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  11. 武者小路実篤

武者小路実篤

ジャパンナレッジで閲覧できる『武者小路実篤』の国史大辞典・日本大百科全書・日本人名大辞典のサンプルページ

国史大辞典
武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ
一八八五 - 一九七六
大正・昭和時代の小説家、劇作家、詩人、画家。明治十八年(一八八五)五月十二日東京麹町に、子爵実世・秋子(なるこ)の末子(四男)として生まれた。母は勘解由小路(かでのこうじ)氏の出。二歳のとき父を肺結核で失う。学習院初・中・高等科に学び、明治三十九年卒業、東京帝国大学文科大学社会学科に進学したが、一年後に退学。中等科最上級の夏、母方の叔父勘解由小路資承(すけこと)の家で『聖書』ならびにトルストイの『我宗教』『我懺悔』を読み、自己の生き方を問う契機を与えられた。高等科時代志賀直哉・正親町公和(おおぎまちきんかず)・木下利玄と親交をもち、大学中退に先立って四人で「十四日会」を結成、回覧雑誌『望野』を発行して、小説・対話・感想・詩を掲げ、四十一年処女文集『荒野』を刊行。自己犠牲を説くトルストイの影響を多くとどめつつ、メーテルリンクの『智恵と運命』の啓示による、他を愛するにはまず己れを愛することを知らねばならぬという立場、自己肯定への一歩をそこに示した。以後その思想を内部に育て、自己の生長と拡充を求めて、主体的な生の創造を目ざす姿勢を鮮明にするとともに、四十三年志賀直哉・有島武郎・里見〓・柳宗悦らと『白樺』を創刊、誌上に小説・戯曲のほか、感想・評論を精力的に執筆し、おのずから同人たちの核となる活動をみせた。大正二年(一九一三)創作集『心と心』、感想集『生長』をまとめたが、その前後から自己を生かし、人間苦の抜本的な救済を命じる「自然」の意志を深く想うに至り、個と全体との調和した理想社会の地上における実現を、みずからの課題とすることになった。この使命感は、『二十八歳の耶蘇と悪魔』『彼が三十の時』(以上大正三年)、『或る青年の夢』(同五年)、『或る脚本家』(同七年)などの小説・戯曲の執筆、感想集『後ちに来る者に』(同五年)の刊行を通じて次第に確実なものとなり、大正七年『新しき村の生活』に新しき社会の趣旨と構想を発表、宮崎県児湯郡木城村に土地を入手して、十七人の同志とともに入植、共産共生を原則とする「村」づくりに取り組んだ。在村八年のあいだには、夫人房子と別れ飯河安子と結婚するという身辺の事件もあったが、施設も徐々に整備され、同志の数もふえて、建設は軌道にのり、「村」の出版部曠野社(東京)の設立、機関誌『生長する星の群』の創刊など、文化的事業も緒につくなかで、人間の真の幸福、まことの喜びをたずねる情熱を、『幸福者』(大正八年)、『友情』(同十年)、『第三の隠者の運命』『或る男』(以上同十二年)の中・長編、評伝『耶蘇』(七年)、戯曲『人間万歳』(十二年)、『桃源にて』(十三年)、『詩百篇』(十四年)などに生かして、作家としても充実ぶりを示した。大正十四年末一身上の都合で離村、「村」もダム工事のため埼玉県に移る(昭和十四年(一九三九))ことになるが、終始変わらずその「精神的支柱」であり続けた。昭和初年代には個人編集の雑誌『大調和』『独立人』『星雲』などをつぎつぎと刊行して、信条を自由に表現する場を確保、また『二宮尊徳』(昭和五年)、『井原西鶴』(同七年)、『釈迦』(同九年)ほかの伝記小説を書く一方で、美術展「大調和展」を創設、美術店日向堂を経営するなど美術への関心を深め、自身も本格的に画業に身を入れるようになった。昭和十一年駐独大使の兄公共の勧めで欧米を歴遊、各地の美術館をたずね、マチス・ルオー・ドランに面接して帰国。美術体験記を書き、それらを『湖畔の画商』(十五年)にまとめた。十二年芸術院会員。第二次世界大戦中の日本文学報国会劇文学部長就任などのため、終戦後公職追放に指定されたが、二十六年解除され、文化勲章を受章、二十七年芸術院会員に再選。追放中の作『真理先生』(二十六年)に続く『馬鹿一』(二十八年)、『山谷五兵衛』(三十一年)、『白雲先生』(三十四年)などの諸編は独自の聖者小説といわれ、人間への無限の愛と信頼を語っている。昭和五十一年四月九日九十歳で永眠。終焉の地東京都調布市の自宅は実篤公園となり、隣接して記念館がある。『武者小路実篤全集』十八巻(小学館)が現在刊行中。→新しき村(あたらしきむら),→白樺(しらかば)
[参考文献]
大津山国夫『武者小路実篤論』、今井信雄編『武者小路実篤』(『新潮日本文学アルバム』一〇)
(遠藤 祐)


