1. 佐久間象山画像
日本大百科全書
幕末の先覚者。信州松代(まつしろ)藩士。名は啓(ひらき)(またの名は大星(たいせい))、字(あざな)は子明(しめい)、通称は修理(しゅり)、号を象山という。一般
2. 佐久間象山[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵
3. 佐久間象山
世界大百科事典
1811-64(文化8-元治1) 幕末の思想家,〈東洋道徳・西洋芸術〉の観念の主唱者。名は啓,通称は修理,象山は号。信州松代藩下級武士の子として同地に生まれる。
4. さくま‐しょうざん【佐久間象山】
日本国語大辞典
幕末の学者。開国論者。信州松代藩士。名は啓(ひらき)、大星。通称は修理。象山は号で、一説に「ぞうざん」。佐藤一斎に師事、朱子学を修め、また蘭学・砲学に通じ、西洋
5. さくましょうざん【佐久間象山】画像
国史大辞典
[参考文献]佐藤昌介・植手通有・山口宗之校注『渡辺崋山高野長英佐久間象山横井小楠橋本左内』(『日本思想大系』五五)、宮本仲『佐久間象山』、大平喜間多『佐久間象山
6. さくま-しょうざん【佐久間象山】画像
日本人名大辞典
1811−1864 江戸時代後期の武士,思想家。文化8年2月28日生まれ。妻は勝海舟の妹。信濃(しなの)(長野県)松代(まつしろ)藩士。江戸で佐藤一斎にまなび,
7. 佐久間象山[文献目録]
日本人物文献目録
佐久間象山』井野辺茂雄『佐久間象山』上山春平『佐久間象山』巌穴生『佐久間象山』神田霜堂『佐久間シャウ山』森銑三『佐久間象山』渡辺修二郎『佐久間象山 危機が生んだ
8. 佐久間象山
日本史年表
4・6( 5・2 ) 幕府、松代藩士 佐久間象山 を松陰に連座して投獄(維新史料綱要)。 1864年〈元治元(2・20) 甲子〉 7・11( 8・12 ) 佐久
9. 佐久間象山上書 (見出し語:佐久間象山)
古事類苑
政治部 洋巻 第3巻 258ページ
10. 佐久間象山被レ命二蟄居一 (見出し語:佐久間象山)
古事類苑
法律部 洋巻 第2巻 585ページ
11. 佐久間象山通二西洋砲術一 (見出し語:佐久間象山)
古事類苑
武技部 洋巻 第1巻 895ページ
12. 佐久間象山鑄二造大砲一 (見出し語:佐久間象山)
古事類苑
武技部 洋巻 第1巻 948ページ
13. さくま-ぞうざん【佐久間象山】
日本人名大辞典
⇒さくま-しょうざん
14. 佐久間象山蔵書印[図版]画像
国史大辞典
象山書院 養性斎記 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.
15. さくまぞうざんたくあと【佐久間象山宅跡】長野県:長野市/松代地区/松代城下/竹山町・有楽町
日本歴史地名大系
[現]長野市松代町竹山町 象山の東山麓にある。宅跡は象山の曾祖父三左衛門国品が初めて真田家に仕えた時、藩より与えられたものである。西面二八メートル、北面四四メー
16. 佐久間象山逸事(著作ID:974174)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんいつじ
17. 佐久間象山学政意見書(著作ID:4335119)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんがくせいいけんしょ 佐久間象山(さくましょうざん)
18. 佐久間象山吟味書(著作ID:848011)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんぎんみしょ 記録 嘉永七
19. 佐久間象山公務日記(著作ID:1003674)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんこうむにっき 公務日記 佐久間象山(さくましょうざん) 記録 元治元
