国会議を開いたが,日本はこれを無視し,39年には,国際情勢の変化を理由に九ヵ国条約の拘束力を否認するに至った。
→ワシントン体制
1922年2月6日、ワシントン会議で調印された中国に関する一連の原則を定めた条約。調印国は、アメリカ、ベルギー、イギリス、中国、フランス、イタリア、日本、オランダおよびポルトガルの9か国。批准完了は25年8月5日。のちにスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、メキシコ、ボリビアが参加して、十四か国条約となった。全文9か条からなる。第1条で、(1)中国の主権・独立および領土的・行政的保全を尊重する、(2)中国が有効な安定した政府を樹立し維持するため障害のない機会を与える、(3)中国全土を通じる商工業の機会均等主義を確立する、(4)中国における排他的特権の獲得を差し控える、という原則が定められた。そのほか、中国における門戸開放、機会均等をいっそう有効にするための条件(3条)、勢力範囲創設の否定(4条)、鉄道に関する差別待遇の廃止(5条)、中国の中立尊重(6条)などが合意された。この条約により、アメリカはかねてから主張してきた中国における門戸開放政策を成文化し、列強に承認させ、列強の勢力範囲を否定し、極東における国際関係の主導権を握った。また中国における日本の特殊権益を承認した石井‐ランシング協定は廃棄された。別途に開かれた日中交渉により、日本は二十一か条要求の一部放棄、膠州湾(こうしゅうわん)租借地の返還などを迫られ、かくして日本の対中国進出にストップをかけようとするアメリカのねらいは成功を収めた。
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