日本大百科全書(ニッポニカ)
武者小路実篤
むしゃのこうじさねあつ
[1885―1976]

小説家、劇作家、詩人、画家。明治18年5月12日、東京・麹町(こうじまち)に生まれる。父子爵実世(さねよ)、母秋子(なるこ)(勘解由小路(かでのこうじ)氏)の末男。4人の兄姉は生まれてまもなく死に、姉伊嘉子(いかこ)、兄公共(きんとも)とともに育つ。3歳のとき父を失う。その臨終の際の、この子はうまく育てば世界に1人という人間になるという父の予言を、成長後に知って、生を根底的に信じる心を与えられたという。学習院初・中・高等科に学び、木下利玄(きのしたりげん)、正親町公和(おおぎまちきんかず)、志賀直哉(しがなおや)を知る。中等科最上級のとき叔父の家で聖書、トルストイの人生論書に接し、いかに生きるかを問う契機を与えられ、とくにトルストイの思想に傾倒、文学への道を志した。1906年(明治39)東京帝国大学社会学科へ進んだが、1年ほどで退学。志賀らと「十四日会(じゅうよっかかい)」(1907)をもち、回覧雑誌『望野(ぼうや)』を発行、小説・詩・感想を載せ、それらをまとめて文集『荒野(こうや)』(1908)を刊行した。そこにトルストイ主義の自己犠牲から自己の生命の肯定へ移る思想転回がみられたが、1910年4月『白樺(しらかば)』を創刊、個の拡充、主体的な生の創造を大胆に打ち出す感想・評論を執筆、また西欧の美術の紹介に努めた。1912年(大正1)竹尾房子と結婚、1922年別れて飯河安子(いいかわやすこ)と再婚。創作としては『お目出たき人』(1911)、『世間知らず』(1912)のほか、戯曲『桃色の室(しつ)』(1911)、『二つの心』(1912)、『或日(あるひ)の一休和尚(いっきゅうおしょう)』(1913)などを発表。やがて個の拡充の意欲が自己を見守る運命の力を信じる心と結び付いて、自然・人類の意志のうちに個のすべてを生かす調和的な社会を具現すべき使命感を抱き、それを、戯曲『わしも知らない』(1914)、『或る青年の夢』(1916)、小説『彼が三十の時』(1914)、『或る脚本家』(1918)、感想集『後(の)ちに来る者に』(1916)などに熟させて、1918年(大正7)『新しき村の生活』に理想境建設の計画を公表し、宮崎県(のち埼玉県に移る)に土地を入手して「新しき村」の運動を具現した。1926年一身上の都合で離村、その間に『幸福者』(1919)、『友情』(1920)、『第三の隠者の運命』『或る男』(ともに1923)などの中長編、戯曲『人間万歳』(1922)、評伝『耶蘇(やそ)』(1920)を書き、「ぢかに神の意志を聞いて生きられる時」(耶蘇)を生きている自己の情熱を表明した。