20. 佐久間象山書翰(著作ID:1146696)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんしょかん 佐久間象山(さくましょうざん) 書簡
21. 佐久間象山大志伝(著作ID:460106)
新日本古典籍データベース
さくましょうざんたいしでん 伝記 明治一五
22. 佐久間修理上書(著作ID:202164)
新日本古典籍データベース
さくましゅりじょうしょ 佐久間啓上書 佐久間修理建白 佐久間修理主家への上書 佐久間象山上書 象山上言 佐久間象山(さくましょうざん) 海防
23. 会沢正志斎[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:14件 【逐次刊行物】:8件 『近世百傑伝』干河岸貫一『大日本思想全集 17 吉田松陰・佐久間象山集 附会沢正志集・浅見絅斎集』大日本思想全集刊行会(
24. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 260ページ
東洋文庫
自殺説もある。津田真道(真一郎)〔天元-充9一〕法学者。美作津 山藩士。江戸へ出て箕作玩甫、佐久間象山に洋学、 兵学を学び蕃書調所教授手伝並となる。文久二年 (
25. 秋山記行・夜職草 126ページ
東洋文庫
八嶋田彦八湯本に子孫の島田氏(当主は七代国男氏)で、家系は二代彦八、三代彦七となっている。佐久間象山がここを訪れたとき迎えに出たのは彦七と『鞘野旦記』にある。九
26. あ‐こく【亜国】
日本国語大辞典
また、アルゼンチンにあてた「亜米利加」「亜爾然丁」の略)〔一〕アメリカ。アメリカ合衆国。*佐久間象山上書稿‐文久二年〔1862〕九月「亜国へ漂流致候土州漁師の忰
27. 浅見絅斎[文献目録]
日本人物文献目録
『絅斎先生遺著要略 絅斎先生二百年祭紀事』小林正策(編)『大日本思想全集 17 吉田松陰・佐久間象山集 附会沢正志集・浅見絅斎集』大日本思想全集刊行会(編刊)『
28. ア‐じん【亜人】
日本国語大辞典
〔名〕(「亜」は「亜米利加(アメリカ)」)アメリカ人。*佐久間象山上書稿‐文久二年〔1862〕九月「備中守様御帰府之上、亜人へも又々御応接御座候等に至り」*漂流
29. アヘン戦争画像
世界大百科事典
阿片始末》をはじめ,戦争の経緯や清の敗因などを論じた書物が数多く著され,広く読まれている。佐久間象山,吉田松陰をはじめとする幕末の思想家たちの思想形成も,これら
30. いしぐろただのり【石黒忠悳】
国史大辞典
万延元年(一八六〇)越後片貝村に帰り、祖家の石黒姓を継いだ。文久三年(一八六三)信州松代に佐久間象山を訪い、強い影響を受ける。元治元年(一八六四)江戸に出て、柳
31. いちかわ-かねのり【市川兼恭】
日本人名大辞典
江戸後期-明治時代の洋学者。文政元年5月11日生まれ。緒方洪庵(こうあん),杉田成卿(せいけい),佐久間象山にまなぶ。江戸で医師を開業後,砲術をもって越前(えち
32. 伊藤博文[文献目録]
日本人物文献目録
伊藤博文』阿部真之助『故伊東巳代治伯「翠雨荘日記抄二」 博文と巳代治』伊東治正『公爵伊藤博文君』大橋乙羽『佐久間象山・谷重遠・子爵谷干城・本居宣長・公爵伊藤博文
33. いまづあさやまむら【今津朝山村】千葉県:市原市地図
日本歴史地名大系
行った。始関半左衛門は五大力船十数艘を所持し、江戸間輸送を手広く行っており、嘉永四年(一八五一)佐久間象山が姉崎海岸で試射したカノー砲を江戸から運んだとされる(
34. いわかどむら【岩門村】長野県:上田市/神科地区
日本歴史地名大系
る。文政七年(一八二四)岩門大日堂に寺子屋を開いた活文禅師のもとへ、文政一一年春、一八歳の佐久間象山が入門、松代(現長野市松代町)から地蔵峠(現小県郡真田町)を
35. 印刷電信