 昭和初期には『井原西鶴(いはらさいかく)』(1931)ほかの伝記小説を多く書いたが、異色の美術展「大調和展」を創設、自身も画筆をとるなど、美術への関心を深め、1936年(昭和11)欧米を歴遊、各地に美術館を訪れ、帰国後は『美術論集』(1942)など美術関係の著書を多く刊行、小説にも画家を主人公とする作がみられた。第二次世界大戦中、時局に傾斜した姿勢を示したため、戦後公職追放の身となったが、1951年(昭和26)処分を解除され、文壇・画壇に復帰し、追放の間に書いた長編『真理先生』(1949~1950)を受ける『馬鹿一(ばかいち)』(1953)、『山谷五兵衛(さんやごへい)』(1954~1956)、『白雲先生(はくうんせんせい)』(1957~1959)の諸編に人間信頼の願いを託し、『或る男』以後の生涯を『一人の男』(1967~1971)に書き尽くして、昭和51年4月9日瞑目(めいもく)した。1951年文化勲章受章、1952年芸術院会員(再選)。東京・調布市の旧邸内に武者小路実篤記念館、埼玉県毛呂山(もろやま)町に武者小路実篤記念新しき村美術館がある。

[遠藤 祐]



武者小路実篤[百科マルチメディア]
武者小路実篤[百科マルチメディア]

 ©国立国会図書館所蔵


日本人名大辞典
武者小路実篤
むしゃのこうじ-さねあつ
1885−1976
明治-昭和時代の小説家。
明治18年5月12日生まれ。武者小路実世(さねよ)の4男。明治43年志賀直哉(なおや)らと「白樺(しらかば)」を創刊。大正7年理想主義の実践として,宮崎県に「新しき村」をひらく。小説,戯曲のほか,詩,画業にも活躍した。昭和12年芸術院会員,26年文化勲章。昭和51年4月9日死去。90歳。東京出身。東京帝大中退。作品に小説「友情」「真理先生」,戯曲「人間万歳」など。
【格言など】この道より我を生かす道なし,この道を歩く

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1. 武者小路実篤
世界大百科事典
1885-1976(明治18-昭和51) 作家,画家,思想家。別号は無車。子爵武者小路家の末子として東京に生まれた。公卿華族の家に末子として生まれたが,父の若死
2. むしゃのこうじ‐さねあつ【武者小路実篤】
日本国語大辞典
詩人、小説家、劇作家。東京出身。「白樺」を創刊し、その代表的作家として活躍。トルストイの影響を受け、人道主義を提唱。「新しき村」を創設。昭和二六年(一九五一)文
3. むしゃのこうじさねあつ【武者小路実篤】
国史大辞典
隣接して記念館がある。『武者小路実篤全集』十八巻(小学館)が現在刊行中。→新しき村(あたらしきむら),→白樺(しらかば) [参考文献]大津山国夫『武者小路実篤
4. むしゃのこうじ-さねあつ【武者小路実篤】画像
日本人名大辞典
1885−1976 明治-昭和時代の小説家。明治18年5月12日生まれ。武者小路実世(さねよ)の4男。明治43年志賀直哉(なおや)らと「白樺(しらかば)」を創刊
5. 武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)画像
日本大百科全書
1951年文化勲章受章、1952年芸術院会員(再選)。東京・調布市の旧邸内に武者小路実篤記念館、埼玉県毛呂山(もろやま)町に武者小路実篤記念新しき村美術館がある
6. 武者小路実篤[文献目録]
日本人物文献目録
紅野敏郎『武者小路実篤』瀬沼茂樹『武者小路実篤』平野仁啓『武者小路実篤覚え書』米田利昭『武者小路実篤君』加藤一夫『武者小路実篤君の真価』江口渙『武者小路実篤研究
7. 武者小路実篤[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
国立国会図書館所蔵
8. 武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)
日本大百科全書
武者小路実篤
9. しゅうさくじん【周作人】(Zhōu Zuòrén)
世界人名大辞典
設立する一方,雑誌《新青年》などを舞台に国語創出,文学革命の理論家として活躍.口語詩《小河》を執筆,武者小路実篤の新しき村運動に共鳴して宮崎県の同本部を訪問[1
10. あい‐こ[あひ‥]【相子】
日本国語大辞典
島も面色土気色で目が血走りて居るから、あいこでせへで御坐います」*世間知らず〔1912〕〈武者小路実篤〉一一「どっちがひどく好きでせう、相こにしておきませうね」
11. 愛慾
日本大百科全書
武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の戯曲。4幕。1926年(大正15)1月『改造』に発表、同年3月改造社刊。同年7月築地小劇場で、友田恭助、山本安英らにより
12. あい‐よく【愛欲・愛慾】
日本国語大辞典
島崎藤村〉下・八「愛慾の為に衰耄(すゐまう)したやうな甥の姿が」【二】(愛欲)戯曲。四幕。武者小路実篤作。大正一五年(一九二六)発表。同年築地小劇場で初演。佝僂
13. 新しき村
日本大百科全書
水田や果樹園に加え養鶏が始まった。村内生活者は50名を超え、1980年には、武者小路実篤の書画、書簡、著書等を収めた「武者小路実篤記念 新しき村美術館」が開館し
14. 新しき村
世界大百科事典
白樺派の文学者武者小路実篤が提唱した生活共同体の村。1918年宮崎県児湯郡木城村に建設したが,その後,ダム工事で農地の大半が水没することになったため,39年埼玉
15. あたらしき‐むら【新しき村】
日本国語大辞典
宮崎県児湯(こゆ)郡木城町に建設された生活共同体の村で、大正七年(一九一八)トルストイの人道主義に基づき、武者小路実篤を中心に、全国から四〇余名が集まって生活し
16. あたらしきむら【新しき村】
国史大辞典
広げ、同二十三年財団法人となり、経営も安定して、今日に至っている。→武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ) [参考文献]武者小路実篤『この道を歩く』、木村艸太『
17. 新しき村
日本史年表
1918年〈大正7 戊午〉 11・14 武者小路実篤ら、「 新しき村 」を宮崎県児湯郡木城村に建設。
18. 我孫子[市]
世界大百科事典
など平将門に関する史跡が多い。明治~昭和初期には南に手賀沼を望むこの地を愛して,志賀直哉,武者小路実篤,杉村楚人冠らが移り住んだ。菊地 利夫 布佐
19. 我孫子(市)画像
日本大百科全書
ゴルフ場などが進出し、都市化が著しい。大正初期から昭和初期にかけて、志賀直哉(しがなおや)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らが居住し、その旧跡も多い。手
20. あびこし【我孫子市】千葉県地図
日本歴史地名大系