世界大百科事典
指示させるものである。日本へはペリー提督が54年(安政1)に幕府に献上したが,その前1849年(嘉永2)に佐久間象山がオランダの本《理学原始Eerste gro
36. うちやまたかすけ【内山隆佐】
国史大辞典
。諱は良隆、字は隆佐、号は貫斎。はじめ医学を大坂で学び、のち朝川善庵に政治経済の学を、また佐久間象山に砲術を学んだ。幕末の越前大野藩は山間の小藩であったことも加
37. うちやま-りゅうすけ【内山隆佐】
日本人名大辞典
幕末の武士。文化10年生まれ。内山七郎右衛門の弟。越前(えちぜん)(福井県)大野藩士。朝川善庵,佐久間象山にまなぶ。兄とともに藩政改革につとめる。安政3年藩の蝦
38. えがわけじゅうたく【江川家住宅】静岡県:田方郡/韮山町/韮山
日本歴史地名大系
で県指定文化財。〔韮山塾〕英龍による高島流砲術(洋式砲術)の教授は天保一三年(一八四二)の佐久間象山の入門に始まる。英龍の出府中は江戸で教授されたが、韮山に在る
39. えがわたろうざえもん【江川太郎左衛門】
国史大辞典
そしてその翌年九月には英竜に西洋砲術の教授を許可した。そのため入門するものは、幕臣川路聖謨・松代藩士佐久間象山はじめ、約一ヵ月の間に百名近くにのぼった。また同じ
40. 江川英龍画像
日本大百科全書
鋭音号令(気ヲ付ケ、前ヘナラエ、捧(ささ)ゲ銃(つつ))の考案、パンの製作などがある。門人には、佐久間象山(しょうざん)、川路聖謨(としあきら)、阿部正弘(まさ
41. えがわ-ひでたつ【江川英竜】
日本人名大辞典
36代太郎左衛門を称し,民政の改革につくす。海防のため高島秋帆(しゅうはん)に砲術をまなび,佐久間象山,木戸孝允(たかよし)らに教授。ペリー来航のとき勘定吟味役
42. 江戸時代(年表)
日本大百科全書
特産物買上げ反対の騒擾。佐久間象山、幕府の夷狄観を批判。オランダに留学生派遣。『官板バタヒヤ新聞』1863(文久3)10月 長崎・江戸・京都市中に天誅の張紙18
43. 桜賦(著作ID:452471)
新日本古典籍データベース
おうふ 佐久間象山(さくましょうざん) 漢詩文 万延元
44. 桜賦(著作ID:728654)
新日本古典籍データベース
おうふ 佐久間象山(さくましょうざん) 撰 佐久間恪(さくまいそし) 注 漢詩文
45. おおいしむら【大石村】長野県:小県郡/東部町
日本歴史地名大系
江戸中期の名力士雷電為右衛門は、ここで生れ、寛政八年(一七九六)から西方大関として一七年間在位した。幕末佐久間象山の銘で雷電の碑が建てられたが、雷電の墓や碑の破
46. 大国隆正[文献目録]
日本人物文献目録
の事蹟』大森金五郎『大国隆正先生に就て』五弓安二郎『大国隆正と帰正館』沖本常吉『大国隆正と佐久間象山』金子英二『大国隆正と里井浮丘』緒方梅歌『大国隆正と鈴木重胤
47. おおだにむら【大谷村】鳥取県:米子市
日本歴史地名大系
求馬の甥盤谷は医術のほか儒学・武芸に通じ、とくに絵画に秀でたという。天保八年(一八三七)以降諸国を遍歴、佐久間象山とも親交を結び勤皇運動に加わった。晩年は長野県
48. おおつき-りゅうのしん【大槻竜之進】
日本人名大辞典
享和2年生まれ。大槻俊斎の兄。陸奥(むつ)仙台藩の重臣片倉氏の家臣。砲術を高島秋帆,江川英竜,佐久間象山にまなぶ。安政3年藩の大番士となり,西洋砲術教授として活
49. おがわらむら【小河原村】長野県:須坂市
日本歴史地名大系
取り立てた。近代養蚕盛行に一役買った蚕種家は、高畑に桑園の所有を心掛けた。口碑では、新田の北村菊蔵は佐久間象山から旱魃地に桑が適するとの指示を得て、上州から桑の
50. 荻生徂徠[文献目録]
日本人物文献目録
荻生徂徠』相良亨『経世論者としての荻生徂徠と本多利明』有賀春雄『嵩山房と徂徠先生』頓智二『佐久間象山と蕃山徂徠との関係及其性格』飯島忠夫『庶民と儒学 徂徠学とそ