まで編成され、成田線沿線の農村から都内各地に行商が行われた。大正時代手賀沼湖畔に志賀直哉・武者小路実篤・柳宗悦が一時期住み、文人らの往来があった。明治四一年布佐
21. あぶら を 注(そそ)ぐ
日本国語大辞典
動をさらにあおりたてる。人をほめそやしておだてる。火に油を注ぐ。*世間知らず〔1912〕〈武者小路実篤〉二「自分は油を注がれないでもいい加減に興味をもってゐた所
22. 油(あぶら)を注(そそ)ぐ
故事俗信ことわざ大辞典
さらにあおりたてる。人をほめそやしておだてる。油を掛ける。油を差す。 世間知らず(1912)〈武者小路実篤〉二「自分は油を注がれないでもいい加減に興味をもってゐ
23. あまっ‐たれ【甘─】
日本国語大辞典
、気持の上で人によりかかること。また、そういう人。あまえんぼう。*世間知らず〔1912〕〈武者小路実篤〉二〇「あまったれで、何処までもつけ上る」*大道無門〔19
24. アメーバ画像
日本国語大辞典
〕〈内村鑑三〉七「最初にまずアメーバのやうな原生動物が出でてから」*人間万歳〔1922〕〈武者小路実篤〉一「それならアミーバーでも一疋地球の水のなかに入れて見た
25. 有島武郎画像
日本大百科全書
教えるかたわら、北欧文学や社会主義の文献などを耽読(たんどく)した。 1910年(明治43)4月、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)、志賀直哉(しがなおや)
26. ありしまたけお【有島武郎】
国史大辞典
その前後から信仰に対する懐疑をいっそう深め、同四十三年信仰を棄てて札幌独立協会を脱会するとともに、同年四月武者小路実篤らにより創刊された『白樺』に加入、文筆活動
27. 有島武郎[文献目録]
日本人物文献目録
と有島武郎』江口渙『有島君の死について』吉田熊次『有島さんの最後』厨川白村『有島さんの死』武者小路実篤『有島さんの手紙とその前後 』浦上后三郎『有島事件の頃』和
28. 池大雅[文献目録]
日本人物文献目録
』高橋竹迷『大雅堂と蕪村 1‐2』大閑山房主人『大雅堂に就いて』河野通勢『大雅堂について』武者小路実篤『大雅堂の遺跡』-『大雅堂の逸話』森銑三『大雅堂の面影』熊
29. いしがわちごう【石河内郷】宮崎県:児湯郡/木城町
日本歴史地名大系
「日向地誌」では合併後の石河内村は戸数九六・人数五三二、牛四六・馬八二、池一。大正七年(一九一八)一一月、武者小路実篤は白樺派の理想郷を石河内に定め、城に「新し
30. 居候(いそうろう)三杯目(さんばいめ)にはそっと出(だ)し
故事俗信ことわざ大辞典
居ります。居候置いて合はず居て合はず 居候三杯目にはソッと出し」気まぐれ日記(1924)〈武者小路実篤〉八月一八日「一月位いは籠城出来るやうにしておきたい。よく
31. 一休宗純[文献目録]
日本人物文献目録
奇行笑談』-『修養禅話 一休奇行録』高橋竹迷『一休禅師論語』久保正章『一休・曽呂利・良寛』武者小路実篤『一休和尚伝』高島米峰『歴史家のみた講談の主人公』芳賀幸四
32. いっししげき【一志茂樹】
国史大辞典
校長職や松本市教育会長などを歴任。教職についたころから『白樺』を知り、白樺教育を推進した。武者小路実篤・岸田劉生らと交わり、大正十一年には文芸誌『創作』の発行に
33. 一寸(いっすん)の虫(むし)にも五分(ごぶ)の魂(たましい)
故事俗信ことわざ大辞典
パーソナリチーに犬にも幽霊有る事は予も十数年研究して聊か得た処有るが」真理先生(1949~50)〈武者小路実篤〉二九「通用しないとは僕の口から断定したくない。僕
34. いっ‐とう【一等】
日本国語大辞典
也」*趣味の遺伝〔1906〕〈夏目漱石〉一「一等の待合へ来てみると」*世間知らず〔1912〕〈武者小路実篤〉八「自分達は一つの車が一等と二等にわかれてゐるボーギ
35. い‐の・る【祈・祷】
日本国語大辞典
くぞ、祈れただ、すはすは動くぞ、祈れただ」(3)心から希望する。願う。*友情〔1919〕〈武者小路実篤〉三四「僕は君の幸福を祈ってゐるよ」(1)元来、言霊(こと
36. 井原西鶴[文献目録]
日本人物文献目録
註)『俳諧史の研究』潁原退蔵『西鶴』麻生磯次(編註)『西鶴』栗山理一『西鶴』-『井原西鶴』武者小路実篤『西鶴』暉峻康隆『現代語訳西鶴好色全集 4巻4冊』吉井勇(
37. いんばい‐ふ【淫売婦】
日本国語大辞典
淫売婦なぞから、種々な浮世の話を聞く事は、最も深い興味を感ずる」*世間知らず〔1912〕〈武者小路実篤〉一二「C子を淫売婦が化けて来たのだとすら思った」
38. うえの-みつる【上野満】
日本人名大辞典
1907−1985 昭和時代の農業指導者。明治40年11月6日生まれ。武者小路実篤(むしゃのこうじ-さねあつ)の「新しき村」にくわわる。昭和22年から茨城県東(
39. うのじゅうきち【宇野重吉】
国史大辞典
民芸を創立して中心人物となる。リアリズムの新しい展望を一貫して追求し、ソビエト演劇の紹介、武者小路実篤・岸田国士・小山祐士らをふくめた日本近代劇の再検討を指針に
40. 梅原竜三郎[文献目録]
日本人物文献目録
画全集 13』-『アトリエの梅原竜三郎』白洲正子『梅原芸術の限界』植村鷹千代『梅原と安井』武者小路実篤『梅原と安井 新春美術放談』里見勝蔵『梅原の近作』中河与一
41. うら‐がえし[‥がへし]【裏返】
日本国語大辞典
手軽うてうつくしう見えるやうに、一変させてもらひたいものじゃ」*お目出たき人〔1911〕〈武者小路実篤〉四「自分以上の人格者が鶴を恋してゐると云ふことは大なる疑
42. う・る【売】
日本国語大辞典
すべ)てのものに対して云ふ可からざる『売られた』と云ふ感を懐ゐて居た」*友情〔1919〕〈武者小路実篤〉下・七「しかし僕は親友の恋してゐる女を横取りには出来ませ
43. エターナル
日本国語大辞典
〔形動〕({英}eternal )永遠に続くさま。永久に変わらないさま。*お目出たき人〔1911〕〈武者小路実篤〉一「誠に女は男にとって『永遠の偶像(エターナル
44. おおえ-けんじ【大江賢次】
日本人名大辞典
1905−1987 昭和時代の小説家。明治38年9月20日生まれ。武者小路実篤(さねあつ)の「新しき村」に共鳴,のち片岡鉄兵の影響でプロレタリア文学をめざす。昭
45. おおぎまち-きんかず【正親町公和】画像
日本人名大辞典
明治-大正時代の小説家。明治14年10月14日生まれ。正親町実正(さねまさ)の長男。志賀直哉,武者小路実篤(むしゃのこうじ-さねあつ)らと明治43年「白樺(しら
46. おかざき-せいろう【岡崎精郎】
日本人名大辞典
1898−1938 昭和時代前期の農民運動家。明治31年12月21日生まれ。武者小路実篤(むしゃのこうじ-さねあつ)の影響をうけ,郷里高知県に所有の田畑を小作人
47. おぐに-ひでお【小国英雄】
日本人名大辞典
1904−1996 昭和時代の脚本家。明治37年7月9日生まれ。武者小路実篤の「新しき村」の思想に共鳴し参加する。大正12年日活にはいり「あなたと呼べば」「青い
48. おこ・す【起・興・熾・発】
日本国語大辞典
su (ヲコス)」*俳諧・炭俵〔1694〕序「火桶にけし炭をおこす」*幸福者〔1919〕〈武者小路実篤〉五「囲爐裡に火を熾して湯をわかし」(4)寄席芸人の用語。
49. おざききはち【尾崎喜八】
国史大辞典
数年間銀行・会社へ勤めたが、文学への志望止みがたく、大正二年(一九一三)ころ高村光太郎を知り、ついで武者小路実篤・千家元麿らと交わり、『白樺』に翻訳や詩を発表す
50. おざき-きはち【尾崎喜八】画像
日本人名大辞典
1892−1974 大正-昭和時代の詩人。明治25年1月31日生まれ。武者小路実篤(さねあつ)ら白樺派の影響をうけ,大正11年第1詩集「空と樹木」を刊行。大正末
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カミュ(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
フランスの作家、思想家。11月7日、当時フランスの植民地であったアルジェリアの旧コンスタンティーヌ県サン・ポール農場で生まれる。父親リュシアンLucienAugusteCamus(1885―1914)は農場労働者、母親カトリーヌ・サンテスCather
ロダン(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
フランスの彫刻家。生気に満ちた写実主義、モニュメンタルな表現性、象徴主義的なテーマ、彫刻を量塊(マッス)としてとらえ、その動きと表現的な肌によって周辺空間と関連させる手法などにより、19世紀の彫刻に活気を与え、現代彫刻への道を開いた近代彫刻最大の芸術
ドストエフスキー(日本大百科全書・世界大百科事典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
ロシアの小説家。トルストイと並んで19世紀ロシア文学を代表する世界的巨匠。「魂のリアリズム」とよばれる独自の方法で人間の内面を追求、近代小説に新しい可能性を開いた。農奴制的旧秩序が資本主義的関係にとってかわられようとする過渡期のロシアで、自身が時代の
モネ(岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典)
フランスの画家,印象派の開拓者,指導者.パリに生まれる.少年時代をルアーヴルで過ごして海と陽光の美しさに啓発され,同地でブーダンに師事し風景画に開眼する.パリに戻り[1859],はじめトロワイヨン,のちグレールに師事し,P.A.ルノワール,シスレー
三島由紀夫(日本近代文学大事典)
小説家、劇作家。東京市四谷区永住町二番地に生れた。本名は平岡公威きみたけ。父梓と母倭文重しずえの長男。父は農林省官吏で、祖父の定太郎は樺太庁長官をつとめた。母は、前田藩儒者で東京開成中学校長をつとめたことのある橋健三の次女である。祖母の夏子